間崎滄浪邸跡

◆高知市北本町1丁目5-22
◆JR高知駅下車、徒歩7分

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JR高知駅前から南西方向に,高知警察署のビルが見える。駅前大通りの南側だ。北側は高知中央郵便局で、その前の信号を南に左折し警察署の横の信号を西へ2つの目の四差路の南西民家の前に間崎滄浪先生宅址の碑はある。警察横の信号からは西へ2分も歩けばよい。道路整備のたびにアスファルトが盛られ碑の下端「址」の刻字は半分埋まっている。昭和3年12月の建立だ。
文久元(1861)年土佐勤王党に加盟し、江戸に出てからは多くの志士との交流もあった。龍馬とは文久2(1862) 年8月26日江戸で逢い会飲しながら時局を論じたこともある。また12月5日には江戸の越前藩邸で近藤長次郎も交えて松平春嶽に謁見し、大坂近海の海防策も具申したともいう。後に平井収二郎、弘瀬健太らと共に、青蓮院宮の令旨を受けて山内豊資をたて藩政改革を目指すが、逆に容堂の怒りに触れて山田町の牢につながれ文久3(1863)年6月8日自刃して果てた。
少年時代から奇童と称されるほど学高く、16歳で江戸に出、帰国して19歳で江ノ口に私塾を開いた。門人には吉村虎太郎、中岡慎太郎、島本仲道らもいたようだ。吉田東洋にその才が認められ一時浦役人に登用されたこともあった。
昭和41年、高知市東久万の墓所から、先祖が住んだという中村市江ノ村(間崎村)長法寺内に分骨し、滄浪の絶命詞碑(墓)も建て翌年には顕彰館もできた。