龍馬との出会いのいきさつは色々書かれています。父・楢崎将作が亡くなってから、母親が方広寺で勤王の志士達の炊事を手伝っており、お龍も方広寺へ出入りしていました。苦しい生活を助けるため元治元年(1846)8月龍馬の世話で、お龍は寺田屋の養女となりました。
この頃から、龍馬とお龍の仲はますます良くなり、お龍も龍馬のために京都の情報を集めたりして協力します。慶応元年(1865)9月9日の龍馬の手紙では、土佐にいる乙女姉さんにお龍にプレゼントする帯・着物などを送って欲しいとねだり、家族を助けているお龍の頑張りを伝えています。
この頃龍馬は、長崎の亀山社中に移って薩長同盟をつくることに精出し、慶応2年1月ついにこれが完成します。そのあと寺田屋で休んでいた龍馬は幕府の伏見奉行所の捕り手に囲まれますが、お龍がこの動きを知って風呂から飛び出し龍馬に知らせたので逃げる事ができました。龍馬はこの年の12月手紙の中で「お龍がいたから龍馬の命は助かった」と書いています。
龍馬はけがが治ったあと慶応2年2月お龍と結婚しました(結婚は元治元年の説もある)。3月薩摩の西郷さんたちの招きで龍馬はお龍を連れ日本初といわれる新婚旅行にでました。霧島山のふもとの温泉で傷の保養をし山にものぼり、約1ヶ月間ゆっくりとすごしました。
(参考になる本) 「坂本龍馬の妻 お龍」(新人物往来社・鈴木かほる 著)