岡上樹庵について

カテゴリ:ゆかりの人物について
乙女の嫁ぎ相手である岡上樹庵についてお聞きしたいのですが、藩公(山内容堂)の御付医者だったというのは本当でしょうか?また、他の医者との交流はあったのでしょうか?生まれた年、亡くなった年は何年でしょうか?
岡上樹庵は150cm以下の小柄な人で、かんしゃくもちだったなどと言われています。天保10年(1839)岡上家に養子に入っています。最初の奥さんは亡くなり、安政3~4年頃(1856~57)その後妻として乙女さんが入ったようです。果たして夫婦仲が良かったかというと、1863(文久3年)6月29日乙女に宛てた龍馬の手紙の中に、「先日下さった手紙に、坊主になって山の奥へでも入りたいと言っていますが・・・」と書いてあり、この頃からあまり良くいってなかったようです。龍馬の手紙にも樹庵の事は全く出てきませんが、更に1867(慶応3)年6月24日の乙女宛の手紙で龍馬は「元気になったら京都へ出て来たいといっているが、龍馬の姉が不自由になったから出て来たと言われると、天下の人に対してはずかしい・・・」と言って一生懸命に止めています。これも樹庵と仲が良ければその必要もないはずです。元治2年乙女は岡上家から坂本家へ帰ったという説もあります。
さて、肝心の樹庵ですが、岡上家が代々藩公の御付の医者(待医)をつとめているので、樹庵もそれを受け継いでいると思います。その他の医者と交流があったかどうかについてはわかりません。
岡上樹庵 安政11(1828)年~明治4(1871)年