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公文菊遷について

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「公文菊僊欽馬」と「公文菊僊」は同一人物なのでしょうか?我が家に公文菊僊欽馬という人の竜馬の掛け軸が何故かあります。価値的にどのようなものか全くわかりません。教えて頂ければ幸いです。

当館にも「公文菊僊欽冩」と書かれた画があります。ご所蔵のものもおそらく「欽馬」ではなく、「欽冩」ではないかと思います。これは間違いなく公文菊僊の書いたものです。この「欽冩」は人の名前ではなく、“うやまいながら写す”とか“仰ぎしたいながら写す”というような意味だと思います。「冩」は「寫」の俗字で、「寫」は「写」の旧字です。
公文菊僊の本名は公文時衛で、明治6年高知市の鉄砲町に生まれます。菊僊は号になります。維新の志士たちの肖像画をおもに描いていましたが、なかでも龍馬を描かせると、並ぶ者はなかったようです。同じ構図で何点も描いており、当館にも2点あります。他の所でも10点以上確認されており、さらに個人蔵となると倍以上はあるのではないかと思われます。よって、希少価値はほとんどないのですが、龍馬の雰囲気はよく表れた作品なので、人気はあります。

公文菊遷は明治6年(1873)高知市生まれ、現在の追手前高校で当時の高知尋常(じんじょう)[ふつうのという意味]中学校を卒業。在校中に楠永直衛(くすながなおえ)から、西洋画を教えられたのがきっかけで東京に出、日本画の師について人物画の修行をしてきました。講談社(現在もある出版社)でさし絵を書いたこともあり、龍馬の銅像が高知に建てられた昭和3年(1928)頃から起こった龍馬人気に支えられ、肖像画を求める人が多かったため、維新での若者の活躍を理解してもらうためになればと、龍馬をはじめ当時行動をともにした武市半平太、中岡慎太郎などの肖像(日本画)を数多く描きました。
菊遷は、昭和20年(1945)に亡くなりますが、それまでに描いたものは数えきれないくらいで、同じ人物の絵は印刷したと思うくらい同じに描かれています。どれが本物でどれが偽者ということではなく、自分で描いたもとの絵を、菊遷自身がよろこび(欽)を以って描き写したということです。画の上にある賛(さん)[詩のことば]は中島気が書いたものが多いようで、日露戦争の時は、皇后陛下の夢枕に立ち日本の勝利を予言したことなどいろいろあります。

郷士の差別について

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郷士の差別にはどんなものがあったのか詳しく教えてください。

郷士の差別についてですが、土佐藩の身分は下のように、大きく分けて上士と下士の2つに分かれます。
上士は、「家老、中老、馬廻組、小姓組、留守居組」の5つです。
下士は、「郷士、用人、徒士、足軽、小者」の5つです。
このように郷士は下士の最上位に位置付けられており、その中でも特別格が白札郷士になります。
上士とは、関ヶ原の戦いの後、土佐に入国してきた山内氏が連れてきた侍がおもで、郭中(かちゅう・かくちゅうとも言う)と呼ばれる高知城周辺の決められた場所に屋敷を持っていました。
下士たちは、この郭中に屋敷を持つことを禁じられ、郭中の西側にある上町や、反対の東側にある下町や、村に住んでいました。龍馬の家は上町です。それからこの郭中では、下士たちは日傘をさすことを禁じられていました。ただし、1760年以降は上士に無礼の無い限り許されていましたので、龍馬の時はさしても大丈夫です。また、下駄をはくことも禁じられており、衣服の質も差をつけられています。さらに、下士と上士の結婚も認められていませんでした。
切捨て御免については、土佐の上士と下士に限らず、他の藩であっても下級武士が上級武士に対して無礼な行為をした場合は、切捨てられることがありますので、土佐藩に限った差別ではありませんが、実際に下士が切り捨てられた事件も何件かはありました。
ちなみに、まんがの『お~い竜馬!』の中では、郷士が馬に乗ってはいけないかのように描かれていましたが、郷士は江戸時代初期から馬に乗るための侍として組織されていましたので、そういう差別はありませんでした。

いろは丸事件での龍馬の対応

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いろは丸事件で紀州藩に対して龍馬はどうゆう交渉を行ったんですか?

いろは丸事件での龍馬の対応をまとめてみました。
○慶応3年4月23日衝突。その夜から翌日にかけ、上陸した(広島県福山市)鞆(とも)で談判。万国公法で決着をつけることを提案。
○紀州藩明光丸、急用を理由に龍馬たちを残し長崎へ。龍馬たちも怒り長崎へ追いかけて談判再開。
○航海日誌や談判記録を確保。
○海援隊のメンバーに「一戦交える覚悟を」と檄をとばす。重ねて航海日誌や談判記録の保全と確認を命令。
○寺田屋へ一報「ちょっと忙しくなるが心配するな」
○下関の伊藤助太夫(龍馬が家を借りている人)へ「家には誰も近づけないよう見張りをよろしく」
○京都の出版元へ「万国公法」の印刷を依頼する。
○紀州藩の船長らと交渉。以下の事を要求した。紀州藩は「大きい藩」ということを笠に着て威張っていたが、龍馬たちの言い分がもっともなので、タジタジとなり、病気だと言って逃げ回る。
 ●土佐の連中を放ったまま出港したのはけしからん!
 ●2度も衝突させた責任はどうなるのか!
 ●万国公法ではなく幕府の判断によって決着をつけるとは何事か!
 ●長崎で、海難事故審判に経験の深いイギリスの提督に裁いて決着をつけよう!
○土佐藩から参政後藤象二郎ら応援に到着、交渉に加わる。龍馬も応援に感謝。後藤がやかましく責め立てたので、紀州藩も薩摩藩五代友厚へ仲裁を依頼。ほぼ1ヵ月後の5月28日か29日頃、賠償を支払うことで落着。
○この間龍馬は世論を味方につけるため、長崎の繁華街で、「船を沈めた紀州藩はつぐないをせよ」という歌を流行らせた。そのおかげで、長崎の町民たちが海援隊の人たちに、紀州をやっけろと励ましに来るなど大いに効果を上げた。
○いろは丸事件で龍馬は以下にあげる現代の危機管理対策を見事にやっていき、一ヶ月間に上手に展開していて感心させられる。
 ●一戦交える臨戦体制
 ●世論操作と情報発信
 ●身内の安全確保
 ●筋を通した交渉
 ●強力な応援体制の確保
 ●交渉の結着点・結着対応などを決める

いろは丸事件についての本

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いろは丸事件に感心があります。分かる範囲内でいいですから、いろは丸事件について、詳しく述べてある本を教えて下さい。

いろは丸事件に付いてかかれた本で、おすすめの物は、次の2冊になります。
『いろは丸事件の謎を解く』森本繁(新人物往来社 1990年10月10日)
『共同研究・坂本龍馬』新人物往来社編 
 織田毅「再考・いろは丸事件-賠償金はなぜ減額されたか-」(新人物往来社 1997年9月10日)
また、広島県福山市に「いろは丸展示館 084-982-1681」がございますので、お問い合せいただいたらもっと詳しい事がわかるかもしれません。展示内容としましては、潜水調査で引き揚げられたいろは丸の一部や、龍馬の隠れ部屋が再現されているようです。

龍馬と「軍鶏鍋」

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龍馬が生前食べたかったものとして軍鶏鍋が挙げられるそうですが、インターネット上でもあちこち調べてみたのですが、結局その情報を得ることができませんでした。軍鶏鍋が好物なのか・・・。これには何か理由があるのでしょうか?それに関するエピソードなどがありましたら教えていただきたいのですが・・・。

龍馬は手紙に食べ物のことを書いていませんので、好物やどこでどんなものを食べたのかはわかりません。従って、これは言い伝えられていることとしてお返事しますが、慶応3年11月15日(暗殺された日)の夜、中岡慎太郎と話し込んでいた龍馬がそばにいた峰吉に「軍鶏鍋でも食おうか、買うてきてや」といい使いに出します。ところが、その直後、龍馬と中岡と藤吉しかいなくなった近江屋の2階に刺客が上がり3人ともやられてしまいます。軍鶏を買いにいった峰吉が戻った時には龍馬は息絶えていました。いつもの店に軍鶏が無くて、遠い店まで買いに行った・・・とも書かれていますが、龍馬にとっては「食べそこなった軍鶏鍋」になりました。龍馬が中岡の来訪をもてなすため11月の寒い折から、温まる軍鶏鍋を思いついたのではないでしょうか。『海援隊始末記』をはじめ殆どの本に書いてありますが、これはのちに峰吉が話したことを材料としていると考えられます。

土佐の地酒について

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「龍馬と酒」というテーマで龍馬の時代に飲まれていた酒(特に土佐の地酒)の資料をさがしています。何か情報や手がかりがあれば教えてください。

土佐の地酒の資料ですが、「高知県酒造組合」(電話:088-823-3558)に『高知県酒造史』(廣谷喜十郎・著)があり、第1集と第2集とに分かれているそうです。それぞれ、1500円と2000円で本来非売品ですが、販売もしてくれるそうです。

『歴史街道』に掲載された龍馬の写真

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三年程前龍馬について出された『歴史街道』という雑誌に掲載された「海軍操練所の制服を着た龍馬の写真」というのはなぜまだ公に発表されないのでしょうか。まだ100%龍馬であると断定されていないからなのでしょうか。

あの写真は私も一瞬びっくりしましたが、耳の形がそげているのと、その他、側によってコンピューターに入れてみると合わないところもあるようです。実はこの写真の本人の名前がその後わかり、現在では100%龍馬でないことが証明されています。この本の出版元でも、それを認めています。

「紙入れ」とは

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「紙入れ」とはどういうものか。

「紙入れ」は「三徳」とも言います。「紙幣」を入れるものではなく、なんでもちょっと入れておく「小物入れ」のことです。『広辞苑』によれば、「三徳(3つの徳用があるという意味)は、鼻紙袋の一種。江戸時代に流行したもので、鼻紙を入れるところの他に書き付けや楊枝を入れる2つの口もある。」とあります。

ロミュラス・ヒルズボロウ著『Ryoma』

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ロミュラス・ヒルズボロウ著「Ryoma」はどこで買えますか?

ロミュラス・ヒルズボロウ氏の『Ryoma』(英語で書かれた坂本龍馬の伝記小説)ですが、当館では販売しておりません。
日本では紀伊国屋書店の店頭販売でのみ取り扱っております。東京の新宿に紀伊国屋書店の本店と南店がありますが、そこの洋書売り場で扱っております。電話番号は「本店」03-3354-0131(洋書売り場)、「南店」03-5361-3301(洋書売り場)です。
また、アメリカから直接購入する方法もございます。詳しくは、(電話)415-841-0508 (FAX)415-841-0592 にてお問い合わせ下さい。

書店で見つけにくい場合は、インターネットの通販(AMAZON.CO.JP)で購入する事が出来ます。以下のURLのサーチの欄で、洋書、「ryoma」として調べてもらうといいと思います。 
http://www.amazon.co.jp/

ロミュラス・ヒルズボロウ著 『Ryoma』 (英語で書かれた坂本龍馬の伝記小説)
Ryoma: Life of a Renaissance Samurai
Romulus Hillsborough (著)
ハードカバー (1999/05/01)
U.S. 定価: $40.00
価格: ¥5,279

NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」

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司馬先生の『竜馬がゆく』がNHKで以前、大河ドラマ化されたことを知りいろいろ探すのですが、視聴率が低かったこともあり、レンタルビデオ店はおろか、その存在さえ知る人は少ないようです?私の記憶違いかもしれませんが、存在を知る方、テープを持っておられる方、ご一報下さい!

全編のビデオ等はNHKにも現存しておらず、個人でお持ちという情報も聞いたことがありません。NHKには16回目の放送分(脱藩)だけが残っています。現在は「NHK思い出倶楽部2~黎明期の大河ドラマ編~(4)竜馬がゆく」と題してDVD販売されています。どなたかテープをお持ちでしたら「お問い合せ」の欄にご一報下さい。

FAQにあった、NHKの大河「竜馬がゆく」ですが、1967か68年放映のはずです。ビデオが出ていないのも当然で、なにしろNHKにさえ、部分的にしか保存されておらず、全篇は残っていません。したがって、将来的にもビデオが出るはずはなく、レンタルショップを探しても見つかることはないと思います。古い時代のことなので、個人でビデオを撮った人がいる可能性も低く、入手はまず不可能だと思います。(東京都 男性 29歳)

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