「旅」を一言で言い表すのは難しい。観光を目的とした旅、思い出を巡る旅、気持ちをリフレッシュさせるための旅、自分を見つめ直す旅、修行の旅…。旅の表情は色々ある。
龍馬も多くの旅をしている。特に、京都での死を迎えるまでのわずか5年間の間に福井、京都、下関、熊本、長崎…西へ東へ北へ南へ、新しい日本を夢見て命懸けの旅を続けた。
人間以外の生き物も旅をする。しかしそれは生きるための旅。寒い場所から暖かい場所へ、食べ物の少ない場所から豊かな場所へ、子育てをするのに適した場所へ。
彼らは旅をしなければ生きてはゆけない。
だが、人間は旅をせずとも生きてはいける。
でも、旅することで生きる勇気や元気のエネルギーを得る。

これは、私の推測でしかないのだが、太古の昔に生きていた私達の祖先の記憶がそうさせるのではないだろうかと思う。身体の中に刻み込まれたDNAが騒ぎ出すのかも。最近、日米英の国際研究チームが人間の祖先が「ホヤ」よりも、ヒトなど脊椎動物の祖先「ナメクジウオ」に近いと突き止めたという記事を見た。「ナメクジウオ」は実にヒトと遺伝子の6割が共通しているという。
つまり、何億年経った今でも人間も、そして人間以外の生き物、いずれも生き物としての原点は変わらないといえるのではないか。結局、生きるために旅をし続ける“運命”なのかもしれない。
旅する理由は変わろうともである。そう、龍馬は時代を超えてまだ「旅」している。

風になった龍馬

 6月は一年で館が一番静かな時期である。
梅雨の真っただ中。
駐車場に停車している車の下で、野良猫が雨宿り。
時は静かにけだるく流れていく。
 2階フロアに上がってみる。
「近江屋」のセットが妙にシンと鎮まっている。
若い学生風、女性の二人ずれが無言で部屋を見つめていた。
頭の中にそれぞれの龍馬と慎太郎がいるに違いない。
ひとりが、ゴックンとつばを飲み込んだのが分かった。
それを合図に、二人はふわりとその場を離れた。

 気が付いた。
館内に音楽が流れている。
緩やかに、緩やかに、疲れをとかすように。
「出会いの達人・龍馬」展に合わせて2階で開催中の「もう一つの展覧会」展。
歴史資料の中に、現代作家の作品が架かっている。
絵画、書道、俳画そして音楽も。
そう、流れているのは、
シンセサイザー奏者、西村直記さんの「風になった龍馬」だ。
西村さんは、この展覧会に龍馬をイメージして10曲を用意した。
それが、エンドレスで回る。龍馬の世界である。

 さっきの二人づれが、並んで“龍馬の見た海”を眺めていた。
曲は「龍馬フォーエバー」に変わった。

身近なヒーロー

「お久しぶりです。昨年結婚して、今日はヨメさんと一緒に来てみました。…」
「お久しぶりですね…。7年ぶりになりますか…。…」
「龍馬さん、久しぶり!…」
これらはすべて、「拝啓龍馬殿」に寄せられたメッセージの一文。

ときに、“英雄”とまで称される龍馬。
“英雄”と言えば、ナポレオン。
だけどナポレオンに、「ナポレオン、久しぶり!」と語りかけたり、
「結婚しました。」と報告する人はいないのではないだろうか…。

龍馬の最大の魅力、それは“身近に感じられる”というところだ。
そこが、他の“英雄”と呼ばれる人たちと違っている。

土佐の郷士の次男に生まれた龍馬は、特に恵まれた環境にいたわけでもない。
でもほんのちょっとだけ大きな夢を持っていて、
様々な人たちとの出会いの中で、色んな知恵・考え方を吸収して行動した結果、
日本の歴史を動かすことにつながった。

特別ではなく、龍馬より年下の人にとっても、年上の人にとっても、頼れる・憧れのお兄さん、
それが、世界で唯一の“身近なヒーロー”坂本龍馬なのだ。

独り言XⅢ

 今、開催中の「出会いの達人・龍馬」展にアクセントをつけるねらいで、館の2階スペースを使って「もう一つの展覧会」展というのを始めた。展覧会に重ねての展覧会だ。これは以前、館のギャラリーで企画展をお願いしたアーティストの先生方に“出会い“をテーマに新たに作品を制作して頂き、その作品を常設展示空間に置こうという試みである。
 各先生方のメッセージパネルを作るために、制作現場をのぞかせていただき、写真を撮った。書の先生宅では部屋に入るなり、すりだちの墨の香りに足が止まった。精神的にとても落ち着く筋の通った芳香であった。そこから生まれた作品は、非常に勢いよく大胆で、男性的に思えた。次は洋画の先生のアトリエ。油と絵の具の匂いがプーンとして、自由に動く筆のタッチに懐かしさを覚えた。

 作曲をお願いしてあった先生からは“風になった龍馬”というタイトルの楽譜が届いた。ト長調のメロディーだけがModeratoでと記されている。早速ピアノで弾いてみた。生まれたての音符たちから聞こえてくる主旋律は、優しく、柔らかく頬を爽やかに撫でてゆく風のような龍馬だった。

 作家の制作現場を拝見出来るというのは、特別な空間の貴重なエネルギーを感じ取れる、私にとってはわくわくさせられる場所で、かつて舞台装置を制作した時と同じ感情である。そのエネルギーの集結が一枚のパネルになる。龍馬が引き合わせたアーティストの面々、皆さんそれぞれになんとも魅力的なお顔をされていると思うのです。会場でお楽しみください。

出会わせの達人・龍馬

現在「出会いの達人龍馬展」を開催しています。
龍馬はその時々にぴったりの人物と出会い、話を聞き、その考えを取り入れて、
新しい時代を創った男と言われるまでの活躍をすることができた。
これは龍馬の人柄もあるが、生まれ持った才能のような気がする。

そんな龍馬には、人を人に“出会わせる”才能もあるようで、
龍馬と出会って5年、私にも龍馬が縁となってたくさんの出会いがあった。

龍馬記念館をとりまく人達との出会い。
龍馬を尊敬する熱い人達との出会い。
記念館のお客さんとの一期一会の素敵な出会いもあった。

今年の11月、「拝啓龍馬殿」の書籍化の中で連絡を取らせていただいた方に
高知にお集まりいただいて、“同窓会”をおこなうことになった。
日本各地の、年代も性別も違う方達が、“龍馬”が縁で集まる。
みんなで龍馬の話をしながらお酒を飲んで盛り上がっているところに、
ちゃっかり龍馬も加わって、ニコニコしながらお酒を飲んでいる姿が目に浮かぶ。

迷惑なカラスの遊び

 記念館が建っている浦戸城跡には、たくさんのカラスが住み着いている。そのカラスたちが、最近妙な行動をしており、困っている。
 館の屋上や事務室、スロープの屋根などに小石を落とすのだ。仕事をしていると、突然「ガーン」と頭の上で大きな音が響き渡る。最初は何が起こったのか分からず、事務室を飛び出して屋根を見渡した。すると、屋根の上には一羽のカラスがおり、小石をもてあそんでいた。さらにその上の屋上にもう一羽。こいつらが犯人か、と目星はついた。次の日、館の上に落とされた小石を拾い集めてみると、直径3~5cmのものが7・8個あった。館の周りにもそれらしき不自然な小石が落ちているので、一日で10個以上落としていることになる。
 なぜ急にこんな行動を始めたのだろう?来館者の頭や駐車場の車に傷を付ける恐れがあり、大変危なく感じている。最近、館の南にあるカラスの遊び場だった旧ホテルが撤去されつつあり、それに対する抗議行動か、という憶測も生まれた。
 しかし、今日カラスの行動の謎が解けた。警備員のKさんが偶然にも決定的瞬間を目撃したのだ!何とクチバシにくわえていた小石を空中で落とし、それが地面に達するまでにまた自分でキャッチする、という遊びを行っていたらしい。Kさんが目撃した時は、2回までは成功したが、3回目は失敗して落としてしまったらしい。もう少し人に迷惑の掛からない遊びを開発してほしいものだ。木の枝か葉っぱ程度の物に変えてもらえないだろうか。
 この遊び、いつまで続けるつもりだろうか?被害が出る前に止めて欲しい。その内、上達して絶対落とさない程の腕前になるのだろうか?

お龍サン

 一枚の写真が、日本国中を話題の風に巻き込んだ。
坂本龍馬の妻「お龍」の写真である。
小粋な芸者さんスタイルで、これは誰が見ても美人サンだ。
ただし、この写真が「お龍」かどうかについては両論あって対立している。
確かに「お龍」晩年の写真は確認されている。
しかし、その写真と若いこの芸者姿の写真が、同一人物かどうか。
歴史背景、伝言などが根拠になって、声高なのは、否定派である。
 館では、昨年「幕末写真館」展という企画展を開催した。
龍馬や志士たちの古写真を和紙に伸ばして幕末を演出した。
その中にくだんの「お龍」の写真を入れた。
もちろん、「お龍と思われる」のコメントつきである。
一方、二枚の写真を、科学警察研究所に送り鑑定をお願いした。
なんと、4ヶ月を経て科警研から鑑定書が届いたのである。
顔の形、造作から、科学的に鑑定したものである。
結果、「この2枚の写真を別人と判断できる理由はない」。
つまり、同一人物との可能性が高いとの判断といっていいだろう。
 なにせ今度は科学的判定なのである。
“論争”はどう動くか。
「龍馬の嫁さんはやっぱり美人サンだった!」。
2枚の写真を「同一人物と見る」支持派が、勢いを取り戻すだろう。
しかし、一番喜び、胸をなでおろしているのは天国の「龍馬」。
あれ!側に“お龍サン”の姿も。

【写真鑑定-坂本龍馬の妻、お龍】のページへ

龍馬ハ生キテイル

吹き抜ける風の如く“大型連休”が往った。
 「帰省ラッシュ」、やれ「Uターンラッシュ」。そんな言葉が耳元をかすめた。
かすめたと思ったら“祭り”の後を、洗い流しの一雨が来て、
今日の“龍馬の見た海”は、水平線しんなり、すっきり。
早、夏の匂いを運んで来る。

 現在、館の表看板は「出会いの達人・龍馬」展-友情編-である。
人生、出会いの大切さはいうでもないが、昨今の殺伐世相がその思いを増幅させる。
弱者の命が、たわいなく奪われていく。
連鎖反応を起こしたかのように、日本国中が殺人現場。
お金に眼がくらむ。一方、理由はないというのが不気味ではないか。
もっと、怖いと思うのは、そんなニュースのすぐ隣チャンネルで、お笑い番組が同時進行中なのである。“現代は幕末よりもっと病んでいる”などと少々憂鬱になっていた。

 と、そこへ一枚の額が届いた。書道家、沢田明子さんからの作品である。6月から、出会いの達人展に歩調を合わせて企画している「もう一つの展覧会」展、少し説明すると、過去、館の「海の見える・ぎゃらりい」で展覧会経験のある先生方に、今度は“出会いと龍馬”をイメージしてそれぞれ制作して頂き、作品を古い資料などのスペースに展示しようというもの。もちこまれたのはその展示用と言うわけ。 早速、見せてもらった。額の台紙は英字新聞。そして赤い紙にあっさり
 「龍馬ハ生キテイル 33才ノママデ」。
引き込まれるような波動が伝わってきた。気分まで晴れてきた。

今あるもの

地方に住んでいる私は将来都会に住でみたいという願望があった。そのせいか、仕事以外で都会から地方へ移り住む人の気持ちは正直少し理解できなかった。しかし最近、自分にとって納得のいかない環境でも、見方の側面を変えて見つめ直してみると、『そこにしかない幸せ』が存在するかもしれないと思うようになった。現在、自分の興味を誘うものだけを見つめて、退屈だと感じるのはあまりにも惜しいと。
そんなことを考えていると、あるドラマのセリフを思い出す。「目の前のことに一生懸命になれないやつに将来を語ってほしくない」。目の前のことを悲観的にとらえて正面から向き合おうとしなければ、今あるものの大切さや尊さを感じる事はできない。今あるものが大切だと感じた時、語ることのできる理想の将来がそこにはあるのではないかということだろう。
とはいえ、目の前のことに一生懸命になることは、なかなか難しい。日々同じことのくり返しで毎日が同じように過ぎていく中、一日一日をどれだけ一生懸命過ごせるか、自分を見失わず今あるものを大事にしていけるのか。
自分自身との闘いである。

大型連休

 さあ、連休のスタートである。春から夏へ季節は動く。館の前にあるクスノキはもくもくと新緑を噴き上げている。坂道を登って来られる入館者の皆さんの額に汗が光る。水平線は春霞の中にある。しかし、海は青い。青くかすんでいる。漁船が白く航跡を曳いてその霞の奥に消えていく。

 館内にも浮き立つような気分が満ちてきた。展示資料自体が居ずまいを正しているように見える。「よーく見てくれ」、と胸張って正座しているものもあれば、つんと澄ましているものも。龍馬が乙女姉さんに書いた手紙なんかは、「内々に」などと言いながら実は読んでもらうのを待っているかのごとくオープンである。朝、館内をひと回りするとそんな空気にやる気を刺激される。

 折から館の企画展は「出会いの達人・龍馬」展。人と人の出会いが社会を創る。それが平和の原点だと龍馬の生き様に感じるわけである。前期は「友情編」、後期は「恩師編」となっている。
 あだ名で呼び合う“先輩”武市半平太。身分を越えた“友人”小松帯刀。頼りがいある“友人”西郷隆盛。尊重、信頼し合う“友人”桂小五郎。いわずもがなの“友人”高杉晋作。ずばり“戦友”中岡慎太郎…まさに、出会いが人を“創る”のである。
 連休期間中、館は例年多くの人でにぎわう。龍馬を通せば皆さん知り合い。県下では「花・人・土佐であい博」も開催中。出会いを満喫しようではありませんか。

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