独り言Ⅳ

 ある番組で飛び出す絵本の珍しいものを紹介していた。
 1つ目は“不思議の国のアリス”だ。1ページ1ページ、ページをめっくた瞬間に、アリスと背景が、勢いよくポップに平面から現れる。まさにワンダーランド!
 2つ目は東京写真美術館に収蔵されている約160年前のもの。大英博覧会の様子を描いた10枚のイラストがじゃばらに折りたたまれており、それを広げて手前の丸い穴から覗いて見るとそこはもう博覧会!思わず心が踊ってしまう。160年前と言えば龍馬も生きた時代である。
 3つ目は絵本を開いても何も飛び出さない。そのまま見ても良くわからない。この絵本を見るためには装具を通して見るのである。目に付けて絵本を再び眺めると、そこには3次元が動いている。絵本のタイトルははっきりと覚えていないけれど、まさに仮想空間の世界である。

 3種類の絵本にはそれぞれの時代性と特徴が顕著に表れていると思う。私たちのまわりにも、生まれては無くなりもてはやされては忘れ去られるものが数限りなくある。街の風景でさえも2~3年サイクルでどんどん変化して行く。昨日まで見かけた街の店舗や建築物が、ある日突然消えて無くなっている。すでに新しい建物が建っていようものなら以前何がそこにあったかさえも思い出せない。

 瞬間瞬間が過去になって行く私たちの日常生活の中で、人々の心に本当に残るものとはいったいどんなものなのであろう?すぐに消えて無くなるのではなく、時代を超えて現代から未来へ残るもの。少なくとも私はそういったものを探求したい。

 「・・・天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。
  ・・・時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた。」
 司馬遼太郎氏『竜馬がゆく』の最後の言葉である。

龍馬とショウブ

 龍馬についていろいろな質問を受ける。歴史的なことだけではない。
 「龍馬の好きな食べ物は?」「龍馬は水虫だったそうですが・・・?」「龍馬の好きな○○は・・・?」エトセトラ。
 近頃「龍馬と結びつく花って何ですか?」という質問を続けて受けた。
 「才谷梅太郎というくらいだから梅でしょうか。命がけでいろは丸事件に臨むとき、三吉真蔵に宛てた遺言状にも梅の朱印があるし・・・」「菊というのも歌に出てきますね」くらいで答えを濁していた。
 宮地佐一郎先生の「龍馬の手紙」(講談社学術文庫)をめくっているとき「先便差出し申候しよふ婦(菖蒲)は皆々あり付申候よし、夫々に物も付申候よし」という文に再会した。24歳、2度目の江戸剣術修行中に書いた手紙。坂本家ゆかりの北海道樺戸郡浦臼町の郷土資料館が所蔵しているものだ。
 若い龍馬は、有名な江戸の堀切の菖蒲を土佐の乙女に送ったらしい。それが実家で根付いたかどうか聞いている。
 先日、宮地先生の奥様真喜子さんが来館されて、たまたまその菖蒲の話になった。当初、宮地先生は「しよふ婦」を「娼婦」と訳されたらしい。色っぽい話だが、少々つじつまが合わない。そこで真喜子さん「それは菖蒲のことじゃないですか」。土佐に根付いた江戸の菖蒲。龍馬の粋。真喜子さんを囲んで楽しい花談義だった。
 今、梅雨空の下で菖蒲の色が美しい。

沢田明子の世界

“海の見える・ぎゃらりい”で書家・沢田明子による「龍馬と沢田明子展」を始めた。
先生が龍馬記念館ように選んだ21点。
ぴたりと収まって、さすがの世界が広がる。
ギャラリー入り口に「飛騰龍馬之国」の筆がライトアップされて躍った。
赤い紙に、黒々と。
 何かわくわくさせる空間の存在を予告する。
真っ直ぐな目線の先にはガラス越しに太平洋。龍馬の見た海。
水平線が天と海を二分する。
その時点では先生の作品群は目の中に入らないが
“龍馬之国”に入った途端、包み込んでくる気配がある。
一瞬、目は釘付けだ。
 大作、横一本の「一」。これも赤い紙に黒字で「一」。
面白いのは「一」の字が紙の半分から始まってはみ出ている。
起点はわかるが、終点はない。
どこまでも果てしなく続いていく線のイメージ。
「永遠の一」。無限を意味しているのだろう。
「日曜市」「桂浜」「りっしんべん」「鮎の宿」「海幸彦山幸彦」見慣れた書道展の雰囲気ではない。
「直線と余白美、これが私の作品のすべてと言ってもいいでしょう」。言葉に力を込めた。
が、「書も絵も俳句も一緒よね、みな同じ、お料理も・・・」笑顔が素敵なおばあさんになった。
粋なおばあさんである。

独り言Ⅲ

 先日、当記念館の英語パンフレットをリニュアルするにあたり県の国際交流員の方にご協力頂いた。その方の流麗な日本語にはとにかく脱帽した。また同時に微妙で婉曲的な日本語の表現の美しさを再認識した機会でもあった。日本語の奥底にあるニュアンスをダイレクトな表現が多い英語に訳すのはやはり難しい。けれどもそのニュアンスをきちっと相手の方に理解していただけるように説明出来れば、的確な英語の表現を提案して下さる。

 昨今、若者の間で使われている言葉を耳にしても、私なんかすぐにはピンと来ない。若者に限らず巷で話されている言葉にもへんてこりんな日本語がたくさんある。言葉は生き物であり、時代は変遷して行くものなのでそれがいいとか悪いということでは勿論ないけれど・・・。

 携帯電話もほとんどの人達が所有するようになった。受信者の人々が周りを気にせずどこでも話しをしている光景も珍しくなくなった。館の中だと更にその声は響き渡る。何かの事件で「携帯電話を持っていなかったのでその人が印象に残った。」と証言していたのを聞いたことがある。今や携帯電話を持っていない人は好奇に見られる時代なのである。公衆電話が無くなるのも時間の問題だ。

 日々一刻一刻と前進して行く世の中、日本の良さとかつての日本人の心の在り方が刻々と失われてしまっている気がする。日本は何処へ行くのだろう・・・?

龍馬と直談判

 世の中一体どうなっているのか?怖くなってくる。
“不可解不安雲”が日本をいや地球をすっぽり覆っている。
 母親の頭部を切断して持ち歩く少年がいた。
運動も勉強能力も優れていたという。
だとすれば勉強、スポーツそれ以前の謎。
背後を無理やり覗くと
闇よりももっと暗い漆黒の空間がパクパク口をあけている。
 知り合いの少女をリンチして、小指をはねた。
その小指を「カレーなべに投げ込んだ」と容疑者の一人が嘯いたと報道は伝える。「なにっ!」。言葉がない。
 火災でよく人が死ぬ。
心中、殺人、不可解なり。
 セクハラ農協職員、エッチな警察官、教師・・・なんかは数え上げるときりがない。
 原因は考えなくてもおよその見当がつく。拝金主義の蔓延である。
そこを起源に生じる各種ストレス。
それが嵐のごとく吹き荒れている。髪の毛は逆立つ。

 館に先日、こんなことを書き残して行かれた方がおられる。
「どうしても、なんとしても・・・」これが題。少し紹介すると
 -今日の悪政と経済悪と社会悪の流れを正したい。
その為に福島県から 坂本龍馬さんと直談判をするためにやってきました。(中略)「坂本」さんならばこの悪政、経済悪、社会悪をどのように正しますか?(中略)私は真に人の「命と暮らし」を大切にする為の政治を実現することこそ大切であり必要と考えるのですが・・・。
 同感、同感。その通りだと思わず膝を打つ。

北の大地・坂本直行(19) 直行展その後Ⅲ

 明治31年(1898)家族とともに北海道に渡った直寛は、北見に行かず道央の浦臼町に入植し、キリスト教布教活動に専心した。代わりに、高知出身の前田駒次が北光社の経営や稲作普及に努め、今、駒次の顕彰碑がある場所は「こうち広場」と呼ばれている。
 高知からは最果てほど離れた土地でこうして高知が生きている。そのことに、私は奇妙な感動を覚えた。
 ところで、浦臼(うらうす)と聞いてもピンとこない方がいるかもしれない。札幌と旭川(旭山動物園が人気)の中間ほどにある町だ。ここには坂本家の資料館もあって、直寛らの顕彰をしているようだ。私はまだ行ったことはないが、いつか行く機会もあるのではないかと思っている。
 私はこの1年半、坂本直行という人を道標にして広大な北海道を点でつないできた。いつの間にか、小さな点だったものが、くっきりとした線につながってきたように思う。直行展は終わったが、直行さんを通じた出会いはこれからも広がっていくのではないか。そう信じる。

 閑話休題。
 先日、縁者の方に一枚の写真をいただいた。本などでも紹介されている明治31年に直寛らが渡道する前に高知で撮った坂本家の集合写真。
 印画紙に焼き付けられたものを見ると、当時が鮮やかに見えてくる。龍馬もそうだが、坂本家の人々は写真好きであるようだ。龍馬がよくからかっていた姪の春猪もいるし、直寛の姉や兄家族も写っている。直行さんの母・直意はキリッとした少女だ。小さな子どもたちもいて、その子らが成長し当時を語ったことは今も親族に伝わっているのだから、明治はこの間のことのように思えたりする。もしや年老いた龍馬がこの写真の片隅にいてもおかしくはないと思えるほどだ。
 この鮮明な画像を皆様にご覧いただく日も遠くないと思う。
 現在開催中の「来館200万人記念・所蔵品展」。夏に開催する「暗殺140年 坂本龍馬・中岡慎太郎展」。秋からの「樋口真吉展」。年末から始まる「幕末写真館」。
 史実に沿いながら、人間のドラマが見えてくる。かつて生きた人々が、今を生きる私たちへ贈るメッセージが伝わってくる。そんな企画展をこれからも展開して行きたいと思っている。

北の大地・坂本直行(18) 直行展その後Ⅱ

 札幌からようやく花便りが聞こえてきた。高知とは2ヶ月近く気候が違うことになる。ということは道東オホーツク沿岸にある北見市では、まだ桜のつぼみは固いのかもしれない。現在の最高気温はまだ10度前後だという。
 私が北見を訪れた4月半ば、北見では雪が舞っていた。残雪は路面のあちこちにあるし、私はその寒さに思わずコートの襟を合わせていた。
 約束の時間に遅れて北見市教育委員会を訪ねると、社会教育部長の山崎さんはじめ北網圏北見文化センターの方たちが満面の笑みで出迎えてくれた。遅くなったことや初対面の緊張を味わう時間もないほど、心待ちしてくれていたことが伝わってくる笑顔。人の温かさが北の寒さを溶かしてくれた。
 さて、北見市は直行の祖父、坂本直寛らが開拓会社「北光社」をつくり、高知の先人たちが開拓した土地。大雪山系を源流にする常呂(ところ)川が流れる野付牛(のつけうし)村に、高知からの移民団は入植した。
 小雪の舞う常呂川河畔、小さな公園ほどに整備された場所に直寛や北光社の顕彰碑が建っていた。遥かな北の大地。明治から見ると、1年前の町村合併で北海道一の面積になった北見市の発展は信じられないことだと思う。
 春先の寒さでさえ、南から来た私には厳しい北の風土を十分感じさせた。かつて男も女子どももどんな思いでここに来て、どんな毎日を過ごしていたのだろう。安穏とした今の私たちの想像を絶するものであったことは確かだ。
 わずかな滞在中に、「土佐の人たちが北見をつくってくれた」という言葉をそこかしこで聞いた。私への歓迎の言葉だけではなさそうだ。
 囚人たちにさえ過酷以上の土地であったオホーツク海近くの土地で、土佐の人たちは開拓をし続けた。その辛苦、重労働、失望、絶望、そして一筋の希望の上に人々は生き続け、信念を貫いていったのだろう。先人への感謝と畏敬の念が、私の中に沸々と湧き上がるのを感じていた。

北の大地・坂本直行(17) 直行展その後

 話は1ヶ月近く遡る。
 4月初旬、直行さんの作品群は北海道に帰っていった。4ヵ月半に及ぶ、反骨の農民画家「坂本直行」展が終わったからで、私も直行さんの絵や資料とともに北海道に出かけた。
 私の立会うもとで梱包が取り除かれ、坂本家の直行さんのアトリエには絵画が元通りに納まった。「あぁ、これでやっと元の我が家に返ったわ。」と夫人のツルさんは目頭に涙を溜めていた。「淋しかったでしょう。申し訳なかったですね。」という私に、泣き笑いしながら「淋しかったですよ。」と言っておられた。
 毎朝、直行さんの写真の前にお茶を置き、花を飾る部屋に、大好きな日高の風景がない5ヶ月。本当に淋しかったと思う。しかし、夫の絵が祖先の地に里帰りしたことにはいささかの感慨を持っていただいたとも思う。
 そんなこともあって、今回の返却作業の合間を縫って、私は札幌市円山にある坂本家の墓地を訪ねた。直行さんにもひと言お礼を言いたいと思って・・・。
 冬場に墓参りなんてしない。墓は雪の中にあって分からないからという北海道の人の言葉にびっくりしていたが、実際に4月初旬でも、墓地は融けかかった積雪の中にあった。はっきりした場所も知らないまま出かけていたので、雪の中に足を滑らせながらしばらく探し回り、ようやく見つけた坂本家は、直寛の大きな墓石を先頭に静かに佇んでいた。そして私は、『坂本家の人々ここに眠る』という直行さんの墓碑の前で、今回の直行展の報告をすることができた。
 札幌、帯広、広尾と回り、直行さんは北海道に帰って行った。私は返却作業を終えた後、オホーツク海近くの北見市まで足を伸ばしてみた。直行展開催2日目に館に来てくださった北見市の方の熱心な誘いがあったからだ。
 北見は、龍馬の甥で直行の祖父・坂本直寛が開拓会社「北光社」を作り、坂本家をあげて土佐から移住して行った土地。その話は次回にしよう。

"三番コーヒー"

 館に木の香が漂っている。発生源はヒノキのベンチとデスク。
館の中二階に先日、談話室「海窓」が誕生した。ここに、備品としてベンチとデスクが配置された。眼前に開けた、海の景色を満喫してもらおうとの趣向である。もちろん、ただ眺めるのではない。
一杯のコーヒーがあったりもする。
 実は、以前から「休憩場所がない」というのが館の弱点として指摘されていた。「折角いい景色、“龍馬の見た海“が呼んでいるのに」。そんな感想つきである。やっとその思いをかなえることが出来た。スペースはおしゃれな談話室に生まれ変わったのである。
木の香は、鼻孔から脳を通過して、心にまで届く。

 完成した次の日の朝、“一番コーヒー“を決めてやろうと出勤するなり「海窓」へ。出勤は一番乗りだったから、口笛もんだ。自販機用に用意したポケットの小銭をちゃらつかせながら階段を上がった。
見れば水平線。春霞を払ってすっきり一直線。波間にじゃこ漁の小船が揺れている。陽は明るく風は少し。
 “お茶条件”はこれに勝るはなし。なにせ「一番」。
海から、室内に視線を回した。そこであっと驚いた。先客がおいでた。清掃をお願いしているKさんとYさんであった。彼女たちの出勤時間の早さを忘れていた。ブルーの制服がすっかり雰囲気に馴染んでいる。
「館長さんお先に。いいですねえ、ここは。病み付きになりそうです」。
同感、同感。
“三番コーヒー”をじっくり味わった。

独り言Ⅱ

 ストレスの解消法やリフレッシュの仕方は人それぞれ色々な方法があると思う。因みに、私の場合は芸術鑑賞である。アート、音楽、舞台など、とにかく自分で見たいと思ったものを観ることである。そしてその鑑賞したものが本当に良いものであった時、頭のてっぺんから爪先まで体内が浄化され至福の時を過ごした事が、その余韻と伴に心の糧となっていく。

 現代では何事においても選択肢が非常に広がって来ているので本当に良いものを選ぶことの方が難しいかもしれない。けれどもそれを選択し、見極めるのは自分自身である。その目を養うにはとにかく本物をたくさん観る事に尽きると思う。

 先日ある人物が描いている作品を見せてもらった。風景の色が今一つ納得いかないと話していた。そして、ある美術展に赴いた後再度描き始めた作品は、大胆に色合いが変わり、明らかに以前とは異なっていた。
やはり「いいものを観なくてはね。」という話に落ち着いた。

 自分の目を養うには一足飛びには無理だ。ある程度時間をかけて自分の感性を磨く外ない。それは経験にも繋がる事だから。
 作品選びには、マス・メディアの影響も多大だと思う。けれどもそこに書かれていることを鵜呑みにするのではなく、まずは自分の目で鑑賞してみるべきである。書かれていることと全然違った感想を持つことだって勿論あるのだから。

 高知は悲しいかな芸術的要素の選択肢が実に狭い。寂しい限りである。そうなると県外まで足を運んでしまう。そうではなくて,高知に居ながらにしてせめて中央で見られる水準と同じものを鑑賞出来るようになって欲しいと思う。
 幸い、当記念館は県外からの来館者が多い。他に要求するのなら、当記念館も常にレベルアップを図り、自分自身の目を養える記念館の1つでありたいものである。

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