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    <title>高知県立坂本龍馬記念館｜調べる｜龍馬Q＆A</title>
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    <updated>2009-01-28T02:54:35Z</updated>
    <subtitle>龍馬Q＆A</subtitle>
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    <title>「龍馬ハネムーンウォークｉｎ霧島」について</title>
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    <published>2008-12-23T03:08:57Z</published>
    <updated>2008-12-23T03:24:35Z</updated>

    <summary>坂本龍馬・おりょうの格好をして登山えをすることがあるみたいなんですが、どこにアク...</summary>
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        <![CDATA[<p>坂本龍馬・おりょうの格好をして登山えをすることがあるみたいなんですが、どこにアクセスすればいいんですか？</p>]]>
        <![CDATA[<p>ご質問の催しは、「龍馬ハネムーンウォーク実行委員会」が主催の「龍馬ハネムーンウォークｉｎ霧島」と言います。平成２１年３月１４日と１５日の開催で１３回を数えるイベントです。<br /><br />【お問い合わせ先】<br />霧島市役所　商工観光部　観光課　観光グループ<br />電話番号：0995-45-5111(内線2611・2612)<br />ＵＲＬ　<a href="http://www.city-kirishima.jp/modules/page057/index.php?id=1">http://www.city-kirishima.jp/modules/page057/index.php?id=1</a></p>]]>
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    <title>亀山社中について</title>
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    <published>2008-12-25T05:40:11Z</published>
    <updated>2008-12-25T05:47:58Z</updated>

    <summary>亀山社中の構成員は何人で具体的な名簿がほしいです。そして龍馬亡き後は、各自どんな...</summary>
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        <![CDATA[<p>亀山社中の構成員は何人で具体的な名簿がほしいです。そして龍馬亡き後は、各自どんな半生を歩んだか関心あります。あの龍馬の影響を受けていろいろ頑張ったと思われますから。また「亀山社中」に関する本を紹介して下さい。</p>]]>
        <![CDATA[<p>亀山社中については正確な名簿はありませんが、それをそのまま引きついだ海援隊は出身藩も記入して記録されています。<br />メンバーは全体で約５０人（水夫、火夫を含む）です。<br />内訳としては・・・<br />土佐藩からは坂本龍馬、高松太郎（龍馬の甥、のち坂本直となって龍馬のあととりとなる）、石田英吉（イシダエイキチ、のち京都府知事）、菅野覚兵衛（スガノカクベエ、のち海軍少佐、お龍の妹君枝と結婚）、長岡謙吉（ナガオカケンキチ、海援隊書記、龍馬の死後海援隊隊長）、新宮馬之助（シングウウマノスケ、龍馬と幼友達、のち薩摩にうつり寺内信左衛門）、沢村惣之丞（サワムラソウノジョウ、のち関雄之助、龍馬と共に脱藩した、長崎で薩摩藩士誤殺事件の責任を負って切腹）、など１２名。<br />越前からは関義臣（セキヨシオミ、山形県知事、徳島県知事などつとめる）、小谷耕蔵（コタニコウゾウ）ら６名。<br />越後からは白峰駿馬（シラミネシュンメ、航海造船の専門家、アメリカ ラトガース大学へ留学、自分で造船会社をつくる）、橋本久太夫ら２名。<br />紀伊からは陸奥宗光（ムツムネミツ、当時は陸奥陽之助、日清戦争の時の外務大臣として講和条約を締結、多くの不平等条約を改訂）<br />亀山社中に関する本をご紹介します。<br />　『坂本龍馬　海援隊隊士列伝』　著者　山田一郎　他　発行所　新人物往来社<br />　『ある海援隊士の生涯ー菅野覚兵衛伝ー』　佐藤寿良著（絶版）<br />　『続・ある海援隊士の生涯ー白峰駿馬伝ー』　佐藤寿良著</p>]]>
    </content>
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    <title>江戸時代の郵便について</title>
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    <published>2008-12-25T05:48:11Z</published>
    <updated>2008-12-25T05:54:40Z</updated>

    <summary>龍馬は生前に、たくさんの手紙を送りましたが、当時は現代の様に郵便が発達していなか...</summary>
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        <![CDATA[<p>龍馬は生前に、たくさんの手紙を送りましたが、当時は現代の様に郵便が発達していなかったと思います。当時、龍馬は飛脚を雇って手紙を送ったと思いますが、京都から土佐まで、江戸から土佐まで、それぞれ手紙が届くまでどれ位、日数がかかったのでしょうか？また、それぞれ手紙一通分の値段はどれ位かかったのでしょうか？現代では、一通五十円で日本全国に葉書が送れますが当時は徒歩で郵送するのですから、やはり距離によって値段も違ってくるのでしょうか？</p>]]>
        <![CDATA[<p>京都から土佐まで、江戸から土佐まではどのくらいかかるか。これは、歴史研究家の広谷喜十郎先生にうかがいました。それによりますと、<br />江戸からは、<br />●至急便（公用便）で、４日（昼夜走りっぱなし）、５日（昼夜走りっぱなし）、７日（それよりはすこしゆっくり）<br />●普通便では、半月くらいかかったそうです。<br />また、<br />●船に乗る人にたのむ方法<br />●公用便に便乗させてもらう方法<br />●大阪、土佐では、定期の船便があり、それにたのむ方法<br />などがあったということです。<br />「ささおくり」といって、笹の葉が枯れないうちに送るという至急便もあったそうで、面白い呼び名ですね。<br />いずれにしても、１人の飛脚が全部の道を１人で走るのではなく、駅（中継ぎ所）でリレーをして届ける。夜は灯りをつけて走る。もっと急ぐものは馬で走るでしょうが、いずれにしても四国へは船で渡らなければなりません。この時間を入れて４、５日とすれば、大変早いことになります。料金は貧しいものには手がとどかない制度だったので、公式のものは高かったのでしょう。「応急の手当で」という書き方をしているので、「それなりの料金」でたのむこともできたと思います。<br />料金について何両というように具体的には広谷先生もわからないそうです。　　　　</p>]]>
    </content>
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    <title>写真「フルベッキ博士と佐賀藩・長崎致遠館の研修生たち」</title>
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    <published>2008-12-25T05:55:04Z</published>
    <updated>2008-12-25T06:00:00Z</updated>

    <summary>明治のオールスターが勢ぞろいしている幕末の写真がある。偽物説も多いが、本物と言う...</summary>
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        <![CDATA[<p>明治のオールスターが勢ぞろいしている幕末の写真がある。偽物説も多いが、本物と言う話も多い。</p>]]>
        <![CDATA[<p>この写真はかなり出まわっており、中にはかなりの代価を払って求められた方もあるようですが、書かれている人物の名前も、フルベッキ博士とその子供さん以外は、全部「ウソ」です。つまり、後代の人がそっくりさん写真にしてしまって、もっともらしいいわれをつけたものです。<br />この写真を撮ったのは上野彦馬で、文久２年（１８６２）長崎で営業写真館をオープンし、京の下岡連杖と並んで草分け的存在です。龍馬もこの上野彦馬のところで、何枚かの肖像写真を残していますが、有名なのは（１）台の横に立ち手を懐に入れているもの、（２）椅子に座り横向きで大小の刀を差しているもの２つその他バストショット（胸から上）のものも１～２枚あります。（いずれも慶応２～３年撮影）この龍馬の顔と、集合写真の龍馬の姿と見比べてみれば、同じ年、或るいは１～２年の差と考えても、あまりにも違い過ぎることがわかると思います。また、横井小楠は龍馬より２５歳も年上で、おでこに沢山皺のある人ですから、これも大違いです。<br />私どもの館にも、全く同じ写真がありますが、写真そのものは、佐賀藩の青年たちが、英語や科学を習っていたフルベッキ博士が、江戸へ赴任するのを機会に送別の意味で撮ったもので、私どもの館で展示するときは、「フルベッキ博士と佐賀藩・長崎致遠館の研修生たち」明治２年上野彦馬撮影とします。<br />そして、これについては、ソックリさん的説明がつけられ、話題を呼んだがそれぞれの人物の本物の写真と比べれば、本物でないことは容易にわかる・・・と解説をつけています。<br /><br />【フルベッキ　VERBECK・Guido　Herman　Fridolin】<br />　オランダ・ユトレヒトツァイスト出身。宣教師。<br />安政６年１１月、ダッチリフォームド教会宣教師として、長崎に来航。元治元年８月より幕府の長崎外語伝習所、済美館の校長兼教授として、週５日、英語や科学などを教授した。また、慶応２年６月からは佐賀藩設立の長崎致遠館の教師に任ぜられ、多くの人材を育成した。維新後は新政府の顧問格として、諸施策に参画した。明治２年に長崎から東上する際、多くの門弟たちとともに撮影した集合写真を残しています。（この写真が問題のもので、元治元年には、この広い写場は、上野彦馬の所になく、スタジオを増築したのは明治２年と言われています。）<br /><br />［参考文献］　「幕末維新－写真が語る－」　安田克廣　編　株式会社明石書店（１９９７年３月２０日）発行　定価　２５７５円</p>]]>
    </content>
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    <title>公文菊遷について</title>
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    <published>2008-12-25T06:00:35Z</published>
    <updated>2008-12-25T06:03:44Z</updated>

    <summary>「公文菊僊欽馬」と「公文菊僊」は同一人物なのでしょうか？我が家に公文菊僊欽馬とい...</summary>
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        <![CDATA[<p>「公文菊僊欽馬」と「公文菊僊」は同一人物なのでしょうか？我が家に公文菊僊欽馬という人の竜馬の掛け軸が何故かあります。価値的にどのようなものか全くわかりません。教えて頂ければ幸いです。</p>]]>
        <![CDATA[<p>当館にも「公文菊僊欽冩」と書かれた画があります。ご所蔵のものもおそらく「欽馬」ではなく、「欽冩」ではないかと思います。これは間違いなく公文菊僊の書いたものです。この「欽冩」は人の名前ではなく、&ldquo;うやまいながら写す&rdquo;とか&ldquo;仰ぎしたいながら写す&rdquo;というような意味だと思います。「冩」は「寫」の俗字で、「寫」は「写」の旧字です。<br />公文菊僊の本名は公文時衛で、明治６年高知市の鉄砲町に生まれます。菊僊は号になります。維新の志士たちの肖像画をおもに描いていましたが、なかでも龍馬を描かせると、並ぶ者はなかったようです。同じ構図で何点も描いており、当館にも２点あります。他の所でも１０点以上確認されており、さらに個人蔵となると倍以上はあるのではないかと思われます。よって、希少価値はほとんどないのですが、龍馬の雰囲気はよく表れた作品なので、人気はあります。<br /><br />公文菊遷は明治６年（１８７３）高知市生まれ、現在の追手前高校で当時の高知尋常（じんじょう）[ふつうのという意味]中学校を卒業。在校中に楠永直衛（くすながなおえ）から、西洋画を教えられたのがきっかけで東京に出、日本画の師について人物画の修行をしてきました。講談社（現在もある出版社）でさし絵を書いたこともあり、龍馬の銅像が高知に建てられた昭和３年（１９２８）頃から起こった龍馬人気に支えられ、肖像画を求める人が多かったため、維新での若者の活躍を理解してもらうためになればと、龍馬をはじめ当時行動をともにした武市半平太、中岡慎太郎などの肖像（日本画）を数多く描きました。<br />菊遷は、昭和２０年（１９４５）に亡くなりますが、それまでに描いたものは数えきれないくらいで、同じ人物の絵は印刷したと思うくらい同じに描かれています。どれが本物でどれが偽者ということではなく、自分で描いたもとの絵を、菊遷自身がよろこび（欽）を以って描き写したということです。画の上にある賛（さん）[詩のことば]は中島気が書いたものが多いようで、日露戦争の時は、皇后陛下の夢枕に立ち日本の勝利を予言したことなどいろいろあります。</p>]]>
    </content>
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    <title>郷士の差別について</title>
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    <published>2008-12-25T06:04:08Z</published>
    <updated>2008-12-25T06:05:50Z</updated>

    <summary>郷士の差別にはどんなものがあったのか詳しく教えてください。...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/qa/">
        <![CDATA[<p>郷士の差別にはどんなものがあったのか詳しく教えてください。</p>]]>
        <![CDATA[<p>郷士の差別についてですが、土佐藩の身分は下のように、大きく分けて上士と下士の２つに分かれます。<br />上士は、「家老、中老、馬廻組、小姓組、留守居組」の５つです。<br />下士は、「郷士、用人、徒士、足軽、小者」の５つです。<br />このように郷士は下士の最上位に位置付けられており、その中でも特別格が白札郷士になります。<br />上士とは、関ヶ原の戦いの後、土佐に入国してきた山内氏が連れてきた侍がおもで、郭中（かちゅう・かくちゅうとも言う）と呼ばれる高知城周辺の決められた場所に屋敷を持っていました。<br />下士たちは、この郭中に屋敷を持つことを禁じられ、郭中の西側にある上町や、反対の東側にある下町や、村に住んでいました。龍馬の家は上町です。それからこの郭中では、下士たちは日傘をさすことを禁じられていました。ただし、１７６０年以降は上士に無礼の無い限り許されていましたので、龍馬の時はさしても大丈夫です。また、下駄をはくことも禁じられており、衣服の質も差をつけられています。さらに、下士と上士の結婚も認められていませんでした。<br />切捨て御免については、土佐の上士と下士に限らず、他の藩であっても下級武士が上級武士に対して無礼な行為をした場合は、切捨てられることがありますので、土佐藩に限った差別ではありませんが、実際に下士が切り捨てられた事件も何件かはありました。<br />ちなみに、まんがの『お～い竜馬！』の中では、郷士が馬に乗ってはいけないかのように描かれていましたが、郷士は江戸時代初期から馬に乗るための侍として組織されていましたので、そういう差別はありませんでした。</p>]]>
    </content>
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    <title>いろは丸事件での龍馬の対応</title>
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    <published>2008-12-25T06:06:14Z</published>
    <updated>2008-12-25T06:11:15Z</updated>

    <summary>いろは丸事件で紀州藩に対して龍馬はどうゆう交渉を行ったんですか？...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/qa/">
        <![CDATA[<p>いろは丸事件で紀州藩に対して龍馬はどうゆう交渉を行ったんですか？</p>]]>
        <![CDATA[<p>いろは丸事件での龍馬の対応をまとめてみました。<br />○慶応３年４月２３日衝突。その夜から翌日にかけ、上陸した（広島県福山市）鞆（とも）で談判。万国公法で決着をつけることを提案。<br />○紀州藩明光丸、急用を理由に龍馬たちを残し長崎へ。龍馬たちも怒り長崎へ追いかけて談判再開。<br />○航海日誌や談判記録を確保。<br />○海援隊のメンバーに「一戦交える覚悟を」と檄をとばす。重ねて航海日誌や談判記録の保全と確認を命令。<br />○寺田屋へ一報「ちょっと忙しくなるが心配するな」<br />○下関の伊藤助太夫（龍馬が家を借りている人）へ「家には誰も近づけないよう見張りをよろしく」<br />○京都の出版元へ「万国公法」の印刷を依頼する。<br />○紀州藩の船長らと交渉。以下の事を要求した。紀州藩は「大きい藩」ということを笠に着て威張っていたが、龍馬たちの言い分がもっともなので、タジタジとなり、病気だと言って逃げ回る。<br />　●土佐の連中を放ったまま出港したのはけしからん！<br />　●２度も衝突させた責任はどうなるのか！<br />　●万国公法ではなく幕府の判断によって決着をつけるとは何事か！<br />　●長崎で、海難事故審判に経験の深いイギリスの提督に裁いて決着をつけよう！<br />○土佐藩から参政後藤象二郎ら応援に到着、交渉に加わる。龍馬も応援に感謝。後藤がやかましく責め立てたので、紀州藩も薩摩藩五代友厚へ仲裁を依頼。ほぼ１ヵ月後の５月２８日か２９日頃、賠償を支払うことで落着。<br />○この間龍馬は世論を味方につけるため、長崎の繁華街で、「船を沈めた紀州藩はつぐないをせよ」という歌を流行らせた。そのおかげで、長崎の町民たちが海援隊の人たちに、紀州をやっけろと励ましに来るなど大いに効果を上げた。<br />○いろは丸事件で龍馬は以下にあげる現代の危機管理対策を見事にやっていき、一ヶ月間に上手に展開していて感心させられる。<br />　●一戦交える臨戦体制<br />　●世論操作と情報発信<br />　●身内の安全確保<br />　●筋を通した交渉<br />　●強力な応援体制の確保<br />　●交渉の結着点・結着対応などを決める</p>]]>
    </content>
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    <title>いろは丸事件についての本</title>
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    <published>2008-12-25T06:11:38Z</published>
    <updated>2008-12-25T06:20:57Z</updated>

    <summary>いろは丸事件に感心があります。分かる範囲内でいいですから、いろは丸事件について、...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/qa/">
        <![CDATA[<p>いろは丸事件に感心があります。分かる範囲内でいいですから、いろは丸事件について、詳しく述べてある本を教えて下さい。</p>]]>
        <![CDATA[<p>いろは丸事件に付いてかかれた本で、おすすめの物は、次の２冊になります。<br />『いろは丸事件の謎を解く』森本繁（新人物往来社　１９９０年１０月１０日）<br />『共同研究・坂本龍馬』新人物往来社編　<br />　織田毅「再考・いろは丸事件－賠償金はなぜ減額されたか－」（新人物往来社　１９９７年９月１０日）<br />また、広島県福山市に「いろは丸展示館　０８４－９８２－１６８１」がございますので、お問い合せいただいたらもっと詳しい事がわかるかもしれません。展示内容としましては、潜水調査で引き揚げられたいろは丸の一部や、龍馬の隠れ部屋が再現されているようです。</p>]]>
    </content>
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    <title>龍馬と「軍鶏鍋」</title>
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    <published>2008-12-25T06:21:35Z</published>
    <updated>2009-01-03T07:49:54Z</updated>

    <summary>龍馬が生前食べたかったものとして軍鶏鍋が挙げられるそうですが、インターネット上で...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/qa/">
        <![CDATA[<p>龍馬が生前食べたかったものとして軍鶏鍋が挙げられるそうですが、インターネット上でもあちこち調べてみたのですが、結局その情報を得ることができませんでした。軍鶏鍋が好物なのか・・・。これには何か理由があるのでしょうか？それに関するエピソードなどがありましたら教えていただきたいのですが・・・。</p>]]>
        <![CDATA[<p>龍馬は手紙に食べ物のことを書いていませんので、好物やどこでどんなものを食べたのかはわかりません。従って、これは言い伝えられていることとしてお返事しますが、慶応３年１１月１５日（暗殺された日）の夜、中岡慎太郎と話し込んでいた龍馬がそばにいた峰吉に「軍鶏鍋でも食おうか、買うてきてや」といい使いに出します。ところが、その直後、龍馬と中岡と藤吉しかいなくなった近江屋の２階に刺客が上がり３人ともやられてしまいます。軍鶏を買いにいった峰吉が戻った時には龍馬は息絶えていました。いつもの店に軍鶏が無くて、遠い店まで買いに行った・・・とも書かれていますが、龍馬にとっては「食べそこなった軍鶏鍋」になりました。龍馬が中岡の来訪をもてなすため１１月の寒い折から、温まる軍鶏鍋を思いついたのではないでしょうか。『海援隊始末記』をはじめ殆どの本に書いてありますが、これはのちに峰吉が話したことを材料としていると考えられます。</p>]]>
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    <title>土佐の地酒について</title>
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    <published>2008-12-25T06:27:03Z</published>
    <updated>2008-12-25T06:29:44Z</updated>

    <summary>「龍馬と酒」というテーマで龍馬の時代に飲まれていた酒（特に土佐の地酒）の資料をさ...</summary>
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        <![CDATA[<p>「龍馬と酒」というテーマで龍馬の時代に飲まれていた酒（特に土佐の地酒）の資料をさがしています。何か情報や手がかりがあれば教えてください。</p>]]>
        <![CDATA[<p>土佐の地酒の資料ですが、「高知県酒造組合」（電話：０８８－８２３－３５５８）に『高知県酒造史』（廣谷喜十郎・著）があり、第１集と第２集とに分かれているそうです。それぞれ、１５００円と２０００円で本来非売品ですが、販売もしてくれるそうです。</p>]]>
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    <title>『歴史街道』に掲載された龍馬の写真</title>
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    <published>2008-12-25T06:30:06Z</published>
    <updated>2008-12-25T06:33:21Z</updated>

    <summary>三年程前龍馬について出された『歴史街道』という雑誌に掲載された「海軍操練所の制服...</summary>
    <author>
        <name>ryoma</name>
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        <![CDATA[<p>三年程前龍馬について出された『歴史街道』という雑誌に掲載された「海軍操練所の制服を着た龍馬の写真」というのはなぜまだ公に発表されないのでしょうか。まだ100％龍馬であると断定されていないからなのでしょうか。</p>]]>
        <![CDATA[<p>あの写真は私も一瞬びっくりしましたが、耳の形がそげているのと、その他、側によってコンピューターに入れてみると合わないところもあるようです。実はこの写真の本人の名前がその後わかり、現在では１００％龍馬でないことが証明されています。この本の出版元でも、それを認めています。</p>]]>
    </content>
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    <title>「紙入れ」とは</title>
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    <published>2008-12-25T06:33:51Z</published>
    <updated>2008-12-25T06:35:26Z</updated>

    <summary>「紙入れ」とはどういうものか。...</summary>
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        <name>ryoma</name>
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        <![CDATA[<p>「紙入れ」とはどういうものか。</p>]]>
        <![CDATA[<p>「紙入れ」は「三徳」とも言います。「紙幣」を入れるものではなく、なんでもちょっと入れておく「小物入れ」のことです。『広辞苑』によれば、「三徳（３つの徳用があるという意味）は、鼻紙袋の一種。江戸時代に流行したもので、鼻紙を入れるところの他に書き付けや楊枝を入れる２つの口もある。」とあります。</p>]]>
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    <title>ロミュラス・ヒルズボロウ著『Ｒｙｏｍａ』</title>
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    <published>2008-12-25T06:39:31Z</published>
    <updated>2009-01-28T02:56:00Z</updated>

    <summary>ロミュラス・ヒルズボロウ著「Ryoma」はどこで買えますか？...</summary>
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        <name>ryoma</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/qa/">
        <![CDATA[<p>ロミュラス・ヒルズボロウ著「Ryoma」はどこで買えますか？</p>]]>
        <![CDATA[<p>ロミュラス・ヒルズボロウ氏の『Ｒｙｏｍａ』（英語で書かれた坂本龍馬の伝記小説）ですが、当館では販売しておりません。<br />日本では紀伊国屋書店の店頭販売でのみ取り扱っております。東京の新宿に紀伊国屋書店の本店と南店がありますが、そこの洋書売り場で扱っております。電話番号は「本店」０３－３３５４－０１３１（洋書売り場）、「南店」０３－５３６１－３３０１（洋書売り場）です。<br />また、アメリカから直接購入する方法もございます。詳しくは、（電話）４１５－８４１－０５０８　（ＦＡＸ）４１５－８４１－０５９２　にてお問い合わせ下さい。<br /><br />書店で見つけにくい場合は、インターネットの通販(AMAZON.CO.JP)で購入する事が出来ます。以下のＵＲＬのサーチの欄で、洋書、「ryoma」として調べてもらうといいと思います。　<br /><a href="http://www.amazon.co.jp/">http://www.amazon.co.jp/</a><br /><br />ロミュラス・ヒルズボロウ著　『Ｒｙｏｍａ』　（英語で書かれた坂本龍馬の伝記小説）<br />Ryoma: Life of a Renaissance Samurai <br />Romulus Hillsborough (著) <br />ハードカバー (１９９９／０５／０１) <br />U.S. 定価： ＄４０．００<br />価格： ￥５，２７９</p>]]>
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    <title>ＮＨＫ大河ドラマ「竜馬がゆく」</title>
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    <published>2008-12-25T07:03:35Z</published>
    <updated>2008-12-27T01:49:15Z</updated>

    <summary>司馬先生の『竜馬がゆく』がNHKで以前、大河ドラマ化されたことを知りいろいろ探す...</summary>
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        <name>ryoma</name>
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        <![CDATA[<p>司馬先生の『竜馬がゆく』がNHKで以前、大河ドラマ化されたことを知りいろいろ探すのですが、視聴率が低かったこともあり、レンタルビデオ店はおろか、その存在さえ知る人は少ないようです？私の記憶違いかもしれませんが、存在を知る方、テープを持っておられる方、ご一報下さい！</p>]]>
        <![CDATA[<p>全編のビデオ等はＮＨＫにも現存しておらず、個人でお持ちという情報も聞いたことがありません。ＮＨＫには１６回目の放送分（脱藩）だけが残っています。現在は「ＮＨＫ思い出倶楽部２～黎明期の大河ドラマ編～（４）竜馬がゆく」と題してＤＶＤ販売されています。どなたかテープをお持ちでしたら「お問い合せ」の欄にご一報下さい。<br /><br />ＦＡＱにあった、ＮＨＫの大河「竜馬がゆく」ですが、１９６７か６８年放映のはずです。ビデオが出ていないのも当然で、なにしろＮＨＫにさえ、部分的にしか保存されておらず、全篇は残っていません。したがって、将来的にもビデオが出るはずはなく、レンタルショップを探しても見つかることはないと思います。古い時代のことなので、個人でビデオを撮った人がいる可能性も低く、入手はまず不可能だと思います。（東京都　男性　２９歳）</p>]]>
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    <title>ＴＢＳドラマ「竜馬がゆく」</title>
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    <published>2008-12-25T07:07:51Z</published>
    <updated>2009-01-28T02:54:35Z</updated>

    <summary>何年か前にＴＢＳで放映された、「竜馬がゆく」のビデオを探してます。レンタルビデオ...</summary>
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        <name>ryoma</name>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/qa/">
        <![CDATA[<p>何年か前にＴＢＳで放映された、「竜馬がゆく」のビデオを探してます。レンタルビデオ屋を探してもありません。売っている所や、譲ってくれる人、探してます。あとその番組で使ったテ－マソングは何ですか？誰が歌っているのですか？タイトルは？教えてください。</p>]]>
        <![CDATA[<p>ＴＢＳで放映された「竜馬がゆく」のビデオですが、ＴＢＳのＨＰの ビデオリストを見る限り販売されていない様です。テ－マソングは「生きる歓び」沢田知可子＆ＫＡＴＳＵＭＩ（ｗｅａ　ｊａｐａｎ）です。<br /><br />ＦＡＱコーナーにあった、９７年ＴＢＳ放映の「竜馬がゆく」ビデオですが、発売元ＴＢＳ、販売元ワーナーヴィデオジャパンで出ています。価格は、税抜１６，０００円（上下２巻組）です。　（東京都　男性　３０歳）</p>]]>
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