2009年6月アーカイブ

龍馬とお龍の苦労

user-pic
0

 資料を調べていると目的外の面白い記事を見つけることがよくある。例えば以前『東京市史稿 変災編』で薩摩藩邸のことを調べていると、江戸城が火災になった記事を見つけた。火災の原因は大根畑から出た火が飛び火したらしい。「は?なぜ大根畑から?」と思うと可笑しかった。
 今回は結婚式の参列者の服装について調べていると、土佐藩の法令の中に面白いものを見つけた。「17・8歳までに女の子は結婚させなさい」で始まり、「未婚の女の子が村にいれば庄屋たちが世話をしなさい」とある。そして「空しく男女が地域の中にいないよう、普段から指導しなさい」と規定されている。
 さらに、「夫婦は人のはじまりにて、大切なる事にて、自分勝手に結婚してはいけない。仲人を入れて、双方の親が納得した上で縁組みし、これを氏神様にも告げ、村近所にも伝え、吉日を選んで婚礼するように」とあり、「親しくなって密かに通い合って、そのまま連れ添い、妻とするのは犬猫同然の交わりである」と書かれている。そして、「人と生まれては人の作法を知らざれば人に非ず、形は人なれども心は畜生に同じ」とまで書かれている。何もそこまで言わなくても・・・と思う。
 これを読んで「これでは龍馬とお龍は苦労しただろうなぁ」と可哀想でもあり、可笑しくも思えた。現代では受け入れられる二人の結婚だが、土佐藩の法令では、犬猫同然・畜生と同じ、となる。慶応元年9月9日の手紙で、乙女に必死でお龍の紹介をする裏にはこういう事情があった。また新婚旅行の手紙が半年以上経って出され、しかも乙女だけに宛てられているというのは、おそらく乙女だけが理解者だったのだろう。服装も考え方も現代的な龍馬は、結婚も現代的で苦労していたようだ。龍馬の死後、お龍が坂本家とうまくいかなかったのも、結婚の仕方に原因があったのかもしれない。

weblog-090526.jpg

初めまして(文)です。この記念館にお世話になってもうすぐ1年になります。
恥ずかしながら高知にいて、龍馬の事について詳しい知識もなく約50年が過ぎました。
子供達も成人し、手が掛からなくなりこれから我が人生をと考えるとも無く思いを巡らせていたところ、この龍馬記念館にめぐり合ったという訳です。

館長はじめ職員の皆さんが、龍馬の自由闊達な思想を熱く語り、その人間性に惚れこんでいる様子に清々しさを感じました。

龍馬の生きた時代を思う時、当時の閉ざされた社会の殻を打ち破り新しい夜明けを導いた凛々しい龍馬と同時に、一個の人間として他者を思う温かく優しい男だったであろう龍馬に遭いたくなりました。彼は現代のこの日本をどう語るでしょう?

皆さんも坂本龍馬記念館で龍馬理解の第一歩を踏み出されては如何ですか?

-PS-
館にいらっしゃったら、2Fミュージアムショップへも是非お立ち寄り下さい。
龍馬ファンはもとより、龍馬ファンでない方も必見のグッズを取り揃えております。

桂浜たんね歩記

user-pic
0

weblog-090608.jpg館内で、お客様から受ける問い合わせの中で、よくあるのが桂浜にある『龍馬像』について。
「龍馬像までは、遊歩道を歩いて10分ぐらいです。」
こう答えるものの、4月に入社したばかりのわたしと同期2人は、その遊歩道の存在も知りませんでした。
 そこで私たち3人は、その遊歩道を歩いて、桂浜を散策しよう!と思い立ちました。
 徐々に大きくなる波の音と、桂浜水族館から聴こえてくる音楽に懐かしさを感じながら遊歩道を歩くこと10分。龍馬像に到着。
 観光客に紛れて、眺める生龍馬像!
 久々に眺めた龍馬像は、とても大きく高く、見上げた首がつらくなるほど。
 龍馬とのツーショット写真を撮ろうにも、人は多いし、龍馬は高くてなかなかファインダーの枠に収まりにくい。人影が少なくなったところを見計らって、やっと撮ってもらいました。

 龍馬像を堪能した後は、桂浜を歩き、桂浜水族館へ。カメやペンギンに釘付けで、久々に童心に戻った3人でした。
 全員が何年ぶりかに訪れた桂浜。とてもいい思い出になりました。
みなさんもこの桂浜を訪れ、龍馬に思いを馳せ、ぜひぜひ龍馬記念館にもお越しください。

月別 アーカイブ

OpenID対応しています OpenIDについて

このアーカイブについて

このページには、2009年6月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2009年5月です。

次のアーカイブは2009年7月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。