薩長同盟・龍馬が日本に与えた影響・郷士の権利について |
カテゴリ:龍馬について |
坂本龍馬は何故当時無理だと思われていた、薩長同盟を結ぶことができたと思いますか。龍馬でなくてもできたと思いますか。また、龍馬が日本に最も与えた影響は何だったと思いますか。あと、郷士の権利についても教えて下さい。 |
|
『薩長同盟について』 『日本に与えた影響について』 『郷士の権利について』 |
|
龍馬の愛刀「吉行」 |
カテゴリ:龍馬について |
坂本龍馬の愛刀「吉行」について詳しく知りたいと考えています。 |
|
「吉行」についてですが、刀剣の本などには載っていると思いますが、とりあえず高知県人名事典(高知新聞社 平成12年発行)に載っているものからご紹介します。 吉行(1650~1710)刀工、通称、森下平助。吉国の弟として慶応3年、摂津国住吉に生まれた。成人ののち大阪の刀工・初代大和守吉道の門人となる。 つねに持っていたこの刀は暗殺された時、床の間にあり龍馬はそれを取って応戦。さやをはらう間もなく相手の刀をうけたが、さやに食い込んだ。敵の刀の先が龍馬の額を切り、龍馬は先祖の刀をもって息絶えた。 |
|
龍馬ブームについて |
カテゴリ:龍馬について |
明治を迎えてから、大政奉還を成し遂げるにいたった中心的人物が龍馬さんであると、日本人が認識し始めたのはいつ頃だったのですか?また、維新後、一時は忘れられたといわれる龍馬さんの偉業に、多くの人が注目したのは、誰の、何によってなのでしょう? |
|
龍馬は維新後、何度も龍馬ブームによって復活します。 その最初は、1883(明治16)年です。坂崎紫瀾(高知出身)が書いた『汗血千里の駒(かんけつせんりのこま)』が、高知の『土陽新聞』に掲載され、大評判となります。これは、自由民権運動に参加していた坂崎が、薩長に牛耳られていた明治政府に、忘れられた土佐藩の立場を再認識させる意味もあったようです。 それから、1890(明治23)年に勝海舟がまとめた『追賛一話』という資料が当館にあります。様々な歴史上の偉人について、海舟が一言コメントしたものですが、龍馬については、西郷を釣り鐘に例えた話を持ち出し、このような見事な例えができる龍馬もたいした人物だと書いています。さらに、「(坂本)氏の行った事業は既に世の中に広く知れ渡っているので、あえて褒め称えることはしない」と付け加えています。これによると、明治23年には龍馬は、全国的にかなり有名だったと考えられます。 次に龍馬ブームが起こるのは、日露戦争の時です。日本海でロシアのバルチック艦隊と戦う前に、龍馬が皇后陛下の夢枕に立ち、「日本海軍は絶対勝てます」というようなことを話したそうで、これが全国の新聞に掲載されました。皇后陛下はこの人物を知らなかったのですが、当時の宮内大臣の田中光顕(高知出身)が、龍馬の写真を見せたところ、間違いなくこの人物だということになり、龍馬は一躍、海軍の神様となって脚光を浴びました。これも最初の坂崎と同じく、海軍は薩摩、陸軍は長州に牛耳られ、入る余地のない土佐が龍馬を利用したものです。 その次の龍馬ブームは、大正デモクラシーの時です。大政奉還の基となった船中八策の第二条目に、「万機宜しく公議に決すべき事」とありますが、これがデモクラシーの先駆と考えられます。さらに、大政奉還により平和的に倒幕を成し遂げた平和革命論者のイメージも定着します。 こうして、平和的なイメージが定着しつつあった龍馬ですが、昭和3年に桂浜に銅像が建立された時には、除幕式に海軍・陸軍両方の兵士が参列し、駆逐艦まで碇泊しました。さらに、第二次世界大戦中は県下の銅像はほとんど供出されたにも関わらず、龍馬と慎太郎は天皇のために働いた人物ということで、二人の銅像は残されました。 そして現代に至り、司馬遼太郎さんが『竜馬がゆく』で取り上げ、現代の龍馬ブームが起こりました。これまで、薩長同盟の立役者、自由民権運動の先駆者、海軍の先駆者、デモクラシーの先駆者、平和革命論者、尊王家など、色々な形で政治に利用されてきた龍馬を解放し、司馬さんなりの明るく自由な龍馬像を作り上げたことが、広く受け入れられた要因ではないかと考えます。以上のように、龍馬はそれぞれの時代で、様々な形で注目されていました。 |
|
「厚情必ずしも人情にあらず、薄情の道忘るるなかれ」 |
カテゴリ:その他について |
龍馬の言葉の中で、「厚情必ずしも人情にあらず、薄情の道忘るるなかれ」という言葉があるらしいのですが、そのような言葉をどういった背景で、どのような心情で語ったのか、お教え下さい。 |
|
この言葉は、『英将秘訣』の中の言葉ですので、龍馬の言葉ではありません。『英将秘訣』については、別の方への回答を参照してください。 |
|
龍馬直柔とは |
カテゴリ:龍馬について |
龍馬の名前の下に直柔とありますが、この直柔とは何ですか? |
|
普通、武士と呼ばれる人達は2~3の名前を持っていました。 |
|
近江屋襲撃時の龍馬の刀と鞘 |
カテゴリ:龍馬について |
「お-い!竜馬」や、以前一度写真で見たんですけど、龍馬の刀は近江屋襲撃時に暗殺者の刀を刀で受け鞘が切れていたと思うんですけど、京都国立博物館で龍馬の刀を見たら鞘の部分は全然切れていなっかたのです。これはただ単に後に修理したっていうことですか?それとも京都国立博物館の龍馬の刀は重要文化財からはずされていたのでその辺にも何か関係があるのかと思います。 |
|
近江屋で襲われた時、鞘のまま敵の刀をうけとめたのは吉行の刀です。これは坂本家が大切に持って居て、明治31年一家が北海道へ移住した時も持って行きました。北海道では坂本龍馬遺品展覧会などをやっていました。その中に切り込まれた刀の鞘(龍馬写真集にも載っている)も展示され、死ぬまで持っていた小型(長さ17センチ)のピストル、鞘から出した刀なども写真に写っていましたが、残念ながら大正2年12月釧路の大火に遭って焼けてしまいました。 |
|
明治維新に向けて出会った人達 |
カテゴリ:ゆかりの人物について |
(1)龍馬はどのようにして幕府を倒し、どのような人々と会ってきたのか?協力してきたか? (2)その人々とはどのような関係になっていったか? (3)龍馬からみた明治の世の中は? |
|
(1) (2) (3) |
|
龍馬についての質問~中学生より~ |
カテゴリ:龍馬について |
(1)坂本龍馬が、最も尊敬した人物は誰ですか。(私見で結構です。) (2)現代に龍馬がいたとしたら、どんな生き方をしていると思いますか。(先生の考えで結構です。) (3)海と船が好きなのは、外国にあこがれていたからですか。 (4)龍馬が行きたいと考えていた国はどこですか。 (5)龍馬はどんな性格でしたか。また、それは生育歴と関係していますか。 (6)どんな食事を好みましたか。 (7)記念館の先生は、龍馬のどんなところが好きですか (8)龍馬のエピソードで先生が一番好きなものは何ですか。 |
|
【三浦学芸員回答】 (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (7) |
|
坂本家と明智家 |
カテゴリ:龍馬について |
私が以前見た本には坂本家は、明智光秀の娘婿の明智秀満の末裔で本能寺の変ののち、土佐に逃れ光秀の居城の坂本城の地名坂本を姓にして帰農し、その10代目が龍馬の兄権平であり坂本家の桔梗紋は明智に由来する書いてありました。これは本当のことでしょうか?(長野県 男性 34歳) |
|
そのような言い伝えが残っており、多くの伝記書や研究書で「明智後裔説」が紹介されています。 |
|
龍馬のまげ |
カテゴリ:龍馬について |
坂本龍馬のマゲは平べったいですよね?でも他の人々は普通のマゲのように見えます。やはり、身分やその藩によって色々あるのでしょうか?マゲの種類や、どう違うか教えて下さい。 |
|
普通武士は、月代(さかやき)といって頭の中心部を剃り、両端に残った髪の毛を真ん中の後ろの方の髪の毛と束ねて元を締め、その先を頭の上にのせてまげにします。龍馬は月代を作らず、髪全部を後ろに束ねてしばり、そのままにしているか、束ね紐でまげをしているかどちらかで「総髪」(そうはつ)と言っています。龍馬は浪人という自由な身だったので、まげを自由にしていたのではないでしょうか。なお、まげは藩によっての流行の違いがあり、土佐藩では月代を細く剃るのが流行でした。また、身分でも違いがありました。 |
|
龍馬の本でお勧めは |
カテゴリ:龍馬について |
龍馬の本当を知る、お勧めの本は? |
|
龍馬研究の本は色々出版されており、私達でも迷うくらいですが、次の4冊をお勧めします。 |
|
外国での龍馬の知名度と龍馬という名前の人は |
カテゴリ:龍馬について |
外国で龍馬はどれぐらい知られているか?また現在全国に龍馬という名前の人は何人位いますか?坂本龍馬が生きていた当時、龍馬という名前は一般的な名前だったのですか?それともやはり当時から龍馬という名前はめずらしかったのでしょうか? |
|
外国では龍馬はあまり知られていないでしょう。1950年~60年代にアメリカの学者で中国や日本を研究したマリアス・B・ジャンセンさん(故人、元プリンストン大学教授)が「坂本龍馬と明治維新」という本を英文で出しています。(日本語訳は時事通信社)外国人としては世界ではじめて龍馬の研究をした人で、大変詳しい方です。日本にもよく来られ高知でも色々調べています。最近では、アメリカ人のロミュラス・ヒルズボロウさんが「Ryoma」という英文の小説を出しています。読みやすく・わかりやすい本で「龍馬を知らない外国人が多すぎる・・・」と言って悔しがっていたようです。 |
|
「龍馬が現代に生きていれば・・・」 |
カテゴリ:龍馬について |
もし龍馬が現在の日本に降り立ち、再び国のために奔走してくれるとしたらどのような手段をとるのでしょうか。日本は彼が生きていた頃とはずいぶん変わりました。そのなかで現代の龍馬は・・・。 |
|
「龍馬が現代に生きていれば・・・」とは、龍馬ファンなら誰もが考える事だと思いますが、その答えは非常に難しく、皆違う答えになるのではないかと思います。龍馬の行動や思想から想像すると、やはり自由と平等、平和に向けて奔走すると思います。 |
|
龍馬とカツオのたたきとお酒 |
カテゴリ:龍馬について |
坂本龍馬の好物について調べています。土佐といえばカツオのたたきが有名ですが、龍馬も食べていたのでしょうか?確信の持てる資料が無いので教えていただきたいのですが。また龍馬が飲んでいたお酒の特徴などがわかったら嬉しいのですが・・・。 |
|
龍馬がカツオのたたきを食べたという資料はありませんが、土佐人ならば食べた可能性は高いと思います。龍馬が飲んでいたお酒も資料が残っていませんので、はっきりとは分かりません。しかし、坂本家の本家である才谷屋は、酒造業もしておりましたので、本家で造ったお酒を飲んでいた、と考えるのが妥当だと思います。当時から現在まで続いて造られているお酒は、佐川町の「司牡丹」があります。このお酒の名称は、佐川町出身の田中光顕が命名したものですが、佐川町出身の勤王家は沢山おり、龍馬とも繋がりが深かったので、龍馬も現在の「司牡丹」にあたるお酒を飲んだ可能性は有ります。ちなみに、坂本家本家の酒造権利は、後年「司牡丹」が経営拡大のため買い取っています。なお詳しくは、郷土史家の広谷喜十郎氏によって『高知県酒造史』にまとめられています。 |
|
中岡慎太郎の銅像と海援隊と陸援隊 |
カテゴリ:ゆかりの人物について |
中岡慎太郎の像はどの方向を向いて立っているのか?また、それはなぜか。それと、海援隊・陸援隊の活動または役割について教えてください。 |
|
中岡慎太郎の像は南向きに立っています。よく桂浜の龍馬の銅像の方に向いて立っているといわれますが、二つの銅像は向き合っていません。もしそうするには、かなり北西を向かなくてはなりませんが、そうすると銅像の顔が陰になる時間が長くなるので、もっとふさわしい開けている方角になっているわけです。 海援隊は土佐藩に属する商社で、物を運んだり商売をしたりしていますが、いざという時は土佐藩を船で応援する役目をもっています。浪人ものでも外国へ行ってみたい人は入ってきてよい、と規則には書いてあります。 陸援隊は土佐藩に属する武力集団で幕府を倒すための戦いに参加する目的でつくられました。中岡慎太郎が隊長ですが、実践は行われませんでした。 |
|
龍馬記念館の外観デザイン |
カテゴリ:記念館について |
龍馬記念館ですが、なぜ昔の面影を呼び起こすと言うのではなく、あのような斬新なデザインになっているのですか? |
|
太平洋が200度の視界に入る伸びやかな場所には、将来と海へ向かって雄飛する形、斬新なモニュメント的な形がふさわしいとおもいます。また限りなく空と海を目指す高床式になっています。龍馬は、船中八策を読んでみるとおわかりのように、それを書いた19世紀(1867年)に、今の内閣が取り組んでいる、議会・人材の登用・平等条約・為替レート・国防などについてずばり書いていますので、感覚的には21世紀に通用するものを持っています。それを象徴すると斬新なデザインがふさわしいと云えます。 (500人の中から選ばれた公募デザインです。) |
|
卒業論文の資料「龍馬とイギリスの関係」 |
カテゴリ:その他について |
卒業論文を書く上で、坂本龍馬とイギリス(グラバーなど)の関係というようなテーマで書きたいと思っているのですが、なかなか資料がありません。そういった資料があれば教えていただきたいのです。 |
|
龍馬とイギリスの関係を示す資料ですが、ご質問が漠然としていますので難しいですが、内容によっては結構あると思います。 グラバーについては調べたことがないので詳しくは分かりませんが、以前たまたま目にしたことがあるのは、『防長史談会雑誌』27号です。長州藩の木戸孝允が船の修理代を龍馬に借りようとしたことがありますが、龍馬も金が無く、龍馬がグラバーに相談したということだったと思います。このお金は、最終的には土佐藩の長崎出張所である土佐商会が貸しました。このことは、岩崎弥太郎の日記である『瓊浦日歴』にも出てくるのではないかと思いますが、龍馬と直接の繋がりは書かれていないかもしれません。しかし、間接的には繋がっているはずです。岩崎の日記なら、"土佐藩"とイギリスの関係が他にも出てくると思います。 同じく、"土佐藩"とイギリスという関係なら『池道之助日記』(『武市佐一郎全集』の中に収録)にも出てくるかもしれません。 あと、資料があるかどうか知らないのですが、近藤長次郎はグラバーの船でイギリスに密航しようとしていましたので、その頃の資料を探せば、亀山社中とグラバーの関係が書かれているかもしれません。 単にイギリスとの関係というならば、龍馬たちはイカルス号水夫殺害事件で大きく関わります。貿易関係ではないので、お探しの資料ではないかもしれませんが、この事件は土佐藩も巻き込んでいますので、資料は土佐藩側にも結構残っていると思います。『山内家史料 幕末維新』などです。あと『佐々木高行日記』や『保古飛呂以』など。それからアーネスト・サトウの書いたものにもこの事件は出ていると思います。 他には、『海援隊日史』や『海援隊商事秘記』はどうでしょう。たぶん直接イギリスを示す言葉は出てないかもしれませんが、イギリスと関係を持っている時期の海援隊の史料ですので、必要な史料かもしれません。これらの史料は『坂本龍馬全集』に載っています。 他には、龍馬たちはいろは丸事件というのも起こしていますが、この事件について、世界の事例を聞き、世界の常識でアドバイスをしてもらうため、長崎にいるイギリスの海軍提督に対面する手はずを整えていました。(慶応3年5月27日高柳楠之助宛て龍馬書簡) このように色々ありますが、イギリスを扱うとなるとイギリス側の史料も見ないと片手落ちになりますので、なかなか難しいテーマですね。 |
|
HPなどで龍馬の写真を使用したい |
カテゴリ:その他について |
坂本龍馬関連のHPをつくりたいなと思っているのですがHPで龍馬の写真や手紙などを掲載したりするには、どちらに申請をすればよろしいのでしょうか?あと、自分たちで龍馬の名前やサインのはいったTシャツを作りたいっと思っているのですが自分たちで、このようなTシャツをつくっても問題はないのでしょうか?また、オリジナルTシャツやストラップを営利目的で製作する場合には、許可が必要ですが、もし、花押(サイン)や、自分たちでデザインした(習字などで書いた文字)「龍馬」という文字を使用する場合はどのような手順でどこに許可を取ったらよろしいのでしょうか? |
|
龍馬の立ち姿の写真は高知県が版権を持っていて、使用目的によって、高知県立歴史民俗資料館や当館、高知県庁の許可が必要です。(その他の写真や手紙もそれぞれ所有者が版権を持っています。)ただ、営利目的ではないHPやTシャツなどを、個人的に楽しむものでしたら、特に許可も必要はないと思います。ただし、途中で販売するなどの行為がおきた場合は、許可申請が必要になります。また、その写真をとるもの(本やHPからでしょうか?)によって無断転載禁止とあれば、そこに連絡して確認を取って下さい。また、龍馬という文字を独自に作成して使用する場合は許可は必要ないです。龍馬の筆跡に似せた文字を作成してもコピーでなければ大丈夫です。龍馬の直筆の手紙からそのままコピーする時は、その手紙の所有者に確認するようになります。もし当館のHPから写真をコピーするようでしたら一度ご連絡下さい。 |
|
当館の暦の表示について |
カテゴリ:その他について |
坂本龍馬の、生年月日につきまして、御サイトの龍馬の年表(English Pageも同じ)では、「1835(天保6)年11月15日、郷士坂本八平直足の次男として本町筋に生まれる。」となっています。多くの歴史書や事典類、年表などでも、坂本龍馬の生年は1835年とするのが慣行のようですが、しかしながら、坂本龍馬の生没年月日は、正しくは天保6年11月15日(1836年1月3日)-慶応3年11月15日(1867年12月10日)であり、坂本龍馬の西暦の生年は1836年と記述すべきであろうと思います。かようなことは、あるいは、ご承知の上かとは存じますが、坂本龍馬の生年の西暦表示について、御サイトのお考え(方針など)をご教示下さい。 |
|
西暦表示についてですが、確かにご指摘の通り、本来は天保6年11月15日(1836年1月3日)-慶応3年11月15日(1867年12月10日)と表記する方が正しいと思います。 |
|
龍馬と名のつくもの |
カテゴリ:その他について |
現在坂本龍馬について調べています。龍馬についてといっても、歴史ではなく、「現在の龍馬」です。例えば、お土産物や博物館、ひいては温泉や空港まで、龍馬と名のつくものならどのようなものでも知りたいなと思っております。また他の施設についての歴史などの資料がございましたら、いつ頃から「龍馬」とつけられたのか教えていただけないでしょうか?高知の生んだ代表的な人物である龍馬が、いつから高知の人々の間で象徴的存在となったのか、教えて下さい。 |
|
龍馬についてのご質問ですが、高知県には龍馬や龍馬にちなんだ名前(海援隊や乙女姉さんなど)が付いたものはたくさん有ります。しかし、当館にはそれらの沿革などが分かる資料はほとんどありませんし、私もほとんど知りません。とりあえず、電話帳に載っているものや、私が思いつくものを名前だけ列挙してみます。 「公共的な施設」 |
|
NHKアニメ「おーい竜馬」 |
カテゴリ:その他について |
以前NHKで放映されていたアニメ版おーい竜馬は、ビデオで発売されているみたいですが、漫画版同様完結しているのでしょうか?当時テレビで見た分では、後半はストーリーがダイジェストになっていたような記憶があります。アニメ版も声優陣が良かっただけに中途半端で終わっているのが残念でなりません。ずっと気になっていたので、そちらで何か分かっている事があれば是非教えて頂きたいと思います。 |
|
岡上菊栄著作の本 |
カテゴリ:その他について |
菊栄の著作を探しています、特に龍馬について、菊栄の想いを知りたいのです。ご教示くださいませ。 |
|
私どもで調べましたところでは、(市民図書館蔵書)著作は菊栄さんの福祉活動については、ご自身の回顧談のほかは特になく、しいて言えば、戦前の「高知新聞」紙上に載ったインタビューものがある程度です。菊栄さんについてのものは4冊で、終戦前が1冊、最近のものが1冊です。
|
|
『坂本龍馬と明治維新』について |
カテゴリ:その他について |
龍馬の本についてお尋ねいたします。アメリカ人でワシントン大学の方が龍馬の伝記を書いてあるとか聞きました。著作者名、タイトル、出版社、英語か日本語か、お教えください。 |
|
ご質問にありました書籍は、以下の物になります。 |
|
「万国公法」について |
カテゴリ:その他について |
いろは丸事件の交渉で出てくる「万国公法」とは、どのようなものですか? |
|
万国公法は、ヘンリーホイートンが1840年代にまとめたもので、アメリカ人宣教師ウイリアム・マーチンが、慶応元年漢文に訳し、更に慶応2年日本でも出版されました。のちに国際法と言う名になるが、いろは丸事件では、賠償金算出の基準に万国公法が使われたことが記録にある。 |
|
「万国公法」について |
カテゴリ:その他について |
いろは丸事件の交渉で出てくる「万国公法」とは、どのようなものですか? |
|
万国公法は、ヘンリーホイートンが1840年代にまとめたもので、アメリカ人宣教師ウイリアム・マーチンが、慶応元年漢文に訳し、更に慶応2年日本でも出版されました。のちに国際法と言う名になるが、いろは丸事件では、賠償金算出の基準に万国公法が使われたことが記録にある。 |
|
龍馬の写真使用について |
カテゴリ:その他について |
龍馬の写真使用について教えて下さい。 |
|
龍馬の写真についてですが、当館が所蔵している写真は1枚もありません。立姿のものは、高知県立歴史民俗資料館が所蔵しており、高知県に版権があります。他の写真は個人蔵であったり、他の博物館の所蔵となっております。 |
|
CD-ROM版『竜馬がゆく』 |
カテゴリ:その他について |
龍馬記念館で見る事の出来る、龍馬のCD-ROMの購入方法は? |
|
当館では龍馬のCD-ROM、司馬遼太郎氏原作の「竜馬がゆく」がご覧いただけるようになっております。全国のパソコンショップで購入できるようです。詳しくは下記お問い合せ先をご覧下さい。 |
|
「龍馬ハネムーンウォークin霧島」について |
カテゴリ:その他について |
坂本龍馬・おりょうの格好をして登山えをすることがあるみたいなんですが、どこにアクセスすればいいんですか? |
|
ご質問の催しは、「龍馬ハネムーンウォーク実行委員会」が主催の「龍馬ハネムーンウォークin霧島」と言います。平成21年3月14日と15日の開催で13回を数えるイベントです。 |
|
亀山社中について |
カテゴリ:その他について |
亀山社中の構成員は何人で具体的な名簿がほしいです。そして龍馬亡き後は、各自どんな半生を歩んだか関心あります。あの龍馬の影響を受けていろいろ頑張ったと思われますから。また「亀山社中」に関する本を紹介して下さい。 |
|
亀山社中については正確な名簿はありませんが、それをそのまま引きついだ海援隊は出身藩も記入して記録されています。 |
|
江戸時代の郵便について |
カテゴリ:その他について |
龍馬は生前に、たくさんの手紙を送りましたが、当時は現代の様に郵便が発達していなかったと思います。当時、龍馬は飛脚を雇って手紙を送ったと思いますが、京都から土佐まで、江戸から土佐まで、それぞれ手紙が届くまでどれ位、日数がかかったのでしょうか?また、それぞれ手紙一通分の値段はどれ位かかったのでしょうか?現代では、一通五十円で日本全国に葉書が送れますが当時は徒歩で郵送するのですから、やはり距離によって値段も違ってくるのでしょうか? |
|
京都から土佐まで、江戸から土佐まではどのくらいかかるか。これは、歴史研究家の広谷喜十郎先生にうかがいました。それによりますと、 |
|
写真「フルベッキ博士と佐賀藩・長崎致遠館の研修生たち」 |
カテゴリ:その他について |
明治のオールスターが勢ぞろいしている幕末の写真がある。偽物説も多いが、本物と言う話も多い。 |
|
この写真はかなり出まわっており、中にはかなりの代価を払って求められた方もあるようですが、書かれている人物の名前も、フルベッキ博士とその子供さん以外は、全部「ウソ」です。つまり、後代の人がそっくりさん写真にしてしまって、もっともらしいいわれをつけたものです。 |
|
公文菊遷について |
カテゴリ:その他について |
「公文菊僊欽馬」と「公文菊僊」は同一人物なのでしょうか?我が家に公文菊僊欽馬という人の竜馬の掛け軸が何故かあります。価値的にどのようなものか全くわかりません。教えて頂ければ幸いです。 |
|
当館にも「公文菊僊欽冩」と書かれた画があります。ご所蔵のものもおそらく「欽馬」ではなく、「欽冩」ではないかと思います。これは間違いなく公文菊僊の書いたものです。この「欽冩」は人の名前ではなく、“うやまいながら写す”とか“仰ぎしたいながら写す”というような意味だと思います。「冩」は「寫」の俗字で、「寫」は「写」の旧字です。 |
|
郷士の差別について |
カテゴリ:その他について |
郷士の差別にはどんなものがあったのか詳しく教えてください。 |
|
郷士の差別についてですが、土佐藩の身分は下のように、大きく分けて上士と下士の2つに分かれます。 |
|
いろは丸事件での龍馬の対応 |
カテゴリ:その他について |
いろは丸事件で紀州藩に対して龍馬はどうゆう交渉を行ったんですか? |
|
いろは丸事件での龍馬の対応をまとめてみました。 |
|
いろは丸事件についての本 |
カテゴリ:その他について |
いろは丸事件に感心があります。分かる範囲内でいいですから、いろは丸事件について、詳しく述べてある本を教えて下さい。 |
|
いろは丸事件に付いてかかれた本で、おすすめの物は、次の2冊になります。 |
|
龍馬と「軍鶏鍋」 |
カテゴリ:その他について |
龍馬が生前食べたかったものとして軍鶏鍋が挙げられるそうですが、インターネット上でもあちこち調べてみたのですが、結局その情報を得ることができませんでした。軍鶏鍋が好物なのか・・・。これには何か理由があるのでしょうか?それに関するエピソードなどがありましたら教えていただきたいのですが・・・。 |
|
龍馬は手紙に食べ物のことを書いていませんので、好物やどこでどんなものを食べたのかはわかりません。従って、これは言い伝えられていることとしてお返事しますが、慶応3年11月15日(暗殺された日)の夜、中岡慎太郎と話し込んでいた龍馬がそばにいた峰吉に「軍鶏鍋でも食おうか、買うてきてや」といい使いに出します。ところが、その直後、龍馬と中岡と藤吉しかいなくなった近江屋の2階に刺客が上がり3人ともやられてしまいます。軍鶏を買いにいった峰吉が戻った時には龍馬は息絶えていました。いつもの店に軍鶏が無くて、遠い店まで買いに行った・・・とも書かれていますが、龍馬にとっては「食べそこなった軍鶏鍋」になりました。龍馬が中岡の来訪をもてなすため11月の寒い折から、温まる軍鶏鍋を思いついたのではないでしょうか。『海援隊始末記』をはじめ殆どの本に書いてありますが、これはのちに峰吉が話したことを材料としていると考えられます。 |
|
土佐の地酒について |
カテゴリ:その他について |
「龍馬と酒」というテーマで龍馬の時代に飲まれていた酒(特に土佐の地酒)の資料をさがしています。何か情報や手がかりがあれば教えてください。 |
|
土佐の地酒の資料ですが、「高知県酒造組合」(電話:088-823-3558)に『高知県酒造史』(廣谷喜十郎・著)があり、第1集と第2集とに分かれているそうです。それぞれ、1500円と2000円で本来非売品ですが、販売もしてくれるそうです。 |
|
『歴史街道』に掲載された龍馬の写真 |
カテゴリ:その他について |
三年程前龍馬について出された『歴史街道』という雑誌に掲載された「海軍操練所の制服を着た龍馬の写真」というのはなぜまだ公に発表されないのでしょうか。まだ100%龍馬であると断定されていないからなのでしょうか。 |
|
あの写真は私も一瞬びっくりしましたが、耳の形がそげているのと、その他、側によってコンピューターに入れてみると合わないところもあるようです。実はこの写真の本人の名前がその後わかり、現在では100%龍馬でないことが証明されています。この本の出版元でも、それを認めています。 |
|
「紙入れ」とは |
カテゴリ:その他について |
「紙入れ」とはどういうものか。 |
|
「紙入れ」は「三徳」とも言います。「紙幣」を入れるものではなく、なんでもちょっと入れておく「小物入れ」のことです。『広辞苑』によれば、「三徳(3つの徳用があるという意味)は、鼻紙袋の一種。江戸時代に流行したもので、鼻紙を入れるところの他に書き付けや楊枝を入れる2つの口もある。」とあります。 |
|
ロミュラス・ヒルズボロウ著『Ryoma』 |
カテゴリ:その他について |
ロミュラス・ヒルズボロウ著「Ryoma」はどこで買えますか? |
|
ロミュラス・ヒルズボロウ氏の『Ryoma』(英語で書かれた坂本龍馬の伝記小説)ですが、当館では販売しておりません。 |
|
NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」 |
カテゴリ:その他について |
司馬先生の『竜馬がゆく』がNHKで以前、大河ドラマ化されたことを知りいろいろ探すのですが、視聴率が低かったこともあり、レンタルビデオ店はおろか、その存在さえ知る人は少ないようです?私の記憶違いかもしれませんが、存在を知る方、テープを持っておられる方、ご一報下さい! |
|
全編のビデオ等はNHKにも現存しておらず、個人でお持ちという情報も聞いたことがありません。NHKには16回目の放送分(脱藩)だけが残っています。現在は「NHK思い出倶楽部2~黎明期の大河ドラマ編~(4)竜馬がゆく」と題してDVD販売されています。どなたかテープをお持ちでしたら「お問い合せ」の欄にご一報下さい。 |
|
TBSドラマ「竜馬がゆく」 |
カテゴリ:その他について |
何年か前にTBSで放映された、「竜馬がゆく」のビデオを探してます。レンタルビデオ屋を探してもありません。売っている所や、譲ってくれる人、探してます。あとその番組で使ったテ-マソングは何ですか?誰が歌っているのですか?タイトルは?教えてください。 |
|
TBSで放映された「竜馬がゆく」のビデオですが、TBSのHPの ビデオリストを見る限り販売されていない様です。テ-マソングは「生きる歓び」沢田知可子&KATSUMI(wea japan)です。 |
|
