旧立川番所書院 龍馬と水戸浪士との会見の地

 
◆長岡郡大豊町立川
◆JR大杉駅から町営バス立川行・立川番所前下車、徒歩2分

◆長岡郡大豊町荷宿
◆JR大杉駅から町営バス立川行・立川番所前下車、徒歩5分

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国道32号線、高知市から大豊町役場までほぼ40キロの道のりだ。そこから国道439号線を本山方面ヘトンネルを抜けると立川番所への案内標識がある。それに従って右折し、あとは立川川に沿って行けばよい。要所要所に案内板が立っているので迷うことはない。立川番所までは国道439号線の分岐からは13キロほどだ。高知自動車道なら大豊ICで降りればよい。
立川番所(関所)は、江戸時代参勤交代における土佐最後の宿所であると同時に、国境警備の要衝の一つだった。六代藩主豊隆の頃(享保3年・1718)より、海路を陸路に改め、陸路の布師田~領石~穴内~本山~川口を経て立川から笹ヶ峰を越え馬立~川之江への道をとるようになった。立川番所は、安芸の野根山越えの岩佐や吾川の名野川と並ぶ重要な番所で、特に警戒も厳重だった。登り口には、旧立川番所書院まで150メートルと教える大きな案内板が立っている。
大きな茅葺き屋根の番所屋敷は御殿と呼ばれ、今も昔のままに保存され、国の重要文化財に指定されている。寛政年間(1800頃)の建築で茅葺き寄棟造りだ。間口8間半(1間は約180センチ)、奥行き6間半、藩主宿泊の上段の間も入れると9室ある。もとはその2倍もあったというから随分大きかったことがわかる。

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ここより500メートルほど上流に荷宿という所がある。藩政期、産物や商品の荷物の集散地であったことからきた地名だ。この付近が坂本龍馬らが水戸浪士と会見した地とされている所だ。幅100メートルほどの谷間であり中央に立川川が流れ、四方高い山に囲まれてはいるが二車線の道路がある。上方を走る高知自動車道建設のために開発された道だ。
安政5(1858)年水戸浪士住谷寅之助と大胡聿蔵は10月17日立川番所まで来た。だが入国手形を持たなかったため入国できず、立川荷宿の木屋や岩吉の家で坂本龍馬に入国の周旋を依頼した。坂本龍馬は、川久保為助、甲藤馬太郎らと共に23日夜、雨中を駆けて立川まで来て会談したものだ。この会談について住谷寅之助は『廻国日記』の中で「龍馬誠実可也の人物、併せて撃剣家」と記してはいるが、政治情勢にはうとく、世間知らずと失望の色をみせている。この時龍馬は24歳、江戸から帰国したばかりで、まだ本格的に政治へ目覚めた時期でなかったせいだ。龍馬の本格的な政治への目覚めは、土佐勤王党に加盟以後27歳頃とみるべきだろう。
いま、会談の場所となったという木屋岩吉の家の所在地は判然とはしないが、高知自動車道高架下の立川川沿いの平場ともいう。ガードレール脇には立川御殿保存会による「荷宿跡 坂本龍馬 住谷寅之助会見の地」の小さな標識が立てられている。