坂本春猪について

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春猪の生い立ち、龍馬の死後、春猪の生涯について教えてください。

坂本春猪 (以下「坂本龍馬大事典」を参考にしています。)

天保14年(1843年)12月14日~大正4年(1915)7月22日享年73歳
土佐藩士坂本権平と千野の娘。千野は川原塚氏。
龍馬とは叔父と姪の間柄だったが、年が8歳しか違わない為、龍馬に妹のように可愛がられた。
龍馬がよく春猪の顔を、アバタのある顔から、金平糖の鋳型と言ったり、長崎から「外国のおしろいと申もの」を送ったことや、龍馬にかんざしをねだったことが、龍馬が乙女や春猪に宛てた手紙からもわかる。龍馬が春猪に宛てた手紙2通が確認されている。
文久3年秋、家老山内下総の家来の鎌田実清の次男清次郎を婿養子に迎えた。
元治元年に長女鶴井、慶応元年に次女兎美(富)を生む。
清次郎は慶応3年脱藩して龍馬を頼り、後年帰国して坂本家を出、名を三好賜と改めた。
春猪も三好家に入り美登と改め、長男・譲と長女・亀代をもうけた。
譲は早逝、亀代は後に税務官吏楠瀬済の後妻に入った。
夫の没後、札幌で牧師をしていた坂本直寛を頼るも、直寛の後妻と合わず高知に帰る。
高知では、亀代の嫁ぎ先である楠瀬家で養われ、73歳の生涯を閉じた。