2006年8月アーカイブ

 デザイン、印刷会社のKさんが、両手に荷物を抱えてやってきた。Kさんには11月からの―反骨の農民画家「坂本直行」展―で、図録制作をお願いしている。その見本が出来たらしい。といってもまだまだ第一段階である。これから、本格的な編集に入る。
 表紙はどのように、絵は年代順か、季節ごとか。
 Kさんはおもむろに袋から見本を取り出した。チラッと見えた。それだけで分かった。表紙は、直行得意の“晩秋の十勝原野と日高山脈”である。
 遠くに銀色の山なみ。広がる大平原。手前には柏林。風が渡る。
ぱらぱらとめくると、やっぱり。北の大地の四季めぐりだ。
 後半は花花花花。
 先日、知人がこんなことを言っていた。
地元の高知新聞で、8回にわたって「北の大地に生きて」のタイトルで、直行の生涯を追った連載が掲載された。6回目に「晩秋の・・・」作品がカットに使われた。それを見た時、
「ジンと胸に響いてくるものがありました。涙がでました。新聞のカット写真ですよ。こんなの初めて。絶対見に行きます」。
 知人は切り抜きしたとも言った。
今日、Kさんが今度は、秋バージョンのポスターを届けてくれた。展覧会が迫ってきた。

 21日から高知新聞で、『北の大地に生きて 農民画家・坂元直行』という連載が始まった。田村文記者による8回シリーズ。楽しみである。6月の取材では私も一緒だったが、私たちの原野取材の様子は北海道新聞でも紹介された。
 7月には、十勝毎日新聞でもゆかりの人たちが語る直行さんが5回シリーズで連載された。『あの日のチョッコウさん 山岳画家坂本直行生誕100年』。「関係者も高齢になってきているので、今聞いておくことが大切だと思った」という安田義教記者の言葉に私も頷く。

 直行は15,6歳の少年時代から絵を描いている。それは自分の登った山を描いたペン画で、荒削りな線が年代とともに細やかで表情豊かになってきている。草花のスケッチもしている。サクラ草をテーマに研究した卒論は、やたら花のスケッチが多いものだったともいう。
 学生の延長で原野に飛び込み、農民となった直行はスケッチブックを離さなかった。馬車で牛乳を運搬している時など、道は馬に任せて絵を描いている。きつい農作業を終えて帰る途中には花を手折り、夕食までのひと時、窓辺で花をスケッチする姿を子どもたちはなつかしく語る。
 農民時代には食べるものも着るものもなく、子どもたちは栄養失調特有の細い手足をしている。北大の仲間に鳥肉を送った時、包み紙は直行が描いた絵のあるキャンバス布だった。直行の絵よりも新聞紙が貴重な時代があった。
 直行は貧乏のどん底であっても、絵を忘れなかった。少年時代からスケッチや写真を通して風景や草花を観察してきた。それが画家としての素質と目を養ってきたことは間違いない。

高知新聞     http://www.kochinews.co.jp/
十勝毎日新聞   http://www.tokachi.co.jp/

 JR札幌駅近くに北海道大学がある。北国の透明な空をバックにした構内は広々として、実に気持がよい。正門を入ってまっすぐ西に向かうと、有名なクラーク博士の胸像が構内を見渡している。北大の前身は札幌農学校であったことを思い出させる。その向こうには、農学部の校舎が広がっている。直行はこの農学部で学んだ。
 札幌駅をはさんで南には札幌時計台や、少し行くと知事公館がある。広い敷地と建物である。当時の直行はこの公館に隣接する屋敷から北大に通った。裕福な資産家の息子である直行は、昭和2年(1927)に大学を卒業し、十勝の原野で開拓農民となった。

 大学構内には、重要文化財北大農学部第2農場(モデルバーン)が保存されている。中札内美術村にある坂本直行記念館(通常・北の大地美術館)の手本になった建物だ。
 モデルバーンへ続く道にはエルム(にれ)の並木がまっすぐに伸びている。その途中に北大総合博物館がある。
 今この3階展示室で『北大の山小屋』展が開催されている。北大山岳部OBや学生たち手作りだという企画展からは北大山岳部の歴史が見えてくる。「山は厳父 小屋は慈母」というキャッチフレーズに、北大・山男たちの熱い思いが伝わってくる。
 北大スキー部から分かれて山岳部が創設される時期に、直行は真っ先に参加した。中でも初期の「ヘルヴェチア・ヒュッテ」建設には直行も尽力した。小学校時代の手稲山登山以来、山に魅せられていた直行は、北大山岳部で本格的な岳人となっていく。
 北大山岳部の先輩後輩たちが、原野の直行を訪ね、直行は貧しさの中でも彼らを最大限にもてなした。画家になった直行の個展を支えたのは、こうした先輩後輩たちだった。
 「チョッコウさんのためなら…」と、坂本直行展への北大山岳部出身者のエールは大きい。直行はいまだ伝説の岳人として、北大に生き続けている。

北海道大学総合博物館
http://www.museum.hokudai.ac.jp/

土佐礼讃

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 8月の「海の見える・ぎゃらりぃ」は、異次元の雰囲気である。
 写真家、桐野伴秋さんの世界。テ-マは「土佐礼讃」。だから、ここはやっぱり高知に違いない。ただ、コ-ナ-に続く鉄の階段を上がると、いきなり頭の上に見えるのはモルジブの海辺。ちょっと腰引いて波と戯れる子供の姿がまるで天然色の天使である。幻想的な波音が光となって降ってくる。
 二階に上る。50枚のポストカ-ドが気になるはずである。ひとえに色のせいだと思う。一枚一枚、写真というより、心象風景を描きだした“絵”といったほうがいい。
 ブルー、黄色、ピンク、黒、さらに白・・・。
 溶け合った色が不思議なムードを作りだしている。
 「桂浜」「四万十」。おなじみの題材が「時の紋様」「海の扉」「永遠の詩」、順次表情を変えてゆく。
 数枚を組み合わせて「二十四万石物語」というのもある。
 月、夕日、波、海といった自然をテーマに狙ったものと、イタリア、フランス、世界遺産の横顔を写したものもなかなかにいい。
 “桐野の世界”に誘い込まれる吸引力が働く。ところがその感覚がなぜか一拍遅れた感じで響いてきた。なぜ、遅れたのか原因を考えてみた。ヒント探しにてもう一度モルジブの海辺「大海へ」を見てぴんときた。女性的目線なのだ。女性がまいってしまうはずである。夢が覚めてゆく時の心地よいあいまいさを、色で表現したみたいなものである。
 桐野さんはほとんど毎日、館に来る。愛用の黒のTシャツに、早くも現れた群舞するアキアカネを焼付けながら。

 北の大地にスズランの花が香る6月中旬。私は“原野”に立った。直行が開拓農民として過ごした土地、北海道広尾郡広尾町下野塚。
 広大な大地に横たわる荒涼とした土地。そんなイメージは新緑に呑み込まれた。
 そこかしこからコロボックルが現れそうな大きな秋田ブキや巨大ゼンマイとも思える北海道ならではの植物群。さながら高山植物を思わせる野の花々。かつて子どもたちの声が響き、開墾の鍬の音がこだましただろう原野は、今はさ緑の植物群に覆われて「夢のあと」の静けさの中にあった。
 坂本一家が暮らした原野は、意外に海(太平洋)に近かった。ここから車で40分も行けば襟裳岬。私は、ずっと前、森進一が歌っていた「襟裳岬」でしか知らない場所だが、歌謡曲からでも最果てを思わせる場所だ。
 「一週間ぶりの太陽を見ましたよ」と言うのは、広尾町教育委員会の杉本課長と辻田係長。一緒に参加してくださった直行研究家の上田さんの表情も明るい。
 さわやかな大地に太陽は眩しかったが、周辺にあるだろう日高の山々はガス(霧)に覆われていた。大きく周辺をガスで覆われて、目の前の新緑は反ってくっきりとして見える。20代半ばの直行が、北大山岳部先輩の野崎さんに誘われて入植した野崎牧場(現・今井牧場)も、遠くの風景をガスで隠していた。
 原野の風景を撮ることが目的であっただけに残念な天候だったが、海から押し寄せるガスが、この痩せた大地に植えられた農作物を容赦なく襲った状況を私に教えた。坂本家の喜びが悲嘆に変わる自然を思った。
 辻田さんの案内で行った、直行の愛した楽古岳も私たちに容易に姿を見せようとはしなかった。
 そんな原野での坂本家を昭和34(1959)年の暮れに訪ねた一人の人がいた。帯広千秋庵、現・六花亭製菓(株)創業者で名誉会長の小田豊四郎さん。豊似駅から5キロの雪道を歩いて訪ねた小田さんを直行は温かく迎えた。昭和35年1月から始まった十勝管内の子どもたちにおくる児童詩誌「サイロ」誕生の時である。
 小田さんと直行の出会いは、多くの子どもたちの未来につながった。つい先日、小田さんは直行と同じ所に逝った。一人の歴史が、大きな歴史の中に入っていった感慨がある。心よりご冥福をお祈りいたします。

北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060807&j=0028&k=200608071340

夏の思い出に♪

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龍馬記念館から一番近い郵便局“桂浜郵便局”では、手紙や葉書に龍馬と桂浜の日付スタンプを押してもらえるということで、全国からたくさんの龍馬ファンが訪れているらしい。

先日、記念館の用事で桂浜の郵便局に初めて行ったときのこと、局内に赤と青のシールを貼った大きな紙があるのが目に入った。
よく見てみると、全国から来てくれた人たちにどこから来たのかをシールを貼って示してもらうというもので、おもしろいなぁと思ったので、携帯のカメラで写真を撮らせていただいた。
館へ帰って早速館長に見せると「えぇにゃあ!やってみよう!」と言ってくださったので、さっそく作ってみることに。
それがこちら↓↓
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夏休みなので、子どもたちがおもしろがって貼ってくれるかなぁと思っていたら、意外と大人の方が貼っているみたい…。
開始から3日目、高知県のグラフの一番上にシールがひとつ貼られているのを見て館長がひとこと「高知のヤツらしいにゃあ!」
4日目には埼玉県のグラフ一番上にシールが2つ。埼玉県の方も負けず嫌いなようです(^ー^)
やはり、入館者アンケートと同じく、東京・神奈川・愛知・大阪・兵庫からの方が特に多いようです。

梅雨が明けて夏本番!これから入館者もどんどん増えてきて、ボードのシールもますますカラフルに踊りだすかなっ♪
みなさんも夏の思い出にシールを貼りにきませんか?

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