2007年3月アーカイブ

四ヶ月半。長丁場であった。
「坂本直行展」。
振り返る間もない時間の流れ、その早さに圧倒された。
「直行さん」と一日に何回言っただろうか。
絵の前を通る度に、知らず「直行さん」と呼びかけていたこともある。
そ知らぬ顔をされたこともあるが、じっくり話し込んだこともある。
時に、直行さんの方から呼び止められて、
十勝平原の見所を教えられたりもした。
「高知は暖かい、人情はさらに温かい。ひしひしと感じるなあ」
お世辞以上のほめ言葉に、こちらが恐縮してしまったことも。
絵を通して、直行さんの人柄に触れることが出来たと思っている。

 さて、最終日。朝早くから多くのお客さんである。
「六花亭」のチョコレートはもう売り切れてない。
しかし人波は途切れない。最後を楽しもうと、何回目かの入館者の方もおられる。
絵を見て、アルバム見て、また絵を見て最後にそう海を見る。
「ええ眺めじゃ」。お年寄りが腰を伸ばしていた。
 その姿に涙が出そうになるくらいうれしくなる。
 四つの会場を一巡りして、屋上への螺旋階段を上りかけたとき、
 直行さんの声が追っかけてきた。
 「ありがとう」。応えて「こちらこそありがとうございました」。

一生の思い出に

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その日は、館全体が浮き立っていたように思う。
坂本龍馬記念館、平成3年開館以来の入館者が200万人を突破するのだ。15年の歳月を費やしている。積み重ねの結果である。長く感じるが、調べてみるとそれでも個人の顕彰館とすれば早い。対象を歴史上の人物に絞れば、日本一となる。龍馬のそれが魅力だろう。
 さて、200万人目は、名古屋からお越しのIさんであった。
入館と同時に、待機していた報道のフラッシュがたかれた。
いきなりの取材攻勢にIさんは目をシロクロ。
正気に戻り、事の次第が分かるまでに少々時間を要した。
しかし、現実は歴史の節目であっても一瞬の通過点にすぎない。Iさんの後続は2000001人、2000002人,2000003人・・・。
 一週間が過ぎたころ、Iさんから館に便りが届いた。
お礼状であった。報道には驚いたが、「このような幸運に恵まれたことは一生の思い出になりました」と述べておられた。さらに、これを機会に、坂本龍馬についての勉強も考えているという。朝礼で職員の皆さんに披露したら、だれもが“うんうん”とうなずいていた。
 最後にIさんはこう結んでいる。今回時間に制限があり十分見学ができなっかったので「再度訪問したいと思います」。
うれしいお話ではないか。
「お待ちしておりますIさん。2000001人目だった奥様とご一緒にどうぞ!」。

 先日私は、いの町の歴史愛好家たちがつくる「いの史談会」に呼ばれて直行さんの話をしてきた。30名近くの参加者の中には、会員ではないが直行さんに興味があって参加したという人もいて、2時間があっという間に過ぎた。熱心な質問も多かった。
 会のメンバーは歴史を通じて自分を高めようという人ばかりである。そして、人生の先輩方である。私自身も皆さんに質問を投げかけてみた。
 直行に「カムイエクウチカウシ連山のモルゲンロート」(坂本家所蔵)という絵がある。ツルさんが一番古いという、板に描かれた4号の小さな油彩だ。遠くの雪山や原野を包む大気が赤らんでいる。
 私はこの絵の名前に興味を引かれていた。カムイ~はアイヌ語で神様のいる何とかという山の名前だろう。モルゲンロートは山を知っている人なら分かるのだろうが、手許の広辞苑とカタカナ語辞典にはないなぁ。と、曖昧なまま放っておいた疑問を問うてみたのだ。
 小気味よいくらいの即答が返ってきた。
 カムイエクウチカウシ山はアイヌ語で「ヒグマが転げ落ちるほど急な山」、モルゲンロートはドイツ語で「朝やけ」のことだという。いの町立図書館に勤める森沢さんに教えていただいた。森沢さんは十数回も北海道の山に登っているらしく、本のコピーも送ってくださった。私も斜め読みしていた「北海道の百名山」(道新スポーツ刊)を読み返してみた。
 カムイエクウチカウシ、通称カムエクは日高第二の高峰。昭和初期から北大山岳部が登頂している。昭和7年には直行も冬季初登を果たしている。ツルさんが開拓時代の一番古い絵だといい、野崎さん(野崎牧場)の所にいた頃のものだというのも頷けた。
 森沢さんをはじめご自身の登山や旅行、趣味、人生の体験を直行さんに重ね合わせている方は、まなざしや思いが深い。直行さんを通じて多くの対話が生まれていることだろう。
 直行展の会期は残り10日。「カムイエクウチカウシ連山のモルゲンロート」は梱包され、札幌に帰る準備に入った。菜の花畑が広がる春爛漫の高知から、朝やけに染まる白い大地に直行さんが帰っていく日も近い。

ありがとう

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“ありがとう”には色んな意味が込められていると思う。

私は、コンビニに行っても、服を買いに行っても、どこに行っても、必ず「ありがとう」と言って店を出ることにしている。
それは単に、自分が接客の仕事をしていて、お客様から「ありがとう」と言ってもらうと本当にうれしくて、
「あぁ、この仕事をやってて良かったな。どんなに忙しくても笑顔で頑張ろう」という気持ちになれるから、
というだけの理由なのだが、「ありがとう」と言われて腹を立てる人は、まずいないと思う。
“ありがとう”は元気をくれる言葉。

ときには、忙しさのあまりに笑顔を忘れていて、お客様の「ありがとう」という言葉に、はっとさせられることがある。
“ありがとう”は“頑張って!”にもなる。

人のために何かをやっていて、それが予想以上に大変な仕事だったとき、それを引き受けたことを後悔することがある。
それでも何とかやり遂げて、相手から「ありがとう」と言ってもらった瞬間、それまでの大変だったことは忘れて、心がほわっとあったかくなる。
“ありがとう”は心の栄養ドリンク☆

自分が博物館に行って、その内容に本当に満足して感動して「来て良かった!絶対にまた来よう!!」と思ったとき、
「○○が良かった!□□に感動した!!」と気持ちを伝えたいところだけど、グッと抑えてひとこと「ありがとう」と言う。
これは、素敵なものに出会えた喜びの“ありがとう”。

“ありがとう”は言われた方も、言った方も、気持ちがいい。

3月7日、高知からお越しの70歳の男性のアンケートの感想欄に
「大きな画が描ける人物(画家)だと思います。ありがとう。」とあって、この最後の「ありがとう。」が強く心に残った。
ふと、ひとつ前の項目を見ると「館内を見学した満足度は?」の問いの「大満足!」が大きく○で囲まれていた。
この”ありがとう”は「大満足!」の”ありがとう”であると同時に、これからもお客様から「ありがとう」と言っていただける、
言いたくなるような展示ができるよう努力していかなければならないという、私たち記念館職員へのエールにも感じられた。

 龍馬をイメージするならまず「海」が浮かぶ。
龍馬の心の広さと、行動力の象徴には海はもってこいだ。
実際、「海援隊」を始め、「いろは丸」「夕顔」・・・など、龍馬と海は切っても切れない。
 例えば、Tシャツを作ろうとする。
 龍馬の背景にあるのは海、または船となる。
それがまたよく似合う。
船のデッキに立つ龍馬は、腕組みをして前方を見つめている。
びんのほつれが、風になびく。
まさしく風雲児。
 桂浜龍馬の像がそのままのイメージで、龍馬ファンの脳裏に焼きついている。
なるほど、あれほど日本国中駆け回っているのに、馬に乗った龍馬などというのは聞いたことがない。
 ところで、館の「坂本直行」展はいよいよ最後。最終日3月31日に向けて、連日大勢の人出でにぎわっている。直行の絵を見に来た人が、龍馬の手紙を熱心に読んでおられる。
逆に龍馬の資料を見に来て、直行さんの絵の虜になった人も。
 直行さんの代表作といえば十勝大平原の彼方に連なる日高山脈、その光景を柏林越しに描いた「初冬の日高連峰」だが、その代表作は、館入り口の壁に大きく再現している。入館者の皆さんに北海道の大自然を体感してもらおうとの思惑あってのこと。それは成功したと感じている。
 もう一つ、おまけがあった。その壁に囲まれて龍馬の像が立っている。台座の上に立つ像だが、その頂点が、龍馬の身長に併せてある。これがなかなかの人気で、皆さん像の前で記念撮影をされる。気が付いた。その像の背景は日高山脈である。いつもの白い壁でも「海」でもない。“日高山脈を従えた龍馬”これは滅多に見られる構図ではない。
 入館の折には是非この構図の写真を一枚撮ることをお勧めします。
 ずーと年月が過ぎて、龍馬の珍しい逸品?になるかも。

龍のたてがみ

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2月24日、姉に男の子が生まれた。
私の弟の誕生から22年ぶりに我が家にやってきた赤ちゃんにみんな夢中になっている。
その弟が生まれたとき私はまだ2歳だったので、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見るのはほぼ初めてで・・・。

先日、リビングのテーブルの上で赤ちゃんの入浴タイムが始まった。
お腹の方を洗い終わって、続いて背中を洗う。
いつも寝てばかりの赤ちゃんの背中を初めて見た!
肩から背中にかけて細~いうぶ毛がたくさん生えていて、ちょっと驚いた。

そう言えば、龍馬は生まれたとき背中に龍のたてがみのような毛が生えていたから「龍馬」と名付けられたという話がある。
他にも、龍馬の母・幸が懐妊中に空翔る龍の夢を見たからという説もあるが、赤ちゃんの背中を見ると、龍馬命名の由来は前者だったのでは・・・と思う。

私は3月生まれなのに、生まれた時“雪”が降っていたという理由で「ゆき」と名付けられた。
そして弟は、父が産院の待合室で『三国志』を読んでいて、弟が生まれた時は諸葛孔明の場面だったという理由で「孔明」と名付けられた。

そんな安易に名前が付けられることもあるのだから、龍馬の名前が背中のうぶ毛から命名されたという話も本当かもしれない。

 出勤すると、館内を一巡りする。
 展示に落ち度はないかのチェックが目的だが、最近になって別の感情が同居するようになったなと気づいた。展示を楽しむ気持ちである。特にお気に入りの絵の前では腕組みなどして味わっている。おこがましいが日高の山々、十勝大平原が、我が家の”庭“になってきたのだから。気持ち大きく、ひとりで浮き浮きしてくる。それが直行さんの”絵の力“に違いない。
 いや、そればかりではない。これは不思議な感覚に近い。
 並べて展示してある龍馬の写真や、真筆の手紙が、これまで以上に迫力いっぱいで語りかけてきだした。「・・だした」というのは、新鮮な感覚である。
 緊迫、殺伐の時代に龍馬が姉や、友人に書いた手紙が、時代を超えて生の声で伝わってくるのだ。壁に架けてある龍馬お決まりのポーズ写真が、直行さんの描いた、ネパール、ヒマラヤの絵と並んで違和感がない。まさに“競演”である。
 直行さんの絵が持つ力に私の胸奥で眠っていた鈍感な感性の扉が刺激されたのかも知れぬ。なにせ直行さんが、自然と向き合い対話を続けた期間は30年を超える。繰り返してきた問答の長さを思う。長い問答の末に、大自然が直行さんだから許す表情をのぞかせた。「直行さんお前さんは親友だよ」吹き抜ける風が“使者”に立ったのかもしれない。
 さすが直行さん、うむ、やっぱり龍馬。である。
 直行展は3月いっぱい。龍馬記念館入館者200万人達成も目前に迫った。
 来館をお待ちしています。

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