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青年時代

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剣術修行のため嘉永6(1853)年3月に高知を出発した龍馬は、江戸三大道場の一つである北辰(ほくしん)一刀流の千葉定吉(さだきち)道場へ入門した。

同年6月3日には、ペリー率いる黒船4隻が浦賀に来航し、龍馬も品川の沿岸警備に動員された。その頃父・八平に宛てた手紙では、「もし戦争になれば異国の首を討ち取って土佐へ帰ります。」と攘夷(じょうい)思想を表していた。しかし、1年後に修行を終えて帰ってきた龍馬は、秋に河田小龍(しょうりょう)を訪ねて、世界と対等に付き合うため、日本には大きな船とそれを動かせる人材が必要だと教えられ、攘夷の間違いを悟った。小龍は絵描きだが、アメリカから11年ぶりに帰ってきたジョン万次郎から聞いた外国の話を『漂巽記略(ひょうそんきりゃく)』という本にまとめた人物で、当時外国の事情に詳しい数少ない人材であった。

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文久元(1861)年、27歳になった龍馬は親戚でもあり親友でもある武市瑞山(たけちずいざん)率いる土佐勤王党に加盟する。この年の秋、武市の密書を持って萩(山口県)の久坂玄瑞(くさかげんずい)のもとを訪ねた。久坂から、いまや大名も公卿(くぎょう)も頼りにならず、これからは草莽(そうもう)の人々(志のある在野の人々)が立ち上がらなければいけないと教えられ、翌年2月に土佐へ帰り、その翌月には脱藩をしてしまう。