2007年12月アーカイブ

龍馬年齢

user-pic
0

『 拝啓龍馬殿
  私は貴方が脱藩したのと同じ28才になりました。
  将来のことを色々悩んでいたのですが、そんな小さい事にとらわれず、
  大きな視点で日本、世界を見ないといけないと勉強させていただきました。
  私も頑張ります!
                               H18.10.9 広島市 Y・M 』

   ↓
   ↓(平成19年・近況)
   ↓

『 脱藩された28才の時、私も意を決して転職いたしました。
  次は33才までに何が出来るのか考えて行動していきたいです。 』

これまで「拝啓龍馬殿」に寄せられたメッセージの総数は12000通にもなる。
そこで、このたび、これらのメッセージを一冊の本にまとめようということになり、
今、出版に向けての編集作業を進めている。
12000通の中から3000通近くのメッセージを選び、掲載のOK・NGや近況を
お知らせいただく往復葉書を送らせていただいている。

返信のハガキには「今でも龍馬が大好きです」というメッセージとともに、
「28歳」「33歳」という年齢がよく出てくる。
28歳は龍馬が土佐を脱藩した年齢、33歳は龍馬が暗殺された年齢である。
この5年間に龍馬は日本というひとつの国を変えてしまうほどの偉業を成し遂げた。

龍馬が好きで、龍馬を尊敬する人達にとって、28歳や33歳という年齢は節目の年となっているようで、
この年に、一人旅をして自分と向き合ってみたり、夢の実現に向けて一歩を踏み出したり、
または、思いきって転職をしたり、結婚を決めたという人もいる。
そこまで人の人生に影響を与えてしまう龍馬を、改めてすごいと感じる。

私が28歳になるまであと4年。
今の自分も、1年前には想像もしていなかった毎日を過ごしていることを考えると、
4年間にどんなことが起こるのか、自分のことながらワクワクしてくる。
2008年はどんな一年になるのかなぁ…。

古写真と土佐和紙

user-pic
0

「幕末写真館」展がいよいよスタートした。
今回、企画展では館としていくつかの新たな取り組みをしている。
 まず、展示場所として普段は使う地下二階の展示室は一切使用しなかった。その代わり、二階を全て展示室、つまり写真館にした。南北の通路は“幕末通り”、北隅の展示室は“龍馬スタジオ”の暗室に作り上げた。
 幕末15年の幕開けはペリーの浦賀来航である。眠りを覚まされた日本は蜂の巣をつついた騒ぎとなった。歴史が動き出すのである。桜田門外の変、生麦事件…カメラマンの龍馬に休む間なし。

 古写真は140枚になった。借り先は、全国に散らばる資料館や博物館、もちろん個人所蔵のものもある。何回か連絡のやり取りをして希望通りの枚数をそろえることが出来た。さて、次は借りた古写真をデーター化して、和紙に大きく引き伸ばし、パネル化する。この作業がなかなかであった。等身大に引き伸ばしていくため何枚かの和紙を繋ぎ合わせていかねばならない。継ぎ目がずれたりしてはお話にならぬ。それが和紙は柔軟性があって、微妙なずれは紙を延ばすことによって対応できた。何よりの長所は、焼付けた写真がどの角度から見ても反射しないことである。和紙独特の柔らかさが写真の雰囲気を高めている。ちょっと触れると分かるが、手触りもいい。
 パネルに和紙を貼る作業で、大方の志士に触れた。最後のほうは心意気にまで触れた。

 久々雨の土曜日。カルチャーサポーターの皆さんが早くも門松を作ってくれた。しとしと雨は降り続く。「いつもより立派に出来た。年々上手になる」リーダーの I さんが顔の雨滴をぬぐいながら満足げである。頬高潮させて、幕末の志士たちとの対面を楽しんだ入館者の皆さんが、門松と龍馬像を背景に「パチリ」。龍馬記念館にはやお正月が来た。

ありがたい

user-pic
0

 一つ重荷を下ろした感じである。
そうはなるだろうとは自信はあったが、決まるまではなんとなく落ち着かなかった。
例の、坂本龍馬記念館の運営管理に絡む「公募」問題である。
館はこれまでどおり県文化財団傘下の施設として運営を続けることになった。
この半年あまり、次の企画展の準備をしながらも、
乗り切れないムードが館に満ちていた。
やっと枷の解けた猟犬のようなものである。
一挙にエンジンがかかってきた。それもトップギアで。
面白いもので、そうなると館の雰囲気までが一変する。
職員の足取りまでが気のせいか弾んでいるよう見える。
 ふっと気がついた。どうも周辺の人たちも気遣ってくれていたらしい。
まるでなにかの試験にでも合格したかのように「よかったですね!」の声が舞い込んできた。わざわざ訪ねて来てくれる人も。
「これで話がし易くなった」などと当人よりも気を揉んでいてくれたり。
ありがたい。
 胸のつかえをとって見る冬の海は、光のじゅうたん。地球の裏側までも巻いていそうな、光の道である。来週からの企画展「幕末写真館」展の準備もほぼ完了。館は一足早い新年である。

 樋口真吉は幕末、自らの使命を全うすべく地道にひたすらに生き、病に倒れた。龍馬との接点もいくつかあるが、これはほかの誰にも代わりようがない巡り合わせのようにも思える。真吉もまた幕末という激しい時代を生き抜いた男の一人だ。そして、当館でまもなく終わろうとしている「樋口真吉」展の開催以前にはほとんど知られることのない人だった。
 樋口真吉のことを樋口一葉の関係者だと思っている人がいたり、「ひぐちまきち」と呼ばれたり。(まあ、これはあながち違うとも言えないが、ご子孫がしんきちと言っているのでやっぱり違うのでしょうね)。出身の四万十市庁舎でも「それは誰?」という声が聞かれるような人物だった。そんな真吉のことを今回の企画展を通じて、少しは知っていただけたのではないかと思っている。
 維新から140年。龍馬がいなくなってからもまた…。140年前というのはずいぶん昔のような気もするが、その上に積もる時間はまだ薄いベールのようなものじゃないかな。真吉の残した記録を見ているとそんな気持ちが強くなる。龍馬も万次郎も慎太郎も半平太も藩主も門弟も、真吉の記録から見ればそれぞれが幕末ドラマの配役だったようにも思う。もちろん真吉自身も。さしずめドラマ全般にかかわるナレーターのような役だろう。
 真吉の文武両道は長刀と勤王日記『遣倦録』に象徴的だが、もうひとつ忘れてならないのは彼の人と情報のネットワーク。信頼のおける真吉の人柄と多くのメモが、時空を超えて人をつないでいく。真吉の資料を通じて、今回の企画展は新しい動きを生み出した。
 静岡県下田市。勝海舟が山内容堂に龍馬脱藩赦免を請うた場所・宝福寺を中心に市民の方たちが下田にいた龍馬を探し始めた。真吉や海舟、寺村左膳らの記録を手がかりにして。太平の眠りを覚ましたペリーやハリスゆかりの場所で龍馬が動き始めている。
 黒潮でつながる伊豆下田と四万十市下田。潮流に乗って太平洋から四万十川を遡り真吉の眠る土生山に、龍馬の最新情報が運ばれてきている。そんな風のささやきが聞こえてくるようだ。

 「樋口真吉」展は16日(日)まで。

龍馬の洗濯板

user-pic
0

 龍馬記念館のショップに、一つ新商品を置いた。
題して“龍馬の洗濯板”。ご想像の通りです。
龍馬の手紙、文久3年、龍馬が姉の乙女宛に書いた手紙、通称「日本の洗濯」からとったものです。 「…日本を今一度せんたくいたし申候事ニ…」、幕府のだらしなさから、乱れた日本を立て直そうという内容です。“洗濯板”はそこからの発想です。

 で、生まれた洗濯板ですが、縦21センチ、横10センチ、横幅は葉書サイズです。ただ、厚さが14ミリで頑丈に出来ています。そんじょそこらの洗濯板とちょっと違うのは、まず材がトサザクラ。裏面には「高知県立坂本龍馬記念館」と刻印が打ってあります。つまり、高知ならではの館のオリジナル商品。
 少々自慢なのは、これがそのままポストに投函できる葉書としても使えることです。用意してある葉書に便りを書いて洗濯板に貼る。当然、切手(240円)が必要ですがそれでOKです。ちょっとしゃれたおみやげだとは思いませんか?

 まだ、ショップに並んで1週間です。先日、こんなお客さんがお見えになりました。“面白い”と手に取って一個お買い上げになりました。ショップの職員がすぐに添付の葉書を渡そうとしました。
 すると、「葉書は要りません」
 「えっ」と不審がる職員。
 「いえ、これは私が使いますので、洗濯板として」
 職員は、目パチクリでした。
 因みにこの“龍馬の洗濯板”のお値段は一個1,500円です。

月別 アーカイブ

OpenID対応しています OpenIDについて

このアーカイブについて

このページには、2007年12月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2007年11月です。

次のアーカイブは2008年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。