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前回のブログ記事で《雪》さんが書いていました、高知県立美術館で開催中の「高知県立桃源郷 新・高知の造形文化展」に、私も行ってきました。
展示物はすべて撮影OKという、大盤振る舞いの企画です。
《雪》さんとは違うアングルで撮った写真をご覧に入れましょう。

★坂本龍馬像(岡崎都子指導グループ作)

 

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桂浜でもときどき実施される「龍馬に大接近!」と同じく、龍馬の目線にまで上がれるやぐらが設置されています。
そのやぐらの上から撮影しました。
なかなか彫りの深い龍馬です。

後ろの桜がいい感じですが、これは県内越知町の企業(株)岩やが制作した人工樹木です。
よく出来ていて本物そっくりです。

★初代・武市半平太像

 

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写真は初代像の遠景、手前は現存する初代像の「佩刀」です。
像そのものが巨大だったことを物語るように、刀も巨大。
しかも、切り取られた武市先生の「手」が、刀に握られたままくっついています!
高知で生まれ育った私も、2代目の今の像しか知りません。
できれば初代武市先生にお目にかかりたかった・・・!

高知県立美術館の「高知県立桃源郷 新・高知の造形文化展」は間もなく終了、22日までです。
当館からも車で20分ほどですので、ぜひお立ち寄りください♪

 

先日、職員のSさんと話していて「刀剣乱舞」なるオンラインゲームが一部女子の間で人気だと教えてもらいました。
オンラインゲームなど未知なる世界。
ネットで検索すると、「刀剣男子」を集めて鍛えて戦わせる?ゲームらしい。
キャラクターは美形男子。堀川国広、和泉守兼定、蜻蛉切など、名刀の名前がついています。
・・・ゲームは分からないけど刀なら!

ということで、当館で常設展示している刀「陸奥守吉行」のご紹介です。
龍馬が暗殺される時まで持っていたのが「陸奥守吉行」ですが、残念ながら当館で展示しているのは龍馬の佩刀ではなく、同じ作者の刀です。
龍馬は国難に臨むにあたり、兄権平に家宝の刀を手許に持っていたいと伝えました。
権平は、ちょうどそのとき土佐を訪れていた西郷隆盛に刀を託します。
西郷から刀を受け取った龍馬は、権平あての手紙に「皆がよい刀だと誉め、中には欲しがる人もいる」と得意になって記しています。

「刀剣乱舞」(略してとうらぶ)には、この「陸奥守吉行」も登場するようです。
常設展示は撮影もOKですので、ぜひ間近でごらんください。

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新しい企画展「風刺画にみる幕末社会」展が始まりました。

 

今回は風刺が込められた錦絵の展示。

「風刺」を分かりやすく言うと、ユーモアを交えつつもするどく批判・批評をすることです。

 

幕末の江戸庶民は、地震が起きれば鯰の絵、パニックが起きれば逃げまどう人々の絵、薩長と幕府が戦争をすれば、子どものけんかに見立てた絵にして出版し、皆で楽しみました。

 

たとえば「子供遊び夏の栄(さかえ)」(慶応4年)。

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戊辰戦争を描いた風刺画の代表的な例です。

子どもたちが新政府側(左)と幕府側(右)に分かれ、幕府側にある城のおもちゃ(江戸城)を新政府側が奪い取ろうとしています。

新政府側には菊の柄の着物を着た幼児(天皇)がおり、錦旗を持った大きい子どもにおぶわれています。

皆がけんか腰なのに、ひとりだけかくれんぼをしている子どもは、前将軍の徳川慶喜です。

戊辰戦争前後の政情をとてもよくとらえています。

 

他の子どもの様子から発行時期を推測すると、すでに江戸城は新政府側の手に落ちているはず。

何故このような構図が描かれたのでしょうか?

 

ここには、将軍のお膝元として幕府の味方をしたい、という江戸庶民の心のうちが投影されていると言われています。

他にも、幕府軍の主力となった会津藩や庄内藩を勇ましく描くなど、類似する風刺画は多数あります。

 

一方で、幕府軍が大負けしている錦絵も出版されています(「毛理嶋山官軍大勝利之図」パネル展示)。

これは江戸でなく上方で描かれたと思われます。描く立場によって内容もさまざま、ということです。

 

「サイレント・マジョリティ」ということばがあります。
「物言わぬ多数派」という意味で、民主主義社会で積極的に発言しない大多数の人々を指し、政治上無視できない存在とされています。

江戸時代は民主主義の世ではありませんが、政治に介入しない民衆の声が、こうした錦絵にはあふれているように思えてなりません。

 

庶民の目でみた「もうひとつの幕末」。ぜひ、色鮮やかな錦絵とともにお楽しみください。

 

先週から報道されています通り、龍馬の新史料が見つかり、

当館に寄託されることになりました。

18日から6月1日(日)までの期間、特別展示を行う予定です。

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↑NHKの収録の様子

事の発端は、NHKからの一本の電話でした。

「龍馬の手紙かどうか見てほしい」ということでしたが、そのような依頼を受けて

見てみても偽物がほとんどなので、最初はみな半信半疑でした。

ですが、これが龍馬直筆のものと確認され、まだ世に知られない

未出の史料ということが分かり、さらに街頭でインタビューした方が

偶然持っていたということで、驚きは数倍になりました。

 

歴史にたずさわる立場にあって、龍馬のような有名人の手紙で、

全く世に知られないものがまだあったことには、本当に驚きを禁じ得ません。

同時に、この手紙が龍馬の手を離れてから147年間、ひとりぼっちで長い旅をしてきて、

最終的に龍馬のふるさと・高知に帰ってきてくれたことがとても嬉しいです。

土佐弁で言うと「ようもんた!」(よく帰ってきてくれた!)ということになりますが、

心から「おかえりなさい」の言葉をかけてあげたいと思います。

 

この手紙が無事に高知に帰ってこれたのは、147年間、いろいろな人が

この手紙を「龍馬の手紙」として大切に守ってきてくれたからでもあります。

寄託を決めてくださった現所蔵者の秦さんをはじめ、

これまでこの手紙に関わってこられた全ての方にお礼申し上げます。

 

ともあれ、18日以降GW中もずっと、この手紙は展示しております。

たくさんのお客さまのご来館をお待ちしています。

 

 

午前8時50分―。

開館前の館内は薄暗く、職員たちがあわただしく始業準備をしています。

エントランスの自動ドアは閉まっていますが、ガラスの向こうに小さな影が・・・

 

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近寄ってみましょう。

 

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ネコでした。

彼らは、先祖代々記念館周辺に住んでいるネコです。

毎日シェイクハンド龍馬像を眺めて暮らしているうちに、

大の龍馬好きになったのでしょうか?

今日こそは龍馬記念館を見学しようと、開館待ちのご様子です。

 

もちろん、どんなに龍馬好きでもネコのお客さまにはお入りいただけません。

(ペットを連れてのご入館につきましてもご遠慮いただいております。

ケージを準備していただき受付でお預かりするようになります。)

人間のお客さまは、龍馬好きでもそうでなくても大歓迎です。

 

春休み中、ご家族おそろいでのご来館をお待ちしております。

 

春の便り

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記念館へ登る坂道の途中、早くも桜の花が咲いています。

今年の高知の桜開花予想は3月18日。高知城にその基準となる標本木があります。

桂浜は市内より南、海に面していますから、開花も少し早めです。

日本中で最も早くソメイヨシノが咲き始める高知。

桜と龍馬に会いに、桂浜へお越しください。

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嘉助の覚悟

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今年度最後の企画展「天誅組の変150年展」が始まりました。

 

今回展示できなかった史料で、どうしてもご紹介したいものが1点あります。
天誅組に参加し、捕らえられ刑死した安岡嘉助に関するものです。

 

嘉助は文久2年4月、大石団蔵・那須信吾とともに参政の吉田東洋を暗殺し、逃亡して京坂方面に潜伏します。翌年、嘉助と那須信吾は天誅組に加わりますが、この史料は大和に出発する直前の嘉助に会った兄・覚之助が、その様子を土佐にいる父・文助に知らせた手紙です。

 

覚之助は、何事かを起こそうとしている動きがあることを知り、それに加わろうとしている弟に、どのようなもくろみか知らないが成功は難しいといさめます。
嘉助はこのように答えます(あえて原文を引用します)。

 

「早や衆に盟し候ことニテ、いまさら論弁致し候ひテも武士の意地も立ちかね、且、彼等すでニ死すべき処ヲ[虫損]久しく潜伏、よほど鬱屈の趣きニつき、たとひ賊名ヲ取り候とも、もはや約したる事なれば是非もなし。」『中岡慎太郎全集』P365

(皆に約束したことだから、いまさら議論するのは武士の意地が立たない。彼らも既に死すべきところを潜伏し、鬱屈しているので、たとえ賊名を着せられても加わるつもりだ。もはや約束したことだから仕方ない。)

 

嘉助の決意を知り、覚之助も「こうなれば死に所を得させたい。苦心して説得したけれど、これ以上は無益だ。どうか嘉助のことはあきらめてくれ」と、父に書き送っています。

 

この史料を読んで驚いたのは、嘉助は勝算が低いと知りながら天誅組に参加したということです。「是非もなし」という表現に、嘉助の心情がよく表れています。おそらく藩の重役を暗殺して逃げたときから、嘉助は自分自身の命を長らえない覚悟をしていたのでしょう。それを理解して見送った兄・覚之助の心情は、どのようなものだったでしょうか。

 

手紙の続く部分では、二人が打って変わって笑いを交えながら酒を酌み交わし、嘉助が辞世の歌を詠んだと書かれています。この辞世は『維新土佐勤王史』掲載の嘉助の辞世とは異なる歌です。

なげかじな長き別れの今日とてももと大君の御為なりせば

 

残念ながらこの史料は現在行方不明とのことで、展示品のなかにはありません。今はここでご紹介するのみですが、いつかどこかで原史料に出会えるのを期待しています。

 

吉田東洋を暗殺した三人のうち、ひとり天誅組に参加しなかった大石団蔵は、のちに薩摩藩士の養子となります。その後留学生としてイギリスに渡り、数学や機関学など最新の学問を身につけて帰国、教師となって明治の世を生きました。

団蔵の数奇な人生についても、いずれご紹介したいと思います。

 


秋の新しい企画展「古き良き江戸時代-外国人から見た日本」展が始まりました。


幕末の開国以後、日本を訪れ、また滞在する欧米人が急増しました。
軍人、外交官、通訳、教師など、身分はさまざまですが、
彼らの多くが日本で見聞した内容をまとめた「日本レポート」を残しています。


「他国民の物質的進歩の成果を学びとろうとする彼らの好奇心と、
それらをすぐに自分たちの用途に適用させようとする進取性をもってすれば、
彼らを他国との交通から隔離している政府の方針がゆるめられれば、
日本の技術は、すぐに世界の最も恵まれたる国々と並ぶ水準にまで達するだろう。
文明世界の今日までの蓄積をひとたび手にすれば、日本人は、
強力な競争者として、将来の機械的技術の成功を目指す競争に仲間入りするだろう。」
                              (『ペリー提督日本遠征記』)


黒船で日本にやってきて開国を迫ったペリーは、「未開の国」である日本が、
将来は「強力な競争者」になるとの見通しを語っています。
明治以降、欧米の科学技術を貪欲に学び取り、
アジアでいち早く「文明国」の仲間入りをした日本。
ペリーの予見は現実のものとなりました。


「日本を開国して外国の影響を受けさせることが、
果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であろうかどうか、
疑わしくなる。私は、質素と正直の黄金時代を、
いずれの他の国におけるよりも、より多く日本において見出す。」
                     (ハリス『日本滞在記』)


アメリカの初代駐日総領事となったハリスは、
同じくこの「未開の国」の人々の「幸福」が、
海外の影響を受けることで損なわれるのではないかと危惧します。
ハリスが目にした日本人(とりわけ庶民)は、
みな貧しいにもかかわらず幸福そうに見える、というのです。


今回の展示で多くのヒントを得たのが、
渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社)です。
発刊以来高く評価されている書籍ですが、その理由は、
膨大な数にのぼる外国人の「日本レポート」を渉猟し、
また日本人による書物も参照しながら、
幕末から明治にいたる"失われた日本"のすがたを
客観的に描き出している点にあります。
是非一読をお勧めしたい書籍です。


また、展示を構成するにあたり、次のような外国人レポートも参考にしました。
展示でお伝えできる情報には限りがありますので、
上記の書籍と併せて、興味を持たれた方には
直接お読みいただきたいと思います。


マシュー・C・ペリー『ペリー提督日本遠征記』
タウンゼント・ハリス『日本滞在記』
ラザフォード・オールコック『大君の都』
ローレンス・オリファント『エルギン卿中国及び日本使節録』
イザベラ・バード『日本奥地紀行』
アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』
エドワード・モース『日本その日その日』 など


外国人が見た日本は、すべてが美しく喜ばしいもの
ばかりだったわけではありません。
例えばお歯黒や男女混浴など、外国人の慣習や倫理観からすると、
困惑するようなものもありました。
また、クリスチャンである多くの欧米人からすると、
日本人は宗教に寛容すぎる、あるいは関心が薄いように映ったようです。


生活が便利になり、貧しさもなくなったかに見える現代日本。
ですが「幸せ」かと尋ねられるとどうでしょうか?


幕末維新期の日本も、現代日本と同じで
決して良い面ばかりではありません。
生活は今より貧しく不便だったかもしれませんが、
今の私たちと比べて不幸だと言い切れるでしょうか?


今回の企画展は、当館ではこれまでにない試みです。
展示室も、大量の文字パネルと絵画パネル、
そして数冊の原書が並ぶという、これまでにない光景になっています。


ぜひ展示をご覧いただき、また関連書籍を読んでいただき、
ほんとうの豊かさとは何かを考えるきっかけを得ていただければ幸いです。



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               『ペリー提督日本遠征記』より
中央にいる画家ハイネが写生をしているのを、大人も子供も珍しそうに取り囲んでいます。
追い払おうとしている役人も、どこかのんびりした様子。

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   オールコック『大君の都』より
    “サイオナラ”(さようなら)

 

 

 昨日(10月5日)、記念館八策の広場にて、小栗流棒術の流れをくむ伝統芸能「山北棒踊り」が、保存会の皆さんによって披露されました。

 

 現在開催中の「土佐の武術」展では、龍馬が土佐で学んだ「小栗流」を大きく取り上げています。龍馬といえば江戸で北辰一刀流を学んだことが知られていますが、土佐にいた頃は小栗流という流派を修めていました。小栗流は剣以外にも棒や水練などさまざまな武術を伝え、特に和(柔)術が強いことで知られていました。龍馬は14歳で小栗流に入門し、最終的に脱藩前年の文久元年(1861)、27歳のときに「小栗流和(やわら)兵法三箇条」を授けられています。

 

 一方、山北棒踊りは正徳2年(1712)、土佐藩の重職にあった山内規重(のりしげ)が山北村(現香南市香我美町山北)に蟄居したおり、主君規重の無聊を慰めるため、家臣が小栗流の棒術を土地の若者に教え、規重の前で披露したのが発祥とされています。規重はのちに蟄居を解かれますが、このとき山北で生まれた規重の嫡男は、のちに土佐藩8代藩主山内豊敷(とよのぶ)となりました。山北棒踊りはこのような経緯から、土佐藩主山内家とも、龍馬が修めた小栗流とも、浅からぬ縁を持っています。

 

 棒踊りは、青年が10人ずつ2組に分かれ、地唄に合わせ、騎馬戦のように陣を組んで棒を打つ「本棒」から始まります。地唄の歌詞には「玉と砕けし坂本龍馬、桂浜辺に花と咲く」という箇所があり、聞いていた私たちは、この伝統芸能が龍馬記念館で披露されることへの感慨を深くしました。

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 続いて、2人一組で棒を打ち合う「小棒」が披露されます。「ひし」や「つき」、「花」などの技を、青年たちは棒が折れはしないかという勢いで、本気で打ち合います。日頃の練習の成果を発揮され、見事な技を披露されました。

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 最後に披露されたのは「車返し」という技です。2人一組で組み合い、お互いのたすきを交代に持ち上げてクルクルと車のように回ります。小栗流和術の流れを伝えると言われる技で、水たまりや固い地面という悪条件にもかかわらず、披露していただくことができました。

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  当日は雨が降ったり止んだりのあいにくの天気でしたが、青年たちの大きなかけ声や、力いっぱいぶつけ合う甲高い棒の音は、台風接近の影響で下の浜から地鳴りのように響いてくる波の音をかき消すほどの迫力でした。

 

 山北棒踊りは、昨年で発祥から300年を数え、高知県の無形民俗文化財にも指定されています。本来は、地元のお宮である浅上王子宮の秋季大祭(毎年11月18日)において奉納される神事です。お宮で行われる奉納の棒は、神事ならではの緊張感と迫力に満ちた素晴らしいものです。また、「酔うたんぼ」(土佐弁でいう「酔っぱらい」)という、ユーモラスな余興も披露されますので、お近くの方は是非、山北棒踊りを地元山北でご覧ください。

 

 最後になりましたが、雨の中素晴らしい技を披露いただきました山北棒踊り保存会の皆さまに、厚くお礼申し上げます。

 

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 「土佐の武術」展 10月25日(金)まで
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龍馬がいた...

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高知市北部に住んでいる私は、毎日市内を南北に縦断して桂浜に通っています。
電車通り近くの細い路地は、大通りを避ける車で朝夕には混雑します。
その路地で、渋滞の車列に連なって信号待ちをしていたある日の夕方。
ふと側の電柱に目をやると...

龍馬?

りょうま??

と思っているうちに信号が変わり、やむなく車を発進させました。

それ以来、同じ場所を通るたびに(毎回停車するわけでないので)素早く確認するのですが、電柱にいるのはやっぱり龍馬のようです。
写真を撮ろうにも、うまい具合に車が電柱の近くに停まらないと撮れません。

ある朝、ついにチャンスがやって来ました。
素早くカメラを取り出して、信号が変わる前に激写!

それがこの写真です↓
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型をあててスプレー塗料を吹き付けたようですね。
型をわざわざ作ったのか(売っているのか?)どうか...
少々塗料が垂れていますが、誰が見ても「龍馬」とわかるところに感心してしまいました。

この「龍馬」、四国銀行木屋橋支店西側の道路脇にいます。
会いたいという方、ぜひ訪ねてみてください。

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