2006年9月アーカイブ

縁の下の力持ち

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 龍馬記念館では職員と共に、警備員、清掃員の方々が働いている。

 清掃員の方々は私の母親ぐらいの年齢の女性達ばかり。皆さん明るく働き者で生き生きしている。掃除機の音とともに「おはようございます」の元気なあいさつで、出勤してくる職員を迎えてくれる。
 毎日早朝から、3、4人で作業されるにはかなり広いと思われる館内を、てきぱきと要領よく、隅々まできれいにされる。開館時間前の節電のため、空調や照明もほとんどつけない中での清掃作業。
 じっくりと展示を見てくださったお客様の熱心さが伝わってくるような、手や顔(?)の跡がいっぱいの、展示ケースのガラスの見事な汚れっぷり(ごめんなさい・・・。)、桂浜の散策からフロアにまで運ばれてきた砂のざらつき。これが翌朝には何事もなかったかのように、きれいさっぱり消えている。
 「15年近くも経っているとは思えないくらいきれい。」とお客様からお声をかけていただいたときは、お掃除のおばちゃん達のおかげだな、としみじみ感じた。

 警備員さんのお仕事ぶりはとてもまじめで几帳面。
 館内外をくまなく見回り、見落としがちなところにまでよく気が付き、よく動かれる。
 様々な用で「Sさーん!」とお呼びが掛かり、駆けつける。ときには『海の見えるぎゃらりい』の展示替えにまで駆り出されたり、お一人では体がいくつあっても足りないような時も・・・。
 猛暑の夏は、お盆の間の入館者数が連日1,000人を超す中、強烈な日差し(倒れてしまうのではと心配になるくらい・・・。)の駐車場で、混み合う車の誘導に何時間も当たっておられた。仕事となれば、炎天下や大雨の屋外も厭わない。
 日々きっちりとご自分の仕事をこなしていかれる。

 こんな皆さんのお仕事ぶりに、いつも頭の下がる思いだ。
 お人柄から、仕事の合間にかわすちょっとした会話にも元気をもらっている。

 幾多の方々のお力と、お客様の熱意に支えられ、坂本龍馬記念館はまもなく15周年を迎えようとしている。

鯨の腰掛

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 館の二階、南端は“龍馬の見た海”を我が物に出来る「空白のステージ」と呼んでいる。
館の中では太平洋に向かって、一番眺めのいい場所である。
目の高さに水平線が光る。眼下には打ち寄せる波が白い。
時にヨットが横切ったり、遠くにタンカーの船影が陽炎のごとく浮かぶ。
見飽きることのない、海の風景だ。
それにベンチとテレビ望遠鏡もあり、波の音も聞こえる。
よく居眠りしている若者の姿がある。

 ここに先日、もう一脚腰掛が登場した。
鯨が尻尾をはね上げた形をしている。
上げた尻尾部がちょうど二つに割れて、肘掛の役割を果たす。
頭と背の部分が座る場所で、子供ように、ひれは足置きである。
黒い目玉が愛らしく、どうもイメージは子供鯨らしい。
木製だから座り心地が心配だったが、無用の心配であった。
逆に腰が深く、背筋が伸びて気持ちがいい。
腰を掛けるとすっきり龍馬になれる。
このオリジナル腰掛は、地元のチェーンソー作家、Yさんの作である。
Yさんは木なら何でも作品にしてしまう。
浜に流れ着いた流木などは格好の素材になる。
来館の折には、この腰掛に座って龍馬気分を味わってください。

 このホームページでも直行展のコーナーができた。
 コーナーのトップにある「新緑の原野と日高山脈」が何ともさわやかに広がる。春先からのポスターやチラシに使っている絵だ。
 初夏の原野は緑に包まれ、直行の愛した日高山脈の楽古岳が、真ん中でとんがり帽子のようにツンと突き立っている。
 秋のポスター「初冬の日高山脈」もご覧いただきたいと思う。
 雪を抱いた日高の山波(直行は“山並”とは書かず、“山波”と書いた)、どこまでも深いインディゴブルーの空、手前の柏林は見事なインディアンレッドに紅葉している。きっぱりと塗りこめられた白と群青色と赤褐色。見ている私は絵の中に引きずり込まれそうになる。

 さて、太平洋を望む2階にある直行の小さなギャラリーも9月から秋の絵に変わっている。
 初夏の絵と合わせ、この絵の持ち主は直行の甥にあたる弘松潔さんのもの。昨年の秋、私は弘松さんを訪ねた。初めて札幌の坂本家に行く前にこれらの絵を見せていただきたかったからだ。
 弘松さんは伯父・直行のことを熱く語ってくれた。「これは私の座右の書です」と見せてくださった『原野から見た山』(坂本直行著、朋文堂、昭和32年刊)はボロボロになるくらい繰り返し読まれていた。弘松さんは直行のことを心底敬愛していた。そして、直行展開催のことを本当によろこんでくださっていた。
 弘松さんは今年2月、あっという間に亡くなられた。「春になったら札幌に行くつもりです」とおっしゃっていたにもかかわらず。北海道からやって来る直行の絵を真っ先に見てもらいたい人だった。

親子展

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 書道と洋画。
「海の見える・ぎゃらりい」で田中白燿 筒井孝枝親子の「心と顔」展(9月30日まで)を開催している。お母さんが書道、娘さんが洋画である。
 展示当日、母親の白燿さんが先に来られた。作品の展示場所についてどこにどの作品を置くのか話になった。白燿さんが言った。「正面のここには、娘の絵を掛けましょう」と正面のベストポジションは娘さんに譲られた。「画家の苦悩」と題する大きな絵がでんと座った。両脇を白燿さんの作品「破竹」「弾心・吉」が固めた。
 さあ、バランスはどうかと心配したが、不思議なことに、最初から決まっていたようなはまりようであった。後から来られた孝枝さんが言うに「この絵は、先ほどまで描いていたのですよ。まだ絵の具が乾いていません」。とは言うもののおっしゃる顔に“苦悩”はなかった。全部で18点とお二人の作品は多くはないのだが、
 白燿さんの「銀河」「無」「茫々打ち寄せて我を打つ」
 孝枝さんの「KISS」「WHO」「夜の訪問者」
 いずれも一点一点味があって、メッセージが伝わってくる。面白い作品に仕上がっている。
 一晩中雷が鳴った次の日、午前中は雨が残った。しかし館から見た海は、雷がうそのように穏やかで、静かに波のリズムを刻んでいた。
 孝枝さんの「風光る」。白燿さんの「風に吹かれて」。くっきり水平線が浮かび上がった、明るんできた海に、これはそれぞれ似合いの作品だと感じた。

 9月になった。
 開館までにはずいぶん早い時間だが、入り口に貼ったばかりの秋バージョンの直行展ポスターを熱心に見ている人がいた。その後ろ姿に思わず「おはようございます」と声がけしたことから、会話が弾んだ。
 その方は私に熱く語ってくれた。
 「私は昭和2年生まれで、17歳で兵隊として鹿児島に行ったがよね。そこには北海道から来た人もおった。鹿児島には珍しく雪の降った日、震えている自分を見て北海道の人は『こんなのは寒さじゃない』と言うて笑いよった。私は前線に出ちゃあせんけんど、戦争はつくづく嫌やと思う。福島に行った時には、『土佐から来たのか。帰れ。土佐人は嫌いだ』と言われた。何であんなに言われないかんか分からん。龍馬が生きちょったら、そんなことを言われんでもよかったと思う。龍馬が生きちょったら戦争なんか起こらんかったかもしれんと思う」。
 「龍馬の子孫が北海道におったがかね。知らんかった。帯広から太平洋に向かったところにある広尾町かね。だいたいの場所は分かるよ。そこにこの直行という人はおったがかね。いい絵やねぇ」。いかにもいごっそう然とした風格で口調は強いが、澄んだ目をした人だった。
 こんな言葉を思い出した。「直行さんは古武士のようで、眼光が鋭かった」。6月の取材中、豊似の市街地で隣家にいた後藤隆さんが語ってくれた。後藤さんは直行の長男・登さんの同級生で、隣家の坂本家によく遊びに行っていたらしい。昭和30年代半ばには珍しい洋式トイレのあるモダンな家だったという。豊似は、直行が原野を出て移住した所。
 直行は農民運動、自然保護運動にも没頭した。戦時中には戦争を憎んだ。直行に龍馬のまなざしを感じる。
 もうすぐ龍馬の子孫、直行が帰ってくる。そんなことを実感する朝だった。

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