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岡上菊栄著作の本

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菊栄の著作を探しています、特に龍馬について、菊栄の想いを知りたいのです。ご教示くださいませ。

私どもで調べましたところでは、(市民図書館蔵書)著作は菊栄さんの福祉活動については、ご自身の回顧談のほかは特になく、しいて言えば、戦前の「高知新聞」紙上に載ったインタビューものがある程度です。菊栄さんについてのものは4冊で、終戦前が1冊、最近のものが1冊です。

  • 『龍馬の姪・岡上菊栄の生涯』(2003年3月 鳥影社) 
      武井優 著(書店で発売中)  
  • 『岡上菊栄の時代』(1993年5月 三文々司)
      前川浩一 著(高知市内在住の著者の自家出版。母乙女の思い出、母に次いで、養育をした公文婦喜[クモン・フキ]も亡くなり孤児となった苦労話、教慈生などを描写。龍馬のことは出てこない。)
  • 『シリーズ“福祉に生きる”3 岡上菊栄』(1998年12月 大空社) 
      一番ヶ瀬康子 著(書店で取り寄せ可能)
  • 『傳掌・岡上菊栄』(1943年3月 高知慈善協会)
      宮地竹峰 著(慈善協会は博愛園など福祉施設を経営する団体で、菊栄もこのメンバー)
  • 龍馬先生逝いて七十年・老眼を瞬いて追想する維新俊傑の面影
      (1936年11月高知新聞朝刊記事コピー)
      短いものなので目を通しましたが、叔父龍馬については多くの方が伝えておられるので・・・ということで、ほとんど触れ ていません。母乙女については、やさしさ、厳しさ、夫・樹庵の暴力に耐えたこと、使用人・公文婦喜と夫との不倫にたまらず離婚し坂本家に戻ったこと。十歳代で母も婦喜も亡くなり苦労したこと。のち5人の子どもを育て上げたことなどを語り、「叔父が亡くなってはや七十年、早いものです」と結んでいます。

『坂本龍馬と明治維新』について

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龍馬の本についてお尋ねいたします。アメリカ人でワシントン大学の方が龍馬の伝記を書いてあるとか聞きました。著作者名、タイトル、出版社、英語か日本語か、お教えください。

ご質問にありました書籍は、以下の物になります。

(洋書、原本)
Sakamoto Ryoma and the Meiji Restoration
Marius B. Jansen (著)  1961
U.S. 定価: $24.00
価格:¥2,880
ペーパーバック: 442P
出版社: Columbia Univ Pr
ISBN: 0231101732

(翻訳本)
「坂本龍馬と明治維新」 (1965/04/30 初版)
マリアス・B・ジャンセン (著), 平尾 道雄 (翻訳), 浜田 亀吉 (翻訳)
価格 ¥1,200 出版社 時事通信社
ISBN 4788700026  400ページ

書店で見つけにくい場合は、インターネットの通販(AMAZON.CO.JP)で購入する事が出来ます。以下のURLのサーチの欄で、和書、「坂本龍馬と明治維新」として調べてもらうといいと思います。 
http://www.amazon.co.jp/

マリアス・B・ジャンセン 博士…アメリカ人。ワシントン大学教授、のちプリンストン大学教授。ハーバード大学ライシャワー教授の秀才門下生。駐日大使をつとめた事もある。
プリンストン大学教授として「Sakamoto Ryoma and the Meiji Restoration」(坂本龍馬と明治維新)を出したのが、1961年(昭和36年)だが、この研究に着手したのは、ワシントン大学助教授の時代である。おそらく1956年頃(昭和31年)と思う。
特異な活躍をした坂本龍馬にポイントを当ててみようと考えた。彼が生まれ育った環境、成長して行くプロセスなどについて、高知で最も坂本龍馬に詳しい、平尾道雄氏(故人)を訪ね、お二人の交友関係が成り立つ。
この本はプリンストン大学から出版されているが、この日本語訳は、日本の時事通信社から昭和40年出版され、昭和48年に新装され、現在でも人気がある。
坂本龍馬記念館が開館した、1991年(平成3年)11月15日、ジャンセン先生は、ご夫人同伴で高知へ来られ、記念講演をして下さった。
さらに作家、司馬遼太郎さんが主唱してつくった、日本と外国の橋渡しをした人に贈られる、山片蟠挑(ヤマカタバントウ)賞の平成4年度の該当者にジャンセン先生が選ばれ、平成5年(1993年)3月、大阪ロイヤルホテルの授賞式にも来日された。(この時、奥様は足がご不自由で欠席)それが最後で、平成13年、プリンストンの自宅で亡くなられた。

「万国公法」について

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いろは丸事件の交渉で出てくる「万国公法」とは、どのようなものですか?

万国公法は、ヘンリーホイートンが1840年代にまとめたもので、アメリカ人宣教師ウイリアム・マーチンが、慶応元年漢文に訳し、更に慶応2年日本でも出版されました。のちに国際法と言う名になるが、いろは丸事件では、賠償金算出の基準に万国公法が使われたことが記録にある。

龍馬の写真使用について

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龍馬の写真使用について教えて下さい。

龍馬の写真についてですが、当館が所蔵している写真は1枚もありません。立姿のものは、高知県が所有しており、高知県立歴史民俗資料館が管理しています。他の写真は個人蔵であったり、他の博物館の所蔵となっております。
龍馬の立姿の写真を、個人で非営利に使用される場合は関知しておりませんが、商用や広告などに使用される場合、所蔵先の許可が必要になりますのでご注意下さい。

【立姿の龍馬写真のポジフィルムの貸し出しについて】
当館では高知県立歴史民俗資料館の“窓口”として、立姿の写真のポジフィルムを貸し出す事はできますが、通常5,150円の料金を頂いております。但し、研究目的や観光ガイドブック、博物館等での使用、または館長が特別に許可をした時は無料になるケースもございますので、申請の時にお尋ねください。

【ホームページでの龍馬写真の使用について】
当館ホームページで使用している写真は、それぞれ所蔵している機関に許可を得て掲載していますが、非営利に個人的に作成されたホームページでの、写真の使用については、特に注意されることはないと思います。また、個人的な使用目的で写真をコピーすることも、特に注意されることはないと思います。しかしながら、営業目的・本への掲載などで使用する場合には許可が必要となりますので、ご注意下さい。

CD-ROM版『竜馬がゆく』

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龍馬記念館で見る事の出来る、龍馬のCD-ROMの購入方法は?

当館では龍馬のCD-ROM、司馬遼太郎氏原作の「竜馬がゆく」がご覧いただけるようになっております。全国のパソコンショップで購入できるようです。詳しくは下記お問い合せ先をご覧下さい。

●「竜馬がゆく」CD-ROM  企画・制作・発売=㈱フラッグシップ TEL 03-5215-7175 
http://www.flagship.co.jp/products/products.htm

「龍馬ハネムーンウォークin霧島」について

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坂本龍馬・おりょうの格好をして登山えをすることがあるみたいなんですが、どこにアクセスすればいいんですか?

ご質問の催しは、「龍馬ハネムーンウォーク実行委員会」が主催の「龍馬ハネムーンウォークin霧島」と言います。平成21年3月14日と15日の開催で13回を数えるイベントです。

【お問い合わせ先】
霧島市役所 商工観光部 観光課 観光グループ
電話番号:0995-45-5111(内線2611・2612)
URL http://www.city-kirishima.jp/modules/page057/index.php?id=1

亀山社中について

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亀山社中の構成員は何人で具体的な名簿がほしいです。そして龍馬亡き後は、各自どんな半生を歩んだか関心あります。あの龍馬の影響を受けていろいろ頑張ったと思われますから。また「亀山社中」に関する本を紹介して下さい。

亀山社中については正確な名簿はありませんが、それをそのまま引きついだ海援隊は出身藩も記入して記録されています。
メンバーは全体で約50人(水夫、火夫を含む)です。
内訳としては・・・
土佐藩からは坂本龍馬、高松太郎(龍馬の甥、のち坂本直となって龍馬のあととりとなる)、石田英吉(イシダエイキチ、のち京都府知事)、菅野覚兵衛(スガノカクベエ、のち海軍少佐、お龍の妹君枝と結婚)、長岡謙吉(ナガオカケンキチ、海援隊書記、龍馬の死後海援隊隊長)、新宮馬之助(シングウウマノスケ、龍馬と幼友達、のち薩摩にうつり寺内信左衛門)、沢村惣之丞(サワムラソウノジョウ、のち関雄之助、龍馬と共に脱藩した、長崎で薩摩藩士誤殺事件の責任を負って切腹)、など12名。
越前からは関義臣(セキヨシオミ、山形県知事、徳島県知事などつとめる)、小谷耕蔵(コタニコウゾウ)ら6名。
越後からは白峰駿馬(シラミネシュンメ、航海造船の専門家、アメリカ ラトガース大学へ留学、自分で造船会社をつくる)、橋本久太夫ら2名。
紀伊からは陸奥宗光(ムツムネミツ、当時は陸奥陽之助、日清戦争の時の外務大臣として講和条約を締結、多くの不平等条約を改訂)
亀山社中に関する本をご紹介します。
 『坂本龍馬 海援隊隊士列伝』 著者 山田一郎 他 発行所 新人物往来社
 『ある海援隊士の生涯ー菅野覚兵衛伝ー』 佐藤寿良著(絶版)
 『続・ある海援隊士の生涯ー白峰駿馬伝ー』 佐藤寿良著

江戸時代の郵便について

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龍馬は生前に、たくさんの手紙を送りましたが、当時は現代の様に郵便が発達していなかったと思います。当時、龍馬は飛脚を雇って手紙を送ったと思いますが、京都から土佐まで、江戸から土佐まで、それぞれ手紙が届くまでどれ位、日数がかかったのでしょうか?また、それぞれ手紙一通分の値段はどれ位かかったのでしょうか?現代では、一通五十円で日本全国に葉書が送れますが当時は徒歩で郵送するのですから、やはり距離によって値段も違ってくるのでしょうか?

京都から土佐まで、江戸から土佐まではどのくらいかかるか。これは、歴史研究家の広谷喜十郎先生にうかがいました。それによりますと、
江戸からは、
●至急便(公用便)で、4日(昼夜走りっぱなし)、5日(昼夜走りっぱなし)、7日(それよりはすこしゆっくり)
●普通便では、半月くらいかかったそうです。
また、
●船に乗る人にたのむ方法
●公用便に便乗させてもらう方法
●大阪、土佐では、定期の船便があり、それにたのむ方法
などがあったということです。
「ささおくり」といって、笹の葉が枯れないうちに送るという至急便もあったそうで、面白い呼び名ですね。
いずれにしても、1人の飛脚が全部の道を1人で走るのではなく、駅(中継ぎ所)でリレーをして届ける。夜は灯りをつけて走る。もっと急ぐものは馬で走るでしょうが、いずれにしても四国へは船で渡らなければなりません。この時間を入れて4、5日とすれば、大変早いことになります。料金は貧しいものには手がとどかない制度だったので、公式のものは高かったのでしょう。「応急の手当で」という書き方をしているので、「それなりの料金」でたのむこともできたと思います。
料金について何両というように具体的には広谷先生もわからないそうです。    

写真「フルベッキ博士と佐賀藩・長崎致遠館の研修生たち」

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明治のオールスターが勢ぞろいしている幕末の写真がある。偽物説も多いが、本物と言う話も多い。

この写真はかなり出まわっており、中にはかなりの代価を払って求められた方もあるようですが、書かれている人物の名前も、フルベッキ博士とその子供さん以外は、全部「ウソ」です。つまり、後代の人がそっくりさん写真にしてしまって、もっともらしいいわれをつけたものです。
この写真を撮ったのは上野彦馬で、文久2年(1862)長崎で営業写真館をオープンし、京の下岡連杖と並んで草分け的存在です。龍馬もこの上野彦馬のところで、何枚かの肖像写真を残していますが、有名なのは(1)台の横に立ち手を懐に入れているもの、(2)椅子に座り横向きで大小の刀を差しているもの2つその他バストショット(胸から上)のものも1~2枚あります。(いずれも慶応2~3年撮影)この龍馬の顔と、集合写真の龍馬の姿と見比べてみれば、同じ年、或るいは1~2年の差と考えても、あまりにも違い過ぎることがわかると思います。また、横井小楠は龍馬より25歳も年上で、おでこに沢山皺のある人ですから、これも大違いです。
私どもの館にも、全く同じ写真がありますが、写真そのものは、佐賀藩の青年たちが、英語や科学を習っていたフルベッキ博士が、江戸へ赴任するのを機会に送別の意味で撮ったもので、私どもの館で展示するときは、「フルベッキ博士と佐賀藩・長崎致遠館の研修生たち」明治2年上野彦馬撮影とします。
そして、これについては、ソックリさん的説明がつけられ、話題を呼んだがそれぞれの人物の本物の写真と比べれば、本物でないことは容易にわかる・・・と解説をつけています。

【フルベッキ VERBECK・Guido Herman Fridolin】
 オランダ・ユトレヒトツァイスト出身。宣教師。
安政6年11月、ダッチリフォームド教会宣教師として、長崎に来航。元治元年8月より幕府の長崎外語伝習所、済美館の校長兼教授として、週5日、英語や科学などを教授した。また、慶応2年6月からは佐賀藩設立の長崎致遠館の教師に任ぜられ、多くの人材を育成した。維新後は新政府の顧問格として、諸施策に参画した。明治2年に長崎から東上する際、多くの門弟たちとともに撮影した集合写真を残しています。(この写真が問題のもので、元治元年には、この広い写場は、上野彦馬の所になく、スタジオを増築したのは明治2年と言われています。)

[参考文献] 「幕末維新-写真が語る-」 安田克廣 編 株式会社明石書店(1997年3月20日)発行 定価 2575円

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