2005年11月アーカイブ

親子のツアー

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 話題の場所を親子でめぐるツアーが、バス2台に分乗して龍馬記念館にやって来た。
総勢80人。楽しく学習するのが狙いで、地元ラジオ局の企画である。
現場からの実況もあるから、スタッフも交えて結構大掛かりだ。
ただ館にとっては、地元入館者の増加が大きな課題になっているだけに、願ってもない“お客さん”。カルチャーサポーターの皆さんの協力も頂いて待機した。
先乗りが到着して「後15分で来ます」。それを合図に“お迎え組”は、ばたばた館前のエントランスに集合した。
バスが着いて、一行が下りて来た。考えてみると、こんな形で親子を見るのは初めてである。それぞれ違って面白い。総じて子供が主役。子供の後を親御さんが付いて走るパターンが多い。ところが中には子供を従えているようなお父さんもいる。子供の方が世話をやいている。
高学年の、お母さんと女同士の二人組は、友達みたいな雰囲気が強い。
説明を聞く子もいれば、海ばかり眺めている子もいる。
もう友達になって、子供同士グループで館内の“探検”をはじめている。親同士もすっかりお友達である。館内に和やかな空気が流れる。実に好いものである。一つこんな質問をした。
「今日、初めて龍馬記念館に来た人?」
ザーとまるで林のように大きい手も小さい手も上がった。皆さん周囲を見て安心の様子。顔見合わせてしきりにテレ笑いであった。こちらは苦笑い。それを隠して、
「それではゆっくり鑑賞して行ってくださーい。」
帰り際、すっと近寄ってきたお母さんが言った。
「初めてでした。好いところですね。ご近所を誘ってまた寄せてもらいます。」
にっこり挨拶された。いっぺんに気持ちが軽くなって、動き出したバスが見えなくなるまで手を振った。

 11月19日(土)は館にとって記念すべき日だったと思う。閉館後の6時から1時間半、地下1階の空間が映画シアターとなった初めての日。内容は、「亀山社中と海援隊」関連企画第2弾としてアニメ映画「おーい竜馬」とお話の会である。大型スクリーンにアニメ映画が上映された。参加者約50名。
 近隣の小学生たちが、お父さんお母さんおばあちゃんと一緒にやってきた。隣りの国民宿舎『桂浜荘』に泊まっている熊本の家族連れも参加した。入口から地下1階に下りる階段は色とりどりの座布団が敷かれ、ふだん入館者が通行する雰囲気とは全く違う。この日、高知市内の小学校では音楽会や学習発表会があって、その後の行事である。この日1日を家族と一緒に有意義に過ごしているチビッ子たちはパワーに充ちている。
 海援隊研究第一人者である佐藤寿良さんは、低学年の子どもたちの多さにちょっと戸惑っていたようだが、スクリーンも使いながら、龍馬についてのお話をしてくださった。「30年以上歴史愛好家として龍馬や海援隊のことを調べているけれど、龍馬っていう人は普通の人なんですね。君たちの誰だって龍馬になることはできるんだよ」と語る口調は、子どもたちへの期待と人柄の温かさそのものであった。
 「おーい竜馬」は人気のあるアニメである。もちろん史実と違う場面もあるが、子どもたちと龍馬が出会うにはよい場所だ。ハラハラしたり、ワクワクしたり、子どもたちは龍馬を身近に感じながら夢を紡ぐことだろう。佐藤さんのお話もいつの日か心の底から浮き上がって、新たに語り始めるに違いない。初めて館がシアターになった日。私たち職員はそんな小さな夢が実現できることを確信した。
12月3日(土)には同じ時間、同じ場所がコンサートホールになる。シンセサイザー奏者として国内外で活躍する西村直記さんをお迎えして、新作CD『坂本龍馬FOREVER』を特集する。ミュージアムがコンサートホールになった、心地よい空間と音楽を楽しんでいただきたい。ぜひお越しください。

遠めがね

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 11月15日を記念して、このほど桂浜をはじめ生誕地周辺などで龍馬生誕170年のお祝いが行われた。170年経ってなおこれほど親しまれる龍馬とはいったいどんな人なのだろう。桂浜・龍馬像前の式典に参加しながら私は龍馬に問いかけていた。
 龍馬は新しもの好き、プレゼント好きである。姪の春猪をからかいながら“舶来のおしろい”を贈る約束をしたのは有名だが、家族にも何やかや贈っているし、自分もまた「おねだり上手」であるようだ。「人の付き合いはものをやり、やられから始まる」と言うが、お中元お歳暮などはいい例だ。日本人特有の習慣はさておき、龍馬は思いやりをプレゼントという形に変えて送り届けていたのだろう。
 慶応3(1867)年5月中旬、龍馬は世話になった寺田屋伊助に「遠眼鏡(とおめがね)一つ」と時計一面を贈っている。いろは丸事件の交渉に長崎へ向かう前のことで、少し前の7日には三吉慎蔵宛に自分が死んだ後のお龍のことなどを頼んでいる。添えられた手紙からは、これが最後かもしれない伊助へのプレゼントに託す龍馬の切々とした気持ちが伝わってくる。(現在展示中)
 この遠眼鏡。つまり当時の望遠鏡を、私は先ごろ長崎で初めて見た。朱塗りの瀟洒なものだった。龍馬が伊助に贈ったのもあんなものだったのだろうか。
 さて、当館にも遠めがね、つまり望遠鏡が2基設置された。屋上と、当館2階(以前は1階、11月より現状)南“空白のステージ”の2ヶ所。龍馬の見た大きな海を映している。中でも屋内のものは、「テレボー」という最新式のもので、四国では3番目の設置。もちろん太平洋を眺められるのはここだけだ。
この望遠鏡からは果てしなく広がる海だけでなく、龍馬の志だって眺められるかもしれない。

人生の節目に

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 警備員のSさんが、朝礼の後「館長」と声を落として耳を寄せてきた。
館の西側にある駐車場に、不審な車が駐車しているというのである。
不審の根拠は、「二週間になるんですよ。いや、停めっぱなしではないんですがね」。Sさんの口調を借ればこうなる。
 時々はいなくなるが、夜になると駐車場に帰ってくる。
 そう言えば私の出勤時間帯に、初老の男が海に向かったベンチに座り、じっと海を見ていることがあった。時にタオルを振るったり、軽い体操したり。
Sさんの話しと合わせると、男がここを生活の拠点にしているのは疑うべくもない。
 「ハンチングを目深にかぶって、やせぎす、目つきも鋭い。何者でしょうな」
事件がらみを予測する、Sさんの表情である。
Sさんの推理が当たっている可能性も否定出来ぬ。
そこである朝、車から出て来た男に「おはようございます」とあいさつしてみた。
すると、予期せぬアクションが返って来た。男はまずハンチングをとった。それから直立不動の姿勢になり、改めて腰を90度折って「おはようございます」。
頭のてっぺんがちょっと薄くなっているのが分るくらい、これ以上はないという丁寧な挨拶であった。
しかし、口数は少ない。聞かれても話せない。いや.話さない。そんな決意のにじんだ、それでいて穏やかそうな表情に、いわくあり、を確信した。それで聞きそびれた。
館には、県外からのリピーターが少なくない。桂浜へ龍馬に会いに来る。進学、就職、結婚、リストラなどというのもある。動機はさまざま。共通して言えるのは、皆さん人生の節目である。
くだんの駐車場の男も、二週間ほどの間に二回、入館したと言った。
まさに人生の節目。年恰好からして、大きな節目と思う。
“公園内の駐車場に停めた高級国産車で寝泊りしながら、海を眺めている中年男”。おかしくはある。しかしここは、龍馬のお膝元ではないか。
Sさんと話して、いましばらく様子を見ることにした。

 11月5日。企画展「亀山社中と海援隊」開催。
ここまで漕ぎ着けたのは、多くの方のおかげだとしか言いようがない。それにしては舌足らずの迫力不足だと嘆くのはご協力くださった皆様に対して失礼な発言かもしれないが、まあともかく開催した。
 実のところ、こんなことを言うと我ながら龍馬に近くなってきたのかと思わざるを得ないが、龍馬にも励まされた。開催数日前には「あきらめたらいかん!」という龍馬の声が体に響き渡った。
 そうだ。龍馬もあの時辛かったんだ。ワイルウェフ号、ユニオン号、大極丸、いろは丸。欲しかった船が次々と自分の手をすり抜けていく。昔馴染みの友が死んでいく。いったい自分は何のために動いているのか。逆境をチャンスに変えて、希望を求めた新天地に、次々と困難が待っている。大切な中間たちとも別れなくてはならないかもしれない。断腸の思い、孤独、選択。しかし、波は押し寄せるばかりではない。失望が退き、希望が近寄ってくることもある。日本の夜明けが近いという実感を、龍馬は確かに感じていたのだ。
 新しい国づくりをめざした龍馬に比べようはないが、新しい記念館づくりをめざそうという少しばかりの意気込みを持つ身には、構想ばかりふくらんで、ふくらんだ気持ちに押しつぶされてばかりだった。勉強不足、力不足の壁にとことん打ちのめされた。長次郎も惣之丞もつらかっただろうなと思うこともあった。
 それでも、テレビ・ラジオ・新聞等でご紹介いただき、こうして皆様をお迎えしている。今までとは違う、新しい夜明けが館にもやってきたことを信じよう。
 お世話になった方たちの中から、私の背中を大きく押してくださった濱島君江さんの姿が見えなくなったのは淋しい。ご冥福をお祈りいたします。

22匹のタヌキ

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 坂本龍馬記念館は、小高い丘の上にある。
標高約60メートルというのは、感じよりかなり低い。見た目には軽く標高100メートルは越えるほどに思える。館から海岸ぶちまで切り立っているせいだろう。断崖は松が主体の雑木林。そこに、どうも鳶の巣があるらしい。
というのも、先日お隣の国民宿舎「桂浜荘」で、水平線を眺めながら優雅な昼食中のことだ。カレーから水平線に目線を移した視界に、突然、鳶の姿が舞い込んできた。海からの上昇気流に乗った、そんな勢い、弾みをつけている。羽をいっぱいに広げて滑空のスタイル。全部で6羽。水平線を高く越えるのもいれば、逆にジェット機みたいに、森に向かって急降下の影も。鳶の“集会”?かも知れぬ。どうも、緊急動議が出されたようだ。
 そう言えば、桂浜界隈、浦戸地区で、最近“動物界”の異変を知らせるニュースが、“人間界”を騒がしている。新聞のこんな見だしが目についた。
「浦戸地区のタヌキが、次々変死」「分っただけで14匹」。
館の周辺は“タヌキ屋敷”かと、改めて知らされた。変なことに感動した。
そして後日のニュース。「変死の原因は動物の病気。人間には感染なし。確認しただけで22匹が死ぬ。」
今度はその数に驚いた。
“人間界”の小規模な小学校で言えば一クラスだ。一クラス全滅と考えるとショックではないか。
恐らくタヌキ仲間では、伝染病対策が話し合われたろう。
会場は月の桂浜だ。
その月夜の“タヌキ会議の集会”の様子を想像して、妙に独りで納得した。
おっ!生き残ったタヌキが、館の前庭広場をちょこちょこ横切って行くぞ。
入ってきた観光バスのクラクションに驚いて、ダイビングのスピードで側溝に身を隠した。
「亀山社中と海援隊」特別企画展の大きな看板が、館の入り口に座った日の午後である。

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