近藤長次郎邸跡

◆高知市上町2丁目8-20
◆電車上町2丁目下車、徒歩2分

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河田小龍塾跡の月の瀬橋北詰めから、そのまま北に2~3分歩けば道の東側の電柱のもとに近藤長次郎邸跡の碑がある。
近藤長次郎は天保9(1838)年3月、水道町3丁目の餅菓子・饅頭屋に生まれた。このため饅頭屋長次郎の名もある。龍馬とは生家も近く少年時代から親交があったろう。17歳で河田小龍の門下となり、文久2(1862)年には、勝海舟のもとに入門した。文久3(1863)年に結婚するが、新婚生活の借家も龍馬の世話であったという。長州藩の外国船砲撃事件の調停など常に龍馬や勝と行動を共にし、勝が失脚して後も亀山社中周旋役として、長州のために英商人グラバーから小銃を買い付け、ユニオン号購入にも尽力し成功する。

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しかしその際、長州より得た報賞金で、独断でイギリス留学を秘密裡に計画したことが露見した。その行為は亀山社中の社規に反するものであったため、慶応2(1866)年1月14日切腹する。29歳だった。その時、京都にいた龍馬は「術数有余而至誠不足、上杉氏之身ヲ亡ス所以ナリ」と『手帳摘要』に残し、「おれが居ったら殺しはせぬのじゃった」とお龍には語り、死を惜しんだという。
碑は道ばたに車道を背にし歩道から碑文字が見える建て方だ。邸跡を語るものは何もないが、邸は碑より東側にあり、碑は邸跡を眺めて建つ格好だ。