2005年9月アーカイブ

DNAと出会い

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 「孫にDNAを感じる!」とは、館長の言葉。自分の血が未来につながっていくことを、わが子よりも強く感じるらしい。強気なガッツマンも3歳の孫にはメロメロなんだろうな。ステキなことだ。
 龍馬をはじめ、幕末に活躍した方たちのご子孫にお目にかかる機会がある。時に、写真で見る幕末期の人と同じ顔に出会ったりもする。不思議で、愉快なひとときである。
 中でも長州藩士・三吉慎蔵のご子孫は、DNAを強く引き継いでいらっしゃるように思う。
 この夏、京都国立博物館の一室で初めてお目にかかった時、ひとめで三吉さんだと分かった。それは単に風貌だけでなく、龍馬が心から信頼した三吉慎蔵の誠実と優しさが伝わってきたから。その場には、長州旧家・伊藤九三や京都近江屋・井口新助のご子孫もいらっしゃった。どの方も、ご先祖のDNAを感じさせる風格と気品に満ちていた。そして、ご子孫でしか知りえないだろう先祖から語り継がれた話などをお聞きできたことも、実に楽しかった。幕末はまだ生きている。
 三吉さんに戻ろう。下関取材に行く前、「これから長州に行きます」という電話をした。その時ご本人はお留守で、奥様とお話をさせていただいたが、「最近お墓参りに行っていないので、代わりにご先祖によろしく伝えてくださいね」とおっしゃる。年上の人に失礼ながら、かわいい方だなと思った。長府博物館裏手で『三吉慎蔵』という墓碑に出会ったとき、思わず「こんにちは」と言ってしまいそうになったくらいだ。
 10月15、16日に、高知市で『第17回全国龍馬ファンの集い』が開催される。龍馬生誕170年の今年、そこでどんな出会いが生まれるのか。龍馬ゆかりの人々のDNAを通じて、幕末を感じられるかもしれない。

私も龍馬に1票!

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 先日、アサヒビール株式会社が「一度で良いから、お酒を飲み交わしたい歴史人物は?」という調査を行ったそうだ。結果は、男女とも龍馬がトップだったようで、相変わらず人気が高い。理由は現代の行き詰まった状況について意見を聞きたい、というようなものが多いそうだ。
 当館へ寄せられる質問にもお酒にまつわるものは多い。「龍馬はお酒が強かったのですか?」や「龍馬が飲んでいたお酒と同じ物を飲みたいので、銘柄を教えてください」とか、「龍馬はビールを飲んだのですか?」など色々ある。
 妻・お龍の話によると、龍馬は1升5合の酒を一息で飲み干したそうだ。また、龍馬は酔うと陽気になるタイプらしく、海援隊士の関義臣の回顧録では、「平生の無口に似合わず、盛んに流行唄など唄ふ」とある。「お医者の頭へ雀が止うまる 止うまる筈だよ藪医者だ よさこい よさこい」というよさこい節の替え歌を作って流行らせたそうだ。関は「誠に天真の愛嬌家であった」と続けている。
 もし、私が龍馬と飲めるなら、政治の話も聞きたいが、三味線に合わせた陽気な唄を聞いてみたい。しかし、龍馬の酒量には付いて行けそうもない。

長崎紀行

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 秋からの企画展「亀山社中と海援隊」に向けて、長崎、五島列島に行ってきた。
 春先から、丸亀・塩飽諸島を皮きりに、神戸、京都、下関、福山…と回った最終ラウンド。
 台風14号の影響で1週間延期した9月半ばの長崎出張は、夏に逆戻りしたような日差しと蒸し暑さの中をひたすら歩いた。(日焼けとシミがお土産に…?!)
 さすが長崎は歴史の街だと思った。何度か訪れたことのある街ではあるのだが、今回のような幕末を中心とした歴史探訪はもちろん初めて。実のところ、何度目かのグラバー邸ですら、龍馬との関わりなど知らなかった私には、角度を変えて見るとこんなにも街の表情が違うものかと驚かされた。
 丸山遊郭「引田屋」は現在、史跡料亭「花月」として363年の歴史そのままを来客に公開している。営業課・加藤さんの説明を聞きながら邸内を回っていると、その昔の男や女たちのさんざめきが、どこかしこから聞こえてくるようだった。女たちの笑いや悲しみが後ろから私を追いかけてくる。歴史は遠くにあるのではないなと思う。悲しみや喜びといった人の感情は、時代や価値観が変わってもそんなに変わらないのではないかと思うから。
 五島も強烈だった。ジェットコースターのような小型高速艇では、ワイルウェフ号乗組員気分でいたのだが、五島龍馬会の元漁労長・杉山さんは「あの時はそんなものじゃなかっただろう」と言う。池内蔵太たちの恐怖はどんなものだったのだろう。それにしても潮合崎を向こうに見る「龍馬ゆかりの地」を整備し顕彰する五島の人たちの思いは熱い。
 遠く時間を超えて異郷に息づく龍馬。何より、今を生きる人たちのまなざしの中にこそ、龍馬は生き続けている。現地の人たちとの出会いの中で、そのことを実感した。
 各地の龍馬会はじめ皆様のご協力がなければ、あれだけの史跡を巡ることは難しかったと思う。心より御礼、感謝申しあげます。

 8月のある日、顔馴染みのタクシーの運転手さんが、一人の少年を連れてきた。
 運転手さんが言うには、静岡から一人でバスに乗って来て、高知駅からタクシーに乗ったそうだ。3時頃高知駅を出発するバスで静岡まで帰るため、2時頃には桂浜を出るように気を付けてあげてほしい、とのことだった。私が館内を案内しながら色々話をすると、なんと名前は「りょうま」君だった。小学6年生で、龍馬を訪ねて高知まで来たらしい。龍馬記念館が最後の見学地かと思って案内をしていたら、実はここが最初で、これから桂浜の銅像を見て、お昼を食べた後、「龍馬の生まれたまち記念館」へも行きたいと言う。しかし、その時すでに11時半。時間が足りない。慌てたのは私たち職員で、「りょうま」君を急がせるが、本人はいたって落ち着いたもの。時間がなければ「生まれたまち記念館」は止める、と言いながらのんびりアニメ「おーい竜馬」を見ていた。
 結局、解説員の一人が急いで銅像まで連れて行ったが、その後無事バスに乗って静岡へ帰り着いただろうか。
 龍馬のように、ゆったり大きく育ちそうな少年だった。

 館の中二階で、先ごろお亡くなりになった小椋前館長をしのぶ追悼展を始めた。
小椋館長は、開館当時から館長をお勤めになった、功労者である。
館の歴史そのものと言ってもいい。
 生前の30枚近いパネルに、そのまま温厚な人柄が覗いている。
「龍馬の手紙」を館の売り物に置いたアイデアも小椋さんの発案と聞いている。
それに、現代語訳をつけたのもやっぱり小椋さんだった。
独特の“小椋節”が窺える訳文は、実に楽しい。
その手紙を、若い入館者が熱心に読んでいる。
ガラスのケースの中に吸い込まれるのではないか、そう見えるほどの熱心さなのである。
 海に向かって立つ館は、館内に展示する資料類にとっては、潮風などの影響もあり、環境は好いはずがない。
そんなこともあって、「記念館には資料が少ない」などとの陰口がささやかれた。
中には、面と向かっての忠告もあった。
しかし、小椋さんは少しも慌てず、こんな風に切り返した。
「実は好い展示物があるのですよ。でも、あまりに大きすぎて展示室には入らないんです。
外に展示してありますので、よく観て下さい」
そして、館内の最先端から、眼前に広がる太平洋を指差したという。
 その海は、まさしく龍馬の見た海である。
 さて今日の海は、果てしなく青く遠い。
白い雲を従えて、呼んでいるのが分る。
その声を聞いて、先日の総選挙結果で起きた頭痛が、やっと消えた。

 大型台風14号通過。
 この館で、2度目の秋が来ようとしている。
 去年の夏は台風の襲来が多く、休館も相次いだ。
来館者が去って、残留組の職員だけになると、ここはただ台風と向き合うだけの場所になる。
 高知といえば海に面した県だと思っている人も多いのだろうが、実はここは森林率日本一の山の県。だから、市中に住む私にとって海は出かけて行く場所だったのだが、ここに来て海は近しい友人となった。朝夕の通勤時には海岸線の多いコースを通っているので、なおさら海の表情とは親しいつきあいだ。
 遠く東シナ海で生まれた波も次第にここにやって来る。穏やかな天候が続いているようでも、海は遠くの波涛を教えてくれる。海は地球上の水たまりなどではなく、鼓動し、動き、おしゃべりし、時に眠る、大きな生き物だと実感する。台風の時はなおさらだ。
 もともと土佐人の私としては、台風に対する畏敬とともにワクワクする気持ちがあるのも正直なところ。もちろん、台風が来て得も言えぬ昂奮を覚えるのは私だけではないはずだ。波を見に行こう!と思うし、波をかぶりながら突堤から海を眺める人々の背中はパワーを充電しているみたいにも見える。
 館から見る台風時の、海のうねり、風の力。大海に立ち向かう船のごとく、記念館は波と風に大きく揺れている。被災はともかく、台風には不思議な力がある。

操舵室から

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 龍馬記念館の建物は、大海に乗り出す船をイメージに設計されている。
船体はブルーとオレンジ色。
大波を一つ乗り越え、次の波に向かって、かっこよくへさきを持ち上げた瞬間である。
まこと、屋上に立ち眼下を見ると、甲板にいる気分になる。
砕ける波。跳ね散る飛沫が白い、白い、白い。
”船内”は壁面がカーブを描いている。
だから、事務室などとして使うには不便この上ない。
机は、壁と直角に突き当たる配置が出来ない。
窓のブラインドが、斜めに上がっていく。
それはいいが、変則なので壊れやすい。
  ”艦長”ならぬ館長に就任して一ヶ月、専ら”船”の修理に追われている。
 ただし気に入っているところもなくはない。
上がり下がりは、鉄製の螺旋階段である。
靴の下に弾む鉄の響きが、手摺の手触りが心地好い。
船腹の丸窓もいける。
しぶきが掛かってくる感じである。
少しさびがきているのも、年月を感じさせて楽しい。
 そして極めつけ、ここは操舵室。
海に突き出した、総ガラスばりの空間は、目線の彼方に水平線である。
まさしく”龍馬の見た海”。
台風余波のうねりの中を、地元の漁船が一艘波をたてて横切って行った。

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