板垣退助誕生地

◆高知市本町2丁目3-18
◆電車大橋通下車、徒歩2分

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県民文化ホール北の交差点を東に折れて10分ほど歩くと左手に高野寺がある。武市瑞山殉節之地からだと、南の電車通りに出、大橋通り信号を渡り南へ100メートルほどの所の信号を東に左折すれば高野寺だ。その門前に、大きく黒ずむ自然石の板垣退助先生誕生之地の碑と死生亦大矣の2つの碑があり見落すことはない。
龍馬と板垣との接触は晩年のことで、慶応3(1867)年9月24日、龍馬がライフル銃を積んで浦戸入港の時、渡辺弥久馬宛の龍馬の手紙の中に「蒸気船を以て本国に帰申候(略)後藤参政はいかがに候や、(略)乾(板垣)氏はいかがに候や。早々拝顔の上、万情申述度」と板垣の名も出ている。
板垣は慶応3(1867)年5月、中岡慎太郎の紹介で、薩摩の小松帯刀、西郷隆盛、吉井幸輔らと交流している。そして、坂本龍馬や後藤象二郎らが、大政奉還の平和路線をすすめている一方で、板垣は中岡慎太郎、西郷らとともに武力討幕の薩土密約を結んだことは有名だ。