坂本家墓地

◆高知市山手町70の東
◆電車上町5丁目下車、徒歩10分

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永福寺門前からすぐ上流に、ややはすかいに架かる福井橋がある。この橋を渡って100メートル余り進むと三差路がある。「坂本(龍馬)家一族の墓これより上方約100メートル」と記した案内板にしたがって坂道を登りつめて少し下がると、再び坂本家墓地案内図がある。
左折して墓石の間の細い道を登ると真新しい墓地公園の説明板が見える。
平成20(2008)年3月、高知市教育委員会によって立てられたものだ。
坂本家墓地は、以前は2か所に分かれていた。
旧第一墓地はここから更に50メートル余り上方にあったが、平成14(2002)年8月、現在地(旧第二墓地)に移転・改葬された。丹中山の墓地周辺を含む開発が民間業者の手ですすめられたからだ。
墓石は、手前右から、父坂本八平直足、直足妻、兄坂本権平直方、坂本権平の妻、2列目右から、八平直足の後妻、龍馬の養子坂本直(高松太郎)、坂本直寛の妻坂本鶴井・鶴井妹兎美、権平直方の妻、3列目右から、坂本権平後妻、姉坂本栄、姉坂本乙女、祖父坂本直澄妻、兄坂本権平直方の長男坂本富太郎、4列目、曾祖父坂本八平直海、坂本八平直海妻、坂本八平直海の女(むすめ)、祖父坂本八蔵直澄、坂本直寛後妻翠、兄権平直方の曾孫土居清一、土居昭夫の21人の霊が眠っている。そして、後方の墓域外の一角に「坂本栄密葬の跡」の小さい碑が建っている。
旧第一墓地から移転改葬されたのは、4列目の7人だ。コンクリートを敷いた墓地のこの部分だけが新しいので、それとわかる。
母幸は、弘化2(1846)年龍馬12歳の時、父八平直足は安政2(1855)年龍馬21歳の時に亡くなっているから、彼も一族とともに棺に添ってこの墓地への坂道を上って来たと思われるし、春秋の先祖の墓参りも欠かさなかったことであろう。しかし、今は墓地周辺の開発がすすみ、往年のおもかげはない。