平井加尾住居跡

◆高知市山手町98の東
◆電車旭町1丁目下車、徒歩10分

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坂本家墓地の案内板よりもと来た道を永福寺に通じる三差路まで引き返し、そこを北へ右折しJRの踏切まで行く。案内板より5分ほどの距離だ。この踏切のすぐ上の民家の庭に接して平井収二郎先生誕生地の碑がある。昭和10年1月の建碑だ。平井加尾は平井収二郎の妹で龍馬の初恋の人とされる人物だ。龍馬が文久3(1863)年8月14日乙女に宛てた、「江戸で見染めた千葉佐那に比べ加尾が少し劣る」という手紙はよく知られている。また龍馬から送った文久元(1861)年9月13日の「一、高マチ袴、一、ブッサキ羽織、一、宗十郎頭巾、外に細き大小一腰各々一ツ、用意あり度存上候」の手紙も、龍馬の目指すものが何であったか謎の手紙とされるものだ。また兄収二郎の切腹を龍馬は「平井の収二郎ハ誠にむごいむごい」と言い、「いもふとおかおがなげきいか斗か」と、龍馬にとって痛恨事であったとともに、妹加尾に抱いていた想いも伝わる手紙も残り、龍馬と平井兄妹との親密な関係を察することができる。
加尾はのちに警視総監となる西山志澄と結婚し生涯を終えるが、晩年の「涙痕録」に龍馬と再会できなかった若き日のことを「女子一生の痛恨」と記し、龍馬と加尾の関係が単なる幼なじみでなかったことも印象づけている。