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お正月気分

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 昨年12月、NHK本社で行われた『龍馬伝』ドラマ部の会議に出席した。ドラマ部のTさんから11月の終わり頃に電話があり、「12月に第1回目の会議を行いたいのですが、抜六さん今度江戸へ来てくれませんか?」と言われた。その時すでにTさんはドップリ龍馬漬けの日々になっていたようで、"江戸"と言ったことに気付いていなかった。(東京には行けるが、江戸に行くのは難しいなぁ)と内心思いながら、あえて突っ込まなかった。その頃から『龍馬伝』に深く関わるようになり、もう一年が過ぎた。早い。あまりにも早い一年だった。
 忙しさのあまり、今年は結婚記念日を忘れ、姉の誕生日も忘れ、気が付いたらクリスマスになっていた。クリスマスイブに館のボランティアの方々と門松を作ったことによって、ようやくお正月を迎える気分にだけは少しなれた気がする。門松作りは年々手際が良くなり、今年も大変見事なものができた。毎日、高さ2.4mの立派な門松を見るたびお正月気分が高まり、良いものだなぁと思う。
 来年も前半は『龍馬伝』で忙しいが、おそらく大河ドラマに関わる仕事は一生に一回きりなので、普段と違う仕事を楽しみたいと思う。

龍馬とお龍の苦労

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 資料を調べていると目的外の面白い記事を見つけることがよくある。例えば以前『東京市史稿 変災編』で薩摩藩邸のことを調べていると、江戸城が火災になった記事を見つけた。火災の原因は大根畑から出た火が飛び火したらしい。「は?なぜ大根畑から?」と思うと可笑しかった。
 今回は結婚式の参列者の服装について調べていると、土佐藩の法令の中に面白いものを見つけた。「17・8歳までに女の子は結婚させなさい」で始まり、「未婚の女の子が村にいれば庄屋たちが世話をしなさい」とある。そして「空しく男女が地域の中にいないよう、普段から指導しなさい」と規定されている。
 さらに、「夫婦は人のはじまりにて、大切なる事にて、自分勝手に結婚してはいけない。仲人を入れて、双方の親が納得した上で縁組みし、これを氏神様にも告げ、村近所にも伝え、吉日を選んで婚礼するように」とあり、「親しくなって密かに通い合って、そのまま連れ添い、妻とするのは犬猫同然の交わりである」と書かれている。そして、「人と生まれては人の作法を知らざれば人に非ず、形は人なれども心は畜生に同じ」とまで書かれている。何もそこまで言わなくても・・・と思う。
 これを読んで「これでは龍馬とお龍は苦労しただろうなぁ」と可哀想でもあり、可笑しくも思えた。現代では受け入れられる二人の結婚だが、土佐藩の法令では、犬猫同然・畜生と同じ、となる。慶応元年9月9日の手紙で、乙女に必死でお龍の紹介をする裏にはこういう事情があった。また新婚旅行の手紙が半年以上経って出され、しかも乙女だけに宛てられているというのは、おそらく乙女だけが理解者だったのだろう。服装も考え方も現代的な龍馬は、結婚も現代的で苦労していたようだ。龍馬の死後、お龍が坂本家とうまくいかなかったのも、結婚の仕方に原因があったのかもしれない。

侮れない子どもたち

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 当館では今年9月、小学生向けの龍馬紙芝居を作成した。現在はそれを持って県内の小学校巡りをしたり、館を訪れた子どもたちに読んだりしている。まだ歴史を学ぶ前の低学年の頃から龍馬に親しんでもらいたい、というねらいで、いじめをテーマに簡単で分かりやすい内容にできている。今まで館を訪れる小学生は大抵5・6年生だったが、紙芝居を始めてから、2・3年生の来館が目立つようになってきた。とても嬉しい傾向である。
 基本的にはこちらから出向いて、1時間目の授業が始まるまでのわずかな時間を頂いて読むのだが、先日は45分頂いて、3年生に紙芝居と龍馬の話をしてきた。紙芝居の前に、子ども用パンフレットを配って龍馬のプロフィールや家族の紹介を行い、その後に紙芝居を読んだ。興味深そうに聞いてくれて、所々笑い声もあって上々の手応えだった。紙芝居後に、龍馬の行った仕事について話しをしようと考えていたが、意外にも質問の手が次々と挙がり、それに答えるだけで時間を費やしてしまった。
 最初の質問は、「龍馬が写真を撮った時は白黒写真だったんですか?」というものだった。「そうです。昔の写真は…」と答えていると、横から別の子が「昔の写真は薬品を使ってたんだよ」と教えてくれた。「えっ!そ・その通りです」(なぜ知ってるの?君は本当に小学3年生?)と思いながら私は答えました。その他「篤姫と龍馬は友達だったんですか?」など大河ドラマ関係の質問もあった。それから、パンフレットの「龍馬は新しい物好き」の文章を見て「今の高知県の人は新しい物好きで、新しいお店ができるとすぐに駆け付けて満員になるけど、龍馬も同じ高知県人なんだと思いました」という感想もあった。
 先生が「この質問で最後ね」と言ってからも4・5人手が挙がるほどで、3年生といえども侮れないなと思った45分だった。紙芝居のお陰で、今まで接する機会が無かった学年と接することができ、とても新鮮でこれからが楽しみになってきた。

学芸員の役得

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 学芸員の仕事をしていて、「得をしたなぁ」と感じる瞬間があります。学芸員は展示や調査などの目的で、“お宝”と呼べるような逸品に触れることができるのです。
 今、9月1日から始まる『幕末土佐の刀剣と鍔』展の準備で、色々な刀を借りて廻っていますが、刀剣ファンならよだれが出そうな素晴らしい刀を何点かお借りしています。その刀を手に取り眺めていると、本当に役得を感じてしまいます。間近で見る日本刀はとても美しく、魅入られて何本も収集する方の気持ちがよく分かります。
 刀の他にも、今年は当たり年なのか、役得を感じることが既に何回もありました。ある所で、幕末史を研究する上で非常に重要な資料が発見され、いち早く見せていただけたのも役得だと思います。
 また、個人の方から世界的にも珍しい時計を見せていただいたこともあります。幕末に活躍した志士が拝領した物で、ご子孫の家に伝わっていました。博物館でもめったに展示されることがない種類の時計で、本の中でしか見たことがありませんでした。まさに“お宝”中の“お宝”です。私は時計好きなので、一度は見てみたいと思っていましたが、まさか手にする機会に恵まれるとは思っていませんでした。これこそ役得以外の何ものでもありません。
 今年巡り会った貴重な資料の数々は、まだまだ調査が必要な段階ですので、公表はできていません。しかし、いずれ公表されたあかつきには、当館でも展示できるように努力したいと思っています。ご期待ください。まずは、その第一弾として美しい日本刀や鍔を展示しますので、ぜひ足をお運びください。
 これを書いていた今日、偶然にもまた一つ興味深い資料と巡り会うことができました。今年は本当に当たり年です。

 記念館が建っている浦戸城跡には、たくさんのカラスが住み着いている。そのカラスたちが、最近妙な行動をしており、困っている。
 館の屋上や事務室、スロープの屋根などに小石を落とすのだ。仕事をしていると、突然「ガーン」と頭の上で大きな音が響き渡る。最初は何が起こったのか分からず、事務室を飛び出して屋根を見渡した。すると、屋根の上には一羽のカラスがおり、小石をもてあそんでいた。さらにその上の屋上にもう一羽。こいつらが犯人か、と目星はついた。次の日、館の上に落とされた小石を拾い集めてみると、直径3~5cmのものが7・8個あった。館の周りにもそれらしき不自然な小石が落ちているので、一日で10個以上落としていることになる。
 なぜ急にこんな行動を始めたのだろう?来館者の頭や駐車場の車に傷を付ける恐れがあり、大変危なく感じている。最近、館の南にあるカラスの遊び場だった旧ホテルが撤去されつつあり、それに対する抗議行動か、という憶測も生まれた。
 しかし、今日カラスの行動の謎が解けた。警備員のKさんが偶然にも決定的瞬間を目撃したのだ!何とクチバシにくわえていた小石を空中で落とし、それが地面に達するまでにまた自分でキャッチする、という遊びを行っていたらしい。Kさんが目撃した時は、2回までは成功したが、3回目は失敗して落としてしまったらしい。もう少し人に迷惑の掛からない遊びを開発してほしいものだ。木の枝か葉っぱ程度の物に変えてもらえないだろうか。
 この遊び、いつまで続けるつもりだろうか?被害が出る前に止めて欲しい。その内、上達して絶対落とさない程の腕前になるのだろうか?

 先日、龍馬の脱藩ルートである梼原町へ行ってきた。梼原龍馬会の方に招かれて行ったのだが、お土産に梼原町で作っている「お山のドレッシング」を頂いた。「あっさり味」と「こってり味」があり、これがこじゃんと旨い!今まで食べたドレッシングの中で最高と言ってもよい。特に「こってり味」が気に入った。今までより野菜が数倍おいしく感じられ、最近サラダを食べるのが楽しみになっている。添加物や化学調味料の類が一切入っていないので、体にも良い。
 容器に貼ってある説明書きには、ナスを揚げてかけるとおいしい、と書かれてあったので、それも試してみたが絶品だった。また、冷しゃぶのドレッシングとしても大変合う。
 難を一つだけ言えば、保存料も入っていないため、消費期限が短い点だ。これも体に良いが、買い置きができない。高知市内で売っている所を知らないため、近々梼原の太郎川公園まで買いに行かなければならないと思っている。実家の家族も気に入ったらしく、買ってきて欲しいと頼まれている。高知市から車で2時間かかるが、買いに行く価値のある一品だ。
 龍馬ファンの皆さん、脱藩ルートを辿る時には、ぜひ買ってみてはいかがですか?味見をしたい方は、梼原町太郎川公園内にあるレストラン「くさぶき」で食べられるようです。

新しい試み

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 最近の龍馬記念館は、新しい試みを色々行っている。今回の「幕末写真館展」にも、普段と大きく違う点がある。それは、写真一つ一つに添えられている解説パネルだ。今回は、写っている人物や背景の解説を単純に書いたものだけではなく、写真を見て感じた「イメージ」を添えている。
 通常、博物館の展示解説パネルでは、職員が感じたことや思い入れを込めて書かれたものは少ないと思う。展示や解説パネルに感情を込めると、イメージの押しつけや誘導に繋がり、来館者に見方を限定させる恐れがある。そのため展示担当者は、できるだけ事実をありのままに展示し、解説しようと努める。そうすることによって、来館者はそれぞれの受け止め方ができるのだ。しかし、それはある意味、無味乾燥な世界で堅苦しい文章といえる。展示する側も人間なのだから、感情も思い入れもある。今回の展示では、理解の手助けの意味で、展示する側の思いをあえて出すことにした。
 案の定アンケートには賛否両論の声があった。「イメージを書いてくれているので分かりやすい」「イメージの文章と写真が合わない」などである。イメージなんて人それぞれなので、確かに合わないものもあるが、ご容赦いただきたい。たまには人間味を感じる解説があっても許されるのではないかと、勝手ながら思っている。今回は学芸員二人の他に、館長と解説員Mの4人が解説を書いた。それぞれの人柄が出た「イメージ」の文章も楽しんでいただければ幸いである。
 私は龍馬記念館学芸員でありながら、幕末の中で大久保利通が一番好きだ。そのため、大久保に関しては「イメージ」の部分だけでなく、解説の部分にまで感情が少し入ってしまったが、今回だけは大目に見てください。

 この言葉は、吉田松陰や弟子の久坂玄瑞の書簡に出てくる言葉で、「在野の人々が立ち上がる」というような意味になる。松陰は、「藩や幕府や公卿に頼っていても何も変わらない。志を持った在野の人、一人一人が立ち上がるべきだ」と呼びかけた。龍馬はこれを久坂から聞いて触発され、脱藩した。
 先日、夏休みをとって石垣島へ行ってきた。旅行前の高知新聞夕刊の1面には、石垣島西側のサンゴが白化し、死にかけている記事が出ていた。原因は海水温の上昇によるものだ。行ってみると確かに白く変色したサンゴが多くあり、地球温暖化の影響をまざまざと見せつけられた。
 ちょうど石垣島滞在中に台風12号が直撃して、1日ホテルに缶詰状態となり、「運が悪いな」と思っていたが、白化したサンゴには恵の台風だったそうだ。台風によって海水が掻き回され、水温が下がり、白化が食い止められるそうだ。
 温暖化を防ぎ、美しい自然を守るためには、今まさに草莽崛起が求められている。行政や国だけに任せていても守ることはできない。幕末の志士のように、一人一人が自覚して立ち上がることが必要なのだと強く感じた。
 余談だが、私は今年の夏、3回旅に出て3回とも台風に追いかけられた。3館合同展の資料借用の時に台風5号。その返却の時に9号。そして今回12号。見事に私が行く場所に向かって台風が進んできた。「日頃の行いが…」という声が聞こえてきそうだが、3回目の台風はサンゴのためになったので良しとしよう。

足音を聞いて育つ

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 正月に妻の実家へ行ってきた。妻の実家は農業を営んでおり、私たちはいつもおいしいお米を頂いている。義父と農業の話をしていた時、上手にお米を作る秘訣を聞いてみると、その答えは「田んぼへまめに足を運んで手入れをしてあげること」だった。
 4・5年前、県立歴史民俗資料館で、「おばやんの知恵袋」という面白い企画展が催された。当時83歳だった“おばやん”は、講演の中で「人の足音で、つくり(作物)は育つ」ということをおっしゃられた。やはり義父と同じなのだ。「いっつもは直接手をかけなくても気をかけて見に行きよったら、結局は手が足りてよう育つがじゃね。作物の成長具合を眼でみるが大事ということよ」(企画展展示資料解説集より)
 これは非常に含蓄のある言葉で、様々なことに共通した言葉ではないかと思う。例えば子どもの成長である。いじめや自殺、事故など子どもにまつわる事件が多い昨今、親はどれだけ子どもの変化に気付いているだろうか。早く気付けば何らかの対処ができるかもしれない。
 博物館にもこの言葉は当てはまる。資料は生き物ではないので成長することはないが、逆に日々劣化している。それを最小限に止めることが博物館の使命である。毎日展示室へ行き、資料の様子を見ていれば、展示室内や資料の異変に早く気付くことができ、早い対処ができる。現在当館で開催されている坂本直行展は、普段当館ではあまり展示をしない絵画が中心で、しかも展示方法が大きく違う。こういう時こそ、まめに展示室へ足を運ぶことが大事だとあらためて感じた。
 直行展は好評で多くの方が来館してくださっている。あと3ヶ月、先は長いが気を引き締めて臨みたい。

京大所蔵の龍馬書簡

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 現在、直行展に合わせて、京都大学付属図書館からお借りした長府藩士・印藤聿(いんとうのぶる)宛ての龍馬直筆書簡を展示している。この資料は、高知県内では初めての展示である。慶応3(1867)年3月6日に書かれたこの書簡には、「蝦夷に新国を開くことは積年の思い、一生の思い出で、一人になってもやり遂げるつもりだ」と熱い思いが綴られている。
 龍馬の蝦夷開拓には様々な思惑が含まれていた。まず一つには、京都に溢れている浪人に働く場を提供すること。このことは、京都の治安維持にも繋がる。龍馬が連れて行こうとしていた浪人について、勝海舟は日記に「過激輩」と書いている。幕府方が新選組や見廻り組を使って「過激輩」を力で制圧しようと考える中で、龍馬は誰も殺さず、お互いの利益になることを考えていた。そして、蝦夷の開拓は、諸外国から狙われている日本を守ることにも繋がり、国家のためにもなる。さらに、蝦夷には色々な産物があるので、それらを大都市で売れば儲けることもできる。まさに一石四丁の龍馬らしい案だった。
 これに対して直行の北海道開拓は方向性が違う。直行は純粋に北海道日高の自然に魅せられたのだ。大好きな百姓仕事をしながら書きためた絵には、直行の自然に対する温かい眼差しが感じられる。開拓の大敵である柏の木に対してさえも、ヒコバエ(切り株から生える芽)の美しさに心奪われる。開拓を行いながらも自然を愛し、敬意を払い、自然の保護を考える人であった。
 龍馬は印藤宛ての書簡に、「万物の時を得るをよろこび」という言葉を書いている。すべての物が時を得て喜び合えるような開拓をしたい、という意味だが、この考え方は直行にも相通じる。龍馬も直行も自分の利益だけを考えるような人ではなかった。開拓の狙いは違う二人だが、開拓に対する姿勢は不思議と似ている二人だ。
 それにしても、龍馬はよく風邪をひく人だ。この書簡も病床で書いているようだ。それに対して直行は頑強な体だった。この点は龍馬と違う。

いごっそうと蛙

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 『反骨の農民画家・坂本直行』展が開催まであと1ヶ月を切った。反骨を土佐弁にすると“いごっそう”になる。“いごっそう”という言葉には、天の邪鬼という意味なども含まれるが、土佐には昔から男女ともそういう人が多かった。今回の展示は龍馬と直行2人の“いごっそう”の展示ということになる。
 少し前の話になるが、“いごっそう”で思い出すことがある。韓国人の団体を案内していた時のことだが、2階の南の端で海を眺めながら説明していると、すぐ西側の海岸線(花海道)にお墓がたくさん並んでいることについて質問を受けた。「なぜ水の近くにお墓があるのか」ということだった。これについてはよくある質問なので、歴史民俗資料館の民俗担当の方に尋ねたことがあるが、正確なことは分からない。一応2・3の憶測を話したところ、逆に韓国の話を教えていただいた。
 その方は、土佐に“いごっそう”という言葉があることを知っており、韓国では“いごっそう”のような人を“蛙”というそうだ。その“蛙”の話は、むかし親の言うことに何でも反対する青年がいたそうだ。いつも反対のことをするので、親は死ぬ直前にそれを心配して、「私が死ねば川の近くにお墓を建ててくれ」と頼んだそうだ。本当は水辺にお墓を建てられたくなかったためにそう言ったのだが、青年は、親が死んだ後、今までのことを非常に悔いて、言いつけ通り川の近くにお墓を建て、案の定、洪水の時にお墓が流されたそうだ。こうして青年は雨が降るたびに蛙のように泣いて暮らしたそうで、人の反対のことばかりする人のことを、“蛙”というそうである。
 となると、直行展は2人の“蛙”の展示ということか・・・?いや、それは少し意味が違うか。

 昨年5月、当館HPの過去の企画展「龍馬と良助」を御覧になって、大阪外語大学の久堀先生から問い合わせがあった。田中家資料『駒下駄敵討』(こまげたかたきうち)の体裁や登場人物などの内容について知りたいというものだ。
 久堀先生は、近世人形浄瑠璃研究をご専門とされており、先日『説話論集 第15集 芸能と説話』に「近世後期淡路座の人形浄瑠璃-『敵討肥後駒下駄』の成立-」という論文を執筆された。
 淡路座の人形浄瑠璃とは、およそ500年前から始まったもので、江戸時代には全国を巡業しながら人形芝居を浸透させていた。現在では、座の数も少なくなったが、1976年に国の重要無形文化財に指定され、保存・継承が行われている。
 久堀先生は論文中で、江戸時代の淡路座の活動と中央の浄瑠璃作品を調べることにより、淡路座の中央への影響や果たした役割などを考察し、従来注目されることの少ない淡路座独自の創作活動に光を当てる試みを行っている。
 田中家の『駒下駄敵討』は、浄瑠璃の台本ではなく実録本の一つだそうだが、全国には他にも同種の実録本が少数ながら存在しているそうだ。実録本と浄瑠璃との関係を考察する際、田中家の『駒下駄敵討』は他に伝わる実録本と異なっているため、大変興味深い資料だということだった。論文を拝見させていただいたが、非常に面白く、勉強にもなった。また、当館では浄瑠璃の知識が無いため、この資料を単なる書籍資料としか扱っていなかったが、専門家が見るとこれほど資料が生きてくるものかと驚いた。
 今後も、専門家に限らず、多くの方が研究のために資料を活用していただくことを願っている。

私も龍馬に1票!

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 先日、アサヒビール株式会社が「一度で良いから、お酒を飲み交わしたい歴史人物は?」という調査を行ったそうだ。結果は、男女とも龍馬がトップだったようで、相変わらず人気が高い。理由は現代の行き詰まった状況について意見を聞きたい、というようなものが多いそうだ。
 当館へ寄せられる質問にもお酒にまつわるものは多い。「龍馬はお酒が強かったのですか?」や「龍馬が飲んでいたお酒と同じ物を飲みたいので、銘柄を教えてください」とか、「龍馬はビールを飲んだのですか?」など色々ある。
 妻・お龍の話によると、龍馬は1升5合の酒を一息で飲み干したそうだ。また、龍馬は酔うと陽気になるタイプらしく、海援隊士の関義臣の回顧録では、「平生の無口に似合わず、盛んに流行唄など唄ふ」とある。「お医者の頭へ雀が止うまる 止うまる筈だよ藪医者だ よさこい よさこい」というよさこい節の替え歌を作って流行らせたそうだ。関は「誠に天真の愛嬌家であった」と続けている。
 もし、私が龍馬と飲めるなら、政治の話も聞きたいが、三味線に合わせた陽気な唄を聞いてみたい。しかし、龍馬の酒量には付いて行けそうもない。

 8月のある日、顔馴染みのタクシーの運転手さんが、一人の少年を連れてきた。
 運転手さんが言うには、静岡から一人でバスに乗って来て、高知駅からタクシーに乗ったそうだ。3時頃高知駅を出発するバスで静岡まで帰るため、2時頃には桂浜を出るように気を付けてあげてほしい、とのことだった。私が館内を案内しながら色々話をすると、なんと名前は「りょうま」君だった。小学6年生で、龍馬を訪ねて高知まで来たらしい。龍馬記念館が最後の見学地かと思って案内をしていたら、実はここが最初で、これから桂浜の銅像を見て、お昼を食べた後、「龍馬の生まれたまち記念館」へも行きたいと言う。しかし、その時すでに11時半。時間が足りない。慌てたのは私たち職員で、「りょうま」君を急がせるが、本人はいたって落ち着いたもの。時間がなければ「生まれたまち記念館」は止める、と言いながらのんびりアニメ「おーい竜馬」を見ていた。
 結局、解説員の一人が急いで銅像まで連れて行ったが、その後無事バスに乗って静岡へ帰り着いただろうか。
 龍馬のように、ゆったり大きく育ちそうな少年だった。

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