長岡謙吉邸跡

◆高知市南はりまや町2丁目2-10
◆JR高知駅下車・電車桟橋行・はりまや橋下車、徒歩3分

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はりまや橋バスターミナル西端から南に進むと得月楼駐車場がある。ここが長岡謙吉の誕生地だ。標柱も何もないが、かつては2階建ての部屋や土塀もあり、前庭には松の古木もあったという。
坂本龍馬とは遠縁にもあたり、慶応2(1866)年頃に長崎で会い、翌年組織された海援隊に加入する。以来、龍馬と行動を共にし文書の作成などを積極的に手掛け、海援隊の文官的役割を果たした。慶応3(1867)年6月の「船中八策」も龍馬らの意向をうけて謙吉がまとめ、10月の大政奉還建白書の草案、作成にも参加した。海援隊刊行の『閑愁録』も彼の著書だ。

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河田小龍の家もすぐ隣であり、謙吉も幼い頃から出入りし、彼の知識は小龍の感化と影響を見逃せない。龍馬の死後も同志と共に塩飽諸島の鎮撫に努力し、開発と管理につとめ慶応4(1868)年4月には海援隊長にもなった。明治5(1872)年6月病死。39歳だった。