坂本龍馬先塋の地-龍馬公園と坂本神社-

◆南国市才谷大浜屋敷
◆県交通バス領石・田井方面行・土電バス新改行領石下車、徒歩30分

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高知自動車道南国インターチェンジ入口を左に見て、更に国道32号線を1キロほど走り信号を右折すると領石橋だ。橋を渡って左に300メートルほど行くと右手道ばたに「坂本龍馬先生先塋の地」の碑があって、その脇では「才谷龍馬公園こっから入りや。あと2.4キロぜよ」と龍馬の肖像看板が案内してくれている。「先塋」は祖先の墓地、「塋」はハカ・墓地のことだ。
指示に従って右に道をとって進むと鳥居があって、この辺り一帯が「ほたるの里」になっていることや、公園まで1.5キロであることが案内板に示されている。
龍馬公園の冠木門をくぐると自然堂と名付けられた建物と桜の木に囲まれた広場がある。平成6年、美しい町づくり推進事業によって整備されたもので毎年11月に催される才谷龍馬祭などのイベントに使用されて賑わうが、いつもは静かな山あいの地である。
自然堂のなかに「坂本氏家系図」が掲示されて、龍馬と大浜屋敷という地名のつながりを意味づけている。「大浜濤次郎」の名を龍馬が使ったのも、この地にちなんだものであることがわかる。
坂本神社は公園の広場の奥の樫の古木の繁みの中にある。「坂本神社」の扁額のかかっている小さな鳥居でそれと知れる。

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鳥居の右後方に、坂本家二代彦三郎、三代太郎左衛門の墓石がいくつかの石盛墓と並んでひっそりと建っている。墓石には苔が生え墓誌などは判読しかねるほどに風化している。
坂本家は四代八兵衛守之が寛文6(1666年)年に高知城下に出て、本丁三丁目で質屋業「才谷屋」を創業し、更に酒造業、諸品売買業へと家業を拡げて城下屈指の豪商となって苗字帯刀御免となるなど、才谷屋の基礎を築いた。
当時、城下の分限者として中央では仁尾久太夫と櫃屋道清がおり、下町では酒屋の根来屋又三郎、上町では才谷屋八兵衛、といわれたという。五代八郎兵衛正禎は本丁の年寄役となって藩主のお目見え御免となり、六代八郎兵衛直益は窮乏する土佐藩の財政に貢献すると同時に、豊かな経済力をもとに学問にも志した教養人でもあった。
墓石の側面に「坂本八郎兵衛直益建之」の文字が見える。もちろん、初代太郎五郎の墓も建立している。
直益には2人の男子があり、兄の兼助(八郎兵衛直海)は郷士の株を買って分家し、弟の八次(八郎右衛門直清)は才谷屋の家業を継いだ。
龍馬は兼助の曾孫である。