『反骨の農民画家・坂本直行』展が開催まであと1ヶ月を切った。反骨を土佐弁にすると“いごっそう”になる。“いごっそう”という言葉には、天の邪鬼という意味なども含まれるが、土佐には昔から男女ともそういう人が多かった。今回の展示は龍馬と直行2人の“いごっそう”の展示ということになる。
少し前の話になるが、“いごっそう”で思い出すことがある。韓国人の団体を案内していた時のことだが、2階の南の端で海を眺めながら説明していると、すぐ西側の海岸線(花海道)にお墓がたくさん並んでいることについて質問を受けた。「なぜ水の近くにお墓があるのか」ということだった。これについてはよくある質問なので、歴史民俗資料館の民俗担当の方に尋ねたことがあるが、正確なことは分からない。一応2・3の憶測を話したところ、逆に韓国の話を教えていただいた。
その方は、土佐に“いごっそう”という言葉があることを知っており、韓国では“いごっそう”のような人を“蛙”というそうだ。その“蛙”の話は、むかし親の言うことに何でも反対する青年がいたそうだ。いつも反対のことをするので、親は死ぬ直前にそれを心配して、「私が死ねば川の近くにお墓を建ててくれ」と頼んだそうだ。本当は水辺にお墓を建てられたくなかったためにそう言ったのだが、青年は、親が死んだ後、今までのことを非常に悔いて、言いつけ通り川の近くにお墓を建て、案の定、洪水の時にお墓が流されたそうだ。こうして青年は雨が降るたびに蛙のように泣いて暮らしたそうで、人の反対のことばかりする人のことを、“蛙”というそうである。
となると、直行展は2人の“蛙”の展示ということか・・・?いや、それは少し意味が違うか。
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昨年5月、当館HPの過去の企画展「龍馬と良助」を御覧になって、大阪外語大学の久堀先生から問い合わせがあった。田中家資料『駒下駄敵討』(こまげたかたきうち)の体裁や登場人物などの内容について知りたいというものだ。
久堀先生は、近世人形浄瑠璃研究をご専門とされており、先日『説話論集 第15集 芸能と説話』に「近世後期淡路座の人形浄瑠璃-『敵討肥後駒下駄』の成立-」という論文を執筆された。
淡路座の人形浄瑠璃とは、およそ500年前から始まったもので、江戸時代には全国を巡業しながら人形芝居を浸透させていた。現在では、座の数も少なくなったが、1976年に国の重要無形文化財に指定され、保存・継承が行われている。
久堀先生は論文中で、江戸時代の淡路座の活動と中央の浄瑠璃作品を調べることにより、淡路座の中央への影響や果たした役割などを考察し、従来注目されることの少ない淡路座独自の創作活動に光を当てる試みを行っている。
田中家の『駒下駄敵討』は、浄瑠璃の台本ではなく実録本の一つだそうだが、全国には他にも同種の実録本が少数ながら存在しているそうだ。実録本と浄瑠璃との関係を考察する際、田中家の『駒下駄敵討』は他に伝わる実録本と異なっているため、大変興味深い資料だということだった。論文を拝見させていただいたが、非常に面白く、勉強にもなった。また、当館では浄瑠璃の知識が無いため、この資料を単なる書籍資料としか扱っていなかったが、専門家が見るとこれほど資料が生きてくるものかと驚いた。
今後も、専門家に限らず、多くの方が研究のために資料を活用していただくことを願っている。
先日、アサヒビール株式会社が「一度で良いから、お酒を飲み交わしたい歴史人物は?」という調査を行ったそうだ。結果は、男女とも龍馬がトップだったようで、相変わらず人気が高い。理由は現代の行き詰まった状況について意見を聞きたい、というようなものが多いそうだ。
当館へ寄せられる質問にもお酒にまつわるものは多い。「龍馬はお酒が強かったのですか?」や「龍馬が飲んでいたお酒と同じ物を飲みたいので、銘柄を教えてください」とか、「龍馬はビールを飲んだのですか?」など色々ある。
妻・お龍の話によると、龍馬は1升5合の酒を一息で飲み干したそうだ。また、龍馬は酔うと陽気になるタイプらしく、海援隊士の関義臣の回顧録では、「平生の無口に似合わず、盛んに流行唄など唄ふ」とある。「お医者の頭へ雀が止うまる 止うまる筈だよ藪医者だ よさこい よさこい」というよさこい節の替え歌を作って流行らせたそうだ。関は「誠に天真の愛嬌家であった」と続けている。
もし、私が龍馬と飲めるなら、政治の話も聞きたいが、三味線に合わせた陽気な唄を聞いてみたい。しかし、龍馬の酒量には付いて行けそうもない。
8月のある日、顔馴染みのタクシーの運転手さんが、一人の少年を連れてきた。
運転手さんが言うには、静岡から一人でバスに乗って来て、高知駅からタクシーに乗ったそうだ。3時頃高知駅を出発するバスで静岡まで帰るため、2時頃には桂浜を出るように気を付けてあげてほしい、とのことだった。私が館内を案内しながら色々話をすると、なんと名前は「りょうま」君だった。小学6年生で、龍馬を訪ねて高知まで来たらしい。龍馬記念館が最後の見学地かと思って案内をしていたら、実はここが最初で、これから桂浜の銅像を見て、お昼を食べた後、「龍馬の生まれたまち記念館」へも行きたいと言う。しかし、その時すでに11時半。時間が足りない。慌てたのは私たち職員で、「りょうま」君を急がせるが、本人はいたって落ち着いたもの。時間がなければ「生まれたまち記念館」は止める、と言いながらのんびりアニメ「おーい竜馬」を見ていた。
結局、解説員の一人が急いで銅像まで連れて行ったが、その後無事バスに乗って静岡へ帰り着いただろうか。
龍馬のように、ゆったり大きく育ちそうな少年だった。

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