高松順蔵一族の家

◆安芸郡安田町
◆土佐くろしお鉄道安田駅下車、徒歩10分

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高知市より国道55号線を東へ52キロほどのところに安田町役場への標識がある。標識に従い左折すると、左手に安田八幡宮の鳥居と、右手に安田町役場の庁舎がある。道は狭いが国道よりは100メートルほどの距離だ。
左側安田八幡宮鳥居に接して高松医院がある。鳥居前を左折し医院前の小さな路地を西進すると、道は民家に突き当たって曲がる。この付近の右手一帯が高松順蔵の邸跡という。邸は道より一段高い所にあったというが、いまは民家が密集し邸跡を語るものは何もない。前方には酒造会社の煙突が高くそびえる。
高松家はかつては安芸郡では安田、東島、香我美郡は西川、東川、そして長岡郡の入野、土佐郡の梶谷など15石6斗9升の領知をもった郷士邸の面影を残している。
龍馬の長姉千鶴は、この家の12代目順蔵のもとに嫁ぎ、2男1女をもうけた。明治となって龍馬のあと目を継ぎ、坂本直と改名した高松太郎、そして兄権平の養子となった坂本直寛の母だ。
龍馬も時々この邸を訪れたようだ。のんびりと縁側から見える太平洋を眺めたこともあっただろう。「丁度私がお国にて安田順蔵さんの家に居るような心持にており候事に候」と寺田屋での生活を姉乙女やおやべに知らせた手紙もある。安政の頃千鶴から龍馬にお守りを送った手紙もあり、姉思いの、また弟思いの姉弟の間が知れてほほえましい。
順蔵は高松小埜とも号し、居合術の達人で、歌や絵もたしなみ、多くの文人、学者との交わりもあったようだ。天誅組の安岡斧太郎や、海援隊の石田英吉、そして中岡慎太郎らもこの門を叩いた。たびたびこの邸を訪れた龍馬もまた順蔵からの感化が大きかったではなかろうか。
長男高松太郎は叔父龍馬と共に海援隊士として活躍し、龍馬の死後は坂本家の養子となり、龍馬の遺志を継ぎ、弟直寛と共に北海道の開拓に尽力した。