望月亀弥太邸跡

◆高知市西町30
◆電車上町4丁目下車、徒歩5分

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池内蔵太邸跡より西方すぐの左手に広い駐車場がある。その駐車場付近が望月亀弥太邸跡とされている。
ちょうど水路を隔てて車瀬公園の北側辺りになる。
龍馬とは早くから知己の仲で、土佐勤王党にも兄清平と共に加盟している。文久3(1863)年1月には龍馬の紹介で勝海舟のもと、神戸海軍塾で航海術を修得した。坂本直や千屋寅之助らも一緒だった。
この頃より武力倒幕による王政復古の実現を目指す運動に加わり、長州藩士らとの交流も繁くなった。元治元(1864)年6月5日、勝塾を脱して京都池田屋に集結中、新撰組の襲撃を受け重傷を負い、いったんは逃れたが二条角倉邸で力尽き自刃した。石川潤二郎、北添佶磨、野老山五吉郎、藤崎八郎ら土佐藩士らと運命を共にした。27歳の若さであった。
「行く秋によしおくるとも 紅のちりてぞ匂へ木々の紅葉」
高知市旭水源町西の墓石に刻まれた辞世の歌だ。