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22匹のタヌキ

 坂本龍馬記念館は、小高い丘の上にある。
標高約60メートルというのは、感じよりかなり低い。見た目には軽く標高100メートルは越えるほどに思える。館から海岸ぶちまで切り立っているせいだろう。断崖は松が主体の雑木林。そこに、どうも鳶の巣があるらしい。
というのも、先日お隣の国民宿舎「桂浜荘」で、水平線を眺めながら優雅な昼食中のことだ。カレーから水平線に目線を移した視界に、突然、鳶の姿が舞い込んできた。海からの上昇気流に乗った、そんな勢い、弾みをつけている。羽をいっぱいに広げて滑空のスタイル。全部で6羽。水平線を高く越えるのもいれば、逆にジェット機みたいに、森に向かって急降下の影も。鳶の“集会”?かも知れぬ。どうも、緊急動議が出されたようだ。
 そう言えば、桂浜界隈、浦戸地区で、最近“動物界”の異変を知らせるニュースが、“人間界”を騒がしている。新聞のこんな見だしが目についた。
「浦戸地区のタヌキが、次々変死」「分っただけで14匹」。
館の周辺は“タヌキ屋敷”かと、改めて知らされた。変なことに感動した。
そして後日のニュース。「変死の原因は動物の病気。人間には感染なし。確認しただけで22匹が死ぬ。」
今度はその数に驚いた。
“人間界”の小規模な小学校で言えば一クラスだ。一クラス全滅と考えるとショックではないか。
恐らくタヌキ仲間では、伝染病対策が話し合われたろう。
会場は月の桂浜だ。
その月夜の“タヌキ会議の集会”の様子を想像して、妙に独りで納得した。
おっ!生き残ったタヌキが、館の前庭広場をちょこちょこ横切って行くぞ。
入ってきた観光バスのクラクションに驚いて、ダイビングのスピードで側溝に身を隠した。
「亀山社中と海援隊」特別企画展の大きな看板が、館の入り口に座った日の午後である。

茶色のブーツ

 心持台にもたれ、目線を遠くに投げ、口を結んだ龍馬のポーズはご存知だと思う。
桂浜に立つ龍馬像もそうだし、館でも人気のポスターがそのポーズである。
 右手は懐にあり、膨らんでいる。何か持っているのか、ただ、手を入れているだけか。
愛用のピストルを忍ばせている説も捨てたものではない。推理するのは、楽しいミステリーだ。
 こちらはそんな詮索は無用。
 袴の下に覗く、休めの姿勢の足先は、明らかに革靴である。それもブーツ。
“さむらいブーツ”。自然で、違和感がないのが、龍馬の龍馬たらんところだろう。
似合っている。
 企画展準備に追われていたその日、どさっと館長室に宅急便が届いた。
思い出した。先に、高知市で開かれた全国龍馬の集いで知り合った、長崎の靴屋さんから送られてきたものである。龍馬のブーツを制作しているという。そこで、一足送っていただいた。
 今、新品の茶色のブーツが、応接の机の上にある。デザインは悪くない。今からすぐに履いて街に出ても、おかしくはない。それより新品の皮の匂いがプンと新鮮である。
 説によると色々だが、龍馬がブーツを求めたのは、長崎らしい。確かに外国商社もあり、手に入れやすい環境にはあった。格好より、実利性を好む行動派の龍馬にすれば、ブーツは超便利な履物だったと言えるかも知れない。
 壁には、定番龍馬の写真が架かっている。古い写真は黄ばんでいるから、靴などちょうどの茶色である。
 卓上のそのブーツを見ていると、むらむらと自分用の一足を誂えたくなった。

国吉晶子展

 龍馬記念館に、また一つ見所が出来る。
 現在、あまり利用されていない館の中2階のスペースを、ギャラリーとして活用しようという計画である。その空間の名称がまずできた。
「海の見える・ぎゃらりい」すぐ決まるほど、眺めがいいのだ。
あまり広くはないが、小品の展示なら問題ない。
これも、少ない地元入館者対策の一つでもある。
さて、トップバターは、先の現代美術の公募展「ジーンズファクトリー コンテンポラリー アートアワード2005」で、最高賞の「グランプリM賞」に輝いた、高知市の国吉晶子さん(26)にお願いすることにした。
館では、11月5日から「亀山社中と海援隊」の特別企画展を開催する。これは日本の夜明けを謳った龍馬の真骨頂。館を挙げての企画展であるのは言うまでもない。国吉さんの展覧会もこれに合せた。
作品の鮮やかな色つかいが、館の雰囲気をさらに盛り上げてくれると感じたからである。
「海の見える・ぎゃらりい」は躍動的な色彩の渦に、あふれるだろう。
あふれて、館を包んでしまうかも知れない。
仮に龍馬を意識してなくて入館した人も、龍馬に通じる何かを感じるかも知れない。
そんな期待感がある。
国吉さんは何回も“ぎゃらりい”の状態を確認した。持参のメジャーでパネルの空間も測定した。
うんうんと独りうなずいて
「大きい作品二つと、後は小品を持って来ます。頑張ります。」
言葉少ないが、やる気と感じた。

チーズ

 種崎側から桂浜側に「浦戸大橋」を車で上がる。
結構、角度のある坂になっている。弾みをつけて駆け上がる際にはいいが、スピードが落ちるとギアのダウンが必要になる。
前を車が走ると、坂がきついので、前方の視界は完全にさえぎられる。金魚のふん状態で、連なるわけだ。
 それが、橋の頂点に行きつくと同時に、一気に視界が開ける。
突然、大自然のパノラマに放り出されたかのごとき錯覚を覚える。その開放感。
 目線に海。晴れていようが、雨だろうが、台風でもすごい。
海と空を二分する青い帯び。くっきりの時もあれば、ぼやけている時、海、空溶け込んで不明の時もある。
好い、悪いはない。いつでも好いのである。
 今度は坂を下って行く。水平線はさらに長くなる。左カーブを切ると、晴れの日の東の海はきらきら光っている。ひとりでに深呼吸である。
 これが私の通勤路。まさに宝。一人占めの宝である。
先日、高知で「第17回全国龍馬ファンの集い」が開かれた。
参加するために来高した埼玉龍馬会のAさんが、龍馬記念館の屋上に上がってこう言った。
「素晴らしい。この海。この水平線。まさしく龍馬の海ですねえ。こんなところが職場でうらやましいですなあ」
腕いっぱい広げて、海を抱きしめた。
 同じ日、海をバックにセルフタイマーで自分の写真を熱心に写しているお年寄りがいた。
見ていると、「二人で写しましょう」と頼まれ、カメラの前に立った。
じいさんの右手が腰の当たりに巻かれたのにはちょっとびっくりだったが、吹きぬける風が心地いいので、じいさんの口調に合わせて「チーズ」と言った。

以蔵のピストル

「人間、死ぬときゃあ、いやでも死ぬ。私しゃあ、これまでに3回命を捨てちょる」。
岡田義一さん(80)は、哲学者の顔である。
交通事故、病気。交通事故に遭った時は、70歳を越えていた。なんと十日間も意識不明だったそうだ。
戦時は航空隊に所属していた。出撃が決まって、家で最後の別れの休暇を過ごし、隊に戻る途中、列車が事故に遭った。出撃時刻に間に合わず、同僚は出撃していた。一人取り残された。生き延びた。
岡田さんの話しを聞いていると、人間の持つ運命の不思議さを改めて考えさせられる。
何より、岡田さんが幕末の孤剣の剣士、岡田以蔵の血筋に当たると聞くと、妙に納得してしまった。
香長平野、田園地帯の水路の多い一画に、岡田さんのお宅はあった。
風が岡田家の座敷を抜けて行く。ふすまを外せば40畳はあるだろう。大広間である。
座敷の南の庭は、築山になっていて、池には鯉が放たれている。
正直、岡田以蔵のゆかりのお家と聞いた時のイメージとは少し違っていた。
 しかも、岡田家に伝わる家宝を、拝見できる今日はチャンスなのである。
この家宝が、また、予測できない代物であった。
剣ではなくピストル。その意外性に裏をかかれた思いであった。箱に収まったピストルはフランス製、幕末風雲急を告げるその時代を、以蔵の懐で潜り抜けてきた。そう考え、目にし触れると、また新たな感慨である。
実は、このピストルを、11月12日、龍馬を巡る人々バスツアーで拝見できることになった。興味のある方は是非ツアーへ参加してください。お待ちしています。

展示室に入らぬ展示物

 館の中二階で、先ごろお亡くなりになった小椋前館長をしのぶ追悼展を始めた。
小椋館長は、開館当時から館長をお勤めになった、功労者である。
館の歴史そのものと言ってもいい。
 生前の30枚近いパネルに、そのまま温厚な人柄が覗いている。
「龍馬の手紙」を館の売り物に置いたアイデアも小椋さんの発案と聞いている。
それに、現代語訳をつけたのもやっぱり小椋さんだった。
独特の“小椋節”が窺える訳文は、実に楽しい。
その手紙を、若い入館者が熱心に読んでいる。
ガラスのケースの中に吸い込まれるのではないか、そう見えるほどの熱心さなのである。
 海に向かって立つ館は、館内に展示する資料類にとっては、潮風などの影響もあり、環境は好いはずがない。
そんなこともあって、「記念館には資料が少ない」などとの陰口がささやかれた。
中には、面と向かっての忠告もあった。
しかし、小椋さんは少しも慌てず、こんな風に切り返した。
「実は好い展示物があるのですよ。でも、あまりに大きすぎて展示室には入らないんです。
外に展示してありますので、よく観て下さい」
そして、館内の最先端から、眼前に広がる太平洋を指差したという。
 その海は、まさしく龍馬の見た海である。
 さて今日の海は、果てしなく青く遠い。
白い雲を従えて、呼んでいるのが分る。
その声を聞いて、先日の総選挙結果で起きた頭痛が、やっと消えた。

操舵室から

 龍馬記念館の建物は、大海に乗り出す船をイメージに設計されている。
船体はブルーとオレンジ色。
大波を一つ乗り越え、次の波に向かって、かっこよくへさきを持ち上げた瞬間である。
まこと、屋上に立ち眼下を見ると、甲板にいる気分になる。
砕ける波。跳ね散る飛沫が白い、白い、白い。
”船内”は壁面がカーブを描いている。
だから、事務室などとして使うには不便この上ない。
机は、壁と直角に突き当たる配置が出来ない。
窓のブラインドが、斜めに上がっていく。
それはいいが、変則なので壊れやすい。
  ”艦長”ならぬ館長に就任して一ヶ月、専ら”船”の修理に追われている。
 ただし気に入っているところもなくはない。
上がり下がりは、鉄製の螺旋階段である。
靴の下に弾む鉄の響きが、手摺の手触りが心地好い。
船腹の丸窓もいける。
しぶきが掛かってくる感じである。
少しさびがきているのも、年月を感じさせて楽しい。
 そして極めつけ、ここは操舵室。
海に突き出した、総ガラスばりの空間は、目線の彼方に水平線である。
まさしく”龍馬の見た海”。
台風余波のうねりの中を、地元の漁船が一艘波をたてて横切って行った。

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