
慶応2(1866)年1月21日、龍馬はこの組織を使って、当時非
常に仲が悪かった薩摩藩と長州藩の手を結ばせる薩長同盟を成功させた。これにより、幕府に対抗できる勢力が誕生したことになり、それを画策(かくさく)した龍馬は幕府から危険人物としてマークされることになった。薩長同盟成立の2日後、伏見の寺田屋に泊まっていた龍馬は、伏見奉行所(ふしみぶぎょうしょ)の役人に踏み込まれた。しかし、寺田屋で働いていたお龍(りょう)の機転と、ボディーガード役の長府藩士・三吉慎蔵(みよししんぞう)に助けられ、薩摩藩邸に逃げ込むことができた。両手の親指などに深手を負った龍馬は、薩摩藩邸でお龍に看護(かんご)を受け、その後お龍と結婚し、西郷隆盛や小松帯刀(たてわき)の勧めもあって、薩摩の霧島山に傷の保養を兼ねた新婚旅行に出かけた。