2013年10月アーカイブ


秋の新しい企画展「古き良き江戸時代-外国人から見た日本」展が始まりました。


幕末の開国以後、日本を訪れ、また滞在する欧米人が急増しました。
軍人、外交官、通訳、教師など、身分はさまざまですが、
彼らの多くが日本で見聞した内容をまとめた「日本レポート」を残しています。


「他国民の物質的進歩の成果を学びとろうとする彼らの好奇心と、
それらをすぐに自分たちの用途に適用させようとする進取性をもってすれば、
彼らを他国との交通から隔離している政府の方針がゆるめられれば、
日本の技術は、すぐに世界の最も恵まれたる国々と並ぶ水準にまで達するだろう。
文明世界の今日までの蓄積をひとたび手にすれば、日本人は、
強力な競争者として、将来の機械的技術の成功を目指す競争に仲間入りするだろう。」
                              (『ペリー提督日本遠征記』)


黒船で日本にやってきて開国を迫ったペリーは、「未開の国」である日本が、
将来は「強力な競争者」になるとの見通しを語っています。
明治以降、欧米の科学技術を貪欲に学び取り、
アジアでいち早く「文明国」の仲間入りをした日本。
ペリーの予見は現実のものとなりました。


「日本を開国して外国の影響を受けさせることが、
果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であろうかどうか、
疑わしくなる。私は、質素と正直の黄金時代を、
いずれの他の国におけるよりも、より多く日本において見出す。」
                     (ハリス『日本滞在記』)


アメリカの初代駐日総領事となったハリスは、
同じくこの「未開の国」の人々の「幸福」が、
海外の影響を受けることで損なわれるのではないかと危惧します。
ハリスが目にした日本人(とりわけ庶民)は、
みな貧しいにもかかわらず幸福そうに見える、というのです。


今回の展示で多くのヒントを得たのが、
渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社)です。
発刊以来高く評価されている書籍ですが、その理由は、
膨大な数にのぼる外国人の「日本レポート」を渉猟し、
また日本人による書物も参照しながら、
幕末から明治にいたる"失われた日本"のすがたを
客観的に描き出している点にあります。
是非一読をお勧めしたい書籍です。


また、展示を構成するにあたり、次のような外国人レポートも参考にしました。
展示でお伝えできる情報には限りがありますので、
上記の書籍と併せて、興味を持たれた方には
直接お読みいただきたいと思います。


マシュー・C・ペリー『ペリー提督日本遠征記』
タウンゼント・ハリス『日本滞在記』
ラザフォード・オールコック『大君の都』
ローレンス・オリファント『エルギン卿中国及び日本使節録』
イザベラ・バード『日本奥地紀行』
アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』
エドワード・モース『日本その日その日』 など


外国人が見た日本は、すべてが美しく喜ばしいもの
ばかりだったわけではありません。
例えばお歯黒や男女混浴など、外国人の慣習や倫理観からすると、
困惑するようなものもありました。
また、クリスチャンである多くの欧米人からすると、
日本人は宗教に寛容すぎる、あるいは関心が薄いように映ったようです。


生活が便利になり、貧しさもなくなったかに見える現代日本。
ですが「幸せ」かと尋ねられるとどうでしょうか?


幕末維新期の日本も、現代日本と同じで
決して良い面ばかりではありません。
生活は今より貧しく不便だったかもしれませんが、
今の私たちと比べて不幸だと言い切れるでしょうか?


今回の企画展は、当館ではこれまでにない試みです。
展示室も、大量の文字パネルと絵画パネル、
そして数冊の原書が並ぶという、これまでにない光景になっています。


ぜひ展示をご覧いただき、また関連書籍を読んでいただき、
ほんとうの豊かさとは何かを考えるきっかけを得ていただければ幸いです。



haine.jpg
               『ペリー提督日本遠征記』より
中央にいる画家ハイネが写生をしているのを、大人も子供も珍しそうに取り囲んでいます。
追い払おうとしている役人も、どこかのんびりした様子。

DSC_0834.jpg
   オールコック『大君の都』より
    “サイオナラ”(さようなら)

 

 

 昨日(10月5日)、記念館八策の広場にて、小栗流棒術の流れをくむ伝統芸能「山北棒踊り」が、保存会の皆さんによって披露されました。

 

 現在開催中の「土佐の武術」展では、龍馬が土佐で学んだ「小栗流」を大きく取り上げています。龍馬といえば江戸で北辰一刀流を学んだことが知られていますが、土佐にいた頃は小栗流という流派を修めていました。小栗流は剣以外にも棒や水練などさまざまな武術を伝え、特に和(柔)術が強いことで知られていました。龍馬は14歳で小栗流に入門し、最終的に脱藩前年の文久元年(1861)、27歳のときに「小栗流和(やわら)兵法三箇条」を授けられています。

 

 一方、山北棒踊りは正徳2年(1712)、土佐藩の重職にあった山内規重(のりしげ)が山北村(現香南市香我美町山北)に蟄居したおり、主君規重の無聊を慰めるため、家臣が小栗流の棒術を土地の若者に教え、規重の前で披露したのが発祥とされています。規重はのちに蟄居を解かれますが、このとき山北で生まれた規重の嫡男は、のちに土佐藩8代藩主山内豊敷(とよのぶ)となりました。山北棒踊りはこのような経緯から、土佐藩主山内家とも、龍馬が修めた小栗流とも、浅からぬ縁を持っています。

 

 棒踊りは、青年が10人ずつ2組に分かれ、地唄に合わせ、騎馬戦のように陣を組んで棒を打つ「本棒」から始まります。地唄の歌詞には「玉と砕けし坂本龍馬、桂浜辺に花と咲く」という箇所があり、聞いていた私たちは、この伝統芸能が龍馬記念館で披露されることへの感慨を深くしました。

IMG_1476.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 続いて、2人一組で棒を打ち合う「小棒」が披露されます。「ひし」や「つき」、「花」などの技を、青年たちは棒が折れはしないかという勢いで、本気で打ち合います。日頃の練習の成果を発揮され、見事な技を披露されました。

IMG_1490.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 最後に披露されたのは「車返し」という技です。2人一組で組み合い、お互いのたすきを交代に持ち上げてクルクルと車のように回ります。小栗流和術の流れを伝えると言われる技で、水たまりや固い地面という悪条件にもかかわらず、披露していただくことができました。

IMG_1502.jpg

 

 

 

 

 

 

 

  当日は雨が降ったり止んだりのあいにくの天気でしたが、青年たちの大きなかけ声や、力いっぱいぶつけ合う甲高い棒の音は、台風接近の影響で下の浜から地鳴りのように響いてくる波の音をかき消すほどの迫力でした。

 

 山北棒踊りは、昨年で発祥から300年を数え、高知県の無形民俗文化財にも指定されています。本来は、地元のお宮である浅上王子宮の秋季大祭(毎年11月18日)において奉納される神事です。お宮で行われる奉納の棒は、神事ならではの緊張感と迫力に満ちた素晴らしいものです。また、「酔うたんぼ」(土佐弁でいう「酔っぱらい」)という、ユーモラスな余興も披露されますので、お近くの方は是非、山北棒踊りを地元山北でご覧ください。

 

 最後になりましたが、雨の中素晴らしい技を披露いただきました山北棒踊り保存会の皆さまに、厚くお礼申し上げます。

 

*****************
 「土佐の武術」展 10月25日(金)まで
*****************

 

月別 アーカイブ

OpenID対応しています OpenIDについて

このアーカイブについて

このページには、2013年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2013年8月です。

次のアーカイブは2013年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。