才谷屋跡

◆高知市上町3丁目6-1
◆電車上町2丁目下車、徒歩1分

005-1.jpg近藤長次郎邸跡の碑前のすぐ北の通りが水通町だ。現在も東西に走る道に水路がある。慶応2(1866)年、城下の本格的な町づくりによって、町の中央に幅5間、長さ500間の水路を開き、金子橋から堀に落すようにした。この用水路に樋をかけて廓中の人々が利用する水でもあった。水通町の信号を西へ左折し、1つ目の四差路を北へ右折すれば左手に喫茶「さいたにや」が見える。この周辺が才谷屋跡だ。
才谷屋は坂本家の本家で、寛文6(1666)年に長岡郡才谷村からこの地に出て質屋を始め、後に酒屋や諸品売買業へと商いを拡大していった。八兵衛守之が最初だ。文禄から享保にかけて驚異的に発展し、播磨屋や櫃屋とならび称され、城下屈指の豪商にまで成長する。
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才谷屋はもともと大浜姓を名のっていたが、明和4(1767)年、初代の太郎五郎の墓を建てた時には坂本姓を刻んでいる。この墓は直益が建てたとされるもので、坂本姓は直益の頃と思われるが、改姓の理由や時期を確証するものはない。三代目直益の長男八平直海が、本丁筋一丁目南側に分家したのが明和7(1770)年3月で、その翌年5月新規郷士となり坂本家が始まる。龍馬は直海の曾孫だ。
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現在、才谷屋の跡を明確にすることはできないが寛政4(1792)年頃の「上町分町家名附牒」によれば、現在の喫茶「さいたにや」の手前から南にかけて広く、南の水路も隔て更に南側までもあったのではと推定されている。当時の 才谷屋の看板とされるものは、高知市民図書館に所蔵されている。