武市瑞山(半平太)殉節地

◆高知市帯屋町2丁目5-18
◆電車大橋通下車、徒歩2分

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吉田東洋記念の碑から帯屋町筋に出、アーケード内を200メートルほど歩くと左手に四国銀行帯屋町支店がある。その角に、武市瑞山先生殉節之地の赤文字が人目をひく。繁華街でありこの碑の前はいつも自転車やオートバイの駐輪がひどく碑の隠れることが多い。碑の両脇にかけての説明には、「武市小楯 通称は半平太瑞山と号す 文政十二年九月長岡郡吹井村に生まれる 天資英偉明秀人格一世に高し幕末多難際に土佐勤王党を率い国事に奔走す後吉田東洋暗殺に連座し慶応元年閏五月十一日この地に割腹す時に年三十有七」と、高知市文化財保護協議会の撰文だ。

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東洋暗殺が勤王党の仕業とみなされ、文久3(1863)年9月瑞山らは捕えられた。南会所の獄舎につながれ、吉田東洋配下の後藤象二郎の厳しい追求を受けた。瑞山の弟田内衛吉の服毒自殺、島村衛吉の拷問死がその追求の厳しさを伝えるものだ。土佐勤王党の最終処分は瑞山の切腹をはじめ、獄死2名、斬首3名、禁固7名の処置だった。岡田以蔵の獄門の極刑もこの時だ。