太平洋とトンビ

 私は、2階の南の端に位置する「空白のステージ」から、太平洋の大海原を眺めるのが大好きです。
 ここは、当館の最後の「展示物」といわれる太平洋の生の眺望、龍馬が見た海が楽しめる場所。
 そんな景色の中でも、一番のお気に入りは、どこからともなくやって来て、沖からの浜風に乗って気持ちよさそうに舞うトンビの姿。
  まさに、雄大、美しいの一言です。
  日々のいやなこと、煩わしいことを忘れ、自分自身が鳥になったように思える瞬間、いつまでも見続けていたい絵画のような光景です。
 いつでも見ることができるという訳ではありませんが、皆様にもこの場所で、あるいは、屋外の「八策の広場」で、是非見ていただきたい当館自慢の景色です。
  皆様も、時間がゆっくり流れるこの光景に出会いに、是非、お越しください。
お待ちしています。

今年の8月

今日から8月。水平線に入道雲がもくもく。暑いあつい夏。と言いたいところですが、今年はうっとうしい梅雨があけません。
8月、学校は夏休み。よさこい祭り、花火大会、お盆と行事も多く、帰省される方もあり、お客様の多い月です。それに加えて今年は高速道路1,000円もあります。
遠くからわざわざお越しのお客さまに少しでも快適な環境で観覧してほしいと願います。
が、渋滞は?台風は?空調は?雨漏りは?照明は?熱中症は?新型インフルエンザは?等々、普段に増して心配が多い月でもあります。
また、今年は財務のシステムが10年振りに変更されます。それも今日から。10年慣れ親しんできたのに・・・。いちから覚え直すのは大変なこと。それに加え3日から税務調査が入ることになり、またまた大変。頭の回転も鈍ってきたのです。
早いもので、龍馬記念館に勤務して裏方14回目の夏です。何事もなく一日が終わって当たり前の仕事。お客様と直接お会いする機会もすくないですが、事務所の中に居ながら、それとなく気配でだいたいの入館者数がわかる今日この頃です。

龍馬の手紙から

weblog-090724.jpg龍馬の手紙は読めば読むほど面白いと思う。
臨場感のある書き口と例え話に釘づけになってしまう。
気取らない素直な龍馬の胸中が書かれているからだろうか。
文久三年六月二十九日の姉乙女へ宛てた手紙の中にこんな文章ある。
「・・・なんの浮き世ハ三文五厘よ。ぶんと。へのなる。ほど。やつて見よ。死んだら野べのこつハ白石チチリヤチリチリ。此の事ハ必ず必ず一人でおもい立事のけして相ならず候。一人リでいたりやこそ龍ハはやしぬるやらしれんきにすぐにとりつく。それハそれハおそろしいめを見るぞよ。・・・」
と、この後まだ続くのだが、訳しますと「どうせこの世は三文五厘。(どうってことはないから)ブンとおならをするくらいのつもりでやってご覧。死んだら野ざらしの骨は土に帰る。(お囃し)チチリヤ、チリチリ。このことは必ず必ず一人で思い立ってはいけませんよ。一人でやると龍馬はもう死ぬかも知れんからすぐに取りつくよ。それはそれは恐ろしい目に遭うよ。・・・」となる。
これは姉乙女さんが嫁ぎ先や旦那さんと上手く行かず厭世的な手紙を書き送ってきたためであろうことに対して龍馬が送った手紙である。
この部分を読むだけでも龍馬の乙女さんを想う温かな気持ちがとても伝わってくる。
戦争のこと、世の中のこと、日本のことを考え生きた龍馬。
愛する人を大切に想い生きた龍馬。
ぜひ、多くの方々に手紙から様々な側面を持った龍馬を感じてほしいと思う。
......しかしながら、龍馬もまさか後の未来で自分の書いた手紙がケースに入って展示されているとは思いもしなかっただろう...。

その後

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記念館のホームページがリニューアルされて2カ月以上経ちました。その後の私は、公開された安心感と、元来の飽きっぽくマイペースな性格が重なり、更新やスキルアップへの意欲がかなり夏バテしております。何とかしなければと思いながら、パソコンに向かう今日この頃です。

疾走する鍵盤(独り言17)

 来館者の方によく尋ねられるのが「龍馬は懐に何をもっているの?」という質問である。記念館のパンフレットにもなっている懐に手をいれた龍馬の立像写真。皆様の気になるところだろうが、いくつか説はあるものの本当のところはわからない。
 最近この龍馬の立像写真で、懐から手を出し、ピストルを持っている写真を音楽雑誌でみかけた。スガダイローピアノ・トリオのNewアルバム“「坂本龍馬の拳銃」-須賀大郎短編集-(上)”のCDジャケットだった。想像の世界は大胆だ。坂本龍馬の暗殺をテーマにした表題曲「坂本龍馬の拳銃」。それにしてもどうしてこの表題を選ばれたのかご本人にお伺いしてみたい。
 とにかく早速聴いてみた。導入部から繰り返される、半音階で上っていくようなメロディーラインは、先が見えない何かと時間の勝負をしているような印象を受ける。またリズムと音がピアノの鍵盤から激しく叩き出される中盤から後半部分では、内面の葛藤と爆発を象徴的に感じる。
 坂本龍馬を表現している世界には絵・文字・ストーリ・映像・音など様々なものがある。けれども今回のようなJAZZで表現された作品に遭遇するのは私は初めてで、興味深かった。次はどんなものに出会えるのか楽しみだ。
 関心のある方は、どのような印象を持たれるのだろう?

紙芝居

 この6月から毎週末、土曜日曜日には「紙芝居屋」さんが店開きしています。
 午後2時、記念館2階の「近江屋」前に、今日も小さなお友達が一番前にすわってくれました。

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「龍馬ぁー、おかえり。あら?また、泣いたかね?」
「泣いちゃあせん!」

 キラキラした瞳が、紙芝居に夢中な様子です。そして意外に大人の方も、ふらりと立ち寄って、最後まで楽しんでくださいます。
「楽しかったね」「良かったわ」「龍馬みたいに、みんなと仲良くするよ!」など、お客様からいただくお声は、何より大きな励みになります。
 遠方からご来館のお客様も多く、たとえ10分の紙芝居でも大変貴重なお時間です。
すこやかに潤してくれる龍馬の魅力に出会って帰ってもらえるなら、また紙芝居が、龍馬に親しむお手伝いになれば、とても幸せに思います。

龍馬とお龍の苦労

 資料を調べていると目的外の面白い記事を見つけることがよくある。例えば以前『東京市史稿 変災編』で薩摩藩邸のことを調べていると、江戸城が火災になった記事を見つけた。火災の原因は大根畑から出た火が飛び火したらしい。「は?なぜ大根畑から?」と思うと可笑しかった。
 今回は結婚式の参列者の服装について調べていると、土佐藩の法令の中に面白いものを見つけた。「17・8歳までに女の子は結婚させなさい」で始まり、「未婚の女の子が村にいれば庄屋たちが世話をしなさい」とある。そして「空しく男女が地域の中にいないよう、普段から指導しなさい」と規定されている。
 さらに、「夫婦は人のはじまりにて、大切なる事にて、自分勝手に結婚してはいけない。仲人を入れて、双方の親が納得した上で縁組みし、これを氏神様にも告げ、村近所にも伝え、吉日を選んで婚礼するように」とあり、「親しくなって密かに通い合って、そのまま連れ添い、妻とするのは犬猫同然の交わりである」と書かれている。そして、「人と生まれては人の作法を知らざれば人に非ず、形は人なれども心は畜生に同じ」とまで書かれている。何もそこまで言わなくても・・・と思う。
 これを読んで「これでは龍馬とお龍は苦労しただろうなぁ」と可哀想でもあり、可笑しくも思えた。現代では受け入れられる二人の結婚だが、土佐藩の法令では、犬猫同然・畜生と同じ、となる。慶応元年9月9日の手紙で、乙女に必死でお龍の紹介をする裏にはこういう事情があった。また新婚旅行の手紙が半年以上経って出され、しかも乙女だけに宛てられているというのは、おそらく乙女だけが理解者だったのだろう。服装も考え方も現代的な龍馬は、結婚も現代的で苦労していたようだ。龍馬の死後、お龍が坂本家とうまくいかなかったのも、結婚の仕方に原因があったのかもしれない。

-龍馬その温かさを想う-

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初めまして(文)です。この記念館にお世話になってもうすぐ1年になります。
恥ずかしながら高知にいて、龍馬の事について詳しい知識もなく約50年が過ぎました。
子供達も成人し、手が掛からなくなりこれから我が人生をと考えるとも無く思いを巡らせていたところ、この龍馬記念館にめぐり合ったという訳です。

館長はじめ職員の皆さんが、龍馬の自由闊達な思想を熱く語り、その人間性に惚れこんでいる様子に清々しさを感じました。

龍馬の生きた時代を思う時、当時の閉ざされた社会の殻を打ち破り新しい夜明けを導いた凛々しい龍馬と同時に、一個の人間として他者を思う温かく優しい男だったであろう龍馬に遭いたくなりました。彼は現代のこの日本をどう語るでしょう?

皆さんも坂本龍馬記念館で龍馬理解の第一歩を踏み出されては如何ですか?

-PS-
館にいらっしゃったら、2Fミュージアムショップへも是非お立ち寄り下さい。
龍馬ファンはもとより、龍馬ファンでない方も必見のグッズを取り揃えております。

桂浜たんね歩記

weblog-090608.jpg館内で、お客様から受ける問い合わせの中で、よくあるのが桂浜にある『龍馬像』について。
「龍馬像までは、遊歩道を歩いて10分ぐらいです。」
こう答えるものの、4月に入社したばかりのわたしと同期2人は、その遊歩道の存在も知りませんでした。
 そこで私たち3人は、その遊歩道を歩いて、桂浜を散策しよう!と思い立ちました。
 徐々に大きくなる波の音と、桂浜水族館から聴こえてくる音楽に懐かしさを感じながら遊歩道を歩くこと10分。龍馬像に到着。
 観光客に紛れて、眺める生龍馬像!
 久々に眺めた龍馬像は、とても大きく高く、見上げた首がつらくなるほど。
 龍馬とのツーショット写真を撮ろうにも、人は多いし、龍馬は高くてなかなかファインダーの枠に収まりにくい。人影が少なくなったところを見計らって、やっと撮ってもらいました。

 龍馬像を堪能した後は、桂浜を歩き、桂浜水族館へ。カメやペンギンに釘付けで、久々に童心に戻った3人でした。
 全員が何年ぶりかに訪れた桂浜。とてもいい思い出になりました。
みなさんもこの桂浜を訪れ、龍馬に思いを馳せ、ぜひぜひ龍馬記念館にもお越しください。

りょうま講座 in ひろめ市場

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 “高知の台所”と言われる大橋通り。かつては(というほど昔でもないが)、天ぷらを揚げる店や魚屋の呼び込みの声が響き、夕餉の買い物客で賑わっていた。こぎれいなアーケードになった今、往時の活気は感じられない。前掛け姿の元気なおんちゃん、おばちゃんたちが行き交っていたあの頃が懐かしい。
 この大橋通りから追手筋に抜ける一角に“ひろめ市場”がある。開設以来10年が過ぎ、県民や観光客の人気は高い。アジアの屋台街を彷彿とさせるここに高知の食と元気が集まっているようだ。
 もとは幕末の土佐藩家老、深尾弘人(ふかお・ひろめ)の屋敷跡で、ひろめ市場ができる前には“ひろめ屋敷”とか“ひろめ”とか呼んでいた。近くの高校に通っていた私は、“ひろめ”にあった太鼓まん(まんじゅう・大判焼)屋やパン屋、本屋などによく通ったものである。
 そんな思い出もあるひろめ市場の一角。私は毎月第4木曜日、『龍馬を知ろう・語ろう会』と銘打つ会で話をしている。へんしも会主催で、4月から1年間の予定。「へんしも」とは土佐弁で「急いで、すぐに」の意。いいことはすぐに実行!という、ひろめ市場テナント会の女性たちが中心である。
 お城のすぐ下、吉田東洋や武市瑞山殉難の地もすぐ近く。ひろめさんは山内容堂の信頼が厚く、東洋の施政にも貢献した人。追手筋界隈には幕末がいっぱいある。
 天ぷらやお惣菜の匂い、混沌としたざわめきに包まれながら龍馬を語る。実に土佐風で面白いものである。
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