武市瑞山(半平太)道場跡

◆高知市桜井町1丁目2-32
◆電車知寄町行・菜園場下車、徒歩3分

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新堀小学校の東側堀沿いを南へ進み、その東に架かる新堀橋を渡ると右手が横堀公園だ。周りに木々が茂り子どもたちの遊具もある。この公園の北東隅に、下段に青石、上段に赤石を配した武市半平太邸跡の碑と説明板がある。
瑞山は嘉永2(1849)年、吹井村から妻冨子や祖母と共にここに転居した。道場は安政2(1855)年の春、門口6間、奥行4間(11×7.3m)のものを建てた。碑は現在ここにあるが、もとはこの道路の北側に設置されていた。実際に邸と道場のあった場所はここから約30メートル東の道路北側付近と推定される。道場跡も邸跡も伝えるものは何もない。瑞山の門人には中岡慎太郎、岡田以蔵、五十嵐文吉、久松喜代馬ら勤王運動家など120名にのぼり、龍馬もここによく出入りした。龍馬は角張ったアゴに特徴のある瑞山を「武市のアギ」とか「武市の窮屈」とか呼び、瑞山もまた龍馬を「龍馬のアザ」「坂本の法螺」などと呼び合った仲だった。
また門柱のそばでよく放尿する龍馬にたまりかねた瑞山の妻冨が、それを瑞山に訴えると「龍馬ほどの人物だ、小便ぐらいおおめにみてやれ」といった話や、剣術の練習後、新堀で体をよく洗ったという話など有名だが、これもこの邸や道場での出来事だろう。