池内蔵太邸跡

◆高知市西町21-1
◆電車上町4丁目下車、徒歩5分

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細木病院の敷地に沿って西へ廻れば、西町の通りに出る。右折するとすぐ三差路になるが、池内蔵太邸跡へは、この三差路の道を西に100メートルほど歩くとよい。道は狭く細木病院方向からの一方通行の道だ。この西町の通りは江戸期には下級武士の住む屋敷町であった。今でも築地塀や土用竹の生垣などもあり、古風な住宅地の面影を多く残す通りだ。
池内蔵太は龍馬とは早くからの友であり、文久3(1863)年5月に脱藩し、長州の外国船襲撃の際には遊撃隊参謀として参戦している。天誅組の挙兵には洋銃隊長として、また禁門の変では忠勇隊に属して戦い、長州藩の内戦にも正義党に属して戦った歴戦の勇士だ。

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慶応元(1865)年5月、下関で龍馬と面会して以来、亀山社中にも加入し行動を共にするが、翌年の閏5月、薩摩の後援で入手したワイルウェフ号の乗組士官として乗船し、長崎から鹿児島に向かう途中、嵐に遇い長崎県五島列島塩屋崎で遭難し船と運命を共にした。26歳。郷里西町のこの地に、若き妻を残しての死であった。龍馬が内蔵太の死を痛んだことは、乙女や内蔵太の家族に宛てた手紙から察することができる。若妻や母への痛ましい心のうちが・・・。
池内蔵大の邸跡を知らせるものは何もない。
西町だけを訪れるなら、上町2丁目より西へ1つ目の信号のある交差点を北に直進すると江ノ口川に架かる車瀬橋がある。これを渡るとすぐに西町の通りに突き当たる。池内蔵太邸跡は、この三差路の東角付近だといわれ、少し西に歩くと望月亀弥太邸跡もすぐそこだ。