2006年2月アーカイブ

将来は記念館?

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只今、5歳児と3歳児の子育て中。

上の子は赤ちゃんの頃から、よく記念館に遊びに連れて来ている。
階段がいっぱいある迷路のような建物がお気に入りで、「大きくなったら記念館になる!?」と言ったこともある。
そのおかげか、迷子の時には「ママのお仕事は龍馬記念館です」と必ず伝えてしまう。
(母はとってもはずかしいのだが・・・.)
ここは子供にとって皆に可愛がってもらえる楽しい遊び場、そして勉強の場。

教えた訳でもないのに龍馬という言葉を覚え、侍を見ると「これ龍馬や」と言っていた。
これが3歳頃には龍馬の顔や雰囲気をちゃんと捉えることができ、龍馬の絵・写真などを見ると「あっ龍馬さんがおる」と言うようになった。
その他の侍は、「これ人生~♪(水戸黄門)に出てくる人?」と一括りにされている。
こんなちょっとしたことで子供の成長を感じ、おもしろい。

前館長が亡くなった時「優しかったのに、もう会えんが?」と、身近な人が居なくなる寂しさも経験した。

龍馬が何をした人か全然知らないけれど、龍馬と記念館が大好きな息子。
ちなみに今は「ハリーポッターになる!」と箒にまたがり特訓中。
「何で飛べんがやろ・・・?」とつぶやいている。

酢屋十代目

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 慶応3(1867)年、龍馬は忙しかった。
 1月、長崎・清風亭での後藤象二郎と胸襟を開いた話し合いから始まり、2度目の脱藩罪赦免、「海援隊」改組、いろは丸事件と交渉、「船中八策」、薩土盟約、イカロス号事件、大政奉還、「新政府綱領八策」、そして、暗殺…。
 そんな6月24日、龍馬は3通の手紙を書いている。権平、乙女・おやべ、望月清平宛の。この日、「船中八策」の提案も終わりホッとしているのか、龍馬は早朝6時から手紙を書き始めた。中でも乙女・おやべに宛てたものは5メートルに及んでいる。(当館で現在、全面展示中)。
 書き出しには「今日も忙しき故薩州やしきへ参りかけ、朝六ツ時頃より此ふみしたヽめました。当時私は京都三条通河原町一丁下ル車道酢屋(すや)に宿申候」とある。
 小さな文字で綴られた三行にある龍馬の状況。この三行に込められた時代と人々、その思いを、人生を賭けて大切に守り続けているのが、龍馬没後140年の今なお「京都三条通河原町一丁下ル」に住まいし、創業以来280年材木商を営み続ける「酢屋」である。
 酢屋十代目当主、中川敦子氏の講演会が、高知市のホテルで行われた。和服姿の中川さんが出て来られた瞬間、ため息のような拍手が起こった。裾さばきに京女の気概があった。
 龍馬ら海援隊の面倒を見た六代目酢屋嘉兵衛以来、「才谷さん」のことは誰にも言ってはいけないという言づけを守り、今や若者の町として、夜の繁華街として賑わう町で、当時と同じたたずまいで暮らす酢屋さんの生き様に、聴衆の拍手は大きかった。
 小柄な中川さんだが、先祖から受け継ぐ誇りと気概は大きい。筋を通しながら、相手を見るまなざしは優しい。学ぶことの多い方である。
 歴史は名を残さぬ人々の気概によって、連綿と続いていく。

 ※酢屋は「ギャラリー龍馬」も主宰。京都にお出かけの時、是非立ち寄ってみられては…。
 http://kyoto-suya.co.jp/

ネコが通る

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2006年2月17日、坂本龍馬記念館は1,850,000人目のお客様をお迎えした。
開館以来5,195日目のこと。
平均すると1日あたり356人の方がこの館を訪れてくださっていることになる。
ゴールデンウィークなどのように入館者数が3,000人を超える日もあるので、逆に入館者の少ない日もある・・・

ある平日、9時の開館から1時間たっても1人の入館者もなく、受付では、解説補助員2人、警備さん、そして館長の4人で、その日1番目の入館者をお待ちしていた。
警備さん :「あっ」
館長   :「ネコが通ったぞ」
解説補助員:「ネコですね」
どういうわけかお客さんが少なくなるとネコが現れて、記念館の入口の前の駐車場にとめられた車の下をくぐって遊んだり、入口の前を横切ったりする。
「閑古鳥が鳴く」ならぬ「ネコが通る」である。
その日は朝のうち冷え込んでいたせいだろうか、10時を過ぎると続々とお客様が来てくださり、最終的には100人を超える入館者があった。((^▽^)良かったぁ!)

でも、こんな”ネコが通る”日は来館される方にとっては最高の日!!
展示ケースにかじりついて龍馬の手紙を読むこともできるし、屋上に上がって龍馬も見た太平洋の景色を独り占めすることもできます。
”ネコが通る”日の龍馬記念館、ゆっくりとご観覧ください。

港の女

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ここ数日海が荒れていた。
風にあおられて白波が立っている。ただし、天気は悪くないから、水平線はかえって鮮やかに見える。館の「海のぎゃらりい」で始まった、吉松 由宇子さんの展覧会のテーマは「海の詩」だ。地元浦戸のご出身だけに「生涯のテーマです」。吉松さんの話す言葉によどみはない。海に寄せる思いの深さが伝わってくる。
 描かれているのは、波、船、太陽、月、人。
自然は忠実に描かれれている。
光あふれる朝日、海、中天にある月はひっそりと凛としている。
 船影は時にリアルに、ある時には影や線だけが幻想的に描かれている。
その構図に人間が絡む。男、女。二人のとり合わせもあれば、女同士もある。不思議な雰囲気が画面を包むのである。
「港の女」は首に金のネックレスをかけた、若い女性のヌードだ。想いにふけっているという構図である。黄色が基調の霧の海。黒い線でえどられた貨物船が溶け込んでいる。淡いピンクの女体は、伏せた瞳だけが妙にリアルに光っている。
「場所柄、展示していいでしょうか」と吉松さんが展示を遠慮するような口ぶりであった。心配無用。絵はすっかり場所になじんでいる。
 その日の海の表情によって「港の女」も表情を変えているように思う。

想像力

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テレビからの情報、映像に頼りがちな現代では、人間の想像力が減退してきているのではないか。映像は一目瞭然で、見せることには優れているが、想像し、考える力を奪っているのではないか。
ある方がテレビでそんな内容の話をされていた。その方は旅をし、たくさんの人と会って、いろんな話を聞くのだそうだ。

確かにこの頃は、話を聞く、読む、といったことが少なくなってきたというのは、自分にも思い当たるところがある。
一児の親としても、テレビにビデオにと安易に映像を見せがちな面を反省。本を読んだり話をしたり、子供と向き合って、想像力を育めるようなゆとりある時間を、もう少し増やす努力をしなければと思った。
でもやはりテレビ、映像は自分の生活の中の一部でもある。トリノオリンピックのテレビ中継も楽しみだ。そういえば、ラジオのアナウンサーの方が、「トリノオリンピックはぜひラジオで!言葉の持つ迫力で中継を楽しんで下さい。」と言っていたのもとても気になる。

映像のなかった時代、龍馬もたくさんの人と会い、よく話を聞き、書物を読み・・・そうして培った想像力によって、あの素晴らしい先見性を持ち得たのだろうか。
彼の遺した139通の書簡には、独特の表現で様々な彼の思いが綴られている。中にはなんとか相手に伝えようと、イラスト入りの説明書きがあったり、ユニークなたとえが使われていたり・・・。

皆さんも龍馬の手紙を読んで、想像力、働かせてみませんか。

おわりのはじまり

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 企画展「亀山社中と海援隊」も無事終了。「あぁ、間に合った!」と終了間際にまで、近隣遠路の方がお越しくださった。関係各位、ご来館の皆様に心より御礼申しあげます。
 時間が経つのは本当に早い。見慣れた企画展の様子は、新しい風景に変わった。
 立ち止まって見渡すと、この数ヶ月で記念館自体の風景もずいぶん変わった。出入口の変更から始まった館の模様替えもさることながら、随所に新しい萌芽が生まれている。このコラムもそのひとつだろう。職員の関わりや主体性の変化が館外の方にも伝わっているようだ。
 あるHPでは、「龍馬記念館の『海の見える窓』いつも楽しみにしています。みなさんも是非、読んでみてください。館全員の龍馬への愛を感じます。そして詩人が多い」と、この“海窓”を紹介してくれている。
 詩人、か。確かに近頃の職員らの気持ちには詩人に通じるものが表れている。「龍馬の見た海」という入口の案内板もそのひとつ。
 2月4日の案内板は「立春。天気快晴。眺望度100%。ウエディングドレスで駆けていきたいような水平線」。そう、この日は東京のカップル西川健さんと賀屋直子さんの結婚式。記念館2階・空白のステージで若い二人の挙式があった。
 舞台俳優である彼らが初めて館にやって来たのは昨秋のこと。「私たちは龍馬のことが好きで、この記念館で結婚式を挙げたいんです」。直子さんのキラキラ光る瞳が印象的だった。あの海をバックにしたら、彼女はもっと輝いて、彼はもっと大きく見えることだろう。やっていただきたいな、と思った。
 二人の熱意に打たれて開催できたのだと思う。特例である。俳優である彼らは、自分自身の人生を演出したのだ。当日の二人は、確かに水平線の彼方まで駆けていきそうな輝きだった。
 ひとつ終わる毎に、新しい何かが始まる。「おわりのはじまり」。詩人の言葉だったかもしれないが、私の中に沁み込んでいる呪文である。
 大気が明るくなってきた。春は近い。

姪への想い

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私には、もうすぐ5歳になる姪を筆頭に4人の姪がいる。
どの姪も私になついていてとてもかわいい。
姪の望むことは何でも叶えてあげたい気持ちになる。
今まで見向きもしなかった子ども服のお店やおもちゃ屋にも目が向くようになり、姪の喜ぶ顔を勝手に想像しながら買っていくことも多くなった。
また、苦手な洋裁にもチャレンジして、姪の洋服を作ったりもしている。
まさに親バカならぬ“おばバカ”である。

そういえば、龍馬にも姪がいた。兄・権平の娘・春猪(はるい)だ。
ただ、龍馬の場合は権平と年が21歳もはなれていたため、姪の春猪とは8つしか違わなかったので、妹のような存在だったのかもしれない。
龍馬の手紙を見ると、龍馬は春猪に西洋のおしろいを贈っているとある。
また春猪も龍馬にかんざしをねだっている。
このやりとりをみると、龍馬も姪であり妹のような春猪をとてもかわいがっていたことがわかる。
龍馬が春猪へのお土産を選んでいる姿を勝手に想像しては、なんだか嬉しくなった。
龍馬も私のようにおじバカだったのだと思うと、とても親近感がわいてくる。

いつの時代にも、姪を想う気持ちは変わらない!

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