河田小龍塾跡

◆高知市上町3丁目15-4
◆電車上町2丁目下車、徒歩5分

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築屋敷の石垣前の道の鏡川側は、芝生や樹木が植えられた土手である。土手から見る上流には、鏡川に架かる月の瀬橋がある。その橋の北詰め西側辺りが小龍の塾跡とされているところだ。水天宮の社があるが、その西辺りだったともいう。周辺に塾跡を伝えるものは何もない。
小龍は安政の大地震で住んでいた家を失い一時は城北に移ったが、紺屋町の門田兼五郎の好意で築屋敷に住むようになったらしい。龍馬が小龍を訪ねたのもこの家だろう。
安政元(1854)年の秋の頃という。龍馬誕生の地からは5分ほどの距離だ。江戸で黒船襲来を経験して帰国後のことでもあり、小龍から聞く世界情勢や大艦のことなど大いに啓発されたことだろう。近藤長次郎や長岡謙吉、新宮馬之助ら小龍の門下生との交遊もこれ以後のことだ。
『藤陰略話』では、龍馬が「あなたは人をつくりなさい。私は船を作りましょう。」と言って小龍と別れた、と記している。小龍と龍馬との交流、そして龍馬の決意がうかがえる有名な話だ。