2006年4月アーカイブ

龍馬こども検定

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 21日から2階企画展示室で「坂本龍馬を知っちゅう?」展を開始した。「・・知っちゅう?」=土佐弁。すなわち「知っていますか?」。子供を念頭に置いた企画展である。分かりやすく龍馬の一生、その志を紹介している。また関連で「龍馬こども検定」を行うことにした。
 問題はすべて龍馬に関する100問。答えは○か×か。90点以上をとった人には大奮発の賞品も用意した。もちろん別に参加賞はある。スタート前に、館の職員で試してみた。居合わせたカルチャーサポーターの皆さん、龍馬ファンを自認している出入りのおじさんも含めて15人あまりが挑戦した。
 さて、その結果は?。100点が一人現れた。若い女性職員で、幕末の志士・吉村虎太郎ファン。さすがである。職員は当然ではあるが、90点以上で面目躍如といったところ。龍馬ファン自認のおじさんが83点。「点数がようのうても、龍馬好きは人に負けんぜよ」とこれは負け惜しみ。「難しい」が意見の一致したところであった。
 なるほど、難しいらしい。小学生では6、70点台。中学生でも80点から90点である。ただ、今回の検定は、館内のどこかに答えが隠されていて、それを探し出してもらうのもこちらの思惑である。館内を動くことによって、同時に資料も見てもらう。だから、場合によってはお父さん、お母さんの応援があっても差し支えなし。
 先の土、日、待っていた子供らがやってきた。そして果敢に挑戦した。2階のあちこちにセットしてあるパネルを熱心に見ている。友達同士、親子で考えている組もいて、なかなかにいい雰囲気。点数はあまり伸びなかったが「今度、もう一回やる」。真剣なその顔に「何か賞品つけてあげましょう」。
 皆さん、ぜひチャレンジしてみてください。

 坂本直行は岳人である。
 小学校時代に釧路から札幌に引っ越して来て登ったのは手稲山。中学校時代に登った蝦夷富士で山に魅了される。山に魅せられた少年は、北海道大学山岳部創設期からの部員として、ますます山に親しんでいく。
 卒業後も山岳部先輩後輩たちとの交流は日高の原野に続き、開拓農民として生きる人生を支える。そして、山の仲間たちが岳人直行を伝説の人にまで広げていく。
 直行は入植した十勝の原野と、日高の山々を愛し続けた。登山時には山の風景に圧倒されて立ち尽くすこともあったらしい。農民運動、自然保護運動に没頭した時期も長い。いつも山や自然とともに生きた直行。そして、彼のかたわらにはいつもスケッチブックがあった。

  直行の肩書きは様々だ。開拓農民、農民画家、山岳画家、画伯、随筆家、等々。そして、坂本龍馬の子孫。いずれも直行であり、いずれもそうでないのかもしれない。
 直行の絵を見ていると、そこにある人間のまなざしが迫ってくる。まさしく人間である。人間に肩書きがいるのだろうか。
 坂本直行は、まさに清冽に生きた一人の人間である。私はそう思う。

 4月25日、北海道・中札内美術村「坂本直行記念館」がオープンした。北の大地美術館が、直行生誕100年の今年だけ直行記念館にリバイバルしたのだ。11月5日まで。
 わが坂本龍馬記念館にも、直行さんのコーナーが出来た。いよいよ龍馬と直行さんが出会う。
 やわらかな何層もの新緑が広がり、椎の木が匂っている。土佐の初夏が始まった。

 中札内美術村
 http://www.rokkatei.co.jp/facilities/index2.html

 館の「海の見える・ぎゃらりぃ」4月、5月の展示は書道の「沢田明子と問の会」展である。さすがの存在感で、観る人を沢田明子の空間、龍馬の世界に知らず引き込んで行く。
 正面に、沢田先生の、大荒れの海を描いた作品がある。波の間に見え隠れする小船一艘。手前の浜では白波が騒いでいる。全体に暗い、恐ろしげな風景だ。画面左中央に朱墨よりも赤く見える字で「飛騰 龍馬」。まさに暗い波を躍り超える龍馬の魂、火を思わせる。
 その絵の隣り、これがまた面白い。体長80センチ、幅35センチの巨大ヒラメの魚拓が架かっている。荒れる海、大ヒラメの魚拓、そして、沢田先生の詠んだ句が、それぞれ門下生の感性によって表現されている。
 もちろん同じ句ではない。色々の龍馬の登場というわけである。

 秋雨や龍馬やみえぬものを見て
 石にもたれ龍馬憩ふや月の夜
 春の月誰もいなくて龍馬のみ
 名月や龍馬よ酒がこぼるるよ
 かえりても胸に龍馬や十一月
 ひとだかりしてアイスクリン屋と龍馬像

 などフムフムと一人で納得してしまう。
 果てしない海、土佐の海には鯨も泳いでいるだろう。同じ海に大ヒラメもいるし、何より龍馬はもっと大きいぞ。展覧会のそれがメッセージに違いない。
 県外から来た入館者である。おじさんが二人。芳名帳にサインしながらつぶやいた。
 「まこと、広いのう」「おお、見事な眺めじゃのう」
 「時間が足らんけん、また来にゃあ」
 「あっ集合時間じゃ」

再会

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4月8日、学芸員・カルチャーサポーターと行く「檮原町・脱藩の道」バスツアーが行われた。
記念館前の桜はもう葉桜となっていたが、梼原町ではちょうど満開の時期で、桜の咲き誇る道を通るたびにバスの中では小さな歓声があがった。

さて、バスが出発して2時間ほど走った頃、学芸員さんから今日のバスツアーの行程について説明があった。
「バスは布施ヶ坂の道の駅を出発しまして、次は吉村虎太郎の銅像へ向かう予定でしたが、時間の都合のためそちらへは寄らずに、那須俊平・信吾邸跡へと向かいます。」
「・・・・・・」
吉村虎太郎との1年4ヶ月ぶりの再会を心待ちにしていた私にとってかなり衝撃的なその言葉にバスの中で泣きそうになった…。
時間的に吉村虎太郎の銅像に寄れそうにないことはずいぶん前から分かっていたらしいのだが、私ががっかりすると思い、学芸員さんもなかなか言い出せなかったということだった。
それにしても……(>_<)

那須俊平・信吾邸跡の近くでバスを降りてそこからは歩きになる。
桜や菜の花の咲く山近くの道を通り、茶堂、六志士の墓、掛橋和泉邸を見学してから維新の門で昼食をとった。
予定よりずいぶん早く維新の門に到着することができ、ゆっくり昼食をとって再びバスで出発。
宮野々関門碑、韮ヶ峠を見学したところで「虎太郎の銅像に寄れるかも」という話が!

前回の脱藩の道バスツアーは11月、紅葉舞う中で虎太郎と初めて出会った。
そして今回は桜が満開に咲き誇る中での再会。
感動で涙が出た。

バスの中ではカルチャーサポーターや学芸員さんによる解説が行われ、バスに揺られながら必死でノートをとった。今まで知らなかった龍馬の話をたくさん知ることができ、朝から晩まで龍馬一色の一日で、それプラス虎太郎との再会もあり、本当に本当に大満足のツアーとなった ☆☆☆

 閑話休題。北の大地から、南国にかえった話題をひとつ。
 ミカン、ポンカンなどは、お正月頃から国道沿いの良心市(無人の小さな直販所で高知名物。料金箱に入れられた金額は、たいてい売価と勘定は違わない。売り手と買い手の良心による運営)の彩りになっている。
 そして春先。いわゆるミカン(温州)が消えた頃辺りから、高知では続々と新たな柑橘類があふれ出す。南国・フルーツ王国の名にふさわしい。
 今、土佐特産のブンタン(文旦)が美味しい。少し苦味のあるさっぱりした味は、皮をむく面倒さえなければ、いつまでもほおばりたい。大ぶりで厳選されたブンタンなら1個数百円してもおかしくないが、形は悪くても味のいいものは、安く手に入る。高級な水晶ブンタンだって、庶民の口に入らないはずはない。
 さて先日、朝の通勤途中のラジオで、このブンタンの話題が出た。東京のFM局からの全国放送らしい。
 女性アナが得々と語る。「今度、○○ホテルでは、スゥイーツにブンタンシュークリームを限定で出すんですね~。ブンタンって苦味があってグレープフルーツみたいで、さっぱりした味なんです(まあね!)。果肉の皮がちょっと緑色がかってて(ン~ッ?)、別名ボンタンとも言われます(エッ?!ち、違うよ!)」。とうとうと、ブンタン講義は続く。で、かなりずれている。「皆さん、ぜひ召し上がってくださいね~」。私は思わず叫びそうになった。「何の紹介をしているの?!」
 しかし、冷静になれば、これは歴史やその他のことにもいえる。後世の人が得々と語る史実(?)が本当であるのかどうか。地面の下で面映い思いをしている御仁、脚色された出来事もさぞや多いことだろう。歴史研究は科学と同じで、100%の真実に近づく作業だといわれる。私自身、東京の土佐ブンタンを語っていることもあるだろう。ラジオのブンタン紹介は、他山の石。教訓である。
 さて、高知ではこれからもフルーツの季節は続く。柑橘系の小夏、八朔、エトセトラ。野菜のトマトだって、高知ではフルーツトマトなのだ。
 田に水が張られ、水面が光る。蛙も鳴いている。新緑が広がり始めた。気の早い鯉のぼりも泳ぐ今日この頃である。

桜の雨

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記念館に勤めるようになって2度目の桜の季節を迎えた。
去年は撮ろう撮ろうと思っているうちに桜が散ってしまったので、今年は満開を待って休憩時間にちょっと散歩へ。
デジカメ片手に桜満開の坂を下る。

4月2日は朝から雨が降り続いていた。午後になって一旦晴れ間も覗かせていた空が急に真っ暗になり、どしゃ降りの雨となった。
激しい雨に誘われて薄桃色の桜の花びらが散ってゆこうとしていた。
“桜の雨”はどしゃ降りなのにとても優しい雨だった。

 坂本家の居間に、赤いベレー帽をかぶった直行(チョッコウ)さんがいる。長男・登氏が描いた小さなデッサン画である。その白髪交じりのヒゲを生やした晩年の直行は、欧米の人を思わせるほりの深い風貌をしている。それは芸術家の顔であり、刻まれたしわは長い開拓農民時代を物語っている。
 同じ居間には、小品だが力強い冬の日高の油彩画がかけられている。奥さんのツルさんは「これはサインが入っていないので、まだ仕上がっていないのでしょうね」と言う。直行の絵を原野から発掘し、世に出した彫刻家・峰孝氏の小さな直行ブロンズ像(頭部)も、本棚の上から居間を眺めている。
 アトリエの直行の写真の前には、いつも花とお茶がある。「私たちは宗教を持たないので、どうやって亡くなった人を祀ればいいのか分からないけれど、こうやってお花やお茶だけは欠かさないようにしています」「坂本家は熱心なクリスチャンで、直行も若い頃には教会に通っていました。でも、やることがたくさんあって、教会に行く時間がもったいなくなったようです」「開拓時代、生活に追われてお墓参りどころではなかったんですよ」「直行は新聞記者たちに龍馬のことを聞かれたら、この部屋に逃げ込んでいましたね」。澄んだツルさんの声が響く。
 アトリエには、ツルさんが「この絵が私は好きなんですよ」という冬木立や、新緑の日高山脈の油彩画がかかっている。大作の秋の日高山脈もある。そして、若い日の直行が微笑むパネル写真と共に、龍馬や祖父・直寛、父・弥太郎らの写真が並ぶ。
 ツルさんは、かつては六人の子どもたちや夫と共に過ごした大きな三角屋根の家で、89歳になろうとする今も一人暮らしをしている。一人暮らしを続けながらも、この家には子どもや孫、ひ孫たち家族の賑わいが、どこかしこに感じられる。
 原野での厳しい開拓生活をした直行の傍らには、いつもこのツルさんがいた。協働者として、子どもたちを腕に抱く母として、妻として。厳しい労働を強いられる毎日の中で、ツルさんに授けられた天性の利発な精神とひるまない生命力が、直行を支えてきたことは容易に分かる。今なお、ツルさんからは生命の健康さが伝わってくるからだ。
 ツルさんと共に、今も直行はこの家に生きている。

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