野根山二十三士殉節地

◆安芸郡田野町
◆土佐くろしお鉄道田野駅下車、徒歩10分

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奈半利川西詰の国道脇に、清岡道之助旧邸、浜口雄幸旧邸、二十三士殉節の地の大きく目立つ案内板がある。ここを北へ左折し、奈半利川堤防上を400メートルほど行けば、堤防下に大きな記念碑がある。この川原が殉節の地だ。
元治元(1864)年9月5日、阿波に逃れた道之助らは、郷里田野に送還され、安芸奉行所岡地の獄舎(現在の中芸高校)に入った。藩の方針は、その罪については吟味するまでもない、現地において速やかに処刑せよだった。麻田楠馬、森権次、乾退助、後藤象二郎らの署名入りの命令書によるものだ。
藩権力と直接向かい合い、己の信念を披露し、死はその後と信じていた彼等を迎えたのはすでに準備されていた刑場だった。
刑場は1メートル四方で、20センチほどの土盛がつくられ、その上に莚を前半分かかるように敷いた。23人は1人ずつ処刑され、終ると首切り役人が足で莚をはねて死体に着せて終ったという。真っ先は16歳の木下慎之助で、全員処刑が終ったのは午前9時だった。
記念碑は昭和5年、昭和天皇大典を記念して、町の青年団が建立したもので「二十三士殉節之地」の碑文は、この地出身の浜口雄幸の揮毫だ。昭和43年3月には町指定の史跡となり、幾度か整備されて現状となった。
処刑の日は9月5日、奈半利川原は秋風むせぶ秋の風景だったであろう。人々はその秋風に言葉に尽せぬ怨みを残して若き命を閉じた二十三士の無念の死を偲び、奈半利川原刑場跡を二十三士公園とした。