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龍馬と啄木

weblog-100711.jpg 2階企画展示コーナー入口に龍馬のろう人形がいる。龍馬さながらのろう人形に歓声をあげて写真を撮る人は多く、なかなかの人気スポットだ。無精ひげもあってそのリアルさに「コワイ」と泣き出す赤ちゃんもいるくらいである。
 いつもなら一人でいる龍馬に3ヶ月近く、石川啄木のロボット人形が寄り添っていた。この啄木ロボットはしゃべることができるそうだが、龍馬に遠慮したのか記念館ではおしゃべりすることはなかった。33歳の大きな龍馬は、小柄で色白の啄木と並ぶとちょっとおじさん風に見える。啄木は28歳の若さで亡くなっているからだろう(ともに数え年)。
 
 「龍馬と啄木展~明日の風景」も残すところあと数日。何の接点もなかった二人が"言葉と歌"でつながり、新しい顔を覗かせてくれた。この間、みちのく岩手と土佐の高知が交流をはじめ、両県が一緒になってKI(カイ)援隊が動き出した。遠い土地が近くなった気がする。
 8月1日から石川啄木記念館(岩手県盛岡市)で「啄木と龍馬展~二人の目線」が始まる。10月には岩手県一関市で「全国龍馬ファンの集い」が開催される。龍馬が岩手とつながっていく。楽しみだ。
 
石川啄木記念館HP  http://www.takuboku.com/

「われら海援隊!」

weblog-100623-1.jpg6月19~20日、高校生洋上セミナー「われら海援隊!」を開催した。「風になった龍馬」関連行事で、20人の高校生が航海体験を通して、自分の夢を考えたのである。

乗り組んだ船は高知県・教育実習船"土佐海援丸"。150年前にアメリカに渡った咸臨丸と同じくらいの大きさで、2ヶ月間のハワイ航海実習も行っている。

"土佐海援丸"は高知市タナスカ港から出航し、土佐清水市あしずり港へ入航する予定だったが、梅雨前線の影響をもろに受けて、万次郎が漂流のときに出港した宇佐沖でUターンすることになった。

浦戸湾から外洋へ出ると、大きなうねりが船を直撃した。船首に波しぶきが上がる。陸地とは勝手が違い、高校生たちは(私も)船酔いに苦しんだ。それでも「楽しかった」「貴重な体験だった」「仲間がいたから乗り越えることができた」と、20人の高校生たちは笑顔で下船していった。順調な航海でなかった分、学ぶことは多かったと思う。

weblog-100623-2.jpg人生は決して順風満帆ではない。それでもあきらめずに前進できるのは仲間がいればこそ。20人を支えるのは倍近い乗組員やスタッフである。「誰一人かけても船を動かすことはできない」「自然の中で感じる恐ろしいという感覚は大事だ」。寡黙な船長が語る言葉は胸に響いた。=第2回は7月24~25日開催=

★次のサイトとブログでも紹介されました。
http://www.ryomakaido.com/2010/06/4068 
http://sakamoto.moeruhito.com/e1513.html

 

北の国から

 「お客様がお待ちかねです」という職員に促されて応接室に入ると、「浦臼から来ました」と立ち上がった客人。恰幅のいい北海道浦臼町長・岸泰夫さんであった。
 浦臼は龍馬の甥・直寛が移住したところで、郷土史料館など町内には龍馬関係資料がある。『龍馬伝』によって北海道でも龍馬ブームに火がついていて、浦臼も例外ではない。"お宝"のある史料館の龍馬コーナーはリニューアル。入館者は2倍になり、問合せも頻繁らしい。石狩川近くの小さな町で龍馬が動いている。
 龍馬の子孫を紹介した「海援隊約規物語展」(2008年10月~2009年3月)では町内の資料をお借りし、昨年は同町・個人の方から一番古い(一番若い)龍馬の手紙の複製を作成させていただいた。浦臼は当館にとっても大切な町である。
 岸町長は、翌日姉妹町・長岡郡本山町の開町百周年記念行事に列席されるという。「一度も来たことがないから」と少ないスケジュールを繰り合わせて来てくださった。話の後、閉館前の館内をざっと一巡りし、足早に出て行かれた。
 龍馬は今、日本中を駆け巡っている。

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一番若い龍馬の手紙(複製軸装・安政5年7月ごろ)前の岸町長

4年ぶりの再会

weblog0993-3.jpg この夏、懐かしい人たちに再会した。ともに4年ぶり。時間や距離の隔たりなんて感じない、うれしい時間であった。
 8月初め、記念館の設計者、高橋晶子・寛ご夫妻が設計関係の方たちとともに来館された。晶子さんは2年くらい前に、武蔵野美術大学のゼミの学生たちと来てくださっているが、寛さんとはあのとき以来である。
 4年前の光景を私ははっきり覚えている。閉館後の夕暮れ時、記念館南端の"空白のステージ"。ベンチに座って三人でいろいろな話をした。
「私たちにとってこの記念館は自分たちの子どもなんです」という晶子さんと、横で頷く寛さん。それは、晶子さんと同年の私には心に残る言葉だった。
 今回この話をしたら、「よく覚えていましたね。そうです、この記念館は私たちの子ども、しかも一番初めの子どもなんです」と晶子さん。
 4年間で記念館はすっかり変わった。「龍馬の入口」というコンセプトは「龍馬の殿堂」へ。館内の様子も展示だけでなく様々に変わった。椅子ひとつこだわって配置してきた高橋さんにとって、今の状態はどんなに映るのか。
 weblog0993-2.jpg「パソコンに例えれば、何もないPCにどんどんソフトや情報が入っている感じ。これからの変化も楽しみです」。"わが子"を見る親のまなざしは温かい。
 かわって長崎。8月末、あるNPOに呼ばれて話をして来た。
何も連絡していなかったが、長崎龍馬会の方たちが、私の長崎行きを知って集まってくださった。龍馬を辿って歩き回った4年前も暑い日だった。あのときのメンバーである。
 とりとめのない話の途中、この日の講演内容を聞かれて話す私にじっと耳を傾けてくださる面々。ふるさとに帰ったような安堵感が広がるのを感じていた。
 再会2題。歳月はまろやかに熟成しているようだ。

りょうま講座 in ひろめ市場

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 “高知の台所”と言われる大橋通り。かつては(というほど昔でもないが)、天ぷらを揚げる店や魚屋の呼び込みの声が響き、夕餉の買い物客で賑わっていた。こぎれいなアーケードになった今、往時の活気は感じられない。前掛け姿の元気なおんちゃん、おばちゃんたちが行き交っていたあの頃が懐かしい。
 この大橋通りから追手筋に抜ける一角に“ひろめ市場”がある。開設以来10年が過ぎ、県民や観光客の人気は高い。アジアの屋台街を彷彿とさせるここに高知の食と元気が集まっているようだ。
 もとは幕末の土佐藩家老、深尾弘人(ふかお・ひろめ)の屋敷跡で、ひろめ市場ができる前には“ひろめ屋敷”とか“ひろめ”とか呼んでいた。近くの高校に通っていた私は、“ひろめ”にあった太鼓まん(まんじゅう・大判焼)屋やパン屋、本屋などによく通ったものである。
 そんな思い出もあるひろめ市場の一角。私は毎月第4木曜日、『龍馬を知ろう・語ろう会』と銘打つ会で話をしている。へんしも会主催で、4月から1年間の予定。「へんしも」とは土佐弁で「急いで、すぐに」の意。いいことはすぐに実行!という、ひろめ市場テナント会の女性たちが中心である。
 お城のすぐ下、吉田東洋や武市瑞山殉難の地もすぐ近く。ひろめさんは山内容堂の信頼が厚く、東洋の施政にも貢献した人。追手筋界隈には幕末がいっぱいある。
 天ぷらやお惣菜の匂い、混沌としたざわめきに包まれながら龍馬を語る。実に土佐風で面白いものである。

「夢」と「出会い」をテーマに

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 4月18-19日の2日間にわたって開催された「第一回現代龍馬学会」が終わった。準備から1年、立ち上げから半年。いよいよ総会が始まるんだという2日前の緊張は晴れ渡った空に消えていった。初夏の海も目に鮮やかである。

 『何もかもが混迷を極め、未来へのヴィジョンが失われてしまったかに見える現代。坂本龍馬の思想と行動に学び、その精神を今日に生かそうとして、高知県立坂本龍馬記念館・現代龍馬学会は発足した』。
 7人の研究発表者の一人として、また、現代龍馬学会発表のトップバッターとして、私も演台に立たせていただいた。与えられた時間は短いけれど、掘り下げれば内容はどこまでも深い。どういった発表にするべきか、ずぼらな私なりに少しは悩んだ。
 諸先輩、諸研究者の発表の口火切り役であるということは、初めて甲子園のマウンドに立つ高校球児のような気持ちである。しかも初めての龍馬学会。が、マウンドにいる神様(龍馬)も一緒なので何とかなるだろうという気持ちで臨んだ。

 1日目の総会、発会式のあと、自分の発表を終え、他の発表を聞き終わったとき、えも言われぬ気持ちの良い風が吹いた。
2日目、分科会での討論。西村直記さんのトークコンサートの後の総括と宣言文発表。2日間を終えた会場に、充足感が加わった心地よい風が吹いた。
 『三十三年の生涯で龍馬が夢見たもの、それはヒューマニズムに根ざした新しい日本の建設だった。道義が廃れ、理想が失われつつある現代、龍馬の意志と情熱を受け継ぎ、私たちの時代と社会を見つめ直していきたい』。
 『  』は2日間を終えた現代龍馬学会の宣言文(部分)である。学会とともに記念館の方向性が端的に表されている。いよいよ龍馬の風が吹く。

坂本家の葛篭(つづら)

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札幌・坂本家に伝わる葛篭(つづら)を「坂本家の居間」に展示している。
蓋つき、木製、クロス張り。
「坂本」の金文字が印象的だ。
明治末期から大正時代の初めに郷士坂本家7代当主・坂本弥太郎が作り、活用したもので、かつては20個以上あったのだろう。
龍馬の資料もこの葛篭に入って北海道内を移動していたのかと思うと胸に迫るものがある。
葛篭には無造作に「坂本 桂 山内容堂 武市半平太 中岡 勝海舟 吉村虎太郎」というシールが貼られているが、この中には弥太郎が集めた画家・公文菊僊(きくせん)の描いた肖像画が入れられていた。
坂本直寛(龍馬の甥)に認められただけあって、婿養子の弥太郎は熱心なクリスチャンで、実業家としても大成した。坂本家への執着も強く、彼によって坂本家や龍馬資料は守られてきた。

直寛の長女・直意との間に10人の子どもがおり、その時々、正装した家族写真には弥太郎の意気込みが撮られている。
ここ数年、弥太郎さんをはじめ古今の坂本家の人々とおつき合いさせていただいた。
写真を見れば、誰がどんな様子だったのか、だいたい分かるようになった。
坂本家に対してどこか懐かしい親戚のような気持ちも生まれている。
龍馬精神を受け継いできた坂本家の人々や、海援隊約規についての半年に及ぶ企画展示はまもなく“千秋楽”。
土佐に旅した葛篭とともに、龍馬の資料や高松太郎らの遺品が北海道へ帰っていく。別れと出会いの春である。
さて、次の企画展は「近世土佐の焼物」展(4月1日~7月17日)。
名品、逸品が並びます。乞うご期待!ぜひご覧ください。

元気印のおばあちゃん

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春めいてきた。
張り詰めたような弧が緩み、水平線がかすむ日がある。
三寒四温を繰り返しながら、確実に春は来ている。 
入館者の服装もずいぶん軽くなってきた。
3月3日ひなまつり。2階の一角に、短歌愛好家たちの「乙女姉やんのひなまつり」という小さな展示が行われた。
70代から80代(もしや90代も)の方たちが張り切って色紙に書いた短歌を持ち寄ったもの。
失礼ながらお世辞にも"上手"とは言えないが、館長同様、龍馬も乙女姉やんも苦笑していそうなくらい元気がある。
龍馬ファンの方たちらしく、昨年の龍馬像建立80年の時も、記念の5月27日に賑々しくお祝いの会を自主的に開催された。とにかく元気。記念館でやるのが一番ふさわしいという意気込みがメンバーにあふれている。
中には最近まで九州で学ぶ高校生の孫を毎週末ごとに高知から送り迎えしたという70代の方もいる。
おばあちゃんパワーはすごい。
介護だ、デイケアだと、福祉施策がかまびすしく言われた時期が去り、今は派遣切りにニュースは集中している。ニュースが騒いだ後にいったい何が残るのか。
生きるということはブームではなく生きるという現実である。
語呂合わせのような短歌に苦笑しながら夜間に色紙を貼ったが、若者に負けない元気なお年寄りたちの姿はうれしい。老いていく両親を見ている身にはうらやましくもある。
「館長さ~ん」とやってくるおばあちゃんに、「もう来んでもえい」と館長。言われても屈せず、かくいう館長も追い返すではない。おばあちゃんのめげない精神に笑いがあふれる。
春の光が明るい。

隣の熱気

 今アメリカが熱い!
 世界中がオバマ大統領を注目しているからだ。
 それは私のようなアジアの一市民を含めた多くの人が疲弊し行き詰まった世界への「change変化」を求め、「Yes,we can!そう、できるんだ!」と、熱い思いを奮起していることに他ならない。
 ホワイトハウスに黒人の大統領が入ることの凄さ。アメリカは今、独立宣言当時の原点に返ろうとしているかに見える。久々の感動である。
 有名なリンカーンのゲティスバーグ演説にある「人民の人民による人民のための政治」。明治時代、自由と平等を掲げ土佐から起こった自由民権運動家たちの思いであり、昭和には日本国憲法に引き継がれた民主的な言葉である。その言葉を胸に、オバマ大統領は進む。
 私が子どもの頃、アメリカは輝いて見えた。アトムとともに育った私たちはアポロの活躍に心躍らせ、アメリカに自由と平等、明るい未来を感じることができた。アメリカ留学をする友が眩しかった。
 アトランタオリンピック(1996年)では、キング牧師の“夢”を思い出したが、それもつかの間、私たちはアメリカへの失望を大きくするしかなかった。日本の政治が彷徨し始めてからも長い。
 今、忍耐と理想主義を掲げながら新しいアメリカを再建しようとするオバマ大統領や米国民の熱気が海から伝わってくる。その波動は大きいようだ。
 西部劇を観、フォスターを奏で、古き良きアメリカを愛する父は、子どもの私によく言った。高知の隣はアメリカ…だと。ジョン万次郎に教えられたのかもしれない。事実、この海の向こうにはアメリカがあるのだ。
 大統領就任式を前に、私はそのことを強く感じている。

一本の襷(たすき)

 正月恒例の箱根駅伝を見た。
 といってもテレビ観戦なので、CMが入ったり、途中コーヒーを淹れたり、別のことをしたりで、始終見ていたわけではない。寒風の中の観戦と違って、箱根の山や大手町など盛り上がった場面だけの応援は安気なものである。
 それにしても今年はいつもに増して、全ての走者の健闘を讃えたいという思いが強かった。
 ダークホースだった勝者・東洋大。早稲田アンカーは2位にもかかわらず仲間に申し訳ないという仕草でゴール。選抜チームの踏ん張り。棄権となり記録に残ることがなくても走り通した城西大。選手に選ばれた者、選ばれなかった者。大学生が一本のたすきをつなぐために200キロ余りの道をひたすら走る感動に理屈はいらない。
 勝敗へのこだわりと走ることへのこだわりは同じものなのだろう。順位によらず、たすきを渡し、受け取る選手の顔には走ることへの誇りがにじんでいる。
 一本のたすきに託す夢と誇り。
 時代も同じだ。一人の力で歴史はつくれない。あまたの人生を集約して時代はつくられ、道なき道に歴史が刻まれていく。人々が、時代が、一本のたすきを次につないでいくのである。
 今、時代が龍馬を希求している。龍馬のたすきは重い。しかし、後部集団で走っていた龍馬が、ごぼう抜きで先頭集団に躍り出て、一年後には大河ドラマで日本を駆けてゆく。私たち応援団にも力が入ってきた。
 ゴールを切った選手たちがそのまま練習へと駆け出すように、毎日の積み重ねが勝負の強さにつながる。走るのみ。牛歩のごとく、うまずたゆまず前進するのみ。
 駅伝を見ながら、私は自分自身にそう言い聞かせていた。

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