龍馬記念館の外観デザイン

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龍馬記念館ですが、なぜ昔の面影を呼び起こすと言うのではなく、あのような斬新なデザインになっているのですか?

太平洋が200度の視界に入る伸びやかな場所には、将来と海へ向かって雄飛する形、斬新なモニュメント的な形がふさわしいとおもいます。また限りなく空と海を目指す高床式になっています。龍馬は、船中八策を読んでみるとおわかりのように、それを書いた19世紀(1867年)に、今の内閣が取り組んでいる、議会・人材の登用・平等条約・為替レート・国防などについてずばり書いていますので、感覚的には21世紀に通用するものを持っています。それを象徴すると斬新なデザインがふさわしいと云えます。 (500人の中から選ばれた公募デザインです。)

館所蔵品について

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常設展示品のページを見ましたが、複製品が多いのですが、実際、龍馬が持っていた、使っていた、着ていた、手紙など、複製ではない、ホンモノはどういったものが何点くらい展示してあるんですか?

当館は龍馬直筆の手紙を、寄託・長期借用資料も含めて次の4点を所蔵しています。
姉・乙女、姪・春猪宛て、文久3(1863)年秋頃『天誅組の敗北を嘆く手紙』
姉・乙女宛て、慶応3(1867)年4月7日、通称『海援隊隊長就任直後の手紙』、
兄・権平宛て、慶応3(1867)年6月24日、『吉行のお礼といろは丸事件の手紙』
陸奥宗光宛て、慶応3(1867)年11月13日、通称『暗殺二日前の手紙』 です。
その他、海援隊約規の真物や複製や写真などで手紙は28点所蔵しており、これらを多少の入れ替えを行いながら展示しています。
地下2階では現在63点の資料や写真、パネル類などを展示していますが、中心は龍馬の手紙であり、直筆・複製取り混ぜて、常時18点前後を展示しています。龍馬の手紙は、古文書を読めない一般の方々にも"ご覧いただく"だけでなく、"お読みいただく"ための展示を心掛けているため、手紙の下に、読み下し文、現代語訳、時代背景や内容の解説というように、4段構成で展示を行っています。
直筆の手紙は内容が重要なものばかりなので、常時展示を行いたいところではありますが、保存を考えるとそれは不可能なので、すべて複製を作り、通常は複製を展示するようにしています。
龍馬直筆の書簡は、毎年11月15日前後の1ヶ月と、気候が良く、来館者の多いゴールデンウィーク前後の1ヶ月に限って展示していきたいと考えておりますので、ご理解いただければ幸いです。
龍馬の手紙は現在139点確認されていますが、その中には、今では所在が確認できない物が多数あります。所在が確認できる物も分散して所蔵されており、最もまとまって所蔵している所でも8~9点が最高です。しかもそれらは、京都国立博物館や宮内庁書陵部のように常設展示をしない所であったり、個人の方の所蔵であります。
京都国立博物館の手紙は、5mの手紙以外はすべて複製させていただいており、当館で見ることが可能ですが、各地に分散している龍馬の手紙は、特別展でもない限り、まとめて一ヶ所で見ることは不可能です。常設展示している所でも多くて5点以下です。それを考えると、複製とは言え、常時18点前後の手紙を見られる当館は、一応意義を果たしているのではないかと自負しております。
龍馬は非常に人気の高い人物で、所蔵者が資料を手放すことは考えにくいため、今後も複製による資料充実を中心に考えています。それと同時に、未発見の資料や再発見の資料の調査も進めております。
龍馬の直筆の手紙は4点ですが、この他当館には、万国公法や海援隊の英語辞書的な和英通韻伊呂波便覧、いろは丸事件始末、才谷屋の年譜書などの龍馬関係資料を所蔵しています。
なお、紋付や血痕のある屏風、掛軸、三徳、吉行の刀などの本物は京都国立博物館に所蔵されています。ピストルの本物は現存しておりません。

記念館掲載の雑誌と設計者

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坂本龍馬記念館が掲載されている雑誌情報は?誰が設計を計画したのか?
古い雑誌になりますが、当館が掲載されている建築雑誌は、以下の3冊になります。当館の図書閲覧コーナーでもご覧いただけます。
 ・建築文化 No.543 92年1月号
 ・新建築 67号 92年1月号
 ・Ja 6月号 92年2月号
設計は公開競技で行われ、応募総数475点の中から、最優秀賞に高橋晶子氏(当時30歳・横浜市在住)の作品が選ばれました。
平成4年3月、都市美デザイン賞特賞受賞(高知市文化振興事業団より)。平成5年8月、アーキテクチュアオブ・ザ・イヤー選定(丹下健三氏による)。

記念館についての色々

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(1)いつ記念館が建てられたか?
(2)資料は何点あるか、どのように集めたか?
(3)現在の入場者数は?
(4)なぜ、記念館は桂浜に建っているのか?

(1)1991(平成3)年11月15日開館です。今年で18年目です。建設のきっかけは、1985(昭和60)年に龍馬生誕150周年を記念して、龍馬の資料を展示できる館を作ろうという動きになりました。全国に募金を呼びかけて8億円集め、高知県が2億円出して建てられました。

(2)2008年12月26日現在で、470点あります。これらは、寄贈(いただいたもの)、寄託(あずかっているもの)、購入(お金を支払ったもの)によって集められました。

(3)2008年12月26日現在で、入場者数は2,222,137人です。開館以来6,199日目になります。

(4)龍馬像が桂浜にあるからです。この記念館も龍馬像もともに募金で建てられましたが、この館は最初から龍馬像の近くに建てたいという考えだったようです。それではなぜ、龍馬像が桂浜にあるのかといいますと、龍馬は勝海舟の海軍塾に入って以後、ずっと海と船と関係しています。亀山社中や海援隊などです。また、龍馬の手紙の中には何度も"世界の話"が出てきます。龍馬は仲間たちと船で世界に出ていくことを早くから夢見ていました。そんな龍馬だからこそ、銅像は世界に通じる海を眺めることが出来る場所に建てたかったようです。龍馬が桂浜に遊びに来たという資料は残念ながらありません。しかし、浦戸湾をはさんで対岸の種崎には継母(2番目のお母さん)の実家があり、よく遊びに行っていたようですので、対岸の桂浜にも来た可能性はあります。

地下2階展示室の複製資料について

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地下2階展示室に展示されてある複製の展示物は、京都国立博物館に行けば現物が見れるのでしょうか?
龍馬の資料(本物)は、当館に保存しているものもございますが、多くは京都の国立博物館にあります。残念ながら、国立博物館では常時展示はしておりません。国立博物館については当館リンク集からHPを見る事も出来ますし、企画展などの機会に問い合わせてみて下さい。
また当館では複製にはなりますが、龍馬関係の資料を多くご覧いただけるのではないかと思います。

記念館に龍馬の刀はありますか

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坂本龍馬記念館に龍馬の所持していた刀はありますか。
残念ですが、龍馬の所持していた刀は所蔵していません。龍馬は刀について関心があり、コレクションしていたようで権平兄さんによく刀をわけてほしいとねだっていました。

龍馬の所持していた「吉行」は、龍馬が兄権平(ごんぺい)に慶応2年12月4日の手紙で送って欲しいと頼み、権平(ごんぺい)がたまたま土佐を訪れた西郷に頼んで龍馬に渡してもらった刀です。この刀は暗殺された時床の間に置いてあり、それを急いで取り、鞘をはらうひまもなくそのまま敵の刀の切っ先が額を切り込み致命傷となりました。

初日の出を桂浜で迎えたい

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初日の出を桂浜で迎えたいんですが、元日は開館していますか。

以前は年末年始は休館日となっておりましたが、現在は年中無休で元日も開館しております。ただ初日の出を見る場所として、'桂浜'や、桂浜に行く直前の'花海道'と呼ばれる海沿いの直線道路はとても人気があり渋滞します。水平線から昇る朝日は雄大ですばらしいものですが、元日のAM2~3時頃から"並ぶ"ぐらいのお気持ちで、おいでいただいたらよいかと思います。(お車で通常、中心地の「はりまや橋」から「桂浜」まで30分です。)また、お帰りの時も渋滞します。おいでになる時はお気をつけてお越しください。

記念館屋上からの景色

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記念館屋上から西方向幾重にも重なる岬や山々に時間も忘れて素晴らしい景色を眺めていました。もう一度あの景色を見たくて、パンフレットなどを探すのですが、なかなかみあたりません。絵葉書、ポスターなどがありましたら、ぜひお知らせください。

屋上からの景色についてですが、オリジナルポストカードとして、ミュージアムショップや通信販売で販売しております。またホームページの「記念館からの四季を撮る」で記念館で撮影した写真を掲載しています。そちらもご覧になってみて下さい。