◆高知市上町2丁目13
◆電車上町1丁目下車、徒歩5分

002.jpg
鏡川沿いの築屋敷にあった道場といわれるもので、龍馬誕生地のすぐ西の上町1丁目交差点を左に廻り、南の鏡川を目指せば築屋敷だ。龍馬誕生地から徒歩でも5分ほどの場所だ。
この周辺は鏡川河畔で、かつては竹薮であったが、住民たちの力で堤防を構築したという。この辺りに小栗流の和術を主とした日根野弁治吉善の道場があった。龍馬はここで14歳から19歳まで修業し、剣法や居合、槍、棒、薙刀、騎射、水泳、水馬などの武芸を身につけた。嘉永6(1853)年3月には「小栗流和兵法事目録」一巻も伝授されている。龍馬19歳の時だ。
今、道場跡を決定づけるものは何もないが、周辺の屋敷は全て道より石垣を築き上げ高い所に建っている。頑丈な石垣や、土用竹の生垣は道場ありし頃の光景を彷彿させるものがある。

◆高知市上町1丁目7-34
◆電車上町1丁目下車、徒歩1分

001.jpg

高知市はりまや橋より電車軌道に沿って国道号線を西に行き、高知県庁前より2つ目の信号が升形だ。その左手前方に上町病院の建物があり、西隣に坂本龍馬先生誕生地の碑がある。「土佐維新歴史文化道・坂本龍馬誕生地」の大きな標識があるのですぐわかる。
誕生地の碑は昭和27年5月、当時の首相吉田茂の揮毫のものを、昭和43年「明治百年記念行事」の一環として高い台座を含め整備したものだ。平成14年、その前に説明板とモニュメントが作られた。
誕生地の標識は明治の末年、田中光顕書の木柱が最初で、昭和3年と昭和20年に建碑されて現在のものに至っているという。
坂本家は明和7(1770)年新規郷士に取り立てられ、ここに独立分家したものだ。龍馬誕生の頃は、この付近から南側水道町までの広い家地であったと伝えられている。
郷士名簿録によると領知高は161石8斗4升であった。龍馬の留学を可能にしたのもこの財力だった。現在、生家に関する資料は何もないが、近年生家に因んだ町づくりの活動も進んでいる。
龍馬誕生の11月15日には、ここを中心に町内会の人々が中心となって盛大な誕生祭が行われている。

1  2  3  4  5