お龍との出会いと龍馬没後のお龍

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龍馬とお龍が出会ったのは、2人が何歳のときですか。また、龍馬が亡くなった後、お龍は龍馬からの手紙などを燃やしたと本に書いていたのですが、それはなぜですか。

龍馬がお龍と知り合ったのは、文久2年(1862)7月お龍の父親が、勤王運動の取り締まり(安政の大獄)で捕まり、獄中で病死した後になります。お龍の母が志士たちの隠れ家だった方広寺へ、食事などの世話をするために通っており、文久3年(1863)(龍馬28歳、お龍23歳)にそこで龍馬とお龍は出会ったと考えられます。お龍の回顧録によると、元治元年(1864)に龍馬と結婚したとありますが、龍馬の手紙でお龍のことを妻と明記するのは慶応2年(1866)12月4日の手紙からです。慶応元年(1865)9月9日の姉乙女へ宛てた手紙の中で、龍馬はお龍に渡すものとして、小笠原流の礼儀の本、詩の本、乙女姉さんの帯か着物をねだっています。慶応2年(1866)1月23日夜、薩長同盟を結んだ後、寺田屋でくつろいでいた龍馬が伏見奉行所の人達に取り囲まれた時、それを早く知ったお龍が風呂から飛び出して龍馬に「急」を伝えたため、龍馬は捕まらずに逃げる事が出来ました。龍馬は、命の恩人となったお龍とこの事件の後結婚したようです(慶応2年3月頃)。龍馬が死んだ後、土佐にきたお龍は坂本家に入りますが、周り中知らない人で、暮らし方も違うことから、次第に嫌になり、芸西村(高知から東へ車で45分位の所)に嫁いできていた妹君枝のところに立ち寄った後、土佐から離れました。新しい気持ちで立ち直ろうと手紙を焼いて過去を清算したかったのでしょう。