2006年10月アーカイブ

 北海道から直行さんの資料が届き始めた。協力者の皆様からの善意の数々である。
 第一便で届いたのは、直行さんの絵葉書の額など30点余り。多くは花々や山岳の絵葉書で、美しくレイアウトされている。児童詩誌『サイロ』創刊号から100号までもある。初期の頃の『サイロ』は今や発行者の六花亭でも貴重なものになっているらしい。送り主の上田良吉さんはカルチャー教室で植物画を教えながら、直行さんの資料収集や展示をしている帯広在住の直行研究家。
 第二便も楽しい。北大山岳部、秀岳荘、高澤光雄さんらから合同で届いた山の便り。荷物にはアイゼン、ピッケル、ザック、スキー板はじめ登山グッズの数々が入っている。『開墾の記』『ヌタック』(札幌第二中山の会)などの初版本や、「手にとってさ、みんなに見て読んでもらわないとさぁ」と高澤さん言うところの“閲覧用”直行さん書籍。今年、北海道大学総合博物館で同大山岳部OBらによる『北大の山小屋』展で展示されたパネルもある。
 昭和30年(1955)『金井テント』創業者の金井五郎さんは、トラックのシートや日よけシートなどの製造販売を始めた。翌年、北大山岳部が日高山脈全山縦走を行った際に装備を担当し、昭和32年には直行さんによって『秀岳荘』と名づけられた。秀岳荘は北大山岳部とともにあり、今や北海道では有数の登山用具専門店である。昨年、創業50周年記念に出版された『山の仲間と50年』は北海道、いや日本の登山史の1ページになっているといってもいいだろう。
 高澤さんは直行さんとも親しく、今は秀岳荘に本部を置く日本山岳会北海道支部・副支部長などしている。荷物の向こうに多くの笑顔が見える。山男たちのエールは力強い。
 月末、いよいよ直行さんの絵画や資料を借り受けに北海道に出かける。初めて海を渡って直行さんが帰って来る。
 北の大地が今とても熱い。

秀岳荘のホームページ  http://www.shugakuso.co.jp/

リーフレット

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-反骨の農民画家「坂本直行」展- 開催まで一ヶ月を切った。館内に緊張感が満ちてきた。事務所の予定表には、開館までにこなさなければならぬスケジュールが毎日並ぶ。
 最初に形となったのがリーフレット。入館者の皆さんにお配りする、展覧会の紹介資料だ。展覧会のひとつの“顔”でもある。それだけに、完成するまでには紆余曲折があった。
 何しろ注文が難しい。
「一見リーフレットらしからぬ、よく見ると極めつけのリーフレットに仕上げてほしい」。
業者のKさんは首をかしげた。展覧会の総合的なコーディネートをお願いしている、立体作家の森木裕貴さんに助言を頂きながら、何回か作戦会議も開いた。
 表紙は?中に使う絵は?順番は?写真も使いたい。
皆さんの思惑が入り乱れた。「とにかく、表紙はインパクトがないとだめ!」
 ふた月はかかったろう。そのリーフレットが今、私の手元にある。眺めては一人で悦にいっている。少し紹介しよう。
 大きさはB5版でこれはごく普通。問題の表紙は「白」「黒」の二色。対角線で区切った右側が「白」反対側が「黒」。白い部分に黒い龍馬の影、黒い部分に白く縁取りした直行の頭部ブロンズ像である。展覧会紹介の言葉は、「おかえり!直行さん」。シンプルに、複雑に仕上がっている。
 「こりゃ何ぜよ。リーフレット?変わっちゅうのう」。試験的に見てもらった人の感想であった。聞いてにんまり。早速、郵送した展覧会の案内書の中に折り込ませていただいた。
 展覧会は11月から来年の3月まで。長丁場である。
 絵の入れ替えはもちろん、リーフレットらしからぬリーフレットを用意してお待ちしています。

いごっそうと蛙

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 『反骨の農民画家・坂本直行』展が開催まであと1ヶ月を切った。反骨を土佐弁にすると“いごっそう”になる。“いごっそう”という言葉には、天の邪鬼という意味なども含まれるが、土佐には昔から男女ともそういう人が多かった。今回の展示は龍馬と直行2人の“いごっそう”の展示ということになる。
 少し前の話になるが、“いごっそう”で思い出すことがある。韓国人の団体を案内していた時のことだが、2階の南の端で海を眺めながら説明していると、すぐ西側の海岸線(花海道)にお墓がたくさん並んでいることについて質問を受けた。「なぜ水の近くにお墓があるのか」ということだった。これについてはよくある質問なので、歴史民俗資料館の民俗担当の方に尋ねたことがあるが、正確なことは分からない。一応2・3の憶測を話したところ、逆に韓国の話を教えていただいた。
 その方は、土佐に“いごっそう”という言葉があることを知っており、韓国では“いごっそう”のような人を“蛙”というそうだ。その“蛙”の話は、むかし親の言うことに何でも反対する青年がいたそうだ。いつも反対のことをするので、親は死ぬ直前にそれを心配して、「私が死ねば川の近くにお墓を建ててくれ」と頼んだそうだ。本当は水辺にお墓を建てられたくなかったためにそう言ったのだが、青年は、親が死んだ後、今までのことを非常に悔いて、言いつけ通り川の近くにお墓を建て、案の定、洪水の時にお墓が流されたそうだ。こうして青年は雨が降るたびに蛙のように泣いて暮らしたそうで、人の反対のことばかりする人のことを、“蛙”というそうである。
 となると、直行展は2人の“蛙”の展示ということか・・・?いや、それは少し意味が違うか。

 『竜馬の妻とその愛人』というタイトルを耳にされたことがあるだろうか。脚本家三谷幸喜が劇団東京ヴォードヴィルショーのために書き下ろした作品で、舞台や映画になっている。昨秋、劇団東京ヴォードヴィルショーの舞台が高知でも上演された。再演に再演を重ねた役者陣の余裕ある芝居に、ほぼ満席の観客はすこぶる良く反応していた。この舞台が、丁度今月の5日~7日までジャパンソサエティの招聘公演としてニューヨークで上演されたそうである。
 海外で上演するに当たり「“坂本龍馬”をどのように紹介すればいいのでしょうか?」というマスコミからの質問に対して、「“チェ・ゲバラ”のような人物です。」と答えていたらしい。それが三谷幸喜氏の言葉なのか、劇団主宰の佐藤B作氏の言葉なのか私も聞いた話なので定かではないが、いずれにせよその答えに興味を持った。
 「坂本龍馬はチェ・ゲバラのような人物?」土佐に生まれた龍馬とアルゼンチンで誕生したゲバラ。どちらも偉大なる革命家であり、今なお人々の心に残る。龍馬は1867年33才で暗殺。ゲバラは1967年39才で処刑された。龍馬の死より丁度100年後のことである。そして両者ともその人気の衰えを知らない。
 来館者の中にもゲバラのTシャツを着ている方がいらした。この方は『拝啓龍馬殿』に、スペイン語でメッセージを残しており、氏名にも“チェ・~”とご本人の名前を書いてあった。ちなみに県外の方だが、2度目の来館だったそうである。
 ゲバラの遺体が発見された後、彼の次女や旧同志が受けた取材に、「チェ・ゲバラという人間の最も優れた資質は何だったと思いますか?」という質問に、「人を愛する才能です。」と皆が同じ返答をしたと本で読んだことがある。また、龍馬のヒューマニズムについては多くの書籍が物語っているように、龍馬とゲバラの相似している部分は、果たしてこんなところにあるのかもしれない。
 さて、「?」の回答は??

古代が見えた

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 10月になった。うそのように暑さが消えた。
 館は11月から始まる「反骨の農民画家・坂本直行」展開催に向けて、最後の仕上げに入っている。少々殺気立ってもいる。龍馬の見た海、太平洋を“空白のステージに立って眺める。苛立つ気持ちを落ち着けてはデスクに戻る。戻り際に缶コーヒーを買っている。
 浜﨑 秀嗣さんの個展「生命シリーズ」は、そんな苛立つ心を癒さんがためにスタートしたタイミングの良さであった。
 例の「海の見える・ぎゃらりぃ」で一日から始まった展覧会だ。
 絵の主役はアンモナイト。古代の化石。「ほら、白い粉を吹いたオウム貝に似ている」と、言われればイメージできるだろう。
 そのアンモナイトがふと、人間のような錯覚を呼び起こす存在感なのが不思議でならない。だから、置かれているというより、佇んでいるというのがいいのかも知れぬ。克明に描かれた渦巻き模様が光っている。存在している場所も、ピンクの敷物の上というよりバラの花びらにも見える。
明らかに渦の底に誘っているゾ!。底を突き抜けるとどこに行くのだろう。行ってみたい気持ちに駆られる。強い誘惑である。
 底を覗き込むように回遊している大魚の魚影が迫ってきた。あまりにも大物なので、たじろいでしまった。アカメではないか。淡水と塩水の間を泳ぐ怪魚といったほうがいい。
以前、釣り上げたアカメをロープにつないで岸につないであったのを見たことがある。ロープを取ると、陸の大人がずるずる引きずられた。怪魚たるゆえんはそんな記憶に裏づけられている。
 絵を見ているうちにパワーをもらっている自分に気が付いた。

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