お龍・君枝の銅像

◆安芸郡芸西村琴ヶ浜
◆土佐くろしお鉄道和食駅下車、徒歩10分

026.jpg

高知市より国道55号線を26キロほど東に行けば芸西村だが、その和食川に架かる堀切橋の所に大きく「琴ヶ浜 松原野外劇場入口」の看板がある。そこを右折し太平洋の方に出ると東方に像は見える。ここから300メートルほどの距離だ。
芸西村和食は海援隊士菅野覚兵衛の出身地だ。菅野覚兵衛は、龍馬やお龍のすすめで、お龍の妹君枝と結婚し、君枝もしばらくこの地に住んだ。龍馬を失ったお龍は、明治元(1868)年3月、高知城下の坂本家に身を寄せるが、後、芸西村の覚兵衛の兄富之助の所に滞在したことがある。富之助の娘仲子と同室で暮し、龍馬遺品の短銃で雀を撃って戯れたり、ここを去る時、今まで保存していた龍馬からの手紙も、焼き捨てるよう依頼して京都に出たというエピソードなどを残している。
姉妹像は、「姉妹愛と共に 龍馬 覚兵衛を記念しよう」と芸西村が建立したもので、平成5年5月12日の除幕だ。高さ1.7メートルのブロンズ製で、作者は安芸市の岩崎弥太郎や、梼原町の維新の門など制作した浜田浩造氏(故人)だ。お龍や君枝の写真をもとに、桂浜の龍馬に向かって手を振る姿の姉妹像だ。
碑の横には山田一郎氏の「お龍・君枝の銅像の言葉」と『ある海援隊士の生涯』(佐藤寿良著)より抜粋された龍馬・お龍・君枝・覚兵衛に関る系図の記された陶板も自然石の中に埋め込まれている。
像の前は黒潮の太平洋、背後には緑濃い松並木が続く名勝琴ヶ浜、まさに白砂青松の中、はるか桂浜龍頭岬に立つ龍馬に向かってやさしく手を振る像、その指先からは龍馬への愛ほとばしる思いがする。お龍27歳、君枝16歳の頃を想定しての作という。