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weblog20110105.jpg 年が明けた。「龍馬伝」の余韻がまだ頭の中を泳いでいる。龍馬の声が聞え、容堂のふらつく手元が見え、怒鳴る後藤象二郎がそこにいる。海の彼方に目線を投げたお龍の寂しげな横顔も鮮明である。
 そんな気分を持ち越した新年、"龍馬宛年賀"が届いた。昨年の二倍以上、1300通余り。今年から、護国神社に奉納した後、龍馬記念館に持ち帰り「時の階段・タイムボックス」に保管する。10年間封印して2021年3月24日あけることにした。3月24日は龍馬脱藩の日である。土中に埋めるのではなく施錠した箱に入れる。もちろん、開けて読むのはできないけれど、その状態は見える。少し葉書を読ましてもらった。飛び込んできた言葉は「家族」「平和」「健康」・・まさに現代世相そのもの。
 誰もが感じている日本の閉塞感。「10年後に家族そろってこの葉書が読めるように」。特に4、50台のお父さん、お母さんの願いだ。社会、経済、政治、国際間までもふらついている平成の現状に、国民はもううんざりしている。龍馬への年賀から"平和世界"を熱く訴える庶民の心がジンジン伝わってきた。果たして10年後。土佐は日本は世界は、そして自分はどうなっているのだろう。今、吹く桂浜の風だけは変わっていまい。

weblog-100520.jpg 図録、パンフレット、チラシこれが館を紹介する三点セットである。
所蔵品の増加、館内設備の変化に伴って必要に応じてチェックし、最新のものにしているが、なかなかタイミングが合わず苦労している。
そんな時「DVDを作りませんか」業者から提案があった、これをチャンスと企画に乗ることになった。
 映像だから、立体感が味わえる。パンフレットでは出せない質量感である。「海援隊約規」「龍馬の手紙」「刀剣類」先ごろ入手した「京都藩邸資料」もある。厳選の30点。90分だから内容も厚い。記念館の学芸員も順次登場してここという思い入れの箇所では熱が入る。そしてナレーションが武田鉄矢とくればもう雰囲気は"龍馬"と"幕末"。
これもNHK大河ドラマ「龍馬伝」効果というのだろうか。
記念館では今、改めて龍馬の"実力"をかみしめている。
6月23日、全国発売が決まった。
龍馬記念館のオフィシャルDVD「坂本龍馬」をよろしく。

入館制限

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weblog-100509.jpg5月連休が過ぎた。
その間、館は毎日戦争状態であった。
開館以来始めて「入館待ち時間制限」という事態も体験した。
全国龍馬人気、恐るべしである。
いやぁ、すごい、すごい。
大河ドラマ「龍馬伝」が下地であるのはいうまでもない。
加えて、初めて桂浜公園で実施した車の乗り入れ禁止。
この作戦が効を奏した。
やっぱり高知は「龍馬ぜよ」。
それを確認した。
連休以後、ペースは変わらない。
昨年の3倍まし。
今年、年間入館者記録を達成するのは間違いあるまい。

 書家・高松紅真さんはいつも和服姿である。それがよく似合う。ギャラリーで展示作業をする時でも同じだ。時に脚立に上ったりもするから見ていてはらはらさせられる。しかしご本人は「慣れていますからホホホ」と屈託ない。だがこの「ホホホ」が曲者で、笑いながら自分の意思はなかなか曲げない。分類が許されるならさしずめ"強情張り組"。だから、高松先生に展覧会をお願いする際にはこちらもいつも以上に腹を据えてかからねばならぬ。いい緊張感ではある。その展覧会を現在開催中である。館2階の南詰め「海の見える・ぎゃらりい」で「幕末の志士たち×高松紅真」展。
 昨年3月から今年4月まで、入館者の皆さんに投票してもらった「あなたの好きな幕末の人物」を得票順に並べた。因みに1位、坂本龍馬 2位 勝海舟 3位 西郷隆盛 4位 土方歳三 5位 ジョン万次郎 6位高杉晋作 7位 桂小五郎 8位 お龍、同、中岡慎太郎 9位 沖田総司 10位 天璋院となった。得票総数5646票。これで順位は別にして特筆すべきは龍馬の得票数である。実に3717票。一人で過半数を超えている。
 地の利、大河ドラマの影響を計算しても龍馬はやっぱりすごい。
weblog-100415.jpg さて、高松さんはこの龍馬をどんな筆で表現するやら。「天空」「回天」などの字が見える。お龍は「舞」海舟は「風」慎太郎「源流」番外の弥太郎は「野人」。踊るような筆致が迫力である。面白い。自分の思いと重ねてみるとなお楽しいと思う。
 展示は4月26日までである。

感動が波に

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weblogP1040348.jpg「さてもさても人間の一世ハがてんの行ぬハ元よりの事・・・・」。 

 

 龍馬ファンなら一度は耳にしたことのあるフレーズであろう。文久三年(1863)三月二十日、龍馬が脱藩後初めて姉の乙女に宛てた手紙である。

 

 女優の小林綾子さんが、ゆっくりと龍馬の手紙を朗読する。いや、弟、龍馬からの手紙を、小林さんが乙女姉さんになって読む。乙女姉さんを演じるのだ。ライトに浮んだ乙女姉さんの着物の帯が弾んでいる。待ちに待った弟からの手紙を読む声は弾む心を抑えながら、それでも弾む。

 

 語呂あわせで10月3日が「とさ=土佐の日」となって3年、高知市のホテル三翠園で全国大会が開かれ、そのアトラクションに小林さんとシンセサイザー奏者・作曲家の西村直記さん、それに坂本龍馬記念館の女性スタッフ二人が加わって“龍馬の手紙、朗読・コンサート”が披露された。小林さんは乙女に、西村さんは龍馬をテーマに作曲した曲で背景を固め、館の二人は手紙と手紙の間をつなぐ時代、世相の解説である。三者が絡み合って幕末の龍馬が浮ぶ。

 

 この日は五通の手紙が紹介された。乙女宛の手紙だから私信中の私信。龍馬もまさか150年後、故郷の人前で読まれるとは思ってもいなかったはずである。天国で照れている?いやこの日のコンサートの様子を見ていたらそうでもないかも。

 

 観客は一心に舞台を見つめた。耳をそばだてた。息をのんでいた。その緊張感が背中にびんびん伝わってきた。会の“風”は“幕末”。龍馬の背中が確かに見えた。最後に天国で乙女が言う「・・・・・龍馬そろそろ、また貴方の出番ぞね」。流れる「龍馬フォーエバー」。終了と同時に大きな拍手が起きた。「感動したぜよ」と何人もに声をかけられた。まんざらでない顔の龍馬を想像した。

 

 本番の『「聞こえる・あの声」龍馬の手紙を読む~朗読・コンサート』は11月14日(土)高知県立美術館の美術館ホールで、昼夜2回公演です。

 

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連休開始。館はとたんににぎやかになる。
桂浜全体がわーんと共鳴して、気持まで高ぶってくる。
それに今年は、例年とは少し違う雰囲気がある。
休日の高速道1,000円。
来年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」。
これらを追い風とするなら、
世界を駆け巡る豚インフルエンザ情報は逆風に違いない。
2日から5日までは、館は時間延長を実施する。
開館は平常より10分早い午前8時50分。
閉館は午後6時とした。合計で1時間10分の延長だ。
館のホームページも今日から一新である。
そして、職員の制服も衣替え。
デザインごと変えて夏用になった。
初夏の気配濃厚な"龍馬の見た海"には、
ジャコ漁の漁船が数隻。
その横を白い腹の貨物船が航跡を曳いて
水平線に向かって行く。

 

風のリーフレット

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手元に一部のリーフレットがある。
表紙の題は「龍馬と歩く」。
龍馬・桂浜プロジェクトの作成である。
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このプロジェクトには地域の活性を目指す7社(公、民)が参加している。
坂本龍馬記念館もメンバーの一員。
思うところは、それぞれの“特技”を生かして、桂浜を“龍馬の聖地”にしようと燃えていることだ。
先日、リーフレット作りのために、熟慮したモデルルートをバスで試走してみた。
龍馬生誕地を皮切りに、坂本家の墓所、田中良助邸、八畳岩にも立った。
寄り道して、岡田以蔵のお墓。
息切らせながら和霊神社の階段も上った。
解説、ガイドは館の学芸員。
「やっぱり、違う。面白かったし、龍馬がぐんと近くなった」
評判上々の試走となった。
その成果が、このリーフレットに変わった。
龍馬が胸を張っている。
桂浜の海はあくまでも青い。
リーフレットはやがて旅立つ。
風になって日本のあちこちを旅する。
そして、龍馬ファンを連れて桂浜に戻ってくる。
その様子を想像して、独り笑いしてしまった。

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先日、女優の小林 綾子さんと、シンセサイザー奏者・作曲家の西村 直記さんが館に来られた。

実は今年、お二人に「龍馬の手紙」を読む朗読・コンサートなるイベントをお願いしてある。
来高はその第1回目の打ち合わせ。
龍馬の手紙は、館の目玉である。
中でも、龍馬が姉の乙女に宛てた手紙は、龍馬の真情にあふれている。
龍馬を人間的に理解するには最も分かりやすい資料と言っていい。
そこで小林さんに「乙女」になってもらって、弟、龍馬から届いた手紙を読んでもらう。
龍馬の心だけでなく、弟を思う姉の心も表現していただく。
資料だけでは窺えない“幕末の世界”が生まれるはずである。
西村さん作曲の龍馬の曲がサイドを固める。
館の学芸員の解説が事態をコメントする。
打ち合わせは2時間あまり。
話は一挙に確信に及んだ。
「やりましょう」小林さんの目が光った。
西村さんは「いい曲、考えます」とはや天井を見上げる。
目はつむっていた。
「あの姉ヤンに書いた手紙が読まれるがか。こそばいけんどまあえいか。たのしみぜよ。」
龍馬の声が聞えた。

本番は11月14日。高知県立美術館ホールだ。

新年に思う

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 忙しなく喧騒の中に暮れた平成20年。
けじめがなくなった生活サイクルは、
多くの課題を引きずったまま、平成21年へと滑り込んだ。
 混沌世相の平成を殺伐幕末に重ね合わせると、
「平成の龍馬よ、出でよ!」巷の声が真剣である。
実際、館も入館者の皆さんから、そんな気配を感じている。
“龍馬を体感したい”
“龍馬をもっと知りたい”
“うわさに聞く龍馬はやっぱりすごい”
皆さんの感動の熱気にたじたじである。
今年予定の企画展は、その熱気に応えるに十分だと自負している。
 メイン企画は秋に予定している「風になった龍馬」(仮)。
館の創立20周年(平成23年)に向け、初めての3年連続企画である。
龍馬・勝海舟・ジョン万次郎に焦点を合わせ、
世界と海をベースに彼らの夢見た世界を追う。
夏場は、―龍馬の嫌った戦争・戊辰戦争―を予定している。
戦争のもたらすもの、その意味を考える。
いずれも思うところは「自由と平等」その先にある「平和社会」の実現よりほかにない。
 龍馬を常に頭に置きながら、「チャレンジ」「前進」。
それが館の今年の目標。宜しくお願いいたします。

生涯無料

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 いよいよ始まった。
インターネット龍馬検定上級編である。
スタートから1週間に足らぬが、30人がチャレンジしている。
しかし今のところ合格者はいない。
学芸員が練りに練った問題だし、
合格点90点のハードルも厳しい。
“難し過ぎるかも”ふと、そんな思いが胸をよぎった。
ただ、それだけに合格者には、館も大いに敬意を払っている。
坂本龍馬記念館の生涯無料パス、
それに「龍馬SK大使」つまり龍馬の“知識普及員”としての称号を贈ることになっている。
100点だと2泊3日の旅行付き。
館としては思い切った賞品である。
 100点続出などの事態は、
うれしさ半分、正直、懐算用に泣きべそだろう。
“難しいかも”と懸念したその翌日その思いは吹き飛んだ。
皆さんじりじり点数を上げてきているのだ。
すでに80点台を記録した人も数人。
 第一号上級合格者の姿が視界に入ってきたように思う。
その日は近い。そう感じる。

龍馬像原型

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本山白雲作、桂浜の龍馬像原型が、企画展示室に座って一ヶ月になる。
毎朝、「おはよう」と挨拶するのが日課になった。
なぜか「おやすみ」は言ってない。
と言うことは私にとって龍馬像は朝型イメージかもしれない。
仕事前に元気と勇気をもらう。
像の前に立つと、その時々、表情を変えるように感じる。
いかめしい日があれば、穏やかな目線に和んで見える日も。
毅然とりりしくそれでいて優しさがこたえられない。
後ろ姿の肩の辺りに優しさを止まらせている。
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そんな龍馬表情をポストカードに作ってみた。
7枚組。一枚は実際の桂浜像。原型の表情は6枚である。
厳選の6枚。
初めての公開記念。1セット500円で限定販売を開始しました。

そう、「龍馬伝」の龍馬役が福山雅治さんに決定です。
原型の龍馬サンも異存なさそうですよ。

 見つめ合った瞬間、もう目が赤い。
親指と人差し指が目頭にゆく。
口元は震えていた。
「やえきさん!覚えちゅうかね。須崎の!」
「分かる、分かる!すさきの ○○さん!」
男同士、握り合った手がもう抱き合っていた。

 館の「海の見える・ぎゃらりい」が今、演歌そこのけ、“涙の再会場”になっている。
ギャラリーでは洋画家、挿絵画家の吉松八重樹さん(82)の油絵と挿絵の展示している。
題して「吉松八重樹と故郷との出会い」展(11月16日)
上野の森美術鑑賞を受賞した大作50号の油絵、川端康成もほめた「雪国」駒子の挿絵。
約100点が並ぶ。
東京在住の吉松さんは地元浦戸の出身である。
ただ、機会に恵まれず、30年ぶりの帰郷となった。
 地元の人たち、吉松さん、互いの“会いたい”思いがスパークしたのだ。

 次から次へと現れる友人、知人。
見つめあい抱き合う。
取り巻く絵と広がる海が、時代の歯車を逆回転させ、止める。
幸せ気分が館内に満ちてゆく。
「涙を流して体重が軽くなりました」三日目、ベレー帽の吉松さんは言いながらもう涙であった。
窓の外は、季節を急ぐ秋雨が、灰色の海に消えてゆく。

来月11月16日(日)桂浜で「龍馬まつり」が開催される。
少年剣道大会や宝探し、綱引き大会など多彩な行事が予定されている。
地元、浦戸地区の皆さんの企画は、
龍馬を呼ぼう!大漁旗と人のパフォーマンス“おーい龍馬”である。
これが面白い。
面白いが、結構手がかかる。ま、それだけにやりがいもあろうと言うもの。
簡単に言えば、桂浜の砂地に大漁旗を使って『RYOMA』の文字を描く。
ただ、立てたり敷いたりするのではない。
一枚2メートル×2.5メートルの大漁旗の四隅を人間一人ひとりが持つ。
これが“ミソ”である。
リーダーの合図で上げたり下げたり。
一回15分間のパフォーマンスを、午前と午後の2回演出する。
中で「おーーい龍馬」を合唱だ。
机上の計算では、動員800人が目標。
これが難題。地元だけでは当然足りそうにない。
そこで他のイベントに参加している人も、
観光客にも、もちろん大人、子供関係なし。
お手伝いを呼びかけることにしている。
桂浜の波と風。
大声で「おーーーい 龍馬あーーーー」
大合唱。
気分いいと思いませんか。

鳩がとまった

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10月の声を聞いて雨になった。
最初の土、日が雨。
季節はどうも一挙に秋を深める魂胆らしい。
煙る雨をついてその日曜日。
県知事と高知市長を先頭に観光行政に関わるお歴歴が桂浜にやって来た。
しかも浦戸湾を船で渡って、桂浜に上陸である。
実は、再来年のNHK大河ドラマが“龍馬伝”に決まったのはご承知のとおり。
これを県勢浮揚のきっかけにしよう、というのは日本国中同じ事だが、
しかし高知はやはり本家。
本家の中でも本家は銅像の立つ桂浜である。
必勝を期して銅像前の祈願祭となったわけだ。
「雨でも龍馬はやっぱりかっこいい」「世界を見ゆうぜよ」
一同、龍馬像の前に勢ぞろい。宮司さんの祝詞に頭を下げ、思いを込めた。

ふと、龍馬を見上げた。
眼鏡にかかった雨粒のせいか全体にぼやけ気味。
龍馬の頭頂部が少し変に見えた。
ちょんまげが前方にせり出してきた格好。
しかもそれがぴこぴこ動いた。
目を凝らす。13メートルの上空でやっと焦点を合わせた。
鳩ではないか。鳩が止まって下界を見下ろしている。そうだ、鳩は平和の使者。
龍馬のオーラが呼んだに違いない。
全員の玉ぐし奉奠が終わるのを待って、鳩は雨空に消えて行った。
眼鏡の雨粒をハンカチで拭った。
龍馬がまた幸せを運んできてくれるそんな気がした。

9月が往く

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「幕末土佐の刀剣と鍔展」。
 9月はこの企画展の賑わいで館は例年のとは違う9月の賑わいであった。
ともすれば、愛好家だけの世界だったのが、広く若者、女性の域まで広がったように思う。
いつもと違うといえば入館者に地元の方が多かったこともある。
アンケートにはっきりその傾向が現れていた。
「10年ぶりに来たら様変わりしていた。今度は友達を誘って」
そんなメッセージに触れるとうれしくなる。刀剣展ではそんな気持ちにさせられることが、たびたびであった。
 暑い熱い夏は、見事に白刃が“暑い”を切り取った感じで、9月が往く。
 しかし“熱い”は残って、むしろヒートアップする構えだ。
10月からの企画は「海援隊約規物語」展。
今度のテーマは「家族」。龍馬の坂本家を紹介する。
また、話題性でいえば、桂浜龍馬像の原型が、初公開になる。
龍馬が自分の刀の目釘と下げ緒で作らせ、妻のお龍に送った帯締めも登場する。
 見飽きぬ逸品が、幕末の世界、龍馬の世界へ連れて行ってくれるのは間違いないだろう。

名札が掛かった

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図書、テレビコーナーのある館地下1階、事務所入り口の壁面に名札ボードができた。
横3メートル、縦2メートルの立派なものだ。
ブルーの板に漫画の龍馬が得意げな顔つきである。
お龍、西郷隆盛、高杉晋作、近藤勇もいるぞ。
「インターネット龍馬検定合格者」と表記されている。
「上級」「中級」。
「中級」欄に20日現在、掛かった札は22枚。
札には名前とその方の所在地域名が明記してある。
22枚は22人の合格者ということになる。
『三重』『東京』『茨城』『兵庫』『長野』『群馬』『高知』『愛媛』『埼玉』『北海道』『大阪』『静岡』『奈良』。
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二人合格の県もある。
初級と違って中級は有料だけに、やはり遊び気分では難しい。
しかし、中級開始2ヶ月足らずで22人の合格は正直、驚いている。
さすがだと思う。
11月にはいよいよ「上級」もスタートだ。
ボード上級欄、現在は合格者として「坂本龍馬」の名札を一枚掛けてある。
龍馬に取って代わるのは?誰だろう?

 入館者の皆さんが、龍馬に寄せた手紙「拝啓龍馬殿」を、一冊の本にまとめた。題が「ほいたら待ちゆうき 龍馬」。
 書店に並んで一ヶ月余りだが、「題名の意味がわからない」との声を聞きます。聞かれるたびに「土佐弁で、“そしたら待っていますから 龍馬”の意味です」と説明する。すると「何で龍馬が待つわけ?」。質問が追ってくる。そこが“ほいたら…”の狙いとするところなのである。よく聞いてくださったとこちらも唇、湿して熱がこもる。館には人生の節目に来られる方が多い。誰でも悩みはある。しかし相談相手がいない。悩みが深ければ深いほど親にも話せない。そんな時、海の彼方にいる龍馬に悩みを相談する。相談できるのは、龍馬が答えてくれるからである。しかも相談者だけにしか通じない“専用回線”を使って。「勇気もらいました」「決断します」「約束する!」など相談結果を報告して行かれることからも明らかである。龍馬はそう、相談されるのを待っている。相談する気で私は一日1回必ずこの本を開く。一度に1500人の友達ができた気がしている。

龍馬の一日

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「館長サン、ここのところお客さん多いでしょう!」朝、出勤と同時に清掃のおばちゃんに声をかけられた。
にっこりの挨拶、声が弾んでいる。
「当然、夏休みお盆も近いし」と階段を下りながら私。
「いえ、特に今年はお子さんの姿が多いのでは、そうですよ」
「なんで?何で?また」
「ガラスに小さな手型が多いのです」
おばちゃんが喜んでいた。
 言われて展示ケースを蛍光灯の光の下ですかして見ると、なるほど転々と小さい手型が踊っている。
お父さんが、覗き込んでいる展示ケースの中を、背が足らないお子さんがぶら下がった拍子に付いたらしい、読みにくかったのだろうか、擦ったり、じっと手を突いていたものまで色々ある。
その手型をつけた子供らの姿を想像するのも楽しい。

 今日も、子供の声が館内にこだましている。
時に、ぐずる幼児の声も混じる。
テレビから「ウオーウオーウオウオーウオ…」
そうアニメ「おーい竜馬」がかかっている。
子供も、大人も一緒になって今日は龍馬の一日。
町は“よさこいまつり”。
龍馬も踊っているかもしれない。

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龍馬記念館の入館者が龍馬に寄せた手紙「拝啓龍馬殿」が一冊にまとまった。
一年がかりの労作である。
題して「ほいたら待ちゆうき 龍馬」=その意味は、そしたら待っていますから、龍馬=である。

新本の香りも新しい。
何より、作家1,500人である。
いや、12.,000通の中の1,500通だから、皆さんの代表である。
一通、一通に人生がある。
悲喜こもごも。同じものは無い。
校正途中で何度筆が止まったことか。
ひとりうなずくことも。
胸熱くも。
小説よりもドラマティックで、ドキュメンタリーより真実である。
これほど皆さんに“読んでもらいたい”と願う本は無い。
読後の感想を語り合いたいとも思う。
不思議な一冊だ。
今日も鞄に入れている。

龍馬と私

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 高知の「さんさんテレビ」(フジ系)の、毎週金曜日夕方のスーパーニュースの中で、「龍馬と私」というコーナーが話題になっている。
 地元局制作の5週連続で、昨日4回目が終わった。
 内容は、龍馬記念館入館者の皆さんの中で、龍馬に手紙を書いたその筆者を取材したものである。10分そこそこのリポートだが、面白い。瞬間ジンときたりもする。それぞれの龍馬への思いが、それぞれの人生で綴られる。
震災、若さゆえの挫折、外国でのチャレンジ、戦争。
年代も、生活エリアも違う皆さんが「家族」のキーワードでしっかり結ばれている。
教えるのは、そう、「龍馬」。「龍馬さん」「龍馬サマ」「リュウマ」

 桂浜の龍馬像ははるか水平線を見やっている。
波の音、夏雲の広がり。蝉の声。
沖ゆく貨物船の船腹に白いラインが揺れる。
風はほんの少しだ。
「龍馬と私は」あと一回。8月1日の金曜日である。

1万件を突破

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 館のインターネットを使った「龍馬検定」のアクセスが1万件を突破した。
3ヶ月での達成である。
さすが龍馬さんの実力だと思う。それだけ、広く浸透しているということになろう。
25問、1問1分の制限つき。
これが思ったよりプレッシャーだ。

 現時点で100点を3割ぐらいが占めている。
まだ徐々に増えてきている。
つまり、1度敗れて、なにくそ!もう一回!のチャレンジ組がいるらしい。
実は私も、3回アタックした。
100点「見事ぜよ」キャラクターの龍馬君にほめられて、
パソコンの前で独りニヤついている。

 8月から、中級編の開始。
これは有料である。
よほど自信なくして挑戦できまい。
ただし、それなりに賞品を用意する。
それも12月開始の上級編の前哨戦。
中、上級合格者の氏名は、館内の目に付くところに表示したいと考えている。

 出版社のAさんが、このところ、龍馬記念館に日参である。
 日を追うごとに足どりが軽くなってきた。
 口も軽い。
 笑顔も出てきた。
 Aさんには、今回、龍馬記念館の入館者が龍馬に寄せて書いた手紙「拝啓龍馬殿」の製本化を依頼している。これは手紙12,000通から1,500通を選び一冊にまとめたものである。本の題名は土佐弁で「ほいたら待ちゆうき 龍馬」。訳すと、龍馬が「分かった、待っていますよ」という意味。作業に着手してから1年になる。いよいよラストスパートに入った。

 ただ、ここにくるまでに、Aさんとは幾度となく意見が衝突した。
 その苦労がやっと実ろうとしているのだ。
 笑顔のAさんが今や主導権を握った。
「さあ、皆さんがどう反応してくれるか。内容は言うことなしなんだから」
Aさんは龍馬ファンでもある。龍馬とファン、両者は“個人回線”で繋がっている。会話は心のやり取りである。
「龍馬監修の“心の辞書です”」AさんのVサインは肩の上であった。
 本は月末から全国の書店に並ぶ。

風になった龍馬

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 6月は一年で館が一番静かな時期である。
梅雨の真っただ中。
駐車場に停車している車の下で、野良猫が雨宿り。
時は静かにけだるく流れていく。
 2階フロアに上がってみる。
「近江屋」のセットが妙にシンと鎮まっている。
若い学生風、女性の二人ずれが無言で部屋を見つめていた。
頭の中にそれぞれの龍馬と慎太郎がいるに違いない。
ひとりが、ゴックンとつばを飲み込んだのが分かった。
それを合図に、二人はふわりとその場を離れた。

 気が付いた。
館内に音楽が流れている。
緩やかに、緩やかに、疲れをとかすように。
「出会いの達人・龍馬」展に合わせて2階で開催中の「もう一つの展覧会」展。
歴史資料の中に、現代作家の作品が架かっている。
絵画、書道、俳画そして音楽も。
そう、流れているのは、
シンセサイザー奏者、西村直記さんの「風になった龍馬」だ。
西村さんは、この展覧会に龍馬をイメージして10曲を用意した。
それが、エンドレスで回る。龍馬の世界である。

 さっきの二人づれが、並んで“龍馬の見た海”を眺めていた。
曲は「龍馬フォーエバー」に変わった。

お龍サン

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 一枚の写真が、日本国中を話題の風に巻き込んだ。
坂本龍馬の妻「お龍」の写真である。
小粋な芸者さんスタイルで、これは誰が見ても美人サンだ。
ただし、この写真が「お龍」かどうかについては両論あって対立している。
確かに「お龍」晩年の写真は確認されている。
しかし、その写真と若いこの芸者姿の写真が、同一人物かどうか。
歴史背景、伝言などが根拠になって、声高なのは、否定派である。
 館では、昨年「幕末写真館」展という企画展を開催した。
龍馬や志士たちの古写真を和紙に伸ばして幕末を演出した。
その中にくだんの「お龍」の写真を入れた。
もちろん、「お龍と思われる」のコメントつきである。
一方、二枚の写真を、科学警察研究所に送り鑑定をお願いした。
なんと、4ヶ月を経て科警研から鑑定書が届いたのである。
顔の形、造作から、科学的に鑑定したものである。
結果、「この2枚の写真を別人と判断できる理由はない」。
つまり、同一人物との可能性が高いとの判断といっていいだろう。
 なにせ今度は科学的判定なのである。
“論争”はどう動くか。
「龍馬の嫁さんはやっぱり美人サンだった!」。
2枚の写真を「同一人物と見る」支持派が、勢いを取り戻すだろう。
しかし、一番喜び、胸をなでおろしているのは天国の「龍馬」。
あれ!側に“お龍サン”の姿も。

【写真鑑定-坂本龍馬の妻、お龍】のページへ

龍馬ハ生キテイル

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吹き抜ける風の如く“大型連休”が往った。
 「帰省ラッシュ」、やれ「Uターンラッシュ」。そんな言葉が耳元をかすめた。
かすめたと思ったら“祭り”の後を、洗い流しの一雨が来て、
今日の“龍馬の見た海”は、水平線しんなり、すっきり。
早、夏の匂いを運んで来る。

 現在、館の表看板は「出会いの達人・龍馬」展-友情編-である。
人生、出会いの大切さはいうでもないが、昨今の殺伐世相がその思いを増幅させる。
弱者の命が、たわいなく奪われていく。
連鎖反応を起こしたかのように、日本国中が殺人現場。
お金に眼がくらむ。一方、理由はないというのが不気味ではないか。
もっと、怖いと思うのは、そんなニュースのすぐ隣チャンネルで、お笑い番組が同時進行中なのである。“現代は幕末よりもっと病んでいる”などと少々憂鬱になっていた。

 と、そこへ一枚の額が届いた。書道家、沢田明子さんからの作品である。6月から、出会いの達人展に歩調を合わせて企画している「もう一つの展覧会」展、少し説明すると、過去、館の「海の見える・ぎゃらりい」で展覧会経験のある先生方に、今度は“出会いと龍馬”をイメージしてそれぞれ制作して頂き、作品を古い資料などのスペースに展示しようというもの。もちこまれたのはその展示用と言うわけ。 早速、見せてもらった。額の台紙は英字新聞。そして赤い紙にあっさり
 「龍馬ハ生キテイル 33才ノママデ」。
引き込まれるような波動が伝わってきた。気分まで晴れてきた。

大型連休

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 さあ、連休のスタートである。春から夏へ季節は動く。館の前にあるクスノキはもくもくと新緑を噴き上げている。坂道を登って来られる入館者の皆さんの額に汗が光る。水平線は春霞の中にある。しかし、海は青い。青くかすんでいる。漁船が白く航跡を曳いてその霞の奥に消えていく。

 館内にも浮き立つような気分が満ちてきた。展示資料自体が居ずまいを正しているように見える。「よーく見てくれ」、と胸張って正座しているものもあれば、つんと澄ましているものも。龍馬が乙女姉さんに書いた手紙なんかは、「内々に」などと言いながら実は読んでもらうのを待っているかのごとくオープンである。朝、館内をひと回りするとそんな空気にやる気を刺激される。

 折から館の企画展は「出会いの達人・龍馬」展。人と人の出会いが社会を創る。それが平和の原点だと龍馬の生き様に感じるわけである。前期は「友情編」、後期は「恩師編」となっている。
 あだ名で呼び合う“先輩”武市半平太。身分を越えた“友人”小松帯刀。頼りがいある“友人”西郷隆盛。尊重、信頼し合う“友人”桂小五郎。いわずもがなの“友人”高杉晋作。ずばり“戦友”中岡慎太郎…まさに、出会いが人を“創る”のである。
 連休期間中、館は例年多くの人でにぎわう。龍馬を通せば皆さん知り合い。県下では「花・人・土佐であい博」も開催中。出会いを満喫しようではありませんか。

桜映して

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 4月になって、記念館周辺の桜が満開である。
県道から館への導入路も、行き着いた先の駐車場もピンク化粧だ。
そして1週間も経つと、早、はらはらと落ちかかり、道路が花びらの絨毯になっている。

 館では今年、季節のカレンダー制作を企画している。
そのために館を取り巻く四季を昨年から写真に収めてきた。
1月、2月の透明な海。一文字の水平線は緊張感さえ感じさせる。
3月は、ジャコ漁、豊饒の海である。そして4月とくれば、これは桜しかない。
「早く撮らないと、散ってしまいますよ」。
職員さんに言われて、カメラを持って外に出た。
こぼれんばかりの桜に、圧倒される。館を背景にパチリ、パチリ。
「桜」「船中八策の広場」「ガラス張りの館」「海」「空」。
アングルには事欠かない。

 「ここにもいい所がありますよ」と教えられたのは、なんと2階の展示室であった。
「桜テーマだから」「まさに桜ですよ」
「屋内じゃあ」「まあ来て、これを見てください」
展示室では、現在常設展「刀は語る」の展示中。
メインに5振りの刀が光っている。
刀の背後には龍馬、中岡慎太郎、武市半平太らの掛軸。
「ほら、ここから見てください」促されて示された場所に立って驚いた。
展示ケースのガラス面に玄関外の桜がくっきり映っているではないか。
桜の下を行く龍馬らの姿がある。時代を暗示する刀。
「たまたま、この光景を見てなんだか胸が熱くなりました」。その職員さんの感想であった。
 展示ケースに映った桜が、カレンダーに登場するかも知れない。

 晴れ、雨、晴れ、雨…。これに寒暖が加わる。わずか一週間の間での季節の変化だから、気を抜くと風邪にやられる。春のおとないは気を持たせながら、やって来る。

 龍馬記念館に来た“はる”は大阪から、クレーン車でやって来た。
まるで晴れ着衣装で着飾ったかのごとく、分厚く梱包されていた。
「エアタイト型展示ケース」という。ケース内を密閉状態にするのが特徴で、つまり、中に展示された資料は破損されない、いや、厳密には破損されにくい。
 博物館や美術館では企画展ごとにお互い資料の貸し借りが行われる。重要、貴重な資料になればなるほど当然慎重になる。
 そんな時「エアタイトにしてくださいよ」。貸すほうから指定される。持ってない場合は、展示ケース自体を借りてこなければならない。算段がつかぬ場合は、資料を借ること自体が不可能になったりもする。
 龍馬記念館も美術館から借りた経験がある。企画展のグレードを上げるためにも、目の肥えた入館者の要求に応えていくためにも、エアタイト式展示ケースの設置が望まれていた。それが、今回一挙に4基入った。かなり充実した展示が可能になった。

 クレーンで下ろされ、地下2階のドアをくぐって、企画展示室の中央に腰を据えた。「ちかっ」とライトが入る。一見、他の展示ケースと何ら変わりはない。入館者の皆さんも気づきはしまい。しかし、なんとなく頼もしげに見えるのだ。
 近じか、驚くような資料をこの展示ケースで、お見せすることが出来ると確信している。

人間の達人

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 「出会いの達人」。へえーそんな“達人”がいるんだ?。聞いた時には一瞬シラケてしまいそうだが、「龍馬のことだよ」と説明されると、「なるほど、そうだな」と、一も二もなく納得してしまう。剣術だけでなく、そういえば何につけても龍馬は“達人”なのである。
 行動範囲の広さからして、“早足の達人”、桁外れの想像力から言えば、“知恵の達人”、女性のファンも多かったらしいから、“恋の達人”。大金にしろ小金にしろ、お金を他人から引き出すのが上手かったことからすれば、“借金の達人”。ブーツやピストル新しい物に目がないのは、“流行の達人”。まだあるぞ。子供の時には10歳越えて不始末していたから、“おねしょの達人”。
 ああ、ただ一点、“無警戒の達人”だったことだけは悔やまれる。しかし、“人間の達人”であったことは紛れもない。

 館では、4月19日から「出会いの達人・龍馬」展を開催する。前期を友情編、後期を恩師編として130日に及ぶ特別企画展である。桂小五郎、高杉晋作、西郷隆盛、中岡慎太郎、勝海舟、横井小楠、河田小龍…。幕末を動かし近代日本の土台を築いた面々が貴重な資料と共に登場する。“達人”の腕前をじっくり披露できる企画展にと、“龍馬の達人”を目指す学芸員が作戦を練っている。乞うご期待である。

装道

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和服姿の3人の女性が「坂本龍馬記念館」に現れた。
皆さん背筋が伸びておられる。
応接室がびんとシマって華やいだ。
「装道」=そうどう=
舗装した道ではないだろうし…
聞き慣れぬ言葉に、一瞬詰まった。不勉強も恥じた。
それを、見透かしたようにやんわり説明いただいた。
着物姿に「装道」だから着物に絡むことだとは少しは想像した。
「単に着物の着方とかではなくて着物を着ることで、人の心、礼儀作法を学び、内面から美しくなろうというという“道”です」
説明を受けて納得である。
「お節句、お正月、節分…現代のドサクサに紛れて薄れていくしきたりは“日本の心”の喪失です。こんな世の中だからこそ、失ってはならぬと思います」。説得力も充分。「だから子供たちに伝えたい」と念をおされ「龍馬記念館と何か一緒にやりましょう」。身を乗り出していた。
 それで一つ提案があった。
 桂浜での“時代パフォーマンス”。単なる仮装大会ではなく、自宅の箪笥深く仕舞ったままの古い着物や服を取り出し、袖を通して桂浜をあっちぶらぶら、こっちぶらぶら、空気を“昔”にしようというものである。折から県下は“であい博”。ならば「時代との出会い」。その日一日、桂浜は昔に戻る。昔から今を考える。
 面白いと思う。

龍宮祭

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 “龍馬の見た海”が、時折かすむようになった。
西の山を見れば、頂上付近は雪化粧だ。
遥かなる水平線に雪の峰々。
冬と春とが競争を始めた。
 突然というか、機が熟したというのか桂浜に一陣の風が起こった。
浦戸住民皆さんが巻き起こした思いの風とみる。
熱い、熱い。「桂浜再生促進協議会」という。
「坂本龍馬記念館」もその風の中にある。
根底にあるのは、このところ低迷している桂浜の活性化にほかならぬ。
龍馬思想の普及、新たな龍馬ファン獲得を目指す館にとっては由々しき問題に違いない。
 熱い風が渦を巻きだした。
浦戸は昔、漁業で栄えた。船を持っていた。新造なると記念に大漁旗や祝いの旗を作った。皆で祝った。そんな旗類、現在は押入れの奥く深くにしまわれている。この旗をもう一度取り出して、桂浜をその旗で埋めてみては、そんなアイデアが提言された。ちょうど4月20日(日)は桂浜の「龍宮祭」。歴史を刻んだ古い旗は迫力だと思う。
祭りの景気付けにもなるから一石二鳥、いや、折から高知は「花・人・土佐であい博」開催中。一石三鳥だ。
 砂浜を埋め尽くした祝いの旗が、桂浜を訪れた観光客を迎える。まさに浜ごと“出会い”ではないか。それに動き出したのが平均年齢だと70歳に近い、昔ならじいさん、ばあさんパワーというのもユニークである。
 息子の代、孫の代への“これは責任”と頑張っている。
祝い旗、大漁旗で埋まった桂浜。想像するだけで、胸が躍る。

古写真と土佐和紙

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「幕末写真館」展がいよいよスタートした。
今回、企画展では館としていくつかの新たな取り組みをしている。
 まず、展示場所として普段は使う地下二階の展示室は一切使用しなかった。その代わり、二階を全て展示室、つまり写真館にした。南北の通路は“幕末通り”、北隅の展示室は“龍馬スタジオ”の暗室に作り上げた。
 幕末15年の幕開けはペリーの浦賀来航である。眠りを覚まされた日本は蜂の巣をつついた騒ぎとなった。歴史が動き出すのである。桜田門外の変、生麦事件…カメラマンの龍馬に休む間なし。

 古写真は140枚になった。借り先は、全国に散らばる資料館や博物館、もちろん個人所蔵のものもある。何回か連絡のやり取りをして希望通りの枚数をそろえることが出来た。さて、次は借りた古写真をデーター化して、和紙に大きく引き伸ばし、パネル化する。この作業がなかなかであった。等身大に引き伸ばしていくため何枚かの和紙を繋ぎ合わせていかねばならない。継ぎ目がずれたりしてはお話にならぬ。それが和紙は柔軟性があって、微妙なずれは紙を延ばすことによって対応できた。何よりの長所は、焼付けた写真がどの角度から見ても反射しないことである。和紙独特の柔らかさが写真の雰囲気を高めている。ちょっと触れると分かるが、手触りもいい。
 パネルに和紙を貼る作業で、大方の志士に触れた。最後のほうは心意気にまで触れた。

 久々雨の土曜日。カルチャーサポーターの皆さんが早くも門松を作ってくれた。しとしと雨は降り続く。「いつもより立派に出来た。年々上手になる」リーダーの I さんが顔の雨滴をぬぐいながら満足げである。頬高潮させて、幕末の志士たちとの対面を楽しんだ入館者の皆さんが、門松と龍馬像を背景に「パチリ」。龍馬記念館にはやお正月が来た。

ありがたい

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 一つ重荷を下ろした感じである。
そうはなるだろうとは自信はあったが、決まるまではなんとなく落ち着かなかった。
例の、坂本龍馬記念館の運営管理に絡む「公募」問題である。
館はこれまでどおり県文化財団傘下の施設として運営を続けることになった。
この半年あまり、次の企画展の準備をしながらも、
乗り切れないムードが館に満ちていた。
やっと枷の解けた猟犬のようなものである。
一挙にエンジンがかかってきた。それもトップギアで。
面白いもので、そうなると館の雰囲気までが一変する。
職員の足取りまでが気のせいか弾んでいるよう見える。
 ふっと気がついた。どうも周辺の人たちも気遣ってくれていたらしい。
まるでなにかの試験にでも合格したかのように「よかったですね!」の声が舞い込んできた。わざわざ訪ねて来てくれる人も。
「これで話がし易くなった」などと当人よりも気を揉んでいてくれたり。
ありがたい。
 胸のつかえをとって見る冬の海は、光のじゅうたん。地球の裏側までも巻いていそうな、光の道である。来週からの企画展「幕末写真館」展の準備もほぼ完了。館は一足早い新年である。

龍馬の洗濯板

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 龍馬記念館のショップに、一つ新商品を置いた。
題して“龍馬の洗濯板”。ご想像の通りです。
龍馬の手紙、文久3年、龍馬が姉の乙女宛に書いた手紙、通称「日本の洗濯」からとったものです。 「…日本を今一度せんたくいたし申候事ニ…」、幕府のだらしなさから、乱れた日本を立て直そうという内容です。“洗濯板”はそこからの発想です。

 で、生まれた洗濯板ですが、縦21センチ、横10センチ、横幅は葉書サイズです。ただ、厚さが14ミリで頑丈に出来ています。そんじょそこらの洗濯板とちょっと違うのは、まず材がトサザクラ。裏面には「高知県立坂本龍馬記念館」と刻印が打ってあります。つまり、高知ならではの館のオリジナル商品。
 少々自慢なのは、これがそのままポストに投函できる葉書としても使えることです。用意してある葉書に便りを書いて洗濯板に貼る。当然、切手(240円)が必要ですがそれでOKです。ちょっとしゃれたおみやげだとは思いませんか?

 まだ、ショップに並んで1週間です。先日、こんなお客さんがお見えになりました。“面白い”と手に取って一個お買い上げになりました。ショップの職員がすぐに添付の葉書を渡そうとしました。
 すると、「葉書は要りません」
 「えっ」と不審がる職員。
 「いえ、これは私が使いますので、洗濯板として」
 職員は、目パチクリでした。
 因みにこの“龍馬の洗濯板”のお値段は一個1,500円です。

古写真の面白さ

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 次の企画展、12月17日スタートの「幕末写真館」展が迫ってきた。
古写真を和紙に引き伸ばして展示し、館の2階に“幕末”を創る。
館が写真館になるわけだ。カメラマンは、坂本龍馬。
龍馬の目で見た幕末が浮かび上がる趣向である。
 今、その仕掛け作りに追われている。
 気付いたことがある。
写真を大きく引き伸ばすことで、見慣れた写真でも、これまで気付かなかった事実が見えてきたりすることだ。
「あれ、手に何か持っている?」「同じスタジオの写真だ!」等々。
納得もすれば、新たな疑問が現れたりもする。
 西郷隆盛は写真嫌いもあって、現存の写真がないのが有名である。
よく見かける西郷さんの顔は実は似顔絵。
しかも描いたのは外国人で、彼は西郷さんと面識はない。
弟やいとこの写真の合成画だという。それが、西郷さんの顔で通っている。
 逆に、龍馬には7種類もの写真が残っている。龍馬は写真好きだったとみえる。ただ、どの表情にも「チーズ」はない。
 一人で3枚という人も。
新撰組の近藤勇がそうだ。同じ時に撮っているが表情は異なる。
社会風俗の写真も用意した。写真から時代背景を想像する。
新しい歴史事実がみえてくるかも。
 楽しみながらの残業が、当分続く。

龍馬臨濤

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高松紅真先生が、「海の見える・ぎゃらりい」で個展を開いている。
 “龍馬臨濤”。
この空間になんともふさわしい。
激しく、それでいてたおやかな筆致が、どきどきさせる。
真っ黒な墨、淡い墨。
跳ね上がった筆の力。
紙の奥くに押し込めてゆく圧力。
「風」「夢」「窮」「光」「人」「遂」。
どれも、語りかけてくる世界がある。
 「親子孫」「一本の鉛筆」、海際に「天道」。
龍馬の見た海が、そのままここに存在している。

 着物姿の高松先生は気さくに対応する。
館の職員の如く、館の展示品まで説明しているから面白い。
違和感がない。
「私も詳しくは知りませんけど…」と県外から来られた観光客のおじいさんに、
龍馬が襲われた「寺田屋」の説明である。
説明途中、分からないところで、
お二人顔見合わせて、てれ笑いだ。
外はくっきりの水平線。冬近し龍馬の海は光っている。

近江屋・対談

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 館に設置した原寸「近江屋」=龍馬・慎太郎暗殺現場=が人気である。
 中に上がりこむ入館者の皆さんも少なくない。記念写真を撮る組もいる。龍馬の座っていた場所がポイントである。わずか8畳。歴史はここで回転した。そう思うと、不思議な感覚に捕らわれる。神聖な場所のように見える。そのうち、考えが浮かんだ。

 この部屋で、いろんな道を歩む人たちに、“時代を動かす話”をしていただこうと。
 政治、社会、経済、文化…ジャンルは問わない。熱い思いをそれぞれに語っていただく。月に一回。まさに「近江屋・対談」。
 スペースが狭いのがちょっと難だが、限定30人ほどなら何とかなる。早速、人選に入った。そしてトップバッターがあっという間に決まった。この人しかいないという人物である。
坂本家、9代当主、坂本 登さん(東京在住)だ。
 登さんは11月15日、龍馬の生誕祭に出席のため高知へお見えになる。そこでお願いの電話を東京にかけた。受話器の向こうで、いつもの「フフフ…」の笑い声と「いいですよ。難しい話抜きで」。快諾していただいた。
 坂本家9代当主が、「近江屋」に座る。床を背にして火鉢の前に。
 その光景を想像しただけで興奮している。
 11月15日午後5時半(予定)館は“幕末”の風が吹く。

樋口真吉展始まる

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“歴史街道”を歩いていると、思わぬ人物に出会ったりする。
声をかけて、ちょっと話したのがきっかけで、生涯の友になったりもする。
樋口真吉さん(1815~70)がそうである。
「えっ知らない?やっぱり。ちょうど、真吉展を始めました。ご覧になってください。真吉と龍馬の関係を通じて、幕末が見えてきます」。

 詳しくは-龍馬を見抜いていた男-「樋口真吉展」12月16日まで。
第一会場(B2)でいきなり見せます。真吉の剣豪としての一面です。独特の剣さばきを支えた、独特の長い刀。肉厚の先細、無反り、一見槍である。作は名刀工「左行秀(さのゆきひで)」。刀剣ファンなら見逃せない名刀という。朝に晩にこれを鑑賞している。まこと、美しくて、柔らかくて、それでいて毅然としている。吸い込まれそうな魅力とはこのことを言うのだろう。これを腰に帯びていた「樋口真吉」という武士を想う。

 二階会場は、20センチほどの人形になった真吉と、和紙に焼付けられた等身大の真吉が待っている。中心になるのは、真吉が残した日記「遣倦録(けんけんろく)」だ。小さなノートだ。だがそこに真吉が龍馬に寄せる深い思いが一言で残されている。「坂竜飛騰(ばんりゅうひとう)」。“龍馬がいよいよ、新しい日本国を創り出すために、動き出したぜよ”そんな思いが込められている。先に書かれた字の上に黒々と重ね書きしている。真吉の確信に満ちた気持ちの高ぶりを、太字の迫力に感じるのだ。
 龍馬と真吉には20歳の年の差がある。若い龍馬と年上の真吉が“幕末街道”を駆け抜けた。砂塵を巻き上げて。
 ご鑑賞下さい。

異次元の世界

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 現代洋画家 武内光仁氏の作品といえば「大作だろう」がまず口に出る。小さなギャラリーでは展示スペースが間に合わない。「大丈夫?その辺を考慮して展示してくださいよ」。そう注文をつけて、館の“海の見える・ぎゃらりい”での展覧会をお願いした。「問題ない」という武内さんの言葉を信用して。
 ところがどうだ。展示の日、館の横にはびしっとトラックが横付けになった。作業員がばらばらっと降りてきた。奥さん御本人も加えると5人である。「それでは飾り付けを始めます」。そして合図で取り出した工具類の物々しさは、半端ではなかった。
 肝心の絵は4点。それだけ。入り口の小品を除くと3点は大作である。一番大きい一点にこんな注釈が付いていた。“本来13メートルある内の一部です”。巨大な指である。大きな指先がなにやらボタンを押している。もつれるように広がっているのは巨大フィルム?だとすると、ボタンを押し間違ってバラけたフィルムか? 展示されているのは手首の部分で、しかも展示場のコーナーで直角に曲がっているから、直線に伸ばすと、見事だろう。それが見たくなった。絵はブロックに分かれていて、ごついボルトで繋いでいる。
 何とも言えない存在感である。色彩の鮮やかさにもたじたじだ。まるで色の壷に投げ込まれたかのような錯覚に捕らわれる。身体も心も色に染まる。
 題は「HUMAN  LIFE」。難しいゾ! この展覧会の総合テーマは「龍馬さん 土佐乃国→混迷する世界へ」-今、今だから、今こそ、今展-。 異次元の別世界へ連れ込まれた。まさに 武内さんの空間。
 そういえば、龍馬は「土佐にはあだたん男」であった。武内さんと龍馬。共通点があるような気がしないではない。

秋の陣

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 残暑厳しく、などと悠長な事を言っている間もなく、夏がゆく。
人のざわめきも、蝉の声も一瞬のうちに消えた。
沖から寄せる波のうねりさえも化粧を変えた。青さを増している。
空も雲も高くなった。
 夏に燃えた -暗殺140年・時代が求めた“命”か- 坂本龍馬・中岡慎太郎展も、一ヶ月の幕を閉じた。京都博物館やゆかりの人たちにお借りした貴重な資料は、学芸員たちが今、お返しに散っている。一週間はかかるだろう。
 ただ、その一方で、早くも秋の企画展の仕込みが本格化してきている。10月からの「樋口真吉展」。龍馬が人生で最も信用した男の物語である。ところが、不思議な事にこれまであまり世間では知られていなかった。だから企画展はこの人物を広く世間に紹介するのが狙いである。
 歴史に名を刻む人は一握りである。多くは時の流れに飲み込まれたままになる。しかし歴史が、その他大勢の犠牲なくして動かないのも事実なのである。
 龍馬と樋口真吉のつながりに、志に生きた男の気概に満ちた生き様を、感じてもらえればと思っている。
 また、龍馬、慎太郎が襲われ命を落とした「近江屋」8畳間のセットの館2階への設置工事も開始した。少し変わった展示場になるはずである。入館者の皆さんに歴史の動いた部屋を体験していただく。
 まだある。これは館の存亡がかかっていると言ってもいいだろう。館の運営、管理者を決める「公募」が目前に迫った。新たに民間が?今まで通り県の文化財団が?
 龍馬記念館にとっては風雲急を告げる「秋の陣」である。

近江屋

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 8畳の間である。正面にお床。
お床の前には長火鉢、横に行灯。
お床には掛軸が架かっている。
部屋の隅に金色で大型の屏風。
二階の端部屋なので天井が軒方向に傾斜している。したがって天井が低い。

 三館(歴史民俗資料館、坂本龍馬記念館、中岡慎太郎館)合同企画展、-暗殺140年・時代が求めた“命”か-「坂本龍馬・中岡慎太郎」展が開催して1週間。多くの皆さんにご覧頂いている。貴重な資料と共に、「近江屋」の原寸大のセットを、歴民の2階エントランスに置いた。歴史の動いた部屋の雰囲気を、感じてもらおうとの試みである。

 午後10時ごろだったという。
龍馬と慎太郎が火鉢に向き合って話し込んでいた。
「倒幕」。新しい日本をめざす目標は二人は同じであった。ただ、方法が違った。武力倒幕を主張する慎太郎、平和的に会話で成そうとする龍馬。同じ土佐人、勤王党員。議論に熱が入っていたろう。暗殺者が階段で龍馬の身の回りを世話していた少年、峯吉を切った騒ぎで、物音が起きた。「ほたえな!」その物音に龍馬の声が応じた。「ほたえな」は普通、大人が子供を叱るというより揶揄する言葉である。だから、そこに殺気を感じた危機感はない。同時に躍りこんできた暗殺者は二人を切った。暗殺者は誰だったのか?分からない。
 ただ、この事件で歴史の歯車がゴロリと回ったのは事実である。

 二人の学芸員が、実演して見せた。
「ここに龍馬が。慎太郎はここに」
「掛軸のこの血痕は龍馬でしょう」
聞いているうちに鳥肌が立っていた。
その「近江屋」が、9月以降、龍馬記念館に備えられる。

 梅雨明け直前の桂浜の海は、霞の中にある。
水平線もあいまいで、寄せてくる帯状の波が、ベールの向こう側から抜け出るように姿を現してくる。
生暖かい湿気を含んだ風は、運動神経にまでまとわりつく。
それが、最後の信号とも言える。
 「さあ、もうそこまで!」とばかり一斉に蝉がトーンを上げて鳴き始めた。
 謝謝謝(シエシエシエ)…から、既に、民民民(ミンミンミン)。
まるで、参院選挙の宣伝か?
 その声に押されて、館の南端いつもの“空白のステージ”に立つ。
眼前には龍馬の見た海である。
霞の奥が覗けるような気になって、目を凝らすと、眼下に見える椰子の木前方海面に道路が走っているではないか。
いや、海面ではなく、道路の上を波が洗っている。
つまり、海中にガラスドームの道路があって、それが上から見える感覚なのだ。
 トラックが乗用車が列になって、何の支障もない。
不思議の空間。道路は東に向かって水平線を目指す。
 面白いのは、この道がどこからでも見えるものではないことだ。
館の南端、しかも海に向かって左側の先端50センチ四方のポジションに限定される。ここしか見えない。
そこで、そこに足跡で表示した。“幻の道”が見えるスポットと。
 この不思議の正体は、実は館のガラス張りの構造にある。
館の海に向かって右手に見える、桂浜花街道がガラスに複雑に反射して、反対側の海にもぐりこんでいるものらしい。
 しかし、不思議です。毎日見ても不思議です。
 ミンミン蝉は鳴き狂っています。

沢田明子の世界

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“海の見える・ぎゃらりい”で書家・沢田明子による「龍馬と沢田明子展」を始めた。
先生が龍馬記念館ように選んだ21点。
ぴたりと収まって、さすがの世界が広がる。
ギャラリー入り口に「飛騰龍馬之国」の筆がライトアップされて躍った。
赤い紙に、黒々と。
 何かわくわくさせる空間の存在を予告する。
真っ直ぐな目線の先にはガラス越しに太平洋。龍馬の見た海。
水平線が天と海を二分する。
その時点では先生の作品群は目の中に入らないが
“龍馬之国”に入った途端、包み込んでくる気配がある。
一瞬、目は釘付けだ。
 大作、横一本の「一」。これも赤い紙に黒字で「一」。
面白いのは「一」の字が紙の半分から始まってはみ出ている。
起点はわかるが、終点はない。
どこまでも果てしなく続いていく線のイメージ。
「永遠の一」。無限を意味しているのだろう。
「日曜市」「桂浜」「りっしんべん」「鮎の宿」「海幸彦山幸彦」見慣れた書道展の雰囲気ではない。
「直線と余白美、これが私の作品のすべてと言ってもいいでしょう」。言葉に力を込めた。
が、「書も絵も俳句も一緒よね、みな同じ、お料理も・・・」笑顔が素敵なおばあさんになった。
粋なおばあさんである。

龍馬と直談判

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 世の中一体どうなっているのか?怖くなってくる。
“不可解不安雲”が日本をいや地球をすっぽり覆っている。
 母親の頭部を切断して持ち歩く少年がいた。
運動も勉強能力も優れていたという。
だとすれば勉強、スポーツそれ以前の謎。
背後を無理やり覗くと
闇よりももっと暗い漆黒の空間がパクパク口をあけている。
 知り合いの少女をリンチして、小指をはねた。
その小指を「カレーなべに投げ込んだ」と容疑者の一人が嘯いたと報道は伝える。「なにっ!」。言葉がない。
 火災でよく人が死ぬ。
心中、殺人、不可解なり。
 セクハラ農協職員、エッチな警察官、教師・・・なんかは数え上げるときりがない。
 原因は考えなくてもおよその見当がつく。拝金主義の蔓延である。
そこを起源に生じる各種ストレス。
それが嵐のごとく吹き荒れている。髪の毛は逆立つ。

 館に先日、こんなことを書き残して行かれた方がおられる。
「どうしても、なんとしても・・・」これが題。少し紹介すると
 -今日の悪政と経済悪と社会悪の流れを正したい。
その為に福島県から 坂本龍馬さんと直談判をするためにやってきました。(中略)「坂本」さんならばこの悪政、経済悪、社会悪をどのように正しますか?(中略)私は真に人の「命と暮らし」を大切にする為の政治を実現することこそ大切であり必要と考えるのですが・・・。
 同感、同感。その通りだと思わず膝を打つ。

 館に木の香が漂っている。発生源はヒノキのベンチとデスク。
館の中二階に先日、談話室「海窓」が誕生した。ここに、備品としてベンチとデスクが配置された。眼前に開けた、海の景色を満喫してもらおうとの趣向である。もちろん、ただ眺めるのではない。
一杯のコーヒーがあったりもする。
 実は、以前から「休憩場所がない」というのが館の弱点として指摘されていた。「折角いい景色、“龍馬の見た海“が呼んでいるのに」。そんな感想つきである。やっとその思いをかなえることが出来た。スペースはおしゃれな談話室に生まれ変わったのである。
木の香は、鼻孔から脳を通過して、心にまで届く。

 完成した次の日の朝、“一番コーヒー“を決めてやろうと出勤するなり「海窓」へ。出勤は一番乗りだったから、口笛もんだ。自販機用に用意したポケットの小銭をちゃらつかせながら階段を上がった。
見れば水平線。春霞を払ってすっきり一直線。波間にじゃこ漁の小船が揺れている。陽は明るく風は少し。
 “お茶条件”はこれに勝るはなし。なにせ「一番」。
海から、室内に視線を回した。そこであっと驚いた。先客がおいでた。清掃をお願いしているKさんとYさんであった。彼女たちの出勤時間の早さを忘れていた。ブルーの制服がすっかり雰囲気に馴染んでいる。
「館長さんお先に。いいですねえ、ここは。病み付きになりそうです」。
同感、同感。
“三番コーヒー”をじっくり味わった。

帯広

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 帯広に“まいった”
 雪原の帯広に飛行機はゆっくりと着陸した。
まるで雪面を滑るがごとし。
窓の外を流れる風景に、記憶のポケットを刺激された。
“どこかに似ている”。すぐに思い当たった。
 シルクロードの拠点、新疆ウイグル自治区の首都ウルムチのウルムチ国際空港の果てしなきたたずまいではないか。
重く天から覆いかぶさっている鉛色の雲。
しかし、空気は澄んでいる。
雪原の区切りのように、枯れた樹林の列が並んでいる。カラマツだろう。
ウルムチなら、これがポプラだ。
ふと、目線をカラマツの奥に向けた。
さらに続く雪原の果てに雪をかぶった山脈の気配。
目を凝らすと、確かに見えた。
ウルムチなら際立って聳えるのがボゴダ峰である。見入ってしまった。
空港ロビーを出て、風に当たっても寒さを感じなかった。

 そうだ、帯広に来たわけは先に館で開催した「坂本直行展」で借りた絵の返却であった。
製菓会社「六花亭」所有の中札内美術村から90点近い直行さんの絵を借りたのをはじめ、広尾町、同地区の農協などなどお世話になった先は数知れず。
驚いたのは、戻しに行って逆に大歓迎を受けてしまったことだ。
珍味の山々、そして何より情の笑顔。まいった。まいった。まいってしまった。

 冬山を降りてきた後輩たちを、十勝原野に住む直行さんはこんな風にもてなしたのだろうか。
翌朝、まさに青空の下に連なる日高山脈を見た。バス待つ見知らぬスキー帽をかぶった青年の立ち姿に知らず直行さんを重ねていた。
 それに、動き出したバスの前を、ヒラリ!横切った影は紛れもない“龍馬”と感じた。
 帯広は忘れられないところになった。

四ヶ月半。長丁場であった。
「坂本直行展」。
振り返る間もない時間の流れ、その早さに圧倒された。
「直行さん」と一日に何回言っただろうか。
絵の前を通る度に、知らず「直行さん」と呼びかけていたこともある。
そ知らぬ顔をされたこともあるが、じっくり話し込んだこともある。
時に、直行さんの方から呼び止められて、
十勝平原の見所を教えられたりもした。
「高知は暖かい、人情はさらに温かい。ひしひしと感じるなあ」
お世辞以上のほめ言葉に、こちらが恐縮してしまったことも。
絵を通して、直行さんの人柄に触れることが出来たと思っている。

 さて、最終日。朝早くから多くのお客さんである。
「六花亭」のチョコレートはもう売り切れてない。
しかし人波は途切れない。最後を楽しもうと、何回目かの入館者の方もおられる。
絵を見て、アルバム見て、また絵を見て最後にそう海を見る。
「ええ眺めじゃ」。お年寄りが腰を伸ばしていた。
 その姿に涙が出そうになるくらいうれしくなる。
 四つの会場を一巡りして、屋上への螺旋階段を上りかけたとき、
 直行さんの声が追っかけてきた。
 「ありがとう」。応えて「こちらこそありがとうございました」。

一生の思い出に

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その日は、館全体が浮き立っていたように思う。
坂本龍馬記念館、平成3年開館以来の入館者が200万人を突破するのだ。15年の歳月を費やしている。積み重ねの結果である。長く感じるが、調べてみるとそれでも個人の顕彰館とすれば早い。対象を歴史上の人物に絞れば、日本一となる。龍馬のそれが魅力だろう。
 さて、200万人目は、名古屋からお越しのIさんであった。
入館と同時に、待機していた報道のフラッシュがたかれた。
いきなりの取材攻勢にIさんは目をシロクロ。
正気に戻り、事の次第が分かるまでに少々時間を要した。
しかし、現実は歴史の節目であっても一瞬の通過点にすぎない。Iさんの後続は2000001人、2000002人,2000003人・・・。
 一週間が過ぎたころ、Iさんから館に便りが届いた。
お礼状であった。報道には驚いたが、「このような幸運に恵まれたことは一生の思い出になりました」と述べておられた。さらに、これを機会に、坂本龍馬についての勉強も考えているという。朝礼で職員の皆さんに披露したら、だれもが“うんうん”とうなずいていた。
 最後にIさんはこう結んでいる。今回時間に制限があり十分見学ができなっかったので「再度訪問したいと思います」。
うれしいお話ではないか。
「お待ちしておりますIさん。2000001人目だった奥様とご一緒にどうぞ!」。

 龍馬をイメージするならまず「海」が浮かぶ。
龍馬の心の広さと、行動力の象徴には海はもってこいだ。
実際、「海援隊」を始め、「いろは丸」「夕顔」・・・など、龍馬と海は切っても切れない。
 例えば、Tシャツを作ろうとする。
 龍馬の背景にあるのは海、または船となる。
それがまたよく似合う。
船のデッキに立つ龍馬は、腕組みをして前方を見つめている。
びんのほつれが、風になびく。
まさしく風雲児。
 桂浜龍馬の像がそのままのイメージで、龍馬ファンの脳裏に焼きついている。
なるほど、あれほど日本国中駆け回っているのに、馬に乗った龍馬などというのは聞いたことがない。
 ところで、館の「坂本直行」展はいよいよ最後。最終日3月31日に向けて、連日大勢の人出でにぎわっている。直行の絵を見に来た人が、龍馬の手紙を熱心に読んでおられる。
逆に龍馬の資料を見に来て、直行さんの絵の虜になった人も。
 直行さんの代表作といえば十勝大平原の彼方に連なる日高山脈、その光景を柏林越しに描いた「初冬の日高連峰」だが、その代表作は、館入り口の壁に大きく再現している。入館者の皆さんに北海道の大自然を体感してもらおうとの思惑あってのこと。それは成功したと感じている。
 もう一つ、おまけがあった。その壁に囲まれて龍馬の像が立っている。台座の上に立つ像だが、その頂点が、龍馬の身長に併せてある。これがなかなかの人気で、皆さん像の前で記念撮影をされる。気が付いた。その像の背景は日高山脈である。いつもの白い壁でも「海」でもない。“日高山脈を従えた龍馬”これは滅多に見られる構図ではない。
 入館の折には是非この構図の写真を一枚撮ることをお勧めします。
 ずーと年月が過ぎて、龍馬の珍しい逸品?になるかも。

 出勤すると、館内を一巡りする。
 展示に落ち度はないかのチェックが目的だが、最近になって別の感情が同居するようになったなと気づいた。展示を楽しむ気持ちである。特にお気に入りの絵の前では腕組みなどして味わっている。おこがましいが日高の山々、十勝大平原が、我が家の”庭“になってきたのだから。気持ち大きく、ひとりで浮き浮きしてくる。それが直行さんの”絵の力“に違いない。
 いや、そればかりではない。これは不思議な感覚に近い。
 並べて展示してある龍馬の写真や、真筆の手紙が、これまで以上に迫力いっぱいで語りかけてきだした。「・・だした」というのは、新鮮な感覚である。
 緊迫、殺伐の時代に龍馬が姉や、友人に書いた手紙が、時代を超えて生の声で伝わってくるのだ。壁に架けてある龍馬お決まりのポーズ写真が、直行さんの描いた、ネパール、ヒマラヤの絵と並んで違和感がない。まさに“競演”である。
 直行さんの絵が持つ力に私の胸奥で眠っていた鈍感な感性の扉が刺激されたのかも知れぬ。なにせ直行さんが、自然と向き合い対話を続けた期間は30年を超える。繰り返してきた問答の長さを思う。長い問答の末に、大自然が直行さんだから許す表情をのぞかせた。「直行さんお前さんは親友だよ」吹き抜ける風が“使者”に立ったのかもしれない。
 さすが直行さん、うむ、やっぱり龍馬。である。
 直行展は3月いっぱい。龍馬記念館入館者200万人達成も目前に迫った。
 来館をお待ちしています。

89歳の山男

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 北大の山岳部で、直行さんを知る Iさんが館に来られた。
Iさんとは「直行展」開催直前に館でお会いしたのが最初である。
何より「89歳」と聞いて、お達者ぶりに驚ろかされた。
動作が速い。足腰がしっかりしている。
重そうなリュックをひょいと担ぐ。
さすが山岳部OB。
若かりし頃の片鱗を十分に窺い知ることが出来る。
 北海道の仲間に直行さんの図録をと、数十冊の図録販売までもお世話になった。

 2ヶ月ぶりの再会である。
顔を合わせるやいなや、 Iさんは握手を求めてきた。
 手の位置が胸の辺りまでくるアクションの大きい握手である。
「よかったじゃあないですか。立派、立派。ほんといい企画展です」
通路の真ん中で、他の入館者も思わず足を止めるジェスチャーであった。
しかし、うれしくてこちらもついつい声が大きくなっていた。

 第三会場、直行さんのアルバムコーナーに、直行さんが列車からタラップ伝いに降りてくる一枚の写真がある。プラットホームには友人らしい人影が数人。皆さん背広姿。改まった会議の流れか?が、よく見ると背広ズボンなのに靴は、不釣合いな登山靴ではないか。
Iさんが言った。
「あの写真、私が撮ったのですよ。山の遭難事故があって、北大山岳部OBの連中が捜索に参加しました。そのときの、スナップです」。
 Iさんは遠くを見る眼差しになった。瞬間、時計が逆回りして、止まったように感じた。

 月琴。「げっきん」と呼ぶ響きがいい。
「月」だから、白昼は似合わぬ。
満月の夜もよかろう。もっと黄昏どきの方がいいかも知れない。
いや、いっそ、そぼ降る雨の夜は?
  先日、坂本龍馬記念館で新年コンサートを計画した。
  題して「“オカリナと月琴・出会いのデュエット“」
 オカリナは本谷美加子さん、月琴は、ハープ奏者の大村典子さん。
 本来お二人の関係は本谷さんがメインで、大村さんが伴奏役である。
 たまたまの行きがかりで、大村さんが館所蔵の月琴を弾くことになった。
 館の月琴は、幕末の頃のものといわれる。
 展示してあるが、もちろん弾いた記録もない。
別の企画展で、月琴の展示場所がふさがり、点検したところ乾燥によるひび割れなどが見つかった。
 修理できたら当然音が聞きたくなった。1月28日はそれでなくてもオカリナコンサートは準備していたので、大村さんに月琴を渡したという次第。
 大村さんも初めての経験。それでも2ヶ月ほどみっちり練習していただいた。

 当日。会場は160人満席であった。
本谷さんのオカリナに酔いしれた前半、突然、オカリナが月琴に代わった。
大村さんが月琴を抱えていた。
「ぽろん、ぽろん」と幕末が弾き出された。
誰もがぐっと身を乗り出した気配が伝わってきた。
脳裏に、退廃と希望、殺戮と一時の平和が一つになって醸し出す幕末の場面が浮かんだ。
龍馬のために、お龍が奏でるのはこんな風ではなかったかと想像した。
 聞きながら龍馬は何を考えたのだろう。二人だけの世界。
黄昏の陽の射す座敷に手すりの陰が落ちている。
横になった龍馬は、目をつぶっている。軽い寝息が漏れた。
「ポロン、ぽろん・・」。
お龍は、もう少し弾いていようと思った。
今年名月の頃、もう一度コンサートを開く。心に決めた。

去る人、来る人

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 館に9年勤めたベテラン職員のTさんが、退職された。といっても現役引退というのではない。家庭の都合で職場を替えるのである。人柄、仕事ぶり、誰もが“やり手”と認める人材だっただけに、館にとっては、しばらく痛手を引きずることになった。
 彼女Tさんは最後まで仕事の引継ぎに追われていた。
 少しでも抜ける穴を小さくするため後任を募集した。およそ40人の中から期待を込めて一人を選んだ。
 先日、歓送迎会も終えた。
 館は新メンバーを加えて、新体制がスタートした。
 春三月、桜散る別れの季節が、館には一足早くやってきた感じである。
 館の南端、“空白のステージ”に立って、龍馬の見た海を眺める。今日は水平線くっきり。このところ漁があるのか、漁船が多い。波間に張り付いている。30隻は下らない。うねりは長い帯になって水平線から寄せてくる。眼下の松の枝が揺れた。わずかに風あり。
 自然に両手は腰の上、足は半開きの“龍馬のポーズ”。
 時代の波、季節の波を感じている。
 「去る人」「来る人」。二人のパワーをもらって、坂本龍馬記念館は前に進む。

割れた竹筒

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「坂本直行展」入り口に、一鉢の生け花が置かれている。
「草木花塾」の主宰、郷田八代さんの作で、このことは、既にこの欄でも紹介済みだ。このグループの得意とするところは、野に咲く自然な草花をあしらって独特の空間を演出する手法である。
 普通のお花を生けるのとは少し違っているように思う。
それは単に“きれい”だけではなく、“存在感”とでもいえばいいのだろうか。
「今、草木は季節的に眠っている時期でしょう。その中から材料を探すわけですから・・・」草や木に、人に話しかけるがごとく問いかける。
労わる。感謝する。本当に大事にしているのが良く分かる。
 車の右前部、バンパー付近が擦れていた。
「山道が草で隠れていて、石に気づかなかった」とくったくない。
「車は傷だらけですよ」。
 先日、花瓶を古い竹筒に見立てた作品が登場した。
竹筒は20センチほどの高さがあった。節が二つ。苔が生えていて風情もなかなかのものである。午前中に生けたその日の夕方だった。
「パン」。大きな音が館の入り口付近に鳴り響いた。
居合わせた入館者もびっくりした。受付の職員も腰を浮かせた。
見ると、くだんの竹筒が見事に縦に裂けて、水が噴いていた。
館内の乾燥のせいで、竹が弾けたのだ。それもまた一興。割れた竹筒は郷田さんにお返しした。
「割れてしまったの。皆さんびっくりされたでしょう。ごめんなさいね」
郷田さんはしきりにお詫びして頭を下げられた。胸にしっかりわが子のように竹筒を抱えたままで。

新しき年へ

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「坂本直行展」。始まったと思ったらもう一ヶ月を超えている。
どうこう言っても4ヶ月半の長丁場だとのんきに構えていたが、このペースだと、とてもとても息を抜く暇などありそうにない。
 第一、館は今年、年中無休を宣言した。つまり大晦日も、元旦もない。
 特に元日は、午前7時30分開館である。初日の出に合わせて桂浜は人出でにぎわう。午前4時になると桂浜周辺の道路は車で埋まりびくとも動かない。館のお隣り国民宿舎「桂浜荘」は年末年始に空き部屋はない。そんなお客さんが言う。「お正月、どこか行くところがないかね?」。これに応えなくてはお隣りとしての分が立たぬというものであろう。龍馬記念館開館以来初めての元日オープンとなったわけだ。

 お正月を前に先日、一部展示の入れ替えを行った。一度つつきだすと、あれもこれもになって、結局作業は深夜までかかった。翌日改めて見て、正直“よかった”と我ながら納得した。ぐっと館全体が引き締まった感じがするのだ。以前が良くなかったと言うのではなく、良かったものがさらに良くなったと思ってほしい。
 展示物の一つ一つが磨かれた茶碗のようにぴかぴか光って見えた。館の入り口には大きな門松が、日高山脈(壁画)を従えて寒風に背筋を伸ばしている。内部の企画展スタート地点にはお正月用の松がすっくと生けられた。

 今日の桂浜は、冬の陽でまぶしい。
 北山には雪。
 水平線はブルーの帯、一直線。
 風は冷たし。ほてった頬には心地よしである。

 皆様、良いお年を!そして2007年もよろしくお願いします。 坂本龍馬記念館

あと一週間

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 障子を開けると朝湯気の窓に水滴が筋になって走り下りていた。
 冷気が滑り込んできた。
 外はまだ暗い。
 遠くで救急車だろうサイレンが聞こえ、耳を澄ますとふっと音は消えた。
 “病院に着いたんだ”ひとり合点して出勤の支度である。40分後には家を出る。今年繰り返されてきた日常の始まり。
 ただ、このところ家の門を出るたびに、胸にある緊張感が膨らんでいるように感じられる。原因は分かっている。頭から離れない館で開催中の「坂本直行展」のせいだ。始まって一ヶ月を過ぎた。地元入館者も増えている。まずまずの前半だが、いまひとつ物足りないと思うのは、これはもう性分かも知れぬと苦笑いでごまかすしかない・・・・・。
 まるでそんなマイナス指向の気持ちを察したかのように、先日、一鉢の生け花が直行展入り口に登場した。それは、直行、龍馬の顔が並ぶその下の空間を占領した、というより雰囲気に溶け込んだと言ったほうが当たっている。「騒ぐでない」と背筋伸ばした“武士”の存在感である。
 制作は、「草木花塾」を主宰する郷田八代さん。一枚のガラス板とガラスの花瓶、それは自家製だろうガラスをちりばめたような敷物。枯れて色ずいた野草。緑色は苔。それが素材の全て。「苔だけに水をかけてください。生き返ります。霧吹きでいいですよ」。「テーマは?キャプションつけてくれませんか」と聞くと「お好きなようにどうぞ」。にっこり笑って、あっさりお帰りになった。
 後で、館の学芸主任が「直行さんと六花亭にちなんで“六花”はどうでしょう。雪のイメージにもつながるし」で、
 「六花=りっか」とした。
 不思議な感覚にじっと見入る方もおられる。今年もあと一週間になった。

元旦、開館

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12月に入って、さすがに入館者が少なくなった。
「龍馬の見た海」も、しんと静まり、陽光だけが明るく海面に反射している。
水平線はくっきりと、濃紺の帯。荘厳でさえある。
 ゆっくり、館内を回ると、時に新しい発見に遭遇する。現在、直行さんのどの絵が、どの位置に架かっているか、目をつぶると73枚のあり場所をイメージできる。朝に晩に眺めているから当然だが、絵も見る時折に表情を変えているように感じる。描かれた北海道の山々が、しゃべりかけてくるような錯覚に捕らわれることもあるし、広大な十勝平原が、海に見えたり、砂漠を想像させたりもする。ほとんどが山ばかりの絵の中に、時に人間の営み光景が描かれたりすると、頭の中には物語が回り始める。
 皆さん、楽しんでおられるのは、それぞれの受け取り方で、絵が答えてくれるからだと思う。まさしく「龍馬」と同じだ。歴史書を抱えながら「龍馬いいですねえ」という方もいれば、「細かいことは知らん。とにかくええ」という方もおられる。共に龍馬を語る時は照れたような笑顔になるのは共通している。
 そんな龍馬ファンに応えて、今年、館は元旦開館を決めた。お隣の国民宿舎「桂浜荘」で年越しをするお客さんは、「初日の出」と「龍馬」目当てである。以前から、「1月1日開けてほしい」といった声が高かった。それに今年は特別企画の「坂本直行」展を開催中である。是非観てもらいたい館の思いもあって“元旦開館”を決めた。
 元日の日の出時間は、7時6分。桂浜の花街道は車で埋まるはずである。日が昇って30分ほどは車も動けないだろう。そこで開館時間を「7時30分」にした。午前3時には出勤して備えるつもり。心より入館をお待ちしております。

男前じゃ

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 今回―反骨の農民画家「坂本直行」展―の特徴の一つは、直行さんのアルバムを許される範囲で、最大限に使ったことである。直行さんは古い写真が実に多く残っている。よくこれだけ写真がと感心する。学生時代、続いて昭和10年代、直行さんが十勝原野の開拓に乗り出して以後のものも多い。
 写真のカラー技術がおぼつかなかった時代のカラー写真など、歴史的においを感じさせるものさえある。北大山岳部、孤高の開拓農民、そんな姿が、レンズの被写体として狙われやすい要素もあったのではなかろうか。
 それらの写真をデータ化して、和紙に印刷した。これが最近の技術である。分かったように言ってはいるが、本当のところ当方には理屈はとんと分かっていない。ただ、完成品は「おっ」と息を飲む出来栄えで、自分で頼んでおいて感心している。
 「いいでしょう」。自画自賛だ。「セピア色の写真が、和紙の柔らかさとマッチして」、一枚ずつ雰囲気をかもし出す。モノクロはモノクロで、カラーはしっとりの絵の如し。それに、最近の十勝原野で自然風景を撮ったショットも混ぜると、“引き立て役”である。直行さんはさらに強調される。
 先日お見えになった、初老女性のお二人の会話を聞いてしまった。
 「直行さんは男前じゃねえ」
 「映画俳優みたいな、いい男じゃ」
 「けんど、この写真は古いきねえ。修正しちゅうと思うぞね、そうじゃないとこれほど全部の写真が、これほど男前には写らんぞね」
 「そうかも分からんねえ」。
 飛び出ていって「違います!」と言おうかと思ったが、あまり楽しそうなお二人の会話振りに、雰囲気を壊してはと、思い止まった。皆さんも直行さんがハンサムか否か、確認にお越しください。

迫り来るもの

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 坂本直行展が動き出した。多くの方々に直行さんの絵と龍馬の手紙の“競演”を楽しんでもらっている。皆さん見方もそれぞれで、評価もさまざまである。
「この絵が、一目見た時から好きになって、もう3回見に来ました」。
 そんな熱心な女性もおられる。
 お目当てのその絵は、第二会場にかかっている「十勝岳新噴火と美瑛岳」。6号の小品である。聳える十勝岳も美瑛岳も白い壁。青空を背景に迫ってくる。空にかかる雲がいい。動いているような錯覚に捕らわれる。
「どの絵よりも私はこの絵に魅せられました」。
 言われてみると、この絵に同じような評価をした方が数人おられたのに気付いた。一人は書道家、「これが好きだ」と対面した時、見入ってしまった。
 もう一人、彼はたまたまその日、所属例会の席で「芸術品を見る目を養うにはいいものを見るに限る」とお話をした。いいものには目がない“自信家”である。世界のいいものを見て回っている彼の説によれば「いいものは、前に立つと迫ってきます」。彼は、直行展第二会場でその「十勝岳・・・」で急ブレーキがかかったように立ち止まった。「ほら、迫って来るでしょう」。
 自信たっぷり。その笑顔がじつに彼らしくて好ましかった。
 皆さん、是非おいでください。「十勝岳・・・」がお待ちしています。

リーフレット

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-反骨の農民画家「坂本直行」展- 開催まで一ヶ月を切った。館内に緊張感が満ちてきた。事務所の予定表には、開館までにこなさなければならぬスケジュールが毎日並ぶ。
 最初に形となったのがリーフレット。入館者の皆さんにお配りする、展覧会の紹介資料だ。展覧会のひとつの“顔”でもある。それだけに、完成するまでには紆余曲折があった。
 何しろ注文が難しい。
「一見リーフレットらしからぬ、よく見ると極めつけのリーフレットに仕上げてほしい」。
業者のKさんは首をかしげた。展覧会の総合的なコーディネートをお願いしている、立体作家の森木裕貴さんに助言を頂きながら、何回か作戦会議も開いた。
 表紙は?中に使う絵は?順番は?写真も使いたい。
皆さんの思惑が入り乱れた。「とにかく、表紙はインパクトがないとだめ!」
 ふた月はかかったろう。そのリーフレットが今、私の手元にある。眺めては一人で悦にいっている。少し紹介しよう。
 大きさはB5版でこれはごく普通。問題の表紙は「白」「黒」の二色。対角線で区切った右側が「白」反対側が「黒」。白い部分に黒い龍馬の影、黒い部分に白く縁取りした直行の頭部ブロンズ像である。展覧会紹介の言葉は、「おかえり!直行さん」。シンプルに、複雑に仕上がっている。
 「こりゃ何ぜよ。リーフレット?変わっちゅうのう」。試験的に見てもらった人の感想であった。聞いてにんまり。早速、郵送した展覧会の案内書の中に折り込ませていただいた。
 展覧会は11月から来年の3月まで。長丁場である。
 絵の入れ替えはもちろん、リーフレットらしからぬリーフレットを用意してお待ちしています。

古代が見えた

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 10月になった。うそのように暑さが消えた。
 館は11月から始まる「反骨の農民画家・坂本直行」展開催に向けて、最後の仕上げに入っている。少々殺気立ってもいる。龍馬の見た海、太平洋を“空白のステージに立って眺める。苛立つ気持ちを落ち着けてはデスクに戻る。戻り際に缶コーヒーを買っている。
 浜﨑 秀嗣さんの個展「生命シリーズ」は、そんな苛立つ心を癒さんがためにスタートしたタイミングの良さであった。
 例の「海の見える・ぎゃらりぃ」で一日から始まった展覧会だ。
 絵の主役はアンモナイト。古代の化石。「ほら、白い粉を吹いたオウム貝に似ている」と、言われればイメージできるだろう。
 そのアンモナイトがふと、人間のような錯覚を呼び起こす存在感なのが不思議でならない。だから、置かれているというより、佇んでいるというのがいいのかも知れぬ。克明に描かれた渦巻き模様が光っている。存在している場所も、ピンクの敷物の上というよりバラの花びらにも見える。
明らかに渦の底に誘っているゾ!。底を突き抜けるとどこに行くのだろう。行ってみたい気持ちに駆られる。強い誘惑である。
 底を覗き込むように回遊している大魚の魚影が迫ってきた。あまりにも大物なので、たじろいでしまった。アカメではないか。淡水と塩水の間を泳ぐ怪魚といったほうがいい。
以前、釣り上げたアカメをロープにつないで岸につないであったのを見たことがある。ロープを取ると、陸の大人がずるずる引きずられた。怪魚たるゆえんはそんな記憶に裏づけられている。
 絵を見ているうちにパワーをもらっている自分に気が付いた。

親子展

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 書道と洋画。
「海の見える・ぎゃらりい」で田中白燿 筒井孝枝親子の「心と顔」展(9月30日まで)を開催している。お母さんが書道、娘さんが洋画である。
 展示当日、母親の白燿さんが先に来られた。作品の展示場所についてどこにどの作品を置くのか話になった。白燿さんが言った。「正面のここには、娘の絵を掛けましょう」と正面のベストポジションは娘さんに譲られた。「画家の苦悩」と題する大きな絵がでんと座った。両脇を白燿さんの作品「破竹」「弾心・吉」が固めた。
 さあ、バランスはどうかと心配したが、不思議なことに、最初から決まっていたようなはまりようであった。後から来られた孝枝さんが言うに「この絵は、先ほどまで描いていたのですよ。まだ絵の具が乾いていません」。とは言うもののおっしゃる顔に“苦悩”はなかった。全部で18点とお二人の作品は多くはないのだが、
 白燿さんの「銀河」「無」「茫々打ち寄せて我を打つ」
 孝枝さんの「KISS」「WHO」「夜の訪問者」
 いずれも一点一点味があって、メッセージが伝わってくる。面白い作品に仕上がっている。
 一晩中雷が鳴った次の日、午前中は雨が残った。しかし館から見た海は、雷がうそのように穏やかで、静かに波のリズムを刻んでいた。
 孝枝さんの「風光る」。白燿さんの「風に吹かれて」。くっきり水平線が浮かび上がった、明るんできた海に、これはそれぞれ似合いの作品だと感じた。

 デザイン、印刷会社のKさんが、両手に荷物を抱えてやってきた。Kさんには11月からの―反骨の農民画家「坂本直行」展―で、図録制作をお願いしている。その見本が出来たらしい。といってもまだまだ第一段階である。これから、本格的な編集に入る。
 表紙はどのように、絵は年代順か、季節ごとか。
 Kさんはおもむろに袋から見本を取り出した。チラッと見えた。それだけで分かった。表紙は、直行得意の“晩秋の十勝原野と日高山脈”である。
 遠くに銀色の山なみ。広がる大平原。手前には柏林。風が渡る。
ぱらぱらとめくると、やっぱり。北の大地の四季めぐりだ。
 後半は花花花花。
 先日、知人がこんなことを言っていた。
地元の高知新聞で、8回にわたって「北の大地に生きて」のタイトルで、直行の生涯を追った連載が掲載された。6回目に「晩秋の・・・」作品がカットに使われた。それを見た時、
「ジンと胸に響いてくるものがありました。涙がでました。新聞のカット写真ですよ。こんなの初めて。絶対見に行きます」。
 知人は切り抜きしたとも言った。
今日、Kさんが今度は、秋バージョンのポスターを届けてくれた。展覧会が迫ってきた。

土佐礼讃

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 8月の「海の見える・ぎゃらりぃ」は、異次元の雰囲気である。
 写真家、桐野伴秋さんの世界。テ-マは「土佐礼讃」。だから、ここはやっぱり高知に違いない。ただ、コ-ナ-に続く鉄の階段を上がると、いきなり頭の上に見えるのはモルジブの海辺。ちょっと腰引いて波と戯れる子供の姿がまるで天然色の天使である。幻想的な波音が光となって降ってくる。
 二階に上る。50枚のポストカ-ドが気になるはずである。ひとえに色のせいだと思う。一枚一枚、写真というより、心象風景を描きだした“絵”といったほうがいい。
 ブルー、黄色、ピンク、黒、さらに白・・・。
 溶け合った色が不思議なムードを作りだしている。
 「桂浜」「四万十」。おなじみの題材が「時の紋様」「海の扉」「永遠の詩」、順次表情を変えてゆく。
 数枚を組み合わせて「二十四万石物語」というのもある。
 月、夕日、波、海といった自然をテーマに狙ったものと、イタリア、フランス、世界遺産の横顔を写したものもなかなかにいい。
 “桐野の世界”に誘い込まれる吸引力が働く。ところがその感覚がなぜか一拍遅れた感じで響いてきた。なぜ、遅れたのか原因を考えてみた。ヒント探しにてもう一度モルジブの海辺「大海へ」を見てぴんときた。女性的目線なのだ。女性がまいってしまうはずである。夢が覚めてゆく時の心地よいあいまいさを、色で表現したみたいなものである。
 桐野さんはほとんど毎日、館に来る。愛用の黒のTシャツに、早くも現れた群舞するアキアカネを焼付けながら。

遊び心あふれて

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 いやあーこれは面白い。楽しいぞ。「ふふふ・・・・」。作品の前で独りで笑ってしまった。
館の「海の見える・ぎゃらりぃ」の7月展示は、立体作家の森木裕貴さんである。
名づけて「遊木展」。
 展示入れ替えの日、森木さんはお一人でやってこられた。事前に「作品は木を使って自由に」と言われていたので、これは大作だと勝手に想像していたが見事予想は外れた。現れた森木さんは、手に数本の枯木と、少し大きめのボストンバック、大工工具入れを持っただけであった。
 すぐボストンバックから作品を取り出して並べ始めた。見ている限り思いつくまま、適当に置いていく感じである。ただ、リズミカルに置いていく様子からして楽しくやっているのは想像がつく。
 全部拾った流木なんだそうな。それに色付けする。流木の形から魚が生まれる。腹の部分に、何かの機械か、おもちゃの部品かもしれない。ぜんまいや歯車が組み込まれて“森木の魚”が誕生する。
尻尾にスクリュウが回っているのもある。えらがブリキ、目の玉はボルトの頭。ひれの部分に真空管が並んでいるのは、シーラカンスよりももっともっと昔の古代魚に違いない。
 館内を、太古の湖に見立てて悠々と泳いでいる。
「お手伝いすることは何かありませんか?」。声をかけると
「そうですなあ、冷たい缶コーヒーを一杯所望。いや冗談ですよ」。
 そこで一休みである。
 しばしの“流木芸術談義“のしめくくりは
「面白いのは魚たちより、ほら、55歳のおじさんが真面目にこんなことをやっているということですよ。ハハハ・・・・」。
 “モリキ少年”は、2時間そこそこで飾りつけを終わり、「じゃあ」と一言。お帰りになった。

夏の企画展始まる

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 机の上に物騒な写真が並んでいる。
短刀、ピストル、なにやら鎖で巻いた四角いケース。脇に龍馬、半平太、以蔵・・幕末を演出した男たちの顔写真が散らばっている。
 私の机上はまさに“幕末”である。
 短刀は、武市半平太が自刃した際に使ったものとして伝わっている。切腹の様子は文書に残されている。書き物だが、読むと想像を絶する迫力で迫ってくる。武士、侍、男の散り際の壮絶さである。
 ピストルは以蔵のものと伝えられる。フランス製。当時幕府の高官はフランス製を所持していたというのが定説である。だとすると、以蔵は護衛に付いた勝海舟からピストルを譲られたものではないか?空想は広がっていく。
 で、鎖で巻いたケースは?
これが歴史民俗資料館から借りる半平太自刃の短刀が納められる、特殊陳列ケースである。しかも、県立美術館からのこれも借り物。盗難予防のための鎖ということになる。ほかにも、寄託をうけた半平太の獄中書簡、直筆の展示も予定している。
 7、8月は夏休みシーズン。お盆も絡んで一年で入館者が最も多い時期でもある。
 短刀、ピストル、書簡類。歴史の重みと不思議、人生のロマンさえ感じさせはしないか。
最後に龍馬の眺めた海を見る。打ち寄せる波とともに迫り来る何かを感じることが出来ると思う。内容豊かな企画展になるはずである。
 存分に楽しんでほしい。

 「龍馬記念館の夏の企画展、“それぞれの幕末“見せてもらいに行くつもりじゃ」。しばらく連絡のなかった友人のUさんと電話でこんな話になった。
 「どうぞ、どうぞ、しかし何でまた、幕末モノに興味あるの?」
 快活な彼の口調に誘われて聞くと
 「まあな。実は家に武市半平太の獄中書簡の一部があって、よく親父がホンモノだと話していた。親父も亡くなったし家もマンション暮らし、できればそちらで預かってもらおうかと思ってな・・・・」
 「なに、なに!早速見せてほしい」。
 とまあ、こんな簡単ないきさつで、半平太の獄中書簡三通が、今、館の収蔵庫で休んでいる。この三通は個人所有で、知る人ぞ知る的存在で、だから、いずれも未公開である。それだけに、ホンモノに出会える興奮は、野次馬的だといわれても納まらぬ。中でも一通は、半平太の土佐勤王党領袖としての信念を妻、富子と姉、奈美に書いたものだ(元治元年一月=1864年)。武市半平太の研究者なら一度は目を通したくなる書簡という。出所の言われも興味深い。自刃した半平太が介錯を頼んだ小笠原保馬家と思われる。U家は保馬家の縁者に当たる。
 おまけといえばなんだが、三通目は獄中からのものではない。ただ、どこの文献にも記述された形跡がないので新発見に当たる。内容はごく日常的な話題がテーマである。
 いずれにしても三通は、7、8月の企画展には展示させていただく。
 寄託されたUさんの“広く皆さんに見ていただきたい”との意思に沿ってじっくり見てほしいと思っている。どの場所に、どんな方法で?学芸員と相談しながら考えている。
 それぞれの幕末「龍馬、半平太、そして以蔵」展は、半平太自刃の短刀、岡田以蔵の拳銃、そして、今回寄託された半平太の獄中書簡が目玉展示となる。
 龍馬記念館が、この夏暑く、熱くなる。

 “海の見える・ぎゃらりい”6月の展示は秋山香純さんにお願いした。
見事、海をバックに、夢のある空間が出現した。
色彩的にも、言葉的にも。
 面白いのは17枚の絵に、それぞれキャプションの詩が付いていることだ。
絵と詩が奏でる世界は妙に切ない。
傷心の旅路をさまよう、あなたと私である。
「だれもがひとりぼっち・」「会いたいよ・・」「暗闇が怖い・・・」「一緒に暮らそう・・・・」
暗くなりそうな言葉の行列なんだが、絵を見ていると反対にさっぱり感がある。
もしかすると、そのアンバランスが生み出す調和が、秋山さんの狙いなのかも知れぬ。
 波音が聞こえ、窓の外を見る。
波間にはタンカーがゆったり腰をすえている。
水平線はわずかにぼやけている。
空気は澄んで陽光は白いのに、海は重たい。
 梅雨入りである。
 6月17日(土)の夜、秋山さんは今度は詩を歌う。
 友人の山崎あずみさんとのバンド「モノタイプ」のライブである。
 ボーカル秋山、ギター山崎。
 梅雨を忘れさせてくれそうである。
 秋山さんの絵と詩と歌を楽しみに来てほしいと思う。

一枚の絵画展

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 館の2階南詰め、龍馬の見た海を体感するポイント、“空白のステージ”で、一枚の絵画展を開いている。
 作者は坂本直行。六花亭のお菓子の包装紙に描かれた、花の絵の作者。そして坂本龍馬の子孫。しかし、これらのことはあまり知られていない。
ご本人がしゃべりたがらず、生涯“おれはおれ”を貫いたのが強く影響している。北海道十勝の開拓農民として入植し、一方、身の回りの自然を、絵に描くことで愛した。おもねらず、媚びず、堂々と生きた。今年、生誕100年。北海道帯広の地元では顕彰の展覧会も開催中だ。
 坂本龍馬記念館では、今年11月、直行さんの絵画展を、館を舞台に開催する。現在準備中である。作業過程で、坂本家ゆかりのお宅で、二点の直行作品をお借りできた。秋と初夏の日高連峰を描いた小品で、直行さんのメッセージが伝わってくるいい作品である。
 眺めているうちに絵画展まで収蔵庫にしまっておくのはもったいなくなった。少しでも早く、多くの人に鑑賞してもらおうとの思いに駆られ、「一枚の絵画展」の運びとなった。
 まずは初夏の、緑あふるる日高である。雪の連峰が映えている。そばに直行さんの略歴と、11月からのポスターも掲示した。
 眼前に広がる水平線。横に目線を振ればみどりの日高だ。不思議に違和感がない。海に山が、山に海が溶け込んでいく。
 腕組した若者が、じっと絵に見入っている。
 彼はそれより先に常設展示で龍馬の手紙を読んでるはずである。
龍馬と直行、直行と龍馬。腕組解いた彼は、今度はベンチに座って目線を海に投げた。
筋状の波が寄せてきて、浜に白い飛まつを上げた。少し風あり。梅雨近しを思わせる白さであった。

龍馬こども検定

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 21日から2階企画展示室で「坂本龍馬を知っちゅう?」展を開始した。「・・知っちゅう?」=土佐弁。すなわち「知っていますか?」。子供を念頭に置いた企画展である。分かりやすく龍馬の一生、その志を紹介している。また関連で「龍馬こども検定」を行うことにした。
 問題はすべて龍馬に関する100問。答えは○か×か。90点以上をとった人には大奮発の賞品も用意した。もちろん別に参加賞はある。スタート前に、館の職員で試してみた。居合わせたカルチャーサポーターの皆さん、龍馬ファンを自認している出入りのおじさんも含めて15人あまりが挑戦した。
 さて、その結果は?。100点が一人現れた。若い女性職員で、幕末の志士・吉村虎太郎ファン。さすがである。職員は当然ではあるが、90点以上で面目躍如といったところ。龍馬ファン自認のおじさんが83点。「点数がようのうても、龍馬好きは人に負けんぜよ」とこれは負け惜しみ。「難しい」が意見の一致したところであった。
 なるほど、難しいらしい。小学生では6、70点台。中学生でも80点から90点である。ただ、今回の検定は、館内のどこかに答えが隠されていて、それを探し出してもらうのもこちらの思惑である。館内を動くことによって、同時に資料も見てもらう。だから、場合によってはお父さん、お母さんの応援があっても差し支えなし。
 先の土、日、待っていた子供らがやってきた。そして果敢に挑戦した。2階のあちこちにセットしてあるパネルを熱心に見ている。友達同士、親子で考えている組もいて、なかなかにいい雰囲気。点数はあまり伸びなかったが「今度、もう一回やる」。真剣なその顔に「何か賞品つけてあげましょう」。
 皆さん、ぜひチャレンジしてみてください。

 館の「海の見える・ぎゃらりぃ」4月、5月の展示は書道の「沢田明子と問の会」展である。さすがの存在感で、観る人を沢田明子の空間、龍馬の世界に知らず引き込んで行く。
 正面に、沢田先生の、大荒れの海を描いた作品がある。波の間に見え隠れする小船一艘。手前の浜では白波が騒いでいる。全体に暗い、恐ろしげな風景だ。画面左中央に朱墨よりも赤く見える字で「飛騰 龍馬」。まさに暗い波を躍り超える龍馬の魂、火を思わせる。
 その絵の隣り、これがまた面白い。体長80センチ、幅35センチの巨大ヒラメの魚拓が架かっている。荒れる海、大ヒラメの魚拓、そして、沢田先生の詠んだ句が、それぞれ門下生の感性によって表現されている。
 もちろん同じ句ではない。色々の龍馬の登場というわけである。

 秋雨や龍馬やみえぬものを見て
 石にもたれ龍馬憩ふや月の夜
 春の月誰もいなくて龍馬のみ
 名月や龍馬よ酒がこぼるるよ
 かえりても胸に龍馬や十一月
 ひとだかりしてアイスクリン屋と龍馬像

 などフムフムと一人で納得してしまう。
 果てしない海、土佐の海には鯨も泳いでいるだろう。同じ海に大ヒラメもいるし、何より龍馬はもっと大きいぞ。展覧会のそれがメッセージに違いない。
 県外から来た入館者である。おじさんが二人。芳名帳にサインしながらつぶやいた。
 「まこと、広いのう」「おお、見事な眺めじゃのう」
 「時間が足らんけん、また来にゃあ」
 「あっ集合時間じゃ」

桜花花

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 朝、辺りはしんとしている。日曜日など、一帯が眠りの底にあるようなのどかさである。
 時間にせかされて、門から一歩外に出る。道路にせり出した桜の枝が、ちょうど目の高さだ。七分咲きの桜花が気配で揺れる。ついでにふっと息を吹きかけてみる。びくともしない。新入生の制服に付いた桜のボタンみたいにりんとしている。まだまだ散るには時間があるぞ!そう意思表示している。
 中水道から桂浜行きのバスが出る堺町まで、約20分ほど歩く。気がつくとあちこちに桜である。地域によって開花に多少の差はあるが一斉に動き始めた自然の息遣いを感じて、足はひとりでに軽くなっていく。
 バスからの桜探しもいい。いや、探さなくても目線の中に飛び込んでくる。民家の庭、ちょっとした路地にも、鏡川の堤防沿いは満開が待ち遠しい。宇津野トンネルを抜けて浦戸湾沿いは、急に華やかに感じる。桜って多いなあが実感である。
 長浜、南海中学校前を通って、花街道へ。水平線に突き当たる。
 バスは、坂本龍馬記念館を進行方向左手に見ながら、急坂を登る。眼下に波が寄せる浜が開ける。坂本龍馬記念館前で下車する。ここから館まで歩いて2分。この2分がもったいないほどに貴重になる。一日分の心のゆとりを授けられた気になるのだ。
 見上げれば桜花花。古木は背が高い。陽光をいったん吸い込んで、で、花びらを裏返して光を地上に振りまくが如しである。桜花花のトンネル。深呼吸しながら、坂道を登り切ると、海と空の境界線。バッチ漁の漁船が今日は岸に近い。船体が白く光っている。
 館の“龍馬の見た海”を臨む「空白のステージ」に立つ。
 船中八策の広場に桜あり。白波を隔てて青い海。抜けるような空。浮かぶ雲。そして、風少し。波打ち際をゆっくり散歩する人影が揺れて見えた。

波の音

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 館の2階南端、“空白のステージ“に立てば、はるか水平線を望む。
日によって、刻によって海の眺めは表情を変える。色もそうだし波の姿も違っている。
大学が休みに入ったのだろう、週末若者の姿が目立ってきた。館内が活気づいてくるのが分かる。
受験生もいた。青白い顔で彼は朝一番にやって来た。パワーを貰いに来たのだという。
神頼みならぬ、龍馬祈願。気持ちは良く分かる。頑張れと声援を送りたくなる。
 彼は“空白のステージ”に立ち尽くした。水平線に目線を向け、学校で朝礼を受ける生徒のように、肩幅に足を開いて動かない。無念夢想。
 その頭上から、お囃子みたいに「ザー、ザブン。シャラシャラ」。波音がかぶさってきた。波の砕け散る浜辺までは50メートルはある。沖から幾重もの棒状になって寄せてくるうねりが、はずみをつけて解き放たれて、潮をかむ。「ザー、ザブン、シャラシャラ・・・・」を繰り返す。
屋内にいて、波うち際にいる実感なのだ。
 この仕掛け、実は事前に4パターンの波の音を収録したものを、その日の海の状態に合わせて流しているものである。静かな海、少し風、強風の海、台風襲来、荒れる海。状況に合わせてテープを交換する。
 収録場所は館の真下。時にスタッフが波に追われて丘に逃げ上がったこともあった。
プロ野球のオープン戦が組まれていた日曜日、あいにくの天気になった。前夜からまるで時化模様。翌日も午前中は雨混じりの強風が吹き荒れた。
 波の音は当然、“レベル4”であった。
強風に持ち上がる建物。激しい波音。「おっ、揺れとるぜ!」。おじさんが、思わず床を踏みしめている。本来、吊り橋様式で揺れる構造になっている当館ではある。だが、それにしてもこの日は入館者にとって、めったに味わえぬ体験をされた1日になったと思う。

港の女

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ここ数日海が荒れていた。
風にあおられて白波が立っている。ただし、天気は悪くないから、水平線はかえって鮮やかに見える。館の「海のぎゃらりい」で始まった、吉松 由宇子さんの展覧会のテーマは「海の詩」だ。地元浦戸のご出身だけに「生涯のテーマです」。吉松さんの話す言葉によどみはない。海に寄せる思いの深さが伝わってくる。
 描かれているのは、波、船、太陽、月、人。
自然は忠実に描かれれている。
光あふれる朝日、海、中天にある月はひっそりと凛としている。
 船影は時にリアルに、ある時には影や線だけが幻想的に描かれている。
その構図に人間が絡む。男、女。二人のとり合わせもあれば、女同士もある。不思議な雰囲気が画面を包むのである。
「港の女」は首に金のネックレスをかけた、若い女性のヌードだ。想いにふけっているという構図である。黄色が基調の霧の海。黒い線でえどられた貨物船が溶け込んでいる。淡いピンクの女体は、伏せた瞳だけが妙にリアルに光っている。
「場所柄、展示していいでしょうか」と吉松さんが展示を遠慮するような口ぶりであった。心配無用。絵はすっかり場所になじんでいる。
 その日の海の表情によって「港の女」も表情を変えているように思う。

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 昨年の11月から新年1月までの長丁場となった。
「海の見える・ぎゃらりい」で開催中の、国吉 晶子さんの展覧会である。
龍馬の見た海に、溶け込むような国吉さんの抽象画は心に響いてくるものがある。鑑賞する人のその時の感情にもよるだろうが、同時に海の状態にもよる。海からのメッセージを伝える媒体にもなっているように思う。荒れる海、穏やかな波、はるかなる水平線、波頭に躍る漁船、急降下する海鳥・・・そんな光景に反応するのだ。
 「門」という作品がある。
“ぎゃらりい“の正面に置いてある100号の大作である。
ブルーを基調に白、赤、黄色の色彩が躍る。
「門」と思って見るとずばり「門」になる。が、「門」には色々あって、絵はそれによって色々変って見える。
例えば「人生の門」、「そうですねえ・・・」。「心の門は?」、「今日は開けっ放しです」。
「怒りの門が・・・」、「早くおさめなさいよ!」「門」は当たる光線と角度で、色を使って語りかけてくるのである。
 朝、出勤すると、一度はこのスペースに立つことにしている。
 国吉さんの絵にもすっかりなじんだ。
海を見て、絵を見る。
1日が始まる。
私は「門」をくぐって、入館者の訪問を待つ。
皆さん「門」を通って龍馬に面会したあと、国吉さんにもちょっと挨拶して「門」を抜けてお帰りください。お待ちしております。

新年早々

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 2006年がスタートした。
年末の異常寒波がうそのような、暖かい穏やかな日和となった。館は2日からオープンで、待ちかねたかのような入館者でにぎわった。まるで初詣に来る人波みたいに。
 ところで館は昨年末、少し体裁を変えた。より親しみやすい記念館を目指しての試みである。ミーティングルームもその一つ。小学生からお年寄りまで、ちょっとした学習や、雨の際には食堂にも使える空間にした。
 部屋の奥に、耐火金庫二個を備えた収蔵庫もできた。「収蔵庫」についてはこれが館の泣き所になっていた。それは海に面した館の建物の設置状況に由来している。「龍馬記念館は潮をかぶる。まあ、ショールームと思えばいい。大事なものは置かれんぞ」などと陰口をたたかれた。が、そんな陰口はもう言わさぬ。自信も出来た。
 京都に住む院展画家(日本画)、前田直衛さんから館に寄贈いただいた「伏見・寺田屋」の絵も大きなアクセントだ。入り口から地下1階に降りる壁面に架けた。150号ほどの大作だから存在感は言うまでもない。皆さん前で足を止める。
 万全の態勢で新年を迎えた。
多い入館者に刺激されてMさんが、説明に立った。Mさんを入館者が取り巻いた。早速、企画展「亀山社中と海援隊」の最大の目玉「海援隊約規」(海援隊入隊の約束ごと)の説明に入ろうとして息を呑んだ。ケースの中の“約規”がないのだ。あっと気付いた。工事期間中、金庫にしまっていた。すっかり忘れていた。慌てて金庫から取り出し、ケースの中に入って陳列した。その間30分。冷や汗もんの新年解説開始となった。
二度と同じ間違いは致しません。
一同、心新たにお待ちしております。

流木の詩

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道具はノミではなくチェーンソーである。
それを「使って」ではなく「操つる」。
操って木材で作品を制作する。
題して“チェーンソー木彫り”。
山本祐市さんの本業は浦戸の漁師さんだが、時に作家となる。
先のコンクールで山本さんは全国二位の実蹟を残している。
先日お会いした際、作品に興味があるお話をしたら、10日もせぬうちに作品が届いた。
山本さんご自身が、軽四輪の後ろに積んで運んで来てくれた。
「作ってみたきに、どこか館に置いてみて」
照れくさそうに抱えてこられた。
 これが不思議な作品なのだ。もちろんテーマは龍馬。胸像で、頭髪は後ろになびかせている。その背後になんと魚が跳ねあがっている。さらによくよく見れば、ちょんまげの元結より先は、鯨のしっぽに作ってある。
「わしのイメージにある、一つの龍馬の姿じゃ。この木は、浜に流れ着いた流木での、根っこのところが大きゅうて、ひき切って家に持ってきて、作ったがよ」。
流木と聞いて、もう一段想像力がかきたてられた。
流木の龍馬も面白いし、魚との繋がりも奇想天外。
くじらのしっぽのちょんまげなど、誰も思い付くまい。
ひとまず、ビデオコーナーの棚の上に置いた。
人相で見る限り中年の龍馬さん。口をへの字に結んで、無念無想である。
龍馬は思う人によってそれぞれである。その人だけのものになる。
それが人気の秘密でもある。
ちょっと、警備のSさんに横顔が似ている。

不思議なコンサート

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 12月のある夜、坂本龍馬記念館が閉館後の2時間、コンサートホールになった。シンセサイザー奏者の,西村直記さんが、メロデイで龍馬を語った。
西村さんのCDに「坂本龍馬FOREVER」がある。
「革命」「龍馬誕生」「友との出会い」「脱藩の道」「龍、天(そら)へ」・・。
龍馬の人生をなぞる。
会場は地下1階の普段はビデオ、図書閲覧コーナー。少ない椅子席から外れたお客さんは、座布団を敷いた階段にすわっていただいた。
 演奏を終えた西村さんは額に汗を浮かべていた。表情は明るかった。
「いいですね。この舞台、雰囲気最高でした。なんといってもそばに龍馬直筆の手紙なんかがあるのですから」。
演奏冥利に尽きるとも言った。「龍馬の横で演奏しているのですよ」。実際、龍馬に演奏を聞いてもらっている感じで弾いたのだそうだ。
 ただその感覚がこちらにうまく伝わらない。“なぜ分らんのか”ともどかしげであった。
“分らん”と言えば、西村さん制作の龍馬のCDに収められている曲が、私にとっては、予想外の内容だった。曲のテンポが全てゆっくりしているのだ。「革命」「脱藩の道」など当然速いテンポの激しい曲を想像していた。そのことを西村さんに聞くと「そうなんですよね。自分も思います。しかし、龍馬のことを思えば思うほど、ゆったりした曲になるんですよね、これが・・」。
妙に説得力があって納得してしまった。
 龍馬のオーラがなせる技なのかも知れない。
だからその夜の演奏会も同じだろうと一人決めていた。ところがそれが違った。眠くないのである。逆に目を覚まされた。スローテンポが、激しく怒涛のように迫ってきた。
 西村さんの演奏テクニック?会場のせい?龍馬の手紙?
その全てがうまく混ざり合った?。ともかく楽しく不思議なコンサートでした。

親子のツアー

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 話題の場所を親子でめぐるツアーが、バス2台に分乗して龍馬記念館にやって来た。
総勢80人。楽しく学習するのが狙いで、地元ラジオ局の企画である。
現場からの実況もあるから、スタッフも交えて結構大掛かりだ。
ただ館にとっては、地元入館者の増加が大きな課題になっているだけに、願ってもない“お客さん”。カルチャーサポーターの皆さんの協力も頂いて待機した。
先乗りが到着して「後15分で来ます」。それを合図に“お迎え組”は、ばたばた館前のエントランスに集合した。
バスが着いて、一行が下りて来た。考えてみると、こんな形で親子を見るのは初めてである。それぞれ違って面白い。総じて子供が主役。子供の後を親御さんが付いて走るパターンが多い。ところが中には子供を従えているようなお父さんもいる。子供の方が世話をやいている。
高学年の、お母さんと女同士の二人組は、友達みたいな雰囲気が強い。
説明を聞く子もいれば、海ばかり眺めている子もいる。
もう友達になって、子供同士グループで館内の“探検”をはじめている。親同士もすっかりお友達である。館内に和やかな空気が流れる。実に好いものである。一つこんな質問をした。
「今日、初めて龍馬記念館に来た人?」
ザーとまるで林のように大きい手も小さい手も上がった。皆さん周囲を見て安心の様子。顔見合わせてしきりにテレ笑いであった。こちらは苦笑い。それを隠して、
「それではゆっくり鑑賞して行ってくださーい。」
帰り際、すっと近寄ってきたお母さんが言った。
「初めてでした。好いところですね。ご近所を誘ってまた寄せてもらいます。」
にっこり挨拶された。いっぺんに気持ちが軽くなって、動き出したバスが見えなくなるまで手を振った。

人生の節目に

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 警備員のSさんが、朝礼の後「館長」と声を落として耳を寄せてきた。
館の西側にある駐車場に、不審な車が駐車しているというのである。
不審の根拠は、「二週間になるんですよ。いや、停めっぱなしではないんですがね」。Sさんの口調を借ればこうなる。
 時々はいなくなるが、夜になると駐車場に帰ってくる。
 そう言えば私の出勤時間帯に、初老の男が海に向かったベンチに座り、じっと海を見ていることがあった。時にタオルを振るったり、軽い体操したり。
Sさんの話しと合わせると、男がここを生活の拠点にしているのは疑うべくもない。
 「ハンチングを目深にかぶって、やせぎす、目つきも鋭い。何者でしょうな」
事件がらみを予測する、Sさんの表情である。
Sさんの推理が当たっている可能性も否定出来ぬ。
そこである朝、車から出て来た男に「おはようございます」とあいさつしてみた。
すると、予期せぬアクションが返って来た。男はまずハンチングをとった。それから直立不動の姿勢になり、改めて腰を90度折って「おはようございます」。
頭のてっぺんがちょっと薄くなっているのが分るくらい、これ以上はないという丁寧な挨拶であった。
しかし、口数は少ない。聞かれても話せない。いや.話さない。そんな決意のにじんだ、それでいて穏やかそうな表情に、いわくあり、を確信した。それで聞きそびれた。
館には、県外からのリピーターが少なくない。桂浜へ龍馬に会いに来る。進学、就職、結婚、リストラなどというのもある。動機はさまざま。共通して言えるのは、皆さん人生の節目である。
くだんの駐車場の男も、二週間ほどの間に二回、入館したと言った。
まさに人生の節目。年恰好からして、大きな節目と思う。
“公園内の駐車場に停めた高級国産車で寝泊りしながら、海を眺めている中年男”。おかしくはある。しかしここは、龍馬のお膝元ではないか。
Sさんと話して、いましばらく様子を見ることにした。

22匹のタヌキ

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 坂本龍馬記念館は、小高い丘の上にある。
標高約60メートルというのは、感じよりかなり低い。見た目には軽く標高100メートルは越えるほどに思える。館から海岸ぶちまで切り立っているせいだろう。断崖は松が主体の雑木林。そこに、どうも鳶の巣があるらしい。
というのも、先日お隣の国民宿舎「桂浜荘」で、水平線を眺めながら優雅な昼食中のことだ。カレーから水平線に目線を移した視界に、突然、鳶の姿が舞い込んできた。海からの上昇気流に乗った、そんな勢い、弾みをつけている。羽をいっぱいに広げて滑空のスタイル。全部で6羽。水平線を高く越えるのもいれば、逆にジェット機みたいに、森に向かって急降下の影も。鳶の“集会”?かも知れぬ。どうも、緊急動議が出されたようだ。
 そう言えば、桂浜界隈、浦戸地区で、最近“動物界”の異変を知らせるニュースが、“人間界”を騒がしている。新聞のこんな見だしが目についた。
「浦戸地区のタヌキが、次々変死」「分っただけで14匹」。
館の周辺は“タヌキ屋敷”かと、改めて知らされた。変なことに感動した。
そして後日のニュース。「変死の原因は動物の病気。人間には感染なし。確認しただけで22匹が死ぬ。」
今度はその数に驚いた。
“人間界”の小規模な小学校で言えば一クラスだ。一クラス全滅と考えるとショックではないか。
恐らくタヌキ仲間では、伝染病対策が話し合われたろう。
会場は月の桂浜だ。
その月夜の“タヌキ会議の集会”の様子を想像して、妙に独りで納得した。
おっ!生き残ったタヌキが、館の前庭広場をちょこちょこ横切って行くぞ。
入ってきた観光バスのクラクションに驚いて、ダイビングのスピードで側溝に身を隠した。
「亀山社中と海援隊」特別企画展の大きな看板が、館の入り口に座った日の午後である。

茶色のブーツ

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 心持台にもたれ、目線を遠くに投げ、口を結んだ龍馬のポーズはご存知だと思う。
桂浜に立つ龍馬像もそうだし、館でも人気のポスターがそのポーズである。
 右手は懐にあり、膨らんでいる。何か持っているのか、ただ、手を入れているだけか。
愛用のピストルを忍ばせている説も捨てたものではない。推理するのは、楽しいミステリーだ。
 こちらはそんな詮索は無用。
 袴の下に覗く、休めの姿勢の足先は、明らかに革靴である。それもブーツ。
“さむらいブーツ”。自然で、違和感がないのが、龍馬の龍馬たらんところだろう。
似合っている。
 企画展準備に追われていたその日、どさっと館長室に宅急便が届いた。
思い出した。先に、高知市で開かれた全国龍馬の集いで知り合った、長崎の靴屋さんから送られてきたものである。龍馬のブーツを制作しているという。そこで、一足送っていただいた。
 今、新品の茶色のブーツが、応接の机の上にある。デザインは悪くない。今からすぐに履いて街に出ても、おかしくはない。それより新品の皮の匂いがプンと新鮮である。
 説によると色々だが、龍馬がブーツを求めたのは、長崎らしい。確かに外国商社もあり、手に入れやすい環境にはあった。格好より、実利性を好む行動派の龍馬にすれば、ブーツは超便利な履物だったと言えるかも知れない。
 壁には、定番龍馬の写真が架かっている。古い写真は黄ばんでいるから、靴などちょうどの茶色である。
 卓上のそのブーツを見ていると、むらむらと自分用の一足を誂えたくなった。

国吉晶子展

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 龍馬記念館に、また一つ見所が出来る。
 現在、あまり利用されていない館の中2階のスペースを、ギャラリーとして活用しようという計画である。その空間の名称がまずできた。
「海の見える・ぎゃらりい」すぐ決まるほど、眺めがいいのだ。
あまり広くはないが、小品の展示なら問題ない。
これも、少ない地元入館者対策の一つでもある。
さて、トップバターは、先の現代美術の公募展「ジーンズファクトリー コンテンポラリー アートアワード2005」で、最高賞の「グランプリM賞」に輝いた、高知市の国吉晶子さん(26)にお願いすることにした。
館では、11月5日から「亀山社中と海援隊」の特別企画展を開催する。これは日本の夜明けを謳った龍馬の真骨頂。館を挙げての企画展であるのは言うまでもない。国吉さんの展覧会もこれに合せた。
作品の鮮やかな色つかいが、館の雰囲気をさらに盛り上げてくれると感じたからである。
「海の見える・ぎゃらりい」は躍動的な色彩の渦に、あふれるだろう。
あふれて、館を包んでしまうかも知れない。
仮に龍馬を意識してなくて入館した人も、龍馬に通じる何かを感じるかも知れない。
そんな期待感がある。
国吉さんは何回も“ぎゃらりい”の状態を確認した。持参のメジャーでパネルの空間も測定した。
うんうんと独りうなずいて
「大きい作品二つと、後は小品を持って来ます。頑張ります。」
言葉少ないが、やる気と感じた。

チーズ

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 種崎側から桂浜側に「浦戸大橋」を車で上がる。
結構、角度のある坂になっている。弾みをつけて駆け上がる際にはいいが、スピードが落ちるとギアのダウンが必要になる。
前を車が走ると、坂がきついので、前方の視界は完全にさえぎられる。金魚のふん状態で、連なるわけだ。
 それが、橋の頂点に行きつくと同時に、一気に視界が開ける。
突然、大自然のパノラマに放り出されたかのごとき錯覚を覚える。その開放感。
 目線に海。晴れていようが、雨だろうが、台風でもすごい。
海と空を二分する青い帯び。くっきりの時もあれば、ぼやけている時、海、空溶け込んで不明の時もある。
好い、悪いはない。いつでも好いのである。
 今度は坂を下って行く。水平線はさらに長くなる。左カーブを切ると、晴れの日の東の海はきらきら光っている。ひとりでに深呼吸である。
 これが私の通勤路。まさに宝。一人占めの宝である。
先日、高知で「第17回全国龍馬ファンの集い」が開かれた。
参加するために来高した埼玉龍馬会のAさんが、龍馬記念館の屋上に上がってこう言った。
「素晴らしい。この海。この水平線。まさしく龍馬の海ですねえ。こんなところが職場でうらやましいですなあ」
腕いっぱい広げて、海を抱きしめた。
 同じ日、海をバックにセルフタイマーで自分の写真を熱心に写しているお年寄りがいた。
見ていると、「二人で写しましょう」と頼まれ、カメラの前に立った。
じいさんの右手が腰の当たりに巻かれたのにはちょっとびっくりだったが、吹きぬける風が心地いいので、じいさんの口調に合わせて「チーズ」と言った。

以蔵のピストル

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「人間、死ぬときゃあ、いやでも死ぬ。私しゃあ、これまでに3回命を捨てちょる」。
岡田義一さん(80)は、哲学者の顔である。
交通事故、病気。交通事故に遭った時は、70歳を越えていた。なんと十日間も意識不明だったそうだ。
戦時は航空隊に所属していた。出撃が決まって、家で最後の別れの休暇を過ごし、隊に戻る途中、列車が事故に遭った。出撃時刻に間に合わず、同僚は出撃していた。一人取り残された。生き延びた。
岡田さんの話しを聞いていると、人間の持つ運命の不思議さを改めて考えさせられる。
何より、岡田さんが幕末の孤剣の剣士、岡田以蔵の血筋に当たると聞くと、妙に納得してしまった。
香長平野、田園地帯の水路の多い一画に、岡田さんのお宅はあった。
風が岡田家の座敷を抜けて行く。ふすまを外せば40畳はあるだろう。大広間である。
座敷の南の庭は、築山になっていて、池には鯉が放たれている。
正直、岡田以蔵のゆかりのお家と聞いた時のイメージとは少し違っていた。
 しかも、岡田家に伝わる家宝を、拝見できる今日はチャンスなのである。
この家宝が、また、予測できない代物であった。
剣ではなくピストル。その意外性に裏をかかれた思いであった。箱に収まったピストルはフランス製、幕末風雲急を告げるその時代を、以蔵の懐で潜り抜けてきた。そう考え、目にし触れると、また新たな感慨である。
実は、このピストルを、11月12日、龍馬を巡る人々バスツアーで拝見できることになった。興味のある方は是非ツアーへ参加してください。お待ちしています。

 館の中二階で、先ごろお亡くなりになった小椋前館長をしのぶ追悼展を始めた。
小椋館長は、開館当時から館長をお勤めになった、功労者である。
館の歴史そのものと言ってもいい。
 生前の30枚近いパネルに、そのまま温厚な人柄が覗いている。
「龍馬の手紙」を館の売り物に置いたアイデアも小椋さんの発案と聞いている。
それに、現代語訳をつけたのもやっぱり小椋さんだった。
独特の“小椋節”が窺える訳文は、実に楽しい。
その手紙を、若い入館者が熱心に読んでいる。
ガラスのケースの中に吸い込まれるのではないか、そう見えるほどの熱心さなのである。
 海に向かって立つ館は、館内に展示する資料類にとっては、潮風などの影響もあり、環境は好いはずがない。
そんなこともあって、「記念館には資料が少ない」などとの陰口がささやかれた。
中には、面と向かっての忠告もあった。
しかし、小椋さんは少しも慌てず、こんな風に切り返した。
「実は好い展示物があるのですよ。でも、あまりに大きすぎて展示室には入らないんです。
外に展示してありますので、よく観て下さい」
そして、館内の最先端から、眼前に広がる太平洋を指差したという。
 その海は、まさしく龍馬の見た海である。
 さて今日の海は、果てしなく青く遠い。
白い雲を従えて、呼んでいるのが分る。
その声を聞いて、先日の総選挙結果で起きた頭痛が、やっと消えた。

操舵室から

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 龍馬記念館の建物は、大海に乗り出す船をイメージに設計されている。
船体はブルーとオレンジ色。
大波を一つ乗り越え、次の波に向かって、かっこよくへさきを持ち上げた瞬間である。
まこと、屋上に立ち眼下を見ると、甲板にいる気分になる。
砕ける波。跳ね散る飛沫が白い、白い、白い。
”船内”は壁面がカーブを描いている。
だから、事務室などとして使うには不便この上ない。
机は、壁と直角に突き当たる配置が出来ない。
窓のブラインドが、斜めに上がっていく。
それはいいが、変則なので壊れやすい。
  ”艦長”ならぬ館長に就任して一ヶ月、専ら”船”の修理に追われている。
 ただし気に入っているところもなくはない。
上がり下がりは、鉄製の螺旋階段である。
靴の下に弾む鉄の響きが、手摺の手触りが心地好い。
船腹の丸窓もいける。
しぶきが掛かってくる感じである。
少しさびがきているのも、年月を感じさせて楽しい。
 そして極めつけ、ここは操舵室。
海に突き出した、総ガラスばりの空間は、目線の彼方に水平線である。
まさしく”龍馬の見た海”。
台風余波のうねりの中を、地元の漁船が一艘波をたてて横切って行った。

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