写真「フルベッキ博士と佐賀藩・長崎致遠館の研修生たち」

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明治のオールスターが勢ぞろいしている幕末の写真がある。偽物説も多いが、本物と言う話も多い。

この写真はかなり出まわっており、中にはかなりの代価を払って求められた方もあるようですが、書かれている人物の名前も、フルベッキ博士とその子供さん以外は、全部「ウソ」です。つまり、後代の人がそっくりさん写真にしてしまって、もっともらしいいわれをつけたものです。
この写真を撮ったのは上野彦馬で、文久2年(1862)長崎で営業写真館をオープンし、京の下岡連杖と並んで草分け的存在です。龍馬もこの上野彦馬のところで、何枚かの肖像写真を残していますが、有名なのは(1)台の横に立ち手を懐に入れているもの、(2)椅子に座り横向きで大小の刀を差しているもの2つその他バストショット(胸から上)のものも1~2枚あります。(いずれも慶応2~3年撮影)この龍馬の顔と、集合写真の龍馬の姿と見比べてみれば、同じ年、或るいは1~2年の差と考えても、あまりにも違い過ぎることがわかると思います。また、横井小楠は龍馬より25歳も年上で、おでこに沢山皺のある人ですから、これも大違いです。
私どもの館にも、全く同じ写真がありますが、写真そのものは、佐賀藩の青年たちが、英語や科学を習っていたフルベッキ博士が、江戸へ赴任するのを機会に送別の意味で撮ったもので、私どもの館で展示するときは、「フルベッキ博士と佐賀藩・長崎致遠館の研修生たち」明治2年上野彦馬撮影とします。
そして、これについては、ソックリさん的説明がつけられ、話題を呼んだがそれぞれの人物の本物の写真と比べれば、本物でないことは容易にわかる・・・と解説をつけています。

【フルベッキ VERBECK・Guido Herman Fridolin】
 オランダ・ユトレヒトツァイスト出身。宣教師。
安政6年11月、ダッチリフォームド教会宣教師として、長崎に来航。元治元年8月より幕府の長崎外語伝習所、済美館の校長兼教授として、週5日、英語や科学などを教授した。また、慶応2年6月からは佐賀藩設立の長崎致遠館の教師に任ぜられ、多くの人材を育成した。維新後は新政府の顧問格として、諸施策に参画した。明治2年に長崎から東上する際、多くの門弟たちとともに撮影した集合写真を残しています。(この写真が問題のもので、元治元年には、この広い写場は、上野彦馬の所になく、スタジオを増築したのは明治2年と言われています。)

[参考文献] 「幕末維新-写真が語る-」 安田克廣 編 株式会社明石書店(1997年3月20日)発行 定価 2575円